ソルヴェイグの歌 【『軍神マルスの娘』と呼ばれた女 4】 革命家を消せ!

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第四部 ついにもぐらとの死闘に臨むマルスの娘。そして、愛は永遠に。

72 国王の出陣、そして「地獄の門の番人」

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 雨音が激しすぎてノラには聞こえなかったが、王宮のエントランスに続く大広間では、今国王の出陣の儀式が行われていたのだった。

 常ならばまず国王自ら臣下を引きつれて大聖堂に赴き、大司教から戦陣に赴く国王へ祝福のミサを受ける。だが、国王であるスヴェン27世自らスラリと剣を抜き放ち、

「そのようなヒマはない! 神は全てご存じである! 

 神よ、照覧あれ! 

 無謀にもこの神聖な王都に軍を進め、混乱を招いた者どもを罰し、このノールを救いまいらせたまえ! 」

 それだけを宣言するや、足早にエントランスに向かい、待たせていた白馬に飛び乗り最前線を目指して駆けだしていった。

 前代未聞の成り行きに、近衛軍団の幹部たちは慌てて国王を追って城外へ。臣下大臣はもとより、王宮の侍従侍女たちもてんやわんやの大騒ぎの真っ最中だった。

 その直後に、誰にも断りもなく王宮に入った下級貴族の召使などに注意を払っている余裕などまったくなかったのである。


 

 王宮には先日来たばかりだった。

 前回と同じ、王宮袖の通用口の雨除けの下に馬車を止め、グンダーを伴って宮殿に入った。

 不思議なことに、前回来た従者溜りにも廊下にもどこにも侍女たちや侍従たちの姿がなかった。

「へんね。誰もいない」

「おい、勝手にウロウロしちゃいかんだろう。ここで待つとしようぜ!」

 だが、ノラはグンダーの諫めを無視した。

 トリコーヌを脱いで溜った雫を勢いよく振り払い、再び目深に被って宮殿の中へ進んだ。

「どなたかいませんか? ゴルトシュミット家の使いの者です! 」

 そう、呼ばわりながら。

 やむを得ず、グンダーもやれやれと首を振りつつ後を追った。

 階上の大広間では大騒ぎになっているのも知らず、ノラはちょうど下の階を突き進んだ。

「どなたか、いらっしゃいませんか?! 

 イングリッド様! イングリッド様! どこにいらっしゃるのですか! 」

 迷路のような王宮を彷徨い歩くうち、いつの間にか王宮と後宮に挟まれた中庭をめぐる回廊に出ていた。常は美しい緑の庭園が、激しい雨の上げる水煙で霞むほどだった。

「おい、ノラ! これ以上はさすがにマズいって! 引き返そうぜ!」

「いいわ! あなたは引き返しなさい、グンダー。わたし一人でも行く!」

「まったく、なんだってまたこんな強情な・・・」

「そこの二人! ここで何をしている!」

 振り向けば、黒装束に身を包んだ男の一団を率いた、アタマがつるっ禿のでっぷり太ったこれも黒衣の小男がいた。

「げっ! ホラ言わんこっちゃねえっ!」

 反射的にバウをして礼をとったグンダーが小声で窘めた。

 すると一団の一人がつるっ禿に何やら耳打ちした。

「すみません! わたしはゴルトシュミット家から参った使いの者です。バロネン・ヴァインライヒ様のお戻りが遅いのでお迎えに参りました!」

 物怖じせずに胸を張ったノラに、つるっ禿が顎をしゃくった。

 一団のひとりがつかつかノラに歩み寄る。そして、間髪入れずに、ノラを確保し、彼女の顔に白い布を押し当てた。

 意識が急に遠のいていく。

 なんだか、前にも同じような目に遭ったような・・・。

 それに、あのつるっ禿の人、前にどこかで会ったような・・・。

 ノラの意識は、暗転した。


 


 

「従者だまりにでも寝かせておけ!」

 手下にゴルトシュミット卿の2人の使いの者たちの始末を命じたアンドレは、足早に後宮へのドアに向かった。その後をグロンダール卿と彼の配下が追う。

 後宮と王宮とを隔てる頑丈なドアは固く閉じられていた。

 ドアを叩こうとするアンドレを、グロンダール卿は制した。

 そして、やれ! というようにまたも顎をしゃくった。

 アンドレが下がり、彼の部下に目配せすると、陸軍の装備品である手榴弾を持った一人が両開きのドアの取っ手に針金で縛り付けた。

 一団は距離をとった。

 手榴弾の安全ピンを抜いて信管を押し込む。そうすれば、5秒後に手榴弾は爆発する。分厚い頑丈な樫の木で作られた扉とはいえ、錠の大部分は吹き飛ぶ。

 仕掛けた手下の一人が安全ピンに指をかけ、アンドレを顧みた。

 やりますよ?

 アンドレが、頷いた。

 が、

「待て!」

 グロンダール卿が制した。

 間もなく扉の錠を開けるカチャカチャという音に続き、大きな扉がギイと鳴って開いた。

 後宮へ通じる扉の向こうから現れたのは、長身の黒衣の女官長だった。

 そのあまりな異様に、グロンダール卿以下挙(こぞ)って息を呑んだ。

 

 ノール人の故郷。

 旧文明のノルウェー最北端にあったノール岬から直線で100キロほど南東に向かったところにあった北極圏のバランゲル(Varanger)半島は、その過酷な環境から別名「地獄の門」と呼ばれたという。

 17世紀。そこで数百人に及ぶ女性たちが無実の罪を着せられ、魔女として処刑された。その「地獄の門」の番人は、みな黒衣に身を包んだ長身の女であったという。

 その言い伝えは、それから千年以上も経った今でもノール人の心の中にあった。

 故に、その場にいた秘密警察の面々は黒衣の女官長に言い伝えの「地獄の番人」のイメージを重ね合わせた。

 これは何事ですか? 何の真似です?

 強大な権力を持つ皇太后の懐刀である女官長。みな彼女の口から出る言葉をそれぞれに予想はした。だが、実際に黒衣の「地獄の番人」から発せられた言葉は、まったく予想外のものだった。

「バロネン・ヴァインライヒをお探しなら、もうこちらにはおりません」

 そして、ずかずいっとグロンダール卿の前に進み出ると、他には聞こえないほどの小声で、こう言った。

「マルスはもう大聖堂に向かいました」

 グロンダールは、戦慄した。

 決して他には知る者のないはずの、秘事。

 帝国の特務機関のエージェント、コードネーム「マルス」。

 この度の彼のミッションの最重要のキーワードが、後宮の女官長の口から発せられたからである。

「・・・君は、何者だ?」

 女官長はそれには答えず、再び後宮への扉の中に姿を消した。

 だが、グロンダールは全てを察した。

 それは、あの帝国の同業者。帝都クィリナリスに居るこの世界最強のスパイマスターの手がこのノールの絶対支配者の膝元まで伸びていることに他ならなかったから。

 恐るべし、帝国のスパイマスター、ウリル少将!

「アンドレ君! 急ぎ大聖堂を包囲するのだ! 中にターゲットがいるものと思われる。絶対に気づかれぬよう、きわめて静粛に、隠密裏に、だ。急ぐのだっ! 」

「・・・かしこまりましたっ!」

 まだ訳がわからないながらも、秘密警察のあんまり仕事のできない幹部はすぐに動いた。

 スタッフたちはたちまちに、散った。

 グロンダールはしばし閉じられた樫の木の分厚いドアを見つめていたが、やがて彼もまた足早に王宮を去った。


 


 
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