夢追人と時の審判者!(四沙門果の修行者、八度の転生からの〜聖者の末路・浄土はどこ〜)

一竿満月

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碧蹄館戦

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 吾輩は特に食事の必要がないので大丈夫でしたが、ご主人と一緒に漢城にきてあまりにも食べるものがないので驚いた。
 一月中旬に平壌を取り戻した明・高麗軍を率いる李如松が一月二十四日に開城へ入ります。日本軍の抵抗は皆無で、また副総兵の査大承率いる先鋒の斥候が、日本軍の物見を破った報告を受けたことで、李は敵を侮りました。明軍は大きく二つの部隊で構成されています。北方の女真族との戦いで武功をあげた李直属の騎兵部隊と、南方の宋応昌率いる重火器部隊でした。そして平壌攻城戦で活躍したのが宋の重火器部隊であったことから、李は次の漢城攻略は、子飼いの騎兵部隊に手柄を立てさせたいと考えます。そこで二十五日未明、李は重火器部隊に後続を命じると、騎兵部隊を率いて先発しました。左協(左翼)を副総兵・李如梅が楊元に変わって指揮して、楊元が遊撃軍に入って指揮することとなった。合従軍は勢いに乗り漢城をめざして南下する。
 
合従軍
 合従軍の先鋒副総兵・査大承の軍を増兵して、左協(左翼)を副総兵・李如梅が楊元に変わって指揮して、楊元が遊撃軍に入って指揮することとなった。
 先鋒は副総兵・査大承(二千)、その他副総兵として祖承訓、孫守廉ら(二千)。
 軍は三協(三部隊)で編成し、左協(左翼)は副総兵・李如梅 (一万千五百)、中協(中央)は副総兵・李如柏(一万千五百)、右協(右翼)は副総兵・張世爵(一万千五百)とした。
 さらに先鋒は副総兵・査大承(千)、その他副総兵として祖承訓、孫守廉ら(二千)。
 本陣(二千)参謀は李応試、劉黄裳に経略(総監)は宋応昌を当て。
 遊撃軍は、楊元が指揮を執り、沈惟敬、呉惟忠、李寧ら(二千)を配備した。
 これに高麗軍都元帥・金命元(八千)に、僧軍・釈休静及び釈惟政(二千)も加わりました。
 なお、漢城攻撃時の合従軍の兵数は五万五千余り、高麗軍の兵数は一万余りまで増えていた。
日本軍
 実際に戦闘を行った日本軍の先鋒を二万、戦闘に参加しなかった本隊を二万五千待機としている。
 総大将-宇喜多秀家・先鋒隊大将-小早川隆景
 先鋒隊
 先陣 立花宗茂・高橋直次(三千)
 二陣 小早川隆景(八千)
 三陣 小早川秀包・毛利元康・筑紫広門(五千)
 四陣 吉川広家(四千)
 合計 二万 

 本隊(先陣・二陣は戦闘不参加)
 先陣 黒田長政(五千)
 二陣 石田三成・増田長盛・大谷吉継(五千)
 三陣 加藤光泰・前野長康(三千)
 四陣 宇喜多秀家(八千)
 合計 二万千

 漢城守備隊
 小西行長・大友義統(一万四千、小西勢は退却直後約八千)
□□□□…………小太郎
 漢城へ進軍すると、漢城にいた民は僅かしか残っておらず、その民も飢餓状態、人馬の死骸で臭気に満ち、城の内外に白骨が堆積していた。
 籠城や後退の意見も出る中、迎撃で軍議がまとまったのは、一つに明の大軍に漢城が包囲されれば補給が断たれ、兵粮攻めされる恐れが高い。そして、このまま敵に後ろを見せては「日本国の恥」、という気持ちが諸将に芽生ていた。
 そもそも日本軍は、豊臣秀吉からそれぞれの家の所領を安堵された、いわば「縦割り」の意識を持つ領主たちの集まりでした。ところが海外に出て、明・高麗軍を相手に窮地に立たされた時、個々の家の名誉より、また豊臣家への忠誠よりもっと普遍的なもの、いわば「横」方向へ連帯する意識が広がりつつ有りました。
 つまり「自分たちは日本国の武士である」と。そして危機にあって、明の大軍に立ち向かうべきという宗茂や隆景の果敢な主張が、他の武将たちに「異国の兵に嘲られるような恥ずかしい戦を、日本武士がすべきではない」という意識を呼び起こさせたのでした。
 それでも籠城を唱えていた石田三成らも迎撃に頷いたのは、宗茂はすでに、李如松の明軍と干戈を交えていました。
 平壌陥落の報せに宗茂は一月十日に、弟の高橋統増とともに三千の兵で平壌へ向かい、途中、敗残の小西勢とすれ違います。小西は「敵の大軍がすぐそこまで迫っている」と宗茂に告げて去り、それを聞いた統増が「小西勢を引き留めて、ともに敵にあたるべきでは」と問うと、宗茂は笑って「敗戦の輩は役に立たぬ」と応じました。
 そして兵を五隊に分けて潜ませると、ほどなく八千の敵が数をたのんで押し寄せます。宗茂は敵を十分に引き付けて、潜ませていた軍勢に突如、鯨波を上げて三方から打ちかからせると、敵は大いに慌て、一支えもできずに潰走。立花勢は敵を千人も討ち取りました。
 後に龍泉の戦いと呼ばれるものでした。この戦いで宗茂は、明軍の力量や武器、戦法、士気の高さなどを相当正確につかんだことでしょう。さらに宗茂は前年七月の、祖祥訓率いる明軍を撃退した平壌防衛戦でも活躍していますから、宗茂の迎撃の主張は、彼なりの十分な勝算があってのことでした。
 その宗茂を先鋒に推したのが、小早川隆景でした。隆景は文禄の役で六番隊一万五千人余りを率い、宗茂は与力の一人です。当時、二十六歳の宗茂に対し、隆景は六十一歳。親子ほどの年齢差で、実際に永禄十二年の多々良浜の戦いに父・毛利元就とともに出陣した隆景は、大友宗麟の部将であった宗茂の義父・立花道雪と戦っています。
 そして道雪の巧みな戦術で、数で優る毛利軍が一転、敗北する体験をしました。そんな敵ながら天晴れな名将道雪が見込んで婿養子にしたという宗茂を、隆景も深く信頼していたのです。
 当時、隆景は筑前・筑後に三十七万石を与えられ、いわば九州の押さえとしての役割を秀吉から期待されていました。一方で隆景は、兄・吉川元春とともに毛利宗家を補佐する「毛利の両川」と謳われ、「此人、常に危ふき戦ひを慎み、謀を以て敵を屈せしむる手段を宗とし給ふ」智将として知られています。そんな隆景ですから、宗茂を「道雪の婿養子」というだけで評価していたわけではない、数か月の間異国で戦い辛苦を供に味わった中でしょう。
 常に家臣らと苦楽をともにする宗茂が家臣たちから慕われ、主従の結束が極めて強く、だからこそ数々の合戦で殊勲をあげている事実を見抜いて、「小勢ではあるが、立花殿こそ先手を仕っても決して誤つことのない御仁である。立花が三千は余人の一万にもおとるまじ」と老練な重鎮・隆景の推薦に、漢城に集結した諸将は異論なく、城外による迎撃で先鋒に宗茂を起用することできまりました。



■■■■………… 
 合従軍の反攻に、平壌と漢城間の諸城に詰めていた日本軍諸将はすべて漢城に集結。一方、勢いに乗る李如松は平壌から開城へと進軍し、自信満々で漢城攻略を窺いました。日本軍諸将は評定を開き、「漢城の守りを固めて籠城するか、釜山まで後退して内地からの援軍を待つか、それとも打って出て、合従軍を迎え撃つか…」しかし、秀吉の意向に反して明との講和を進めたい小西は冒頭の「釜山まで後退して内地からの援軍を待つ」を主張し、石田・大谷・増田ら奉行衆が籠城策を勧める中、城外での迎撃を決然と主張したのが立花宗茂、小早川隆景らでした。
 宗茂は「合戦は吾願ふところなり、我まず先駆せむといふ、小早川左衛門佐隆景も、尤も同心して、先陣せむといふ、爰に於て諸将異義に及ばず」
 そして、隆景が「今敵の多数を聞き一戦を交へずして退かば我国の恥辱を奈何せんや。夫れ城に嬰りて守らば大兵合圍援路四絶焉んぞ久を支えん。兵を城外に出し雌雄を決せんに如かずと。大に之を賛し群議遂に決す」この隆景の推挙により宗茂をして先鋒としてここに、漢城における軍評定は、城外で合従軍を迎撃する作戦に決するのです。
 明の軍勢による平壌陥落、大友義統の逃亡(誤報による無断退却とも)などによって一時混乱状態にあった日本勢だが、高麗半島北部各地に展開していた諸将を漢城に集めて戦力を立て直し、宇喜多秀家を総大将、小早川隆景を先鋒大将として兵力をほぼ二分し碧蹄館の戦いにのぞんだ。
 二十三日に開城にて李如松が漢城攻略の作戦会議を開き、査大承を偵察隊として送る事を決める。
 二十四日に査大承率いる合従軍の偵察隊が日本軍の偵察隊(主な指揮官は加藤光泰、前野長康)に遭遇した。日本軍偵察隊は六十人余りの死者をだし撤退する。
 査大承はこの勝利を開城の李如松に報告すると。高麗人による「日本軍の精鋭は平壌で壊滅し漢城には弱兵が残るのみ」との報告もあったため、二十五日に李如松は全軍五万三千の兵と共に開城を出発する。
 一方の日本軍は二十四日に味方の物見が敗走し、二十五日に漢城を出立。迎撃の先鋒を立花宗茂・高橋直次(後の立花直次)兄弟とし、三千の兵力でした。丑の刻(午前二時頃)に立花隊の物見である小野鎮幸と十時連貞ら軽兵三十名が先に敵状を偵察、敵軍は未明の内に進軍すると予測し、宗茂は漢城に宛てて敵が迫っていると急報し、さらに前進します。
 卯の刻(午前六時頃)立花隊と明軍が衝突したのは、漢城の北西約五里、およそ一里の回廊状の溪谷が続く碧蹄館でした。漢城と開城を結ぶ街道の要所で、碧蹄館南面の礪石嶺北側二所に布陣した。
 先鋒五百を率いた十時連久と内田統続を正面に少ない軍旗を立てることで、査大承の率いる先鋒軍二千を騙して進軍するよう誘致し、越川峠南面にて正面で連貞らと交戦を開始した。
 そして宗茂と直次の本隊二千は、先鋒の連貞らと中陣七百の小野鎮幸、米多比鎮久を陣替する際に、直次と戸次鎮林を陣頭に立てて、左側面から敵後詰・高彦伯の高麗軍数千に奇襲を仕掛けて撃退に成功し、更に宗茂は千騎の備えを率いて明・高麗軍を猛烈追撃、戦果を拡大した。
 ここで日本軍は七千の敵軍と遭遇する。立花軍は奮戦するが、敵軍は次々に新鋭を繰り出し兵を入れ換えてくる。 
 この最中、十時連久、内田統続、安田国継らは突撃を敢行、鑓を投げて数十騎を突落し、明軍を中央突破して回転突破したが、その際に中陣の戸次統直は強弓を引いて二十餘の敵兵を射落し援護しながらも、連久が李如梅の毒矢を受けて、帰陣から間もなく戦死し、旗奉行の池辺永晟も連貞負傷後は先鋒隊の指揮を暫任し中陣と替わるのを成功させたが、後の追撃戦で戦死した。
 寡兵の立花・高橋勢は奮戦してこれを撃退、越川峠北方右側にて兵を休ませた。
 巳の初刻(午前九時半)過ぎに小早川隆景など日本軍先鋒隊が到着すると、疲労の深い立花勢を後方に下げて、西方の小丸山に移陣した。この戦端が開かれた時点では日本軍本隊はまだ漢城に在った。
 巳の刻(午前十時頃)、高陽原に合従軍は左・右・中央の三隊の陣形で押し寄せた。日本軍先鋒隊は全軍を碧蹄館南面の望客硯に埋伏させ、同時に三方包囲策を進行し立花、高橋と吉川広家が左方、毛利秀包、毛利元康、筑紫広門と宇喜多秀家が右方から迂迴進軍する。
 午の初刻(午前十一時頃)、正面に出た隆景軍の先陣二隊の内、合従軍の矢面に立った粟屋景雄隊が次々繰り出される新手を支えきれずに後退を始めると合従軍はすかさず追撃に移る。しかし、戦機を待ってそれまで待機していたもう一方の井上景貞隊がその側背に回り込んで攻撃したことで合従軍は大混乱となった。
 その機を逃さず立花、高橋勢が左方から、小早川秀包、毛利元康、筑紫広門勢が右方から側撃、隆景本隊と吉川広家、宇喜多家の家臣戸川達安、花房職之も正面より進撃し、合従軍前衛を撃破して北の碧蹄館にいた李如松の本隊に迫って正午の激戦となった、この際立花軍の金甲の将・安東常久と一騎討ちして李如松自身も落馬したが、李如梅の矢を受けて常久は戦死した。
 落馬した李如松は小早川の部将井上景貞の手勢に迫られたが、側近の李有升が盾となってこれを助け、李如梅、李如柏らが救出した、李如松の親衛隊も李有升など百余名ほど戦死した。
 そこに合従軍遊撃軍副総兵楊元が火軍(火器装備部隊)を率いて援軍として駆けつけ態勢を回復して防戦に努めるが、身動きもままならない狭隘地に三方から包囲される形となって壊走を始めたのは未の初刻(午後一時頃)であった。
 かくして日本軍本隊の本格的な戦闘参加を待たずに正午頃には戦いの大勢は決し、隆景らの日本軍は退却する合従軍を碧蹄館北方の峠・恵陰嶺に未の刻(午後二時頃)から申の刻(午後四時頃)まで追撃し深追を止めたが、宗茂と秀家の軍勢はより北の虎尾里まで追討し、酉の初刻(午後五時)までに漢城へ引き上げた。
 なお、立花軍の金備え先鋒隊長小野成幸や与力衆の小串成重、小野久八郎と一門の戸次鎮林、そして高橋家中今村喜兵衛、井上平次、帆足左平、梁瀬新介も戦死し、宗茂はこの激戦で騎馬まで血塗れとなり、二つの甲首を鞍の四方手に付け、刀は歪んで鞘に戻せなくなったという。また、秀包の家老の横山景義、下級武士の桂五左衛門、内海鬼之丞、伽羅間弥兵衛、手島狼之助、湯浅新右衛門、吉田太左衛門、波羅間郷左衛門なども戦死した。
 この戦いでは、歩兵・火器を温存した合従軍は騎兵中心の編成となっていたが、碧蹄館の地は騎兵の機動力を活かすことの出来ない狭隘な渓谷であり、かつ前夜よりの雨で泥濘地と化していた。騎馬に不適な戦場であったこともあり、この一戦で合従軍の被った損害は甚大で、戦死者数六千余に上るとされた。
 李如松軍のために兵糧等の手配もしていた、高麗の宰相である柳成龍は「李如松提督が率いていたのは皆北方の騎兵で火器を持たず只切れ味の悪い短剣を持っていただけだった。一方賊(日本軍)は歩兵でその刀剣はみな三、四尺の切れ味無比のものだったから、衝突激闘してもその長刀を振り回して斬りつけられるので人も馬も皆倒れ敢えて立ち向かうものはなかった。
 李提督は後続軍を呼び寄せたが、その到着以前に先軍は既に敗れ死傷者が甚だ多かった。日暮れに李提督は坡州に戻った。その敗北を隠してはいたものの、気力を沮喪すること甚だしく、夜には親しく信頼していた家丁の戦死を痛哭した。」と溢した。
 この文禄二年一月二十六日に碧蹄館(京畿道碧蹄洞)周辺で、平壌奪還の勢いに乗り漢城めざして南下する李如松率いる約五万五千の合従軍を、小早川隆景、立花宗茂、吉川広家ら二万の軍が漢城から出撃、渓谷という地の利を生かした戦いを行い勝利することで。合従軍は平壌まで撤退することになり、この戦いの敗北によって李如松は戦意を喪失して明軍の勢いはそがれ、武力による日本軍撃退方針を諦めて講和交渉へと転換する。
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