『ノクトホロウの魔女に選ばれし復讐者──幻眼の乙女』

カトラス

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第二十一話『縁談の裏側』

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 王の私室を出た瞬間、背筋を冷たい空気が撫でた。長い赤絨毯と金の燭台が続く廊下に、足音はほとんど響かない。私は腕に抱えた黒猫――ニールを見下ろす。その金色の瞳が燭光を反射し、鋭く光った。



 「ニール、命令よ。王が縁談で何を考えているのか、探ってきなさい」



 低く囁くと、猫の口元が人間じみた笑みに歪んだ。



 「かしこまりました、ご主人。気づかれぬように、ですね」



 次の瞬間、ニールは私の腕から音もなく飛び降り、廊下の影へ溶けるように姿を消した。



 ――翌刻。



 執務机で書類を広げていた私の耳に、扉の隙間から忍び込む微かな音が届く。視線を向けると、黒い影が床を這い、机の上にしなやかに飛び乗った。埃をまとった毛並みのまま、ニールが私を見つめる。



 「で?」



 「王は大臣と密談していました。内容は――隣国ヴァルデンシュタイン王国の第一王子、フリードリヒ殿下。王位継承権第一位、だそうです」



 その名を聞いた瞬間、心の奥底に冷たく甘い熱が灯る。私は顎に指を添え、ゆっくりと唇を吊り上げた。



 「やはり……思惑に嵌ってくれたようね」



 計画の駒が、想定通りの位置に並び始めている。胸の奥でその感触を確かめながら、私は机上の地図に手を伸ばした。指先がヴァルデンシュタインの国名をなぞる。



 左眼が淡く光り、その地だけが闇の中で浮かび上がる。



 「舞台は整いつつあるわ」



 ニールは尾をゆるやかに揺らし、静かに頷いた。



 王女の仮面を被ってから十日が過ぎた朝。薄曇りの空から差し込む淡い光が、レースのカーテン越しに室内をやわらかく照らしている。冷たい空気の中、わずかに漂う薔薇の香りが、この部屋の静けさをより際立たせていた。



 その穏やかな空気を破るように、コンコン、と軽やかなノックの音が響く。私は手元の本を静かに閉じ、ゆっくりと扉に歩み寄った。



 扉を開けると、淡い緑色の制服に身を包んだ女官が、背筋を伸ばして深く一礼する。彼女の声はかすかに緊張を帯びながらも、はっきりとしていた。



 「エミリア様、国王陛下がお呼びでございます。できるだけ早く御前へお越しくださるようにとのことです」



 私は口元に優雅な微笑みを浮かべ、ゆったりと頷いた。その表情は穏やかで柔らかいが、心の奥では別の熱が密かに燃え上がる。



 (来たわね……この十日間で磨き上げた“王女”の仮面が、ようやく本番を迎える)



 女官が一歩下がり、静かに退室する。その背が完全に廊下へ消えた瞬間、腕の中の黒猫ニールがしなやかに尾を揺らした。金色の瞳が、まるで私の胸中を読み取ったかのように、静かで鋭い光を宿していた。







 王宮の長い回廊を進む。厚みのある赤い絨毯が足音を吸い込み、耳に届くのは燭台の炎が揺れる微かな音だけ。壁には歴代の王の肖像画が並び、その視線がこちらを追うように感じられる。



 私の半歩後ろには、無言で歩調を合わせる巨躯――王女近衛のゴリアテ。肩幅の広い影が、揺れる炎に合わせて床に伸び縮みする。腕の中の黒猫ニールは、金色の瞳を細め、小さく瞬きながら尻尾をわずかに揺らしていた。



 (この呼び出し……ようやく本題に入るのね)



 表情には出さず、心の奥底で静かに笑みを刻む。



 やがて王の私室の扉が静かに開かれた。中では玉座ではなく執務机に向かっていたヴァロワ王国国王、レオポルト三世が顔を上げる。深い青の外套をまとった王は、柔らかな声で呼びかけた。



 「よく来た、エミリア」



 その声音には温和さと同時に、何かを測る間がある。



 「……隣国ヴァルデンシュタインの第一王子、フリードリヒ殿下との縁談が持ち上がっている」



 その一言に、胸の奥で冷ややかな喜びが波紋を広げた。



 「相手国は乗り気だ。王としては――この縁談を、受けて欲しい」



 私は一瞬だけ驚きの仮面を浮かべ、すぐに視線を伏せる。



 袖口を指でつまみ、ためらうように声を震わせた。



 「まあ……そんな、急なお話……」



 だが伏せた瞳の奥では、計算の光が確かに煌めいていた。



 「ありがたいお話です、お父様」



 間髪入れず、私はそう答えた。声は柔らかく、迷いを一切含ませない。王の視線を受けながら、頬をほんのりと赤らめ、伏し目がちに礼を述べる。



 「そうか……そう言ってくれると父としても安心だ」



 レオポルト三世はゆったりと微笑み、肘掛けに手を置いたまま私を見つめた。



 「お前のことを案じていたが……やはりエミリアは聡い娘だな。相手国も乗り気だ、何も心配はいらぬ」



 「はい、お父様……わたくし、精一杯務めを果たします」



 私の声はわずかに震えているように見せかけた。だが、その震えは演技にすぎない。指先まで淑やかに整え、吐息さえも計算に入れる。



 ──計画通り……。



 心の奥底で、氷のように冷たい笑みがゆっくりと形を取った。王の瞳の奥にかすかな安堵と期待が灯るのを見逃さず、私は仮面の笑顔をさらに深く貼り付ける。



 「では、縁談の詳細が決まり次第、お前に知らせよう。準備もあるだろう」



 「ありがとうございます、お父様」



 この瞬間、次の一手への道筋が、鮮やかに脳裏に描かれていた。



 「ただ一つ、お願いがございます」



 私は伏し目がちに口を開いた。声は柔らかく、しかしどこか芯のある響きを含ませる。レオポルト三世の視線が私を射抜き、静かな間が落ちる。



 「ほう、なんだ?」



 王の低く落ち着いた声。その奥に、わずかな警戒と好奇の色が混じっていた。



 「相手国へ嫁ぐ際、私の黒猫と護衛のゴリアテを連れて行きとうございます」



 レオポルト三世は一瞬だけ眉を上げ、それから口元にゆったりと笑みを刻んだ。



 「……それだけか?」



 「はい。それだけでございます」



 「もちろんだ。娘が望むものを拒む理由はない。お前が安心して暮らせることが、父として何よりの願いだ」



 私は深く礼をし、頬にわずかな朱を差したふりをする。内心では、王の即答に満足しつつも、その裏に潜む打算を見抜いていた。



 背後のゴリアテは微動だにせず、まるで影のように私に付き従う。その瞳には変わらぬ忠誠が宿る。



 腕の中のニールは、尻尾をゆったりと揺らしながら、王の反応を観察し、まるで人間のように不敵な笑みを浮かべていた。



 ──これで、次の舞台の幕が上がる。



 謁見の間を後にし、私は静かに廊下を進む。赤い絨毯が足音を吸い込み、燭台の炎が壁に揺れる影を落とす。空気には微かな蝋の匂いと、遠くから響く鐘の音が混じっていた。



 腕の中のニールが、ひそやかな声で囁く。



「お膳立て、整いましたね」



 私は目を細め、唇に淡い笑みを浮かべる。



「ええ、あとは駒を進めるだけよ」



 ニールは尻尾をゆっくり揺らす。



「隣国の第一王子殿下、相当な切れ者と聞きますが……ご主人はどう料理なさるおつもりで?」



 私は視線を前に向けたまま、小さく息を吐く。



「料理などしないわ。自ら皿に乗ってくるよう、誘導するだけ」



 ニールはくすくすと笑い声を漏らす。



「まったく……ご主人は本当に怖いお方だ」



 左眼の奥で淡い光が瞬く。頭の中で計画の輪郭がより鮮明になっていくのを感じる。



 半歩後ろを歩くゴリアテは、無言のままついてくる。猫と会話している私の姿にも動じず、その沈黙は、すべてを見抜いているかのように重かった。



 私は歩みを緩めず、ただ静かに、次の一手を思考の中で組み上げていった。







 夜の帳が王宮を覆い、窓外の闇が静かに息づいている。燭台の炎が壁に揺れる影を描き、室内の空気はわずかに甘く焦げた蝋の匂いを含んでいた。沈黙の中、胸奥の黒紋がじわりと熱を帯びる。アヴィが目覚めたのだ。



 (……血が、欲しい)



 耳ではなく、頭蓋の奥底に直接響く声。生臭い吐息のような欲求が脈を打ち、喉の奥がひりつく。これはアヴィだけの渇きではない。私自身の心臓も、その渇きに同調して高鳴っていた。



 ヴァルセリアから授かった瓶詰はとうに空。中身の正体は言うまでもない。濃く艶やかな紅の乾燥片――粉末状に近いそれは、魔女の糧であり、私の魔力を鋭く研ぎ澄ますものだった。しかし今、瓶底には一片たりとも残っていない。



 魔力をさらに高め、復讐の刃を鋭くするには――新鮮な赤子の血が要る。



 机に肘をつき、私は窓辺の黒猫ニールを見やる。金色の瞳が炎を反射し、静かな光を宿していた。



 「ニール……赤子の血が要るわ」



 瞳が一瞬細まり、すぐに唇の端が人間じみた笑みに歪む。



 「承知しました。今夜中に、気づかれぬよう調達してまいります」



 私はゆっくりと首を横に振った。胸の奥で、別の策略が形を成す。



 「いいえ……今回は、ゴリアテに任せる」



 ニールの笑みがわずかに揺らぎ、耳がぴくりと動く。



 「……試すおつもりですか」



 「そう。あの巨躯の忠誠心をね。裏切れば、この城から消えるだけ。計画は水に流れる。でも……上手くいけば、復讐のための強力な駒になる」



 ニールは目を細め、数秒の沈黙の後に肩をすくめた。



 「危険ですが……面白い」



 私は立ち上がり、厚い扉へ向かう。重い蝶番が低く軋み、廊下に待機していた影がゆっくりと動いた。鎧のきしみもほとんどない、無言の巨人――ゴリアテ。



 「……お呼びでしょうか、姫」



 低く抑えた声が、夜の静寂を裂く。私はその眼を真っ直ぐに見据え、口元にわずかな笑みを浮かべた。



 「赤子を……さらって来なさい」



 燭火の明滅が彼の顔を照らし、影を深く落とす。わずかな沈黙ののち、ゴリアテは一言も発さず、深く頷いた。その瞳の奥で、揺れる炎が怪しく煌めいた。







 

◆ここまでのあらすじ◆



 没落農家の娘セリーヌ=クロフォードは、侯爵家に買われたのち、王宮で“水牢の拷問”や“凌辱”といった数々の辱めを受け、心も身体も壊され、追放された。

 彼女を破滅へと追いやったのは、第三王子レオンハルトと、それに連なる王族・貴族・従者・女官たち。

 すべてを失った彼女は、ノクトホロウの森に住まう大魔女ヴァルセリアと出会い、復讐の弟子として迎え入れられる。



 ヴァルセリアのもとで、屍語の儀式・血溜めの沐浴・使い魔との共喰い・絶叫の反響壺・カルマの魔紋刻印──おぞましい五つの修行を積んだセリーヌは、幻惑・暗示の魔術と、死霊や魔力を視る左眼ネクロサイトを得る。

 使い魔の黒猫ニール、眷属のアヴィを従え、彼女は自らを滅ぼした構造そのものを破壊するため、まずは標的の一人である王女エミリアに乗り移ることに成功する。



 “王女エミリア”として過ごす日々の中で、彼女は従順で可憐な娘を演じ、王族たちの警戒心を解く一方、裏では標的の従者を罠に嵌め、赤子を奪う初任務も成し遂げる。

 王宮では第三王子やグランディール三姉妹と顔を合わせる機会を伺い、確実に復讐の駒を進めていく。

 護衛として付けられた巨躯の近衛ゴリアテは、寡黙ながらも常に半歩後ろを保ち、黒猫と話す彼女を咎めることもない。むしろ、その中身が“本物の王女ではない”ことを察しているかのようだった。



 そして──。

 エミリアの仮面を被ったセリーヌは、王レオポルト三世に「そろそろ私も年頃ですので、お父様の望むところへ嫁ぎとうございます」と持ちかける。

 すぐさま黒猫ニールに王の本心を探らせると、隣国ヴァルデンシュタイン王国の第一王子フリードリヒとの縁談を狙っていることが判明。

 それはセリーヌが最初から計画していた駒の一つであり、彼女は内心で冷たく笑う──盤上は、着実に彼女の勝利へと整えられつつあった。



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ややきしくなってきたので登場人物紹介 王家が絡むとなーろっぱ風は(笑)



■ 主人公

セリーヌ=クロフォード



立場:没落農家の娘 → 侯爵家に買われる → 水牢での拷問・凌辱・追放 → ノクトホロウの森の魔女ヴァルセリアの弟子



能力:

 ・《幻惑》──対象の感覚を騙し、偽りの姿や状況を見せる。

 ・《暗示》──短時間、相手の意思を誘導できる。

 ・左眼ネクロサイト──死霊視・魔力可視化。



性格:冷静沈着だが、内心は復讐心と憎悪で満ちている。表向きは従順で可憐な女性を演じる。



目的:自らを破滅に追いやった王族・貴族・従者・女官らへの完全な復讐と、彼らが属する“構造そのもの”の破壊。



■ 魔女とその眷属

ヴァルセリア=グレイム



立場:ノクトホロウの森に住む数百年生きる大魔女。



性質:赤子の血や人間の絶望を糧とし、復讐によるカルマを滋養に変える。



役割:セリーヌを弟子として受け入れ、五つの儀式で肉体と精神を改造。



課した儀式:

 1. 《屍語の儀式》──死者の声を聞き、命令を下す術を得る。

 2. 《血溜めの沐浴》──怨嗟を帯びた血で肉体を再生・強化。

 3. 《使い魔との共喰い》──魔力と存在を融合。

 4. 《絶叫の反響壺》──恐怖を音として操る。

 5. 《カルマの魔紋刻印》──復讐の意思を力へ変える魔印を刻む。



ニール=スティッチ



立場:ヴァルセリアの使い魔。縫い合わされた少年の姿と黒猫の姿を行き来できる。



性格:軽口・毒舌・皮肉を好むが、任務遂行は正確で冷酷。



能力:潜入・偵察・誘拐・拉致・食材集め・情報収集に長ける。



主人公との関係:セリーヌの片腕的存在。人間社会での諜報活動を主に担当。



アヴィ



立場:《使い魔との共喰い》でセリーヌが選び、肉と名を取り込んだ小型の使い魔。



存在形態:セリーヌの胸奥の黒紋として同化。



役割:感覚共有、魔力増幅。必要時に体外に出て行動する。



■ 王族・王宮関係者

レオポルト三世



立場:ヴァロワ王国国王。



性格:温和で慈父の仮面を持つが、政治的打算に長けた狸。



現状:セリーヌ(偽名エミリア)を王女として遇し、縁談を政略に利用。



狙い:隣国ヴァルデンシュタイン王国の第一王子フリードリヒとの縁組。



フリードリヒ=フォン=ヴァルデンシュタイン



立場:ヴァルデンシュタイン王国第一王子。王位継承権第一位。



性格:冷静かつ野心家。外見端麗。



未登場時点での役割:政略結婚の標的。セリーヌの計画上、利用価値が高い人物。



ゴリアテ



立場:ヴァロワ王国王女近衛。巨躯の無口な戦士。



性格:寡黙で忠実。表情に乏しい。



能力:人並外れた膂力と耐久力。左眼の能力は持たないが、洞察力に優れ、セリーヌの“仮面”を見抜いている節がある。



現状:セリーヌの影として護衛を務める。主人公の命令で常に半歩後ろを歩く。



■ 復讐すべき相手

レオンハルト=リヴィエラ



ヴァロワ王国第三王子。セリーヌの初恋と純潔を奪い、三姉妹の前で侮辱した張本人。



イザベラ=ヴァン=グランディール(長女)



侯爵家の長女。水牢投獄を主導し、歯を抜く拷問を命じた。



マリーベル=ヴァン=グランディール(次女)



侯爵家の次女。証拠や言葉で主人公を追い詰め、熱した鉄棒や針で肉体を傷つける。



シャルロッテ=ヴァン=グランディール(三女)



侯爵家の三女。好奇心から水責めや鞭打ちに加担。無邪気さの仮面を被った残酷さを持つ。



ロガン(庭師)



主人公を犯し、嘲笑し、ノクトホロウへ誘い込む。後にオーク化され、ベルゼべブに処分される。



無名の従者(妻子持ち)



主人公を犯し弄び、傷つけた過去を持つ。初任務の標的。



台所の従者・洗濯場の女中ら



本編中の虐め描写割愛。回想時の記憶。

日常的な嫌がらせや孤立化に加担。
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