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郡山合戦
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吾輩は京の別荘でまったりして、夜中にお土産を持って帰ってくる主を待っているのだが。別荘には『案山子の付喪神【案山子】』の佐多くんと将士くん二座が畑を守っていて、害獣との戦闘で明け暮れている。
爺様は秀吉と相談して、東国支配するために有力大名統合と仕置きの策を組んでいる。
五月二十一日、秀吉と北条の仲介をしていた家康が、聚楽第行幸に参列しなかった氏政・氏直へ起請文を送る。
「一、そなた御父子の事を秀吉に讒言するようなことはせず、北条の領国を望むことはありません。
一、今月中に兄弟衆を京都へ送り御礼申し上げるべきです。
一、出仕に納得しないのであれば、娘(督姫。氏直の妻)を返していただきたい。」
閏五月十一日に中山播磨守光直より文を出し、羽柴秀吉より「上使」として金山宗洗斎が到来したことを通知。
この「御使節」の意趣は「天下一統ニ御安全ニ可仕執成」というものであり、出羽国へは越後国より「弓矢ヲ被取結」という予定であること。
最上義光は「出羽之探題職」として出羽国中の諸士を「山形之下知」で従えて、「仙北干戈」を終結するように「御内意」として伝えるよう依頼した。
「最上、佐竹、蘆名と徳川、北条、伊達…どうしたものか」爺様が唸っている。
◆◆◆◆…………
伊達政宗が大崎合戦に敗北すると、これを好機と見た蘆名義広は大内定綱を先鋒とする四千の兵を伊達領に進めた。定綱は苗代田城を攻略、後続と合流して伊達方の郡山城・窪田城・高倉城・本宮城を攻め立てた。伊達領南方の抑えを担当する二本松城主・伊達成実の兵力は、大森城主片倉景綱・宮森城主白石宗実からの援軍を合わせてもわずか六百人ほどであったが、成実は防戦して二ヶ月の間何とか蘆名の攻勢をしのぎ続けていた。しかし、北方では大崎方の援軍として参戦した最上義光に伊達領内各所を攻略され、さらには小手森城主石川光昌が相馬義胤を頼って離反したため、政宗自身は相馬方への備えに回っており、南方戦線への援軍は期待出来なかった。
この状況を打開すべく、成実は政宗を説いて、定綱へ伊達郡内の保原・懸田等の所領を与える旨の判物を取り付けたうえで、定綱に伊達氏への帰参を持ちかけた。折しも蘆名家中では、義広に従って佐竹から入った新参と、蘆名譜代・傘下の奥州諸侯との間の対立が深刻化していたこともあり、定綱は成実の調略に応じて伊達方に転じた。四月十八日、蘆名勢は離反した定綱と伊達勢とを討つべく本宮城に攻め寄せたが、阿武隈川河畔で定綱率いる千人余の兵によって撃ち払われて敗走した。
五月二十二日に政宗は自ら兵を率いて小手森城の石川光昌を攻撃したが天候の悪化により一旦大森城に退いた。ところが、閏五月十二日、相馬義胤は小手森城と蘆名勢の後詰めをするべく、自ら三春城へと向かったが、田村家中の伊達派・橋本顕徳らに阻まれて入城を果たせずに退去した。相馬勢の撤退を承け、政宗は宮森城に陣を構えて再び小手森城攻略に乗り出した。閏五月十六日に小手森城は陥落し、石川光昌は相馬領へと逃れていった。十七日には大倉城を始め、月山、百目木、石沢の諸城が陥落し、十九日には船引城から義胤が退去し、東安達方面における相馬方の戦線は崩壊。苦境に立った義胤は佐竹義重・蘆名義広・岩城常隆に救援を求めた。佐竹・蘆名の両氏は直ちにこれに応じるが、田村清顕の存命中から田村領に侵攻していた常隆は義胤の三春入城に異を唱えて援軍を拒否した。田村領が伊達氏・相馬氏・岩城氏による三つ巴の対象になっていたことがこの戦いを複雑なものにした。
六月に入ると佐竹、蘆名連合軍が郡山方面に向かって兵を進めた。これは宮森城に近い本宮方面への侵攻を予想していた政宗の思惑を裏切るものであったが、政宗も郡山の救援に向かうべく、宮森城を出て本宮から郡山に向かった。また、田村氏からも田村月斎・田村梅雪斎が援軍として駆けつけて、伊達氏の一門である留守政景も十四日に援軍に駆けつけている。
郡山・窪田両城に向けて兵を進めた連合軍と伊達勢が対峙して互いに砦を築き、延々小競り合いを繰り返した。連合軍約四千騎、伊達勢約六百騎と兵数で伊達軍は圧倒的に不利であった。伊達勢は伊達成実が政宗の命により山王山を陣所とする。「堀を掘、土手を築、如要害構へ」られた成実陣所を連合軍は落とすことができなかった。その上、阿武隈川沿いの篠川城が伊達側にあり、連合軍は背後に敵勢力を置いた状況で伊達勢と対峙せねばならなかった。また昼夜止むことなく互いに四、五千発の鉄砲を撃ちあう激しい銃撃戦が行われた。
こうした中、最上氏・大崎氏との抗争が継続していて且つ田村領に軍勢を派遣している政宗は兵力が集中できず、軍勢の数では蘆名・佐竹・相馬方と比べて非常に劣っていた。こうした状況下で次第に郡山城への連絡が厳しくなり、戦況不利を悟った政宗は、大和田筑後守を岩城氏のもとに派遣する。これは和平交渉のためであったと考えられている。岩城氏は南奥のほとんどの勢力がこの戦争に関与していることを危惧していたためかこれに速やかに応じ、大和田筑後守と岩城氏家中の志賀甘釣斎が和平交渉の使者として派遣され、子息・志賀武清が伊達陣中に到着する。
窪田を守っていた片倉景綱・伊達成実の前方を蘆名方、新国貞通の部隊が通過した。景綱弟の片倉藤左衛門に新国を追わせたところ、深追いして蘆名軍に囲まれた。景綱、成実はこれを救うべく戦闘したが、引き上げに苦戦した。伊東重信が討死にするも、反撃に転じ五十余人を討ち取って引き上げた。両軍共に大規模な攻勢を仕掛けられなかった理由としては、伊達方からすれば寡兵であること、大崎・最上勢の進軍が停止し和睦交渉が始まったとはいえ、伊達領北方では依然として予断を許さぬ状況が続いており、また大崎合戦敗北による痛手も癒えておらず、積極的攻勢に打って出られるような状態には無く、一方の蘆名方も、頼みの佐竹義重が豊臣秀吉から再三にわたり、前年十二月の惣無事令に則して子・義広と甥・政宗とを速やかに和睦させるよう督促されており、同様に決戦能力を欠いていたことが挙げられる。郡山合戦は伊達方の郡山城をめぐって伊達軍と連合軍が対陣し、相互に陣地を形成するなどしたため、長期戦の様相を呈していたと整理できる。七月になると、岩城常隆が石川昭光を誘って政宗に和議の仲介を打診し、弓鉄砲は止められた。交渉は蘆名氏との所領の画定で難航したものの、七月中旬には先に合意に達した佐竹氏と伊達氏の和議が、次いで蘆名氏と伊達氏の和議が成立して佐竹氏もこれを確認、夜半に佐竹軍が、日の出前に伊達軍が撤退した。
□□□□…………蘆名 義広
儂は天正三年に佐竹義重の次男として生まれ、天正七年に白河義親の養子となった。生母は伊達晴宗の娘。義広は蘆名盛高の外玄孫に当たり、陸奥国黒川城を治める領主である。
今、家臣の大縄義辰に、和議が成立した伊達領に攻め入ると打ち明けたところだ。出羽を支配する伊達政宗の苗代田城を攻め取るのだ。だが、家臣の義辰は、呆れかえったという表情で顔を挙げた。良い顔をするまいとは思っていたが、こうまでとは……正直不満だった。
「御館様。今また、戦をする理由がわかりません」
主殿の広間で人払いをし、二人で差し向かい。義辰の面は「はあ?」とでも言いたそうだ。眉間に皺を寄せて睨みつけるが如しで、見慣れぬ者ならば、雰囲気だけで圧倒されたろう。
「猪苗代盛胤が助を求めてやってきた。それに裏切った大内定綱と猪苗代盛国をこのままにはできん、奴らの領地を我らが領地に併呑すれば、それだけ年貢が潤い、勢力を増すことができる。」
「関白様や上杉が黙っておりますかな?」
「関白も管領ももはや飾りよ。北条にいいようにやられておる。機会を捉えるべきだと申したいのじゃ」
「野心をお持ちになるのも結構ですが、なればこそ上杉、北条の動静にこそ備えるべきでしょう」
駄目だ、まるでわかっていない。機を見るに敏という言葉を知らぬわけでもあるまい。
「三年かけて、治山治水に明け暮れ、産業を興し、農地の拡大に努め、各家も侍・足軽を大いに雇い入れてきたのだ。それを領地を広げるために使って何が悪い」
「勝てばよいでしょうが、この一戦で兵は疲弊しております、それに今度は佐竹の助力は充てにできません。ここで多くの兵を損じたら、元の木阿弥でしょう。分を守り、まだまだ時をうかがうべきです」
義辰は義広が蘆名家に入嗣すると同時に佐竹家から転身してきた。伊達派に対する粛清が開始される。四天の宿老家では佐瀬家を除く三家が中枢から排除されて失脚させた。しかし、伊達の強さを理解しているこの男は、戦場の勇者だ。にもかかわらず、戦には慎重だし、一度決めたことは頑として曲げない。
今回、出兵した兵力は、蘆名が五千五百。相馬は千人。だが、伊達成実の居城、二本松城は、阿武隈山系の裾野に位置する白旗ケ峯を中心として、南・西・北を丘陵で囲まれ、東方がやや開口する自然の要害地形を利用して作られた城だが、六百で守られた。
「決めたことだ」
「ご再考をお願いいたす」
義辰の声には怒気がこもって脅しているも同然だ。これではどっちが君主なのかわからぬ。
「再考するのは、儂ではない。其の方じゃ。儂は十二、其の方は四十二。親子ほど年は離れておるが、主人は儂だぞ」
「某は、伊達軍の強さが分かっています、特に二本松城には片倉小十郎がいます。それまでは落とせても……。それ故に苦言も述べるのです」
お互いの目を覗き込む。伊達の武威はわかっておるが、儂とて父上に十二で初陣する姿を見てほしいのじゃ。にらみ合い……お互いに怒気を鎮めるため、呼吸が荒く、肩が上下する。
「繰り返すが、決めたことじゃ」
「せめて御一門と重臣の参じた軍議にて決せられますよう」
「わかった。十日後の軍議で決めよう。下がれ」
「はっ」
面倒だが、軍議までに一門と家老に、儂の意志と政略を根回しせねばなるまい。だが、その前にもう一つ手を打たねばなるまい。
「誰かある! 書院に佑筆を呼べ!」
□□□□…………猪苗代盛胤
廊下を歩く自分の足音が騒々しく聞こえた。心の平静が保てない自分が腹立たしかった。
儂は猪苗代城主の猪苗代盛国の嫡男で、猪苗代家の惣領、猪苗代盛胤である。昨日の夜、思いもよらず、御館様からの密書をもらった。
内容は心を乱すものであった。御館様が二本松への出兵を決意し、その実行のために盛国を排除しようというのだ。
「軍議までに盛国を斬るか幽閉すれば、千石加増を約束する。覚悟あらば、明日未の刻に閑々庵にて待つ」
閑々庵は城の二の丸にある書院造りの庵で、詫びた風情を取り入れたという御館様自慢の茶室がある。自分のような武辺一徹には茶の湯などよくわからないが、お館様が密談をする場合に、そこを好んで使っていた。
盛国を手にかける……想像するだけでも恐ろしい。だが、儂も一度家督を譲られ城主となった身、次男の宗国可愛さから、あの男がいつまでも第一線にいることが許しがたくなっていた。実績もあり、意志も強い将が頑迷さゆえに若い者を抑え込む風があったのだ。特に次席家老で、儂の竹馬の友でもある中野盛信など、親父と取っ組み合いになりかかったことが一再ならずある。盛信は冷静で軍師肌の男だが、奴が怒気を発しながら親父に詰め寄る姿を目の当たりにして、むしろ親父の暴虐に申し訳ない気持ちになったものだ。
そんなことをあれこれ考えながら閑々庵の前に人目を気にしながら行くと、その盛信の姿があった。
「よぅ」
「お主もか」
口も達者なこいつがいれば、気づまりにならずに済む。
儂や盛信をはじめ、実務を取り仕切る者は、この数年で御館様から儂らの世代にかけての者が増えた。親父・盛国が隠居するなり、亡くなるなりすれば、我らの世代が自然と家中を司る。
庵の内から入り口の戸が開く。
顔を出したのは御館様で、実ににこやかな笑顔を浮かべている。
「さあ二人とも中へ。誰かにここへ来ることを漏らしたり、あとをつけられたりしておらんだろうな」
この言葉で結構苛ついたのだが、あながち自分の短気ばかりでもない。盛信も一瞬、ムッとしたからだ。そこまで油断するものか。どうもこの御仁には人を苛立たせる何かがある。わざわざ言うまでもないことだ。
柔和な雰囲気で迎えようというのだろうが、笑顔も軽すぎる。「そういうお主はどうなのじゃ」と主君でなければ突っ込むところだ。
しかし、二人とも分別盛りを迎えようという年だ。怒るわけにもいかない。
「その辺に抜かりはございません」
「いただいた書状の内容も内容でござりますから……」
「まあ、まずは一服……」
御館様自ら茶を点てながら、密議は始まった。
「儂は二本松に攻め入ることに決めた。一門の了解は取れそうだが、義辰が首を縦に振らん。そこで、両名に出した書状の儀じゃ」
「親爺殿を簡単に幽閉などできませぬ。それがし以外の家臣は父の武芸と魂魄に圧倒されてしまうでしょう。それがしと一対一で渡り合うことになります。五分の勝負はできますが、勝てるとはお約束できません。最初から謀殺した方がましでしょう」
「だが、盛国殿は用心深い。生半可な謀はかりごとでは歯が立つまい」
盛信は、あえて御館様にではなく、気楽な調子で儂に話しかける。気負わず、冷静に論理的に話の流れを自分の想定に持っていこうというのだろう。
「猪苗代家の中だけでは片づけられんか……」
御館様はつぶやきとともに、薄茶の入った茶碗を盛信の前に置く。
「盛国殿と作右衛門は、武芸において蘆名家中の双璧ですから。作右衛門が仕損じたら、盛国殿の出方一つで御家が崩壊しますな。二本松に出兵どころではありませんぞ」
言い終えると、盛信は茶碗に口をつけ、懐紙で縁を拭くと、儂の前に置く。
書状で見ているせいか、盛信は二本松に出兵することを自然に受け止めており、それは儂も同様だった。蘆名家をここで終わらせるわけにはいかない。関東管領に、関白秀吉に、扇谷上杉、さらには南から攻め上がってきている北条家に……。大きな勢力に翻弄されるのではなく、武蔵国で一定の領地を得なければならない。
「酒でも飲ませて、寝首を掻きますか」
不名誉過ぎてできないことを儂は口にし、そして茶碗を手に取り、敢えて酒をあおるがごとくに茶を飲み込んだ。
「まあ待て」
「御館様、この件、それがしにお預けくださいませんか?」
「盛信には、何か妙案があるのか?」
「使ってみたい男がおります。最近、当家に客分として迎えた呪師なのですが」
「「信用できるのか?」」
御館様と儂の問いがまったく重なってしまい、三人とも思わず失笑してしまう。
「もちろんでござる。奇妙な手づまを使う男でしてな」
「親父殿を殺るのなら、そういう技を使える者の方が向いているかもしれない」
「そうじゃろ。明日の朝、暇は作れるか?」
「ああ、大丈夫だ」
「引き合わせるゆえ、明日の辰の刻に我が屋敷へ。策もそこで練ろう」
「承知」
「それでは、よろしく頼むぞ」
御館様には気配りの足りないところはあるが、頭はそれなりに回るし、戦での働きも決して悪くない。この件を儂ら二人に任せられるのなら、度量もまずまずだ。盛信の査定も同じらしく、安堵の笑顔を浮かべていた。
爺様は秀吉と相談して、東国支配するために有力大名統合と仕置きの策を組んでいる。
五月二十一日、秀吉と北条の仲介をしていた家康が、聚楽第行幸に参列しなかった氏政・氏直へ起請文を送る。
「一、そなた御父子の事を秀吉に讒言するようなことはせず、北条の領国を望むことはありません。
一、今月中に兄弟衆を京都へ送り御礼申し上げるべきです。
一、出仕に納得しないのであれば、娘(督姫。氏直の妻)を返していただきたい。」
閏五月十一日に中山播磨守光直より文を出し、羽柴秀吉より「上使」として金山宗洗斎が到来したことを通知。
この「御使節」の意趣は「天下一統ニ御安全ニ可仕執成」というものであり、出羽国へは越後国より「弓矢ヲ被取結」という予定であること。
最上義光は「出羽之探題職」として出羽国中の諸士を「山形之下知」で従えて、「仙北干戈」を終結するように「御内意」として伝えるよう依頼した。
「最上、佐竹、蘆名と徳川、北条、伊達…どうしたものか」爺様が唸っている。
◆◆◆◆…………
伊達政宗が大崎合戦に敗北すると、これを好機と見た蘆名義広は大内定綱を先鋒とする四千の兵を伊達領に進めた。定綱は苗代田城を攻略、後続と合流して伊達方の郡山城・窪田城・高倉城・本宮城を攻め立てた。伊達領南方の抑えを担当する二本松城主・伊達成実の兵力は、大森城主片倉景綱・宮森城主白石宗実からの援軍を合わせてもわずか六百人ほどであったが、成実は防戦して二ヶ月の間何とか蘆名の攻勢をしのぎ続けていた。しかし、北方では大崎方の援軍として参戦した最上義光に伊達領内各所を攻略され、さらには小手森城主石川光昌が相馬義胤を頼って離反したため、政宗自身は相馬方への備えに回っており、南方戦線への援軍は期待出来なかった。
この状況を打開すべく、成実は政宗を説いて、定綱へ伊達郡内の保原・懸田等の所領を与える旨の判物を取り付けたうえで、定綱に伊達氏への帰参を持ちかけた。折しも蘆名家中では、義広に従って佐竹から入った新参と、蘆名譜代・傘下の奥州諸侯との間の対立が深刻化していたこともあり、定綱は成実の調略に応じて伊達方に転じた。四月十八日、蘆名勢は離反した定綱と伊達勢とを討つべく本宮城に攻め寄せたが、阿武隈川河畔で定綱率いる千人余の兵によって撃ち払われて敗走した。
五月二十二日に政宗は自ら兵を率いて小手森城の石川光昌を攻撃したが天候の悪化により一旦大森城に退いた。ところが、閏五月十二日、相馬義胤は小手森城と蘆名勢の後詰めをするべく、自ら三春城へと向かったが、田村家中の伊達派・橋本顕徳らに阻まれて入城を果たせずに退去した。相馬勢の撤退を承け、政宗は宮森城に陣を構えて再び小手森城攻略に乗り出した。閏五月十六日に小手森城は陥落し、石川光昌は相馬領へと逃れていった。十七日には大倉城を始め、月山、百目木、石沢の諸城が陥落し、十九日には船引城から義胤が退去し、東安達方面における相馬方の戦線は崩壊。苦境に立った義胤は佐竹義重・蘆名義広・岩城常隆に救援を求めた。佐竹・蘆名の両氏は直ちにこれに応じるが、田村清顕の存命中から田村領に侵攻していた常隆は義胤の三春入城に異を唱えて援軍を拒否した。田村領が伊達氏・相馬氏・岩城氏による三つ巴の対象になっていたことがこの戦いを複雑なものにした。
六月に入ると佐竹、蘆名連合軍が郡山方面に向かって兵を進めた。これは宮森城に近い本宮方面への侵攻を予想していた政宗の思惑を裏切るものであったが、政宗も郡山の救援に向かうべく、宮森城を出て本宮から郡山に向かった。また、田村氏からも田村月斎・田村梅雪斎が援軍として駆けつけて、伊達氏の一門である留守政景も十四日に援軍に駆けつけている。
郡山・窪田両城に向けて兵を進めた連合軍と伊達勢が対峙して互いに砦を築き、延々小競り合いを繰り返した。連合軍約四千騎、伊達勢約六百騎と兵数で伊達軍は圧倒的に不利であった。伊達勢は伊達成実が政宗の命により山王山を陣所とする。「堀を掘、土手を築、如要害構へ」られた成実陣所を連合軍は落とすことができなかった。その上、阿武隈川沿いの篠川城が伊達側にあり、連合軍は背後に敵勢力を置いた状況で伊達勢と対峙せねばならなかった。また昼夜止むことなく互いに四、五千発の鉄砲を撃ちあう激しい銃撃戦が行われた。
こうした中、最上氏・大崎氏との抗争が継続していて且つ田村領に軍勢を派遣している政宗は兵力が集中できず、軍勢の数では蘆名・佐竹・相馬方と比べて非常に劣っていた。こうした状況下で次第に郡山城への連絡が厳しくなり、戦況不利を悟った政宗は、大和田筑後守を岩城氏のもとに派遣する。これは和平交渉のためであったと考えられている。岩城氏は南奥のほとんどの勢力がこの戦争に関与していることを危惧していたためかこれに速やかに応じ、大和田筑後守と岩城氏家中の志賀甘釣斎が和平交渉の使者として派遣され、子息・志賀武清が伊達陣中に到着する。
窪田を守っていた片倉景綱・伊達成実の前方を蘆名方、新国貞通の部隊が通過した。景綱弟の片倉藤左衛門に新国を追わせたところ、深追いして蘆名軍に囲まれた。景綱、成実はこれを救うべく戦闘したが、引き上げに苦戦した。伊東重信が討死にするも、反撃に転じ五十余人を討ち取って引き上げた。両軍共に大規模な攻勢を仕掛けられなかった理由としては、伊達方からすれば寡兵であること、大崎・最上勢の進軍が停止し和睦交渉が始まったとはいえ、伊達領北方では依然として予断を許さぬ状況が続いており、また大崎合戦敗北による痛手も癒えておらず、積極的攻勢に打って出られるような状態には無く、一方の蘆名方も、頼みの佐竹義重が豊臣秀吉から再三にわたり、前年十二月の惣無事令に則して子・義広と甥・政宗とを速やかに和睦させるよう督促されており、同様に決戦能力を欠いていたことが挙げられる。郡山合戦は伊達方の郡山城をめぐって伊達軍と連合軍が対陣し、相互に陣地を形成するなどしたため、長期戦の様相を呈していたと整理できる。七月になると、岩城常隆が石川昭光を誘って政宗に和議の仲介を打診し、弓鉄砲は止められた。交渉は蘆名氏との所領の画定で難航したものの、七月中旬には先に合意に達した佐竹氏と伊達氏の和議が、次いで蘆名氏と伊達氏の和議が成立して佐竹氏もこれを確認、夜半に佐竹軍が、日の出前に伊達軍が撤退した。
□□□□…………蘆名 義広
儂は天正三年に佐竹義重の次男として生まれ、天正七年に白河義親の養子となった。生母は伊達晴宗の娘。義広は蘆名盛高の外玄孫に当たり、陸奥国黒川城を治める領主である。
今、家臣の大縄義辰に、和議が成立した伊達領に攻め入ると打ち明けたところだ。出羽を支配する伊達政宗の苗代田城を攻め取るのだ。だが、家臣の義辰は、呆れかえったという表情で顔を挙げた。良い顔をするまいとは思っていたが、こうまでとは……正直不満だった。
「御館様。今また、戦をする理由がわかりません」
主殿の広間で人払いをし、二人で差し向かい。義辰の面は「はあ?」とでも言いたそうだ。眉間に皺を寄せて睨みつけるが如しで、見慣れぬ者ならば、雰囲気だけで圧倒されたろう。
「猪苗代盛胤が助を求めてやってきた。それに裏切った大内定綱と猪苗代盛国をこのままにはできん、奴らの領地を我らが領地に併呑すれば、それだけ年貢が潤い、勢力を増すことができる。」
「関白様や上杉が黙っておりますかな?」
「関白も管領ももはや飾りよ。北条にいいようにやられておる。機会を捉えるべきだと申したいのじゃ」
「野心をお持ちになるのも結構ですが、なればこそ上杉、北条の動静にこそ備えるべきでしょう」
駄目だ、まるでわかっていない。機を見るに敏という言葉を知らぬわけでもあるまい。
「三年かけて、治山治水に明け暮れ、産業を興し、農地の拡大に努め、各家も侍・足軽を大いに雇い入れてきたのだ。それを領地を広げるために使って何が悪い」
「勝てばよいでしょうが、この一戦で兵は疲弊しております、それに今度は佐竹の助力は充てにできません。ここで多くの兵を損じたら、元の木阿弥でしょう。分を守り、まだまだ時をうかがうべきです」
義辰は義広が蘆名家に入嗣すると同時に佐竹家から転身してきた。伊達派に対する粛清が開始される。四天の宿老家では佐瀬家を除く三家が中枢から排除されて失脚させた。しかし、伊達の強さを理解しているこの男は、戦場の勇者だ。にもかかわらず、戦には慎重だし、一度決めたことは頑として曲げない。
今回、出兵した兵力は、蘆名が五千五百。相馬は千人。だが、伊達成実の居城、二本松城は、阿武隈山系の裾野に位置する白旗ケ峯を中心として、南・西・北を丘陵で囲まれ、東方がやや開口する自然の要害地形を利用して作られた城だが、六百で守られた。
「決めたことだ」
「ご再考をお願いいたす」
義辰の声には怒気がこもって脅しているも同然だ。これではどっちが君主なのかわからぬ。
「再考するのは、儂ではない。其の方じゃ。儂は十二、其の方は四十二。親子ほど年は離れておるが、主人は儂だぞ」
「某は、伊達軍の強さが分かっています、特に二本松城には片倉小十郎がいます。それまでは落とせても……。それ故に苦言も述べるのです」
お互いの目を覗き込む。伊達の武威はわかっておるが、儂とて父上に十二で初陣する姿を見てほしいのじゃ。にらみ合い……お互いに怒気を鎮めるため、呼吸が荒く、肩が上下する。
「繰り返すが、決めたことじゃ」
「せめて御一門と重臣の参じた軍議にて決せられますよう」
「わかった。十日後の軍議で決めよう。下がれ」
「はっ」
面倒だが、軍議までに一門と家老に、儂の意志と政略を根回しせねばなるまい。だが、その前にもう一つ手を打たねばなるまい。
「誰かある! 書院に佑筆を呼べ!」
□□□□…………猪苗代盛胤
廊下を歩く自分の足音が騒々しく聞こえた。心の平静が保てない自分が腹立たしかった。
儂は猪苗代城主の猪苗代盛国の嫡男で、猪苗代家の惣領、猪苗代盛胤である。昨日の夜、思いもよらず、御館様からの密書をもらった。
内容は心を乱すものであった。御館様が二本松への出兵を決意し、その実行のために盛国を排除しようというのだ。
「軍議までに盛国を斬るか幽閉すれば、千石加増を約束する。覚悟あらば、明日未の刻に閑々庵にて待つ」
閑々庵は城の二の丸にある書院造りの庵で、詫びた風情を取り入れたという御館様自慢の茶室がある。自分のような武辺一徹には茶の湯などよくわからないが、お館様が密談をする場合に、そこを好んで使っていた。
盛国を手にかける……想像するだけでも恐ろしい。だが、儂も一度家督を譲られ城主となった身、次男の宗国可愛さから、あの男がいつまでも第一線にいることが許しがたくなっていた。実績もあり、意志も強い将が頑迷さゆえに若い者を抑え込む風があったのだ。特に次席家老で、儂の竹馬の友でもある中野盛信など、親父と取っ組み合いになりかかったことが一再ならずある。盛信は冷静で軍師肌の男だが、奴が怒気を発しながら親父に詰め寄る姿を目の当たりにして、むしろ親父の暴虐に申し訳ない気持ちになったものだ。
そんなことをあれこれ考えながら閑々庵の前に人目を気にしながら行くと、その盛信の姿があった。
「よぅ」
「お主もか」
口も達者なこいつがいれば、気づまりにならずに済む。
儂や盛信をはじめ、実務を取り仕切る者は、この数年で御館様から儂らの世代にかけての者が増えた。親父・盛国が隠居するなり、亡くなるなりすれば、我らの世代が自然と家中を司る。
庵の内から入り口の戸が開く。
顔を出したのは御館様で、実ににこやかな笑顔を浮かべている。
「さあ二人とも中へ。誰かにここへ来ることを漏らしたり、あとをつけられたりしておらんだろうな」
この言葉で結構苛ついたのだが、あながち自分の短気ばかりでもない。盛信も一瞬、ムッとしたからだ。そこまで油断するものか。どうもこの御仁には人を苛立たせる何かがある。わざわざ言うまでもないことだ。
柔和な雰囲気で迎えようというのだろうが、笑顔も軽すぎる。「そういうお主はどうなのじゃ」と主君でなければ突っ込むところだ。
しかし、二人とも分別盛りを迎えようという年だ。怒るわけにもいかない。
「その辺に抜かりはございません」
「いただいた書状の内容も内容でござりますから……」
「まあ、まずは一服……」
御館様自ら茶を点てながら、密議は始まった。
「儂は二本松に攻め入ることに決めた。一門の了解は取れそうだが、義辰が首を縦に振らん。そこで、両名に出した書状の儀じゃ」
「親爺殿を簡単に幽閉などできませぬ。それがし以外の家臣は父の武芸と魂魄に圧倒されてしまうでしょう。それがしと一対一で渡り合うことになります。五分の勝負はできますが、勝てるとはお約束できません。最初から謀殺した方がましでしょう」
「だが、盛国殿は用心深い。生半可な謀はかりごとでは歯が立つまい」
盛信は、あえて御館様にではなく、気楽な調子で儂に話しかける。気負わず、冷静に論理的に話の流れを自分の想定に持っていこうというのだろう。
「猪苗代家の中だけでは片づけられんか……」
御館様はつぶやきとともに、薄茶の入った茶碗を盛信の前に置く。
「盛国殿と作右衛門は、武芸において蘆名家中の双璧ですから。作右衛門が仕損じたら、盛国殿の出方一つで御家が崩壊しますな。二本松に出兵どころではありませんぞ」
言い終えると、盛信は茶碗に口をつけ、懐紙で縁を拭くと、儂の前に置く。
書状で見ているせいか、盛信は二本松に出兵することを自然に受け止めており、それは儂も同様だった。蘆名家をここで終わらせるわけにはいかない。関東管領に、関白秀吉に、扇谷上杉、さらには南から攻め上がってきている北条家に……。大きな勢力に翻弄されるのではなく、武蔵国で一定の領地を得なければならない。
「酒でも飲ませて、寝首を掻きますか」
不名誉過ぎてできないことを儂は口にし、そして茶碗を手に取り、敢えて酒をあおるがごとくに茶を飲み込んだ。
「まあ待て」
「御館様、この件、それがしにお預けくださいませんか?」
「盛信には、何か妙案があるのか?」
「使ってみたい男がおります。最近、当家に客分として迎えた呪師なのですが」
「「信用できるのか?」」
御館様と儂の問いがまったく重なってしまい、三人とも思わず失笑してしまう。
「もちろんでござる。奇妙な手づまを使う男でしてな」
「親父殿を殺るのなら、そういう技を使える者の方が向いているかもしれない」
「そうじゃろ。明日の朝、暇は作れるか?」
「ああ、大丈夫だ」
「引き合わせるゆえ、明日の辰の刻に我が屋敷へ。策もそこで練ろう」
「承知」
「それでは、よろしく頼むぞ」
御館様には気配りの足りないところはあるが、頭はそれなりに回るし、戦での働きも決して悪くない。この件を儂ら二人に任せられるのなら、度量もまずまずだ。盛信の査定も同じらしく、安堵の笑顔を浮かべていた。
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