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第二章 対決

43 謎は、解けた

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「海峡周辺、敵影なし!」

 フレッチャー艦隊は両岸に緑を望む海の回廊に入った。

 たった数時間前にミカサも通ったであろう海峡を、ヴィクトリーは同型艦2隻を従えて威風堂々進んでいた。

 しかし機関は半速。ミカサと違い燃料に不安はなかったが、海峡の幅が狭い。それにすでに敵に捕捉されているミカサを思えば、より周囲に監視の目を光らせつつ進まねばならない。急いではいたが、フレッチャー提督率いる第一戦隊は慎重に歩を進めていた。

 アンは人が変わったようにレシーバーから送られてくるモールスに集中していた。

 伊達に最高学府の理系学部の院生になったわけではない。その高慢でイヤミな性格はともかく、やるときはやる女だった。

「大尉! これを」

 やがて受信したモールスの翻訳を書き上げるとレシーバーを取り、通信長のスミタ大尉に電文を示した。

 大尉は素早く文面に目を走らせた。

「・・・確かだな?」

 脂汗を額に浮かべ、アンに念を押した。

「間違いないわ!」

 額に掛かった赤毛を掻き上げ、アンは胸をそびやかした。

「閣下!」

 スミタはフレッチャー少将に電文を示した。

 スミタもアンも固唾をのんで少将の反応を見守った。

「なんと・・・」

 フレッチャーはゆっくりと顔を上げ、そして不敵にほほ笑んだ。

「ミカサはなんと言ってきたのですか」

 はやるカストロ中佐を抑え、司令はブリッジの面々を前に胸を張った。

「諸君! 今、ミカサから通信が入った」

 現在、ミカサはこの先の海峡内で敵の妨害工作を受け周囲を防材に囲まれて立ち往生しているようだ。すでに敵兵が艦内に侵入し司令長官以下将兵が捕虜となった模様である。

 しかも半島内に秘匿された軍事施設に曳航されつつあると思われる。

 これよりわが艦隊はこの先で海峡を塞ぐバリケードを実力で排除し、ミカサを救出する。だが敵がミカサを用いて艦隊に攻撃を仕掛けてきた場合は・・・」

 ヴィクトリーのブリッジの面々は固唾をのんで司令の言葉の続きを待った。

「艦隊は迷うことなく実力をもってこれに応戦、ミカサを撃破する!」

 一同は水を打ったように静まり返った。

 帝国海軍の戦艦同士が相撃つことになるとは・・・。フレッチャーの言葉がもたらした衝撃は小さくなかった。

「我が帝国海軍の艦艇同士が撃ち合うなどは前代未聞であり、諸君の気持ちはよくわかる。誰だって同胞や同じ海軍軍人に砲を向けたくはなかろう。

 だが、ミカサは帝国の至宝だ。

 必ず取り戻さねばならぬし、それが適わぬなら、利用されて帝国とわが国民に害をなさぬよう、敵の本拠地に曳航される前に撃沈して敵の手に渡らぬようにせねばならぬ!」

 フレッチャーの非情な決意と凄みに皆肝を鷲掴みにされ言葉がなかった。

「艦長! 防材を視認次第、これを撃破せよ! 他2艦にも連絡せよ!」

 ハッとしたように我に返った艦長は命令を下した。

「アイ、サー! 砲術長。前部主砲攻撃準備!・・・」

 この瞬間、ヴィクトリーは憤怒というマグマを溜めた活火山と化した。

 フレッチャーはカストロ中佐をブリッジ外の張り出しに誘い、電文を示した。

「貴官にだけは知らせておく」

 急いで電文に目を走らせた中佐の表情がにわかにかき曇った。

 電文にはこうあった。

 ・現在ミカサは2個小隊ほどの敵兵に占拠され、司令長官以下士官は幕僚室に監禁され、大部分の兵が居住区及び兵員食堂にいること。

 ・武装した3つの半個小隊ほどの人数がエンジンルームと前後の弾薬室に立て籠もっていること。

 ・ミカサ周辺は数百隻に及ぶ小舟が埋め尽くし、その小舟の上には数百人に及ぶ子供が乗せられていること。

 ・敵は海峡北岸に隠されていた運河を用いて内陸部にあると思われる敵海上兵力の根拠地へ蒸気機関車を用いてミカサを曳航しようと試みている模様。

 ・ルメイ大佐はチナへの亡命を公表し、これにカトー参謀長が加担していること。カトー参謀長が密かにチナへ内通していることが判明した事。カトー参謀長は表向き帝国へ交渉に向かうと称して内火艇にて離艦せんとしていること。

 ・発信者ヴァインライヒ少尉はこれよりミカサを占拠するチナ兵力を排除せんと試みる。

「・・・なんと。これは事実ですか、閣下。ルメイ艦長がチナに亡命し、しかも、あの参謀長が敵に内通していたとは・・・」

「全ては裏切り者を炙り出すためだったのだ、中佐。この演習も、敵のサボタージュを受けたミカサを敢えて孤艦にしたのも。

 このところの帝国の機密漏洩の問題は貴官も知っているだろう。

 ワワン長官も、全部ご承知であられる。長官自ら敵の手に陥ることを覚悟して、この作戦の先頭に立たれた。まさにナポレオン艦隊に先陣を切って切り込んでいった、ヴィクトリーのネルソン提督のようではないかね、中佐」

 カストロは、あの無口な艦隊司令官の不退転の決意を知り、呆然自失して立ち竦んだ。

「・・・いや、しかし・・・」

 あまりに突然の、しかも衝撃的な情報に接し、海軍のエリートで鳴るさすがの第一艦隊主任参謀も二の句が継げずに言葉を失った。

「だが中佐。これでやっと謎が解けたぞ。

 このミカサからの通報に寄れば、どうやら、敵の根拠地というのがこの半島の内陸部にあるらしい。運河を使って海峡と出入りできるようだ。しかも蒸気機関車を使って大艦でも曳航できるシステムらしい」

「・・・なるほど」

 ようやく自分を取り戻した中佐は頷いた。

「敵も考えましたな。これでは第三艦隊の捜索にも引っかからなかったはずです。おそらくそこに海軍兵力を温存しているのでしょう」

「そういうことだ」

 とフレッチャーは言った。

「海峡からの距離次第ではむしろミカサをそこに敢えて曳航させ、着弾観測を行わせるのも手かもしれん」

「海峡から直接遠距離射撃を行うのですな。

 ですが、ミカサの乗員は拘束されているのでは。・・・ん? このヴァインライヒ少尉というのは、もしかして・・・」

「あのバカロレアの、だよ。実は彼女はこのことあるを予期してあらかじめ潜入させていたエージェントなのだ。皇帝直属の特務機関の手練れだぞ。女ながらたった一人であのレオン事件を解決に導いた猛者だ。

 彼女はリュッツオーに載せてあるのと同じ小型の通信機を持っている。音声通信してこなかったところを見ると、ブリッジ以外の場所に潜伏しながら敵兵排除のチャンスを伺っているのかもしれん・・・。

 そうだ! リュッツオーにミカサの後を追わせ、弾着観測させるのも手だな・・・」

 そしてブリッジに首を突っ込んで叫んだ。

「通信長! リュッツオーとはまだ通信できんか」

 第一戦隊司令官の下問にスミタ大尉はアンを顧みた。彼女は別人のように集中し通信機に取りついてキーを叩き、リュッツオーにミカサのヤヨイからの受信内容を逓伝し始めていた。

「司令。マーグレット少尉がすでに着手しております。俄然ヤル気になっているようです!」

 スミタは生真面目に答えた。
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