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第二章 対決
44 古城の大門と、ある一人の敵兵の運命
しおりを挟むリュッツオーはようやく海峡の東出口に到達した。
「海峡周辺、敵影なし!」
マストの上の監視兵がメガホンで怒鳴った。
潮が満ち、少し波が高くなった。だがリュッツオーの機関はいささかもひるまず、艦首は波を切り続けていた。ときおり赤い艦底さえも見せながら波しぶきをハデに散らして驀進していた。
そのリュッツオーの前に、まるで古城の大門のように大きな海峡の入り口が聳えていた。元は同じ半島の続きだったものが、急速な地盤の隆起により裂け目ができ、その裂け目の底が海中深くまで続いている。海峡東出口の幅は1キロもない。海峡両岸の、いわば「門柱」というべき花崗岩のゲートは、それぞれ200メートルほどの高さがあろうか。
まさに「大門」と称するのが相応しい回廊の入り口に、小さなリュッツオーは今、足を踏み入れた。
「野郎ども! 気を抜くな。両岸と上に注意しろ。
この作戦が成功したら、第一艦隊の女どもとの合コンをセッティングしてやる。会費は要らん。全部オレのオゴリだ! それを励みに頑張るんだ、いいな?」
「うおおおおおー!」
合コン、しかも艦長のオゴリと聞いて俄然張り切るリュッツオーの乗員たちを他所に、ミヒャエルは一人、時折降りかかる波しぶきを拭いつつ、じっとレシーバーから聞こえてくるはずの音に耳を澄ませた。ヤヨイは必ず何かを送って来る。絶対に、送って来る! そう信じて、空電の彼方からくる微かな信号音を待った。
艦の動揺を軽くいなしつつ、鉛筆を握りしめ、全神経を耳に集中した。
幼いころに親を喪い、盗みと下働きで食いつないできたテイとツァオの2人の兄弟。
ある日、ヤリ手の一党がいると聞いた。国王直轄の軍ではないが王宮に伝手があり、私兵を養っている首領だということだった。その首領が手下を募集していると。
その一党に加われば毎日のメシも保証してくれるし住むところもくれると。それに手柄さえ立てれば報奨金もくれるという。テイとツァオは一も二もなくその首領に会いに行った。一党の首領は美人だが凄みのある面付きの女だった。
「二人ともいい身体をしているな。よし、仲間に加えてやる。そのかわり、あたしの命令には絶対服従だ。逆らったら、殺す。いいね? 」
こうして2人は女首領のミン・レイの一党に召し抱えられ、半年ほどが経っていた。
そして数日前、初めてこの仕事を知らされた。
なんと帝国の戦艦をかっさらうのだという。
首領は手下たちを前にして厳命した。
「お前たち。できるだけ多くの子供を集めるんだ。カネで買ってくるのもいいし、攫って来るなりなんなり。方法は問わない。一番多く子供を集めた者には2両与える」
2両とは1年は暮らせるほどの大金だ。2人の兄弟は発奮し、30人の子供を攫い金を得た。
そして他の仲間が狩り集めた子供を数十台の牛車に乗せ、昨日この浜辺に着いたというわけだった。
子供たちには水は飲ませたがロクに食いものも与えていなかった。可愛そうだがしかたがない。今回の作戦では是非とも手柄を立てて報奨金を貰い今までのドブネズミのような暮らしから抜け出したい。2人にはその一念しかなかった。
「お前たち、ついてこい!」
ようやく占拠した帝国の戦艦。艦橋に若干名を残し、首領であるミンについて上甲板に降りた。
右舷の海面にエンジン付きの小舟が下ろされ、今しもこの戦艦を離れようとしているところだった。小舟には口髭を生やした帝国の立派な身なりの士官が乗っていた。
首領は眼下の小舟の上に立った士官に帝国語で何かを話しかけた。士官は手を挙げて何かを答え、そして戦艦の腹を棒で小突き小舟を艦から離すとポンポンというエンジンを響かせながらゆっくりと離れていった。
小舟を見送り、首領は二人を振り返って言った。
「テイ、ツァオ。
お前たちはそれぞれ2、3名ほど率いてさっきのあの小癪な娘を追え! 必ず捕らえろ。相当の手練れとみた。油断するなよ。なんなら殺しても構わん。行け!」
首領の傍にいたもう一人の大柄な帝国の士官が彼女に話しかけた。
すると首領はフンと笑い、
「その娘だが、殺したら1両。生け捕りにしたら、3両やる」
そう、言葉を改めた。
テイとツァオはそれぞれ仲間を連れて艦内に散った。
「ルメイ大佐。貴官は我が国の賓客だ」
どこで習得したのか、今日初めて対したチナの女首領ミン・レイは澱みない帝国語を話す。
「ご意見は尊重するが、最優先はこの艦の奪取にある。そのためには邪魔者は始末せねばならん」
「艦を得たとしても、それを運用するには不断のメンテナンスが必要なのだ。それに通信機という電気を使う機械は私の専門外だ。しかも通信機には発電機が不可欠だ。あの女性士官はその両方の知見を持っている。生かしておけば、必ず貴国の役に立つ」
フフン・・・。
女首領は意味ありげな笑みを浮かべると踵を返した。まるでルメイの下心を読んでいるかのように。卑下されたかと、いささか自尊心を傷つけられた。
「最善は尽くすが、保証は出来ん。二時間ほどで基地に着く。それまで艦橋なりご自室なりでお過ごしあれ。メスネズミを捕えたら知らせよう」
残った手下を引き連れ、ミンは曳航作業を監督するため足早に艦首へ歩き去っていった。
あのバカロレアの少尉が、あのような武術の遣い手とは意外だった。だが、彼女を同道してチナへ亡命するという意思は変わらなかった。事を分けて話せばわかる。
ツァオは上甲板下の副砲の弾薬を運ぶトロッコレールの回廊を歩いていた。すでに無人となった砲座を一つ、またひとつと巡る。この巨艦も、この眩しいほどの精密な大砲も、ツァオにとって初めて見る「科学の粋」だった。ミンの一党に加わり初めて銃というものを手にした時以上の感動が彼を包んでいた。
「これが帝国の船かあ・・・」
連れている兵たちも物珍し気にその70ミリの単装砲を眺め、砲身に触れた。
「おい! お前たち。感動している場合じゃないぞ。相手はどこから襲ってくるかわからん。気を抜くな」
ツァオは自分をも戒めるように部下たちを𠮟咤した。
砲座から砲座へ。無人の副砲列を捜索していると、兵の一人が声を上げた。
「あ、あれ・・・」
彼は開いた砲門の外に首を出して上を見上げていた。彼に並んで、彼の指すほうを見上げるとすぐ上の甲板直下の舷窓が開いているのか、そこから一本の針金が飛び出て垂れ下がっているのを発見した。
この真上か。・・・何だろう。
「上に行ってみる。お前、目印にここにいて顔出してろ」
甲板下の部屋のどこか、だろう。だが艦内は複雑でともすると迷子になってしまいそうなほどだった。一度甲板の上に出てどの部屋かを特定してからだ。
部下1人をそこに残し、残りの2人を率いて上甲板に登った。
舷側沿いに先ほどの場所を探すと突き出た大砲の傍に部下の手と頭が見えた。
「あそこだ。おい、手鈎を持って来い。外から中を確認してみる」
そうして、例の針金の垂れさがった小窓の上に立った。手下が持ってきた手鈎つきのロープを舷側に垂らし、手摺を跨いでロープを握り降下を始めた。その針金の垂れた窓までは、すぐだった。
そっと窓の中を盗み見た。3寸ほどの装甲の厚さの向こうに丸い灯りがある。暗くてよくわからない。顔を近付けてその中に目を凝らした。
「女性の部屋を覗くなんて。チナ兵は趣味が悪いのね」
幼いころから盗みばかり繰り返していたツァオにそんな帝国語がわかるわけもない。
彼がその生涯で最後に見たのはブルネットを揺らす、初めてまみえる碧眼の美少女のとびきりの笑顔と、自分の両目に突き刺さる2本の指だった。
ぐわああっ!
激痛に思わず両手で顔面を抑えたツァオは、当然ながら海に落ちた。
眼球を2つとも潰されてはもう、冷たい水の感触と塩辛い水の味、ゴボゴボという水中の音しか知覚できなかった。
ツァオは、生まれながらの悪人ではなかった。
もしも彼がチナではなく帝国に生まれていたなら、帝国の法によって国費で初等教育を受け読み書きを習い、手に仕事を付けて盗みを繰り返さずとも済んだろうし、ミンのような賊の手下になることも無かったろう。こうして両眼を潰され、生まれて初めて浸かった海に落ち溺れることもなかったかもしれない。
もがきながら海の底に沈んでゆく彼には、それまで為してきた行いへの報いが来たのだと悟れたのは彼の魂にとっては幸いだったかもしれない。
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