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大崎合戦

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 吾輩はいつもの聚楽第の庭にある甲州葡萄の木の上から初釜を見学中。初釜とは、正月を迎えたことを祝い、茶道においては新年に初めて釜をかけること。そして、新しい年を迎えた後、最初に行われる茶事のことでもあります。毎年の行事の一つで、その年のお稽古を始める日でもあり、新しい年を祝う茶道の新年会のような意味合いもあるそうです、開催される日は、新年の挨拶が終わって、一月十日頃に行われることが多いようです……知らんけど。
 先日、爺様が無理なお願いをして主が茶会に初参加しました。亭主を利休殿、正客を有馬則頼、相客を小太郎、お詰めを爺様が務めたが、爺様の力の入れ方が半端ねえ…簡略化したとはいえ四時間近く四歳の子供に正座させるとは児童虐待だと主が愚痴をこぼしてた。
 今日は、本番の秀吉が亭主として京での今年最初の茶会参加のため、寒さに震えながらも道中何事も無く、小太郎は聚楽第へと辿り着く。しかしすぐに茶席の場へ移動という事はなかった。上下関係が厳しい武家社会なので、呼ばれるまで寄付と呼ばれる部屋で待っていた。
 秀吉は三回のお点前をされて、一回目は近衛信尹、日野輝資、伊達家康、織田信雄、織田信兼をもてなし、二回目は羽柴秀長、羽柴秀次、前田利家、蒲生氏郷、千利休をもてなし、三回目は織田長益、宇喜多秀家、羽柴秀俊、小太郎、爺様をもてなした。各回一時間程で茶会は無事に終わった。主菓子はもちろん主が作った新作団子で、自作の二重底の器にみたらしのタレが熱々に入れられていて、蓋を開けると串に刺した焼餅が乗っていて美味しそうだった。
 秀吉は「八郎、辰之助、小太郎と英俊豪傑の若い力で豊臣は安泰じゃ」と終始上機嫌であった。
そして、爺様が秀家に宇喜多忠家の娘、喜多殿と倅信高と縁組の話をしていたら、秀吉が主に十三歳の秀家に「お爺様」と呼ぶように言って、言われた秀家の顔を見て喜んでいた。羽柴秀俊が新年祝賀の儀で従四位下左衛門督をに叙爵して、五歳で金吾様と呼ばれていた。
 それから秀吉は爺様とお小姓衆十人ほど連れて、利休の屋敷へお茶を一服飲みに行く言われ出て行った。茶会の後、秀吉が爺様の耳元で「伊達が近く大崎へ兵を進めるようだ」と話していた。

◆◆◆◆…………
 伊達領の北に拠る旧奥州探題・大崎義隆が伊達から離反して独立する動きを見せていた。大崎重臣・岩手沢城主氏家吉継が、伊達政宗に援軍の派遣を要請した。大崎家内紛の鎮圧という名目を得た政宗は、陣代として浜田景隆を派遣、伊達政景・泉田重光・小山田頼定らに出兵を命じ、約一万の兵を大崎領に送り込んだ。
 一方、迎え撃つ大崎義隆は中新田城を防衛拠点に定め、南条隆信を守将に据えて籠城戦を展開した。
二月二日、泉田重光率いる伊達軍先陣は中新田城に攻め寄せるが、城を囲む低湿地帯と折からの大雪によって身動きが取れなくなり、撤退を余儀なくされた。これを好機と捉えた大崎軍は城から打って出て伊達軍を撃破した。さらに、伊達方から大崎方へと転じた伊達政景の岳父・鶴楯城主黒川晴氏が、中新田城を攻める伊達勢の後方から襲いかかった。
 
□□□□…………小山田頼定
 泉田重光が指示した事は決して多くはない。この雪の中、城を守る南条隆信が血気盛んな相手なら、強行突入を行ってわざと敗退したように兵を下げる。そうすると相手が取る選択肢は概ね二つになる。一つは勝利したと考え、勝どきを上げて終わるだけ。そしてもう一つは、更に相手へ損害を与えようと討って出ようとする。後者になれば儲けものだ。堅牢な城の守りから抜け、無防備な姿を自ら晒してくれるのだから。

「鉄砲と矢を射かけよ」
「はっ!!」
 まんまと誘き出された隆信は、袋地と呼ばれる敵を討つのに絶好の地形へ誘い込まれる。重光側は高所からの弓を安全に撃ち込む事が出来、敵将側は逃げる場所が一ヶ所しかない状態に追い込まれる。
当然ながら敵将側は武将も含めて錯乱に陥る。だが退路には重光側の兵が伏せており、退却は叶わず、立ち止まる味方に、次々と退却してくる兵とで停滞が起こる。こうなってくると戦いは一方的だ。矢でなくとも岩や倒木などを投げ込むだけで、面白いように敵兵を倒していける、……筈だった。

「と、殿ォ!! 後ろから黒川晴氏に攻撃されて雑兵が殺到して逃げる事が叶いませぬ! ま、前は大崎軍が待ち構えております! わ、我々は取り囲まれてしまいました!」

「ぬぅ! 晴氏殿が裏切るとは! ……無事な者を集め、新沼城へと撤収を図るぞ!」
 そう叫んだ小山田頼定だが、その作戦が実行に移される事はなかった。何故なら、まるで機会を計ったかの如く、伊達政景の隊へ無数の矢が襲いかかったからだ。何十本もの矢が味方の喉や胸、腕や足に突き刺さる。断末魔の叫びをあげる間もなく、兵はあっけなく命を落とした。
 政景の援軍として桑折城に入っていた晴氏は遂に伊達家からの離反を決め、中新田城攻略に失敗した伊達軍を強襲した。

 はじめは思うように戦果を上げられず、徒いたずらに被害を出していた。捗々はかばかしくない戦況に激怒するであろうと思われた隆信だが不敵な笑みを浮かべこう言い放った。

「上出来じゃ」
 雪の中城を打って出て追討した、そのふてぶてしいまでの態度はまさに余裕綽々であった。虚勢を張っているかに思われたが、局所的な勝敗に拘泥せず大胆に兵を運用し、最後には勝利を得ていた。
 元より気性の激しい隆信は努めて冷静な態度を取るよう腐心していた。むしろ内心は怒りの炎が燃え盛っていた。不利な状況であるほど、ふてぶてしく笑う。傍目には単に虚勢を張っているだけに見えるだろう。しかし彼はどっしりと構える事によって、味方の不安という感情を抑えようとした。

 不安という感情は厄介で、どれだけ否定材料があろうとも完全には払拭することが出来ず、小さな不安の種が芽吹き大きく育っていく。故に隆信は自軍の不安を可能な限り取り除き、逆に敵側には不安の種をばら撒いた。どれほどの逆境に追い込まれようとも、指揮官が部下の前で動揺を見せれば士気は下がってしまう。黒川晴氏との約束が守られるまで、表情を出さずにいたが、晴氏の攻撃を見て思わず笑みがこぼれた。

 そして思いついたのが嘘はついていないが、意図的に与える情報を省略することで誤解を招く報告をすることだ。人間というのは言葉や起こった事を、自分の都合の良い方に解釈しやすい。たとえそれが嘘だったとしても、報告を受けた人が受け取りやすいように人は解釈する。これによって間者は嘘をつかずとも恣意的な思考誘導が出来る。そして間者は全てを語っていないだけで、嘘をついていないため嫌疑をかけられる事もない。

 例えば間者に『重光は低湿地帯と折からの大雪によって身動きが取れなくなり、撤退を余儀なくされた』と報告させたとしよう。一見して普通の報告に見える。しかしこの報告は肝心な部分がわざとボカされている。重光が撤退中、これは真実である。とは言え随伴する武将や兵数などの規模についての情報が省かれている。

 当然一兵卒の報告を鵜呑みにする武将は居ない。陣立てや規模についても問われる事となるが詳細については判らないと言えば良く、更に情報収集するため斥候を出そうとするだろう。だがこれは判断に要する時間を制限することや、その情報を裏打ちする証拠を武将たちに発見させることで決断を促す事が出来る。

 南条隆信らは今が千載一遇のチャンスと勘違いし、重光の背後を急襲しようと追撃部隊を派遣する。しかし、重光が率いている軍は騎馬兵のみの速度優先の囮であり、誘き出された敵軍の背後を本隊が急襲する。そして敵の動きが止まったところを重光の部隊も反転し挟撃する。致命的な失策に気付いて報告者を叱責しようにも、その頃には当の本人は雲隠れしており己が不運を呪うしかない。
 しかし、挟撃する筈の重光の部隊が追撃部隊と黒川晴氏隊に攻撃されたため、一気に作戦は崩れた。
小山田頼定が殿を務め、騎馬五十騎を伊達政景に向かわせ。まだ試験段階だが新しい陣形を取り入れた。新しい陣形と言っても、精鋭によって構成された陣形とは言い難い。人数も少なく総勢で三十人程度だ。そして五人を一列とし、最前列が不格好な竹と木の板で作った体を覆い隠すほどの大盾を持ち、二列目以降二十人程度が長槍を手にし、最後尾に鉄砲を持った兵士を数人配置した。陣形を構成する兵士たちは、初めての陣形に戸惑っていた。
 それでも戦場で死を間近に感じたためか、幾つかの部隊は一蓮托生ゆえの連帯感を発揮し一丸となって攻撃をしていた。最前列が相手の矢を防ぎ、接近してくる敵兵には長槍が、矢狭間などからの攻撃には鉄砲が対応する。集団が一丸となって血路を開く戦術は挟み撃ちにされた伊達政景・泉田重光を新沼城へと撤収する一定の効果が得られた。

「ぬうぉぉぉぉぉおおおおおおおおっ!! 退け! 退けぇ!!」
伊達軍きっての武将、小山田頼定、この時は六十二歳の老輩の将だ。しかし一九歳で旗本先手役に抜擢され、騎馬五十騎を任される程の実力を示し頭角を現していた。その彼は槍を片手に、片端から大崎角兵を斬り伏せていた。彼が槍を振るう度に、大崎兵の血肉が飛び交う。

「命を惜しまぬのなら某の前に立ちはだかって見せよ!」
 雑兵十名が頼定に一斉に襲いかかるも、頼定の気炎一つで彼らの足は止まる。降雪の中本能が頼定を眼前に迫る死と認識し背中に氷柱を突きこまれたかのように体中がこわばる。最早逃げようにも足が思うように動かない。蛇に睨まれた蛙状態の雑兵に、頼定は槍を振り回しながら突撃する。
 槍の一振りで三人の雑兵が斜めにズレた。一瞬の間を置いて血がしぶき臓物が零れ落ちる。余りの切れ味に死にきれなかった雑兵の身の毛をよだつ断末魔の悲鳴が辺り一面に轟く。その酸鼻極まる地獄絵図に生き残りの雑兵は勿論、味方の兵すら戦慄を覚える。瞬く間に半数以上が斬り伏せられた。

「我が名は小山田三郎頼定!! 我こそはと思わん者は掛かって参れ!」
彼の声に反応して馬に跨っている一人の武将が前に飛び出してくる。
「たった一騎、恐るるに足らず! 某の名は――」
「邪魔だッ!?」
 槍を手に名乗る武将だったが、一度も刃を交える事なく頼定に斬り捨てられる。大崎軍の間ではそれなりに名の通った武将だったのか、彼が騎馬の首ごと一刀両断されてから大崎兵の士気は下がり、恐怖が前線から戦場全体へと伝播していく。皆、頼定を見るだけで蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。中には武器を放り出しながら逃げている兵士もいた。


「逃げるなぁ!! 大崎兵は腰抜けか!? 手柄を立てて見せよ!」
 槍を振り回しながら吠えた時、飛んできた矢を弾き飛ばした。運命の悪戯か狙った訳では無かったが大崎兵には眼前に迫る矢を切り落とす人外の者に写った。

「ひ、ひぃぃぃぃぃ!! ば、化け物だー!」
 大崎兵の戦意は挫け、最早隊伍を組まぬ烏合の衆と成り果てた。頼定という鬼神の如き老将の手によって。白い戦場にはしんがりの集団と老将そして、赤く染まった死体の山と一つの影。

 赤影。それは今、兵の目の前に対峙している紅い人影の正体である。その色は正確に言えば赤ではない。赤色だが限りなく黒に近い赤みを帯びた赤である。だが、雪原で見るその姿は黒にしか見えないだろう。こんな吹雪の中でこの赤影を見ると、普通の人なら認識するのは難しいだろう。だが見える人には見える。薄っすらと微光していて、雪原に浮かび上がっているようにくっきりと認識できる。
 影は人の姿をしているが人ではない。死者が【生弓矢】に依って実体化した、命令により人に害をなす悪しき存在。その姿は人という認識よりも、人の形をした不確かな影のようなものである。

 その赤影がゆっくりと前に進み、小山田頼定へと近づいて来る。二つの眼光が微光している面立ちが何とも言えぬ不気味さを漂わせている。そんな怪奇な赤影を前にしても、頼定には一切の動揺は無かった。
 冬空には雪を降らす雲が太陽を隠し、時折吹きつける風が、冷気を置いて通り抜けていく。陽の光が降り注ぐ晴間は僅かな暖かさを覚えるのだが、それでも頼定は平然と赤影を見つめていた。

「ほんと、バカな人・たち……」
 赤影の呟きに頼定の返事は無い、禍々しい赤影を危険なものと認識しているようだ。それでも微動だにせず、涼しい顔で頼定は佇んでいる。
 表情を変えずに佇む様は、まさに歴戦の勇士である。赤影を見つめるやや細長い目は、恐れなど微塵も感じられない真っすぐで鋭い眼光だ。かと言って相手を蔑むでもなく、また同情するような目でもない。還暦を過ぎた老将は、どこか冷淡な雰囲気を醸し出している。幾多の修羅場を乗り越えてきたような落ち着きを払っているが、その表情は何処か楽しげさも垣間見える。

「そろそろ始めようかしら」
 表情は一切変わらない。赤影は両手を顔の前で「パンッ」と叩いて音を鳴らし、そのまま拝むように手を合わせた。
《……行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不異色色即是空空…》
 まるで魔法の呪文を詠唱するかのように般若心経の一説を囁いた途端、赤影の体が薄っすらとした黄色い光に包まれた。薄暗かった空間に浮き出たその姿は、まるで神話に出てくる女神のような神々しさを帯びている。
 赤影は依然として無表情のまま、握り拳に変えた右手を左手で掴むように添えた。
《我闇に集し影たちよ その姿を刃へと転じ 我が刃となれ》
 またも呪文を唱えるように静かに呟くと、今度は赤影の右手から黒い刀のような鋭利で長い刃物が現れた。その刀は全体が黒く光を吸い取っていて、赤影の周辺は一気に暗くなった。

 頼定は右手にした槍を横に倒し、赤影に向けて構える。赤影は依然としてゆっくり動き、引き寄せられるように頼定へと近づいて来る。
 そして、次の瞬間、赤影が膝を軽く曲げて身を屈め、両足で地を蹴って前へ飛び出す。ふわりと動いたようにも見えるその動きは、まるで砲身から飛び出した弾丸ような速さで、人の目では追うことができなかった。赤影の常人を超えるその動きは一瞬にして頼定に迫る。そして手にした刀を左、右へ真横に四度振り抜き、そこで動きはピタリと止まった。振り抜かれた見事な剣技は、まさに一瞬の出来事であった。
 赤影が刀を振り抜いたそこには頼定の姿は残っていなかった。刃に吸い込まれる煙霧となって消えるかのように、瞬く間に消滅したのである。頼定は足掻くことすら出来ず、最初からそこには何も無かったかのような静寂な空気が流れている。ただ赤影の姿が雪の照返しに照らされているだけであった。やがて、新沼城の近くの田んぼにふんどし姿の死体が山に積まれて現れた。

「ふっ……ついに始まるのね」
 小さく溜息をついた後、赤影は辺りを軽く見回したが誰もいない。隠れた目撃者に向かってほんの少しだけ微笑み、初めて表情を崩したのであった。
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