ソルヴェイグの歌 【『軍神マルスの娘』と呼ばれた女 4】 革命家を消せ!

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第四部 ついにもぐらとの死闘に臨むマルスの娘。そして、愛は永遠に。

45 出て来い、「もぐら」!

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 その翌日。

 雨脚はさらに強くなったが、まだ嵐というほどではなかった。だが、東に見える漁港は嵐を避けて漁を休んだ漁船たちが帆を畳み舫を固く結び犇めいていたし、より数多くの小さな船はオカに引き上げられてさえいた。

 その雨の中、ヤヨイはアクセルと共に馬車に乗った。国王直々の招待に応え、王宮に赴くためである。

「では、行ってまいります、ゴルトシュミット卿。ノラ、あなたのおかげよ。いろいろありがとう」

「いいえ! もったいのうございます、イングリッド様! お礼を申し上げるのはわたしです。どうか、お気を付けてお帰りあそばしますよう・・・」

「ノラの言う通りです、バロネン。国王陛下の思し召しでなければ是が非でも御止め申すところ。帝国から天気予報が来るようになってからは、ベテランの漁師でさえこんな日は出漁しませんからね。陛下のご存念にもよるでしょうが、なるべく今日中にお帰りになるのが望ましい。

 アクセル、くれぐれもバロネンをよろしく頼むぞ」

「かしこまりましてございます、閣下。

 お嬢様は幼き頃よりともに育った妹のようなお方。このアクセル、いかなる時もこの身に代えましてお嬢様をお守りいたします!」

 昼餐を伴った国賓待遇の前回とは違い、この度の訪問は非公式。だから、ノール政府のお偉方は列席しないし、ヤヨイ扮する「バロネン・ヴァインライヒ」のホストファミリーであるゴルトシュミット子爵も同行しない。

 それが、ゴルトシュミットとしてはいささか心配ではある。

 帝国貴族「バロネン・イングリッド・マリーア・ノルトヴェイト・フォン・ヴァインライヒ」はノールの名門ノルトヴェイト家の末裔なのだ。

 旧王朝であるニィ・ヴァーサ朝の重鎮であったノルトヴェイト家は、ニィ・ヴァーサ朝の断絶によって王朝を開いた現王朝ヤンベルナドッテ朝にとっては邪魔者でしかない。

 だが、ノール国王に認められれば、その懸案は解消する。

 それだけではない。

 もし、バロネンがスヴェン国王の寵愛を受けることになれば!

 主筋であるノルトヴェイト家は、労せずして国王の妃と旧家名の復活の二つを、一挙に獲得できるのだ! ゴルトシュミットの長年の宿願であったニィ・ヴァーサ朝の復活への努力もこれで報われる

 そして、バロネンの後ろ盾である、このゴルトシュミット家も、また・・・。

 ゴルトシュミットの思惑はいつもそこに行きつく。

 あと少し。あとわずかで・・・。

 あふれる希望を再び胸の内にしまい込み、ゴルトシュミットは拳を固く握った。


 


 

 ゴルトシュミットの隣で馬車を見送るノラもまた、降り続く雨をしのぐ雨除けの下で、イングリッド様の無事の帰館を願い、神に祈りを捧げていた。

 イングリッド様のお慈悲のおかげで、ノラの心に刺さった棘(とげ)は抜けた。

 全てが公(おおやけ)となった今、もうノラはイングリッド様を欺いていた罪の意識に苛まれずに済んだ。

 そして、ノラの未来もまた、お優しいイングリッド様によって明るく輝かしいものになりつつあった。

 愛するペールと共に、二人でご奉公できる先を用意してくださる。

 イングリッド様の存在は、ノラにとってまさに希望の光、そのものであった。

 どうか、ご無事にお帰りあそばしますよう・・・。

 ノラは、雨の中遠ざかる馬車と、その馬車を馭する馭者に向かって、再び、祈った。


 


 

 帝国では高価なガラス。

 ヤヨイはガラスの曇りを指で払い、車窓の外を流れる、雨の降り続く暗い街路に目をやった。

 なぜ帝国ではガラスが高価なのだろう。

 それは、需要がないからだ。

 あまりにあっけなく、自問自答が終わってしまった。

 降水量が少なく、一年を通じて陽光が降り注ぐ帝国では、家々の窓は開け放たれていることが多い。水晶の素、石英を細かく砕いたのが珪砂で、それがガラスの原料となるのだが、帝国にも珪砂の鉱山くらいはあるのだろう。それに、融かしたガラスを型に流し込んで冷やせばいいだけ。高度な技術を要するわけでもない。

 だが、需要が無いからあまり生産されず、故に希少だから高価になる。自国で生産するよりも、わざわざ輸送費をかけてまでノールから輸入した方が、輸送に関わる破損のリスクを考慮しても、はるかに安い。実に簡単な、経済の法則。

 だが、ここ、ノールでは違う。

 貴族の家はもちろん、たいていの家屋にはガラスがはまっている。一年を通じ、雨が多いからだ。雨ばかりだから窓を閉め切る。戸板だけの窓を閉め切っていては一日中カンテラを灯さねばならないし、第一、気が滅入る。

 だから庶民にも需要があるし、その需要を満たすのに充分な供給もある。故に、ノールではガラスはさほど高価ではない。

 こんな土地でも、ノール人には住みやすいのだろうか。ノール人たちの先祖の故郷、今は北極の厚い氷に閉ざされているだろう北欧というところも、こんな土地だったのだろうか。


 

 ヤヨイは、揺れる曇ったガラスに映る、かりそめのノール美女の顔を見た。

 もう、待つだけ待った。やるべきことも、全てした。

 顔を変え、ノールの貴族社会に潜入した。

 ノールの王宮にも入った。

「もぐら」にとっては垂涎の的、ハーニッシュの奥深くにも食い込み、彼らを篭絡し、味方に付けた。

 そして今、ノール国王直々の思し召しを受け、国王の寵愛を得るために王宮に向かっている。

「もぐら」よ。

 ノール王家の転覆を図り、革命を夢想するお前にとって、わたしは欲しくて欲しくて仕方ない存在のはずだ!


 

 いい加減に、出て来い、「もぐら」!

 そして、わたしの技の前に斃れろ!


 

 そうすれば、この雨の降り続く暗い空の下のノールに別れを告げ、陽光溢れる帝国に帰り愛するタオと共に過ごす時を取り戻すことができる!


 

 ヤヨイは、今回のこの「非公式訪問」に、賭けていた。

 それは、キャビンに同乗するアクセルも同じだった。

「あと少しで王宮に到着いたします。ご気分はいかがですか、お嬢様?」

 Wie fühlen Sie sich, Prinzessin?

 アクセルは、帝国語を使った。

 他に誰かがそばにいる場合、彼とミッションに関わる内容を話すのには英語を使った。誰もいないのが確実な場合は帝国語を使ってきた。「バロネン・ヴァインライヒ」もアクセルも、帝国生まれ、帝国育ち。帝国語を使うのはごく自然だからだ。

「よろしくてよ、アクセル!」

 Ich fühle mich gut,Axel!

 生粋のノール人であるゴルトシュミット家の馭者なら、帝国語で話している内容はわからない。にもかかわらず、アクセルもヤヨイも、いよいよこれからミッションのクライマックスに向かうにもかかわらず、任務の内容に触れることは一切語らず、「ノールの血をひく帝国貴族とその従者」の役割を演じ続けた。

 その理由は。

 実は、二人が乗った馬車を馭する馭者を務めているのが、ほかならぬ、ペールだったからである。

 ノラの恋人にして、帝国に潜入し、少なくとも一人の帝国人を殺害した容疑者。二人が追うノール王家の転覆を企む「もぐら」の手下。その本人だったからだ。

 今朝早く、ペールはゴルトシュミット家にやってきた。

「イングリッド様は、ぼくとノラのためにハーニッシュの里へ口を利いてくださいました。あなたの従者としてなら、里への出入りを許されるよう、お口添えいただきました。それに、ノルトヴェイト家が再興されれば、お家にお召抱えもして頂けると。

 たいへん感謝に堪えません。

 ぼくにもなにか、手伝わせてください。もし、王宮へ行かれるのなら、馬車を馭させて下さい!」

 きっと、昨日王宮へ使いするノラを尾行したのだろうが、ヤヨイとアクセルが密かに狂喜したのは言うまでもない。「もぐら」の手下が向こうから接触してきたのである。喜んで、馭者の役を頼んだ。

 秘密警察のアクセルの同僚アンドレが、アジトに踏み込みかけて思い留まったのは聞いていた。危うくミッションが水泡に帰すところだったが、まだ「もぐら」もペールも、ヤヨイたちの正体に気づいていないことが、これでわかった。

 ヤヨイたちが、今回の「非公式訪問」に賭けているのは、このペールの接触があったからでもある。

「ご気分がよろしく」ないわけがなかった。

 それどころか、今までの艱難辛苦がやっと報われる時が来たのだ。

 降りやまぬ雨の中、ヤヨイの心は、浮き立っていた。

 高揚する気分を抑えるのに苦労している間に、馬車は王宮の通用口の前に着いた。

「着きましたよ、お嬢様」

 王宮の従者が踏み台を置き、開けてくれたドアを先に降りたアクセルが抑え、ヤヨイに手を差し出した。

「ありがとう、アクセル」

 こうして、ヤヨイ扮する帝国貴族「バロネン・ヴァインライヒ」は王宮に降り立った。

 ノール国王スヴェン27世に再びまみえるため。

 そして、どのような形になるかはまだわからぬまでも、おそらくは接触してくるだろう、「もぐら」に相対するために。
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