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水饅頭三
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吾輩は飛彩である。ご主人が宇喜多秀家殿の披露宴に参加した夜にも色々なことが起こった。
二月二十一日に秀吉が入京し新たな京都屋敷造営(聚楽第)を開始した。この頃羽柴秀長が大和国郡山へ帰城した。
二月二十二日に秀吉が大友義統へ豊芸和睦に際し秀吉の仲介で毛利輝元息女を大友氏へ輿入れさせることを賀した。この和睦は、豊臣政権の九州平定に向けたものであり、毛利氏と大友氏の同盟を結ぶことで、九州平定を円滑に進めることが狙いでした。つまり、秀吉の九州攻めに参加するということは、皮肉にも宿敵であった大友氏を助け、良好な関係にあった島津氏と戦うということであった。
◆◆◆◆…………
それは、深夜から未明のことだった。
突然の部下からの知らせに、宇喜多家当主は寝所から飛び起きる。既に屋敷の中は騒がしくなっていた。
「侵入してきたのは何処からだ!!」
「四方の門全てからです。既に外門は破られました。今は内門と庭で対処中です」
「数は?」
「各方面で少なくとも十人以上は……」
宇喜多秀家は状況を把握しようとする。
「応援はどうした」
「既に緊急連絡済みです」
「よし」
京の宇喜多邸。中心部に近い一等地に立つそれは、日頃から厳重な警備が為されていた。警備が厳重な理由としては、宇喜多家が毛利氏・織田氏の勢力争いに乗じて才覚を発揮し、ついには備前一国に飽き足らず備中の一部や播磨の一部・美作などにまで勢力を広げることに成功した。
児島高徳の後裔とし、高徳を宇多源氏佐々木氏の一族であることもその一つ。家訓は『武士として人の命を奪うことがある。また、誰かを殺す以上は、殺される覚悟も必要』とされる。
やむを得ない犠牲の被害者、錯誤や誤解、逆恨みに嫉妬。危害を加えられる心当たりなど、珍しくないぐらいに有り触れている。
「寝ている連中は全て叩き起こせ! 総動員だ。私も出る」
「はい」
「七郎…兵衛、七郎兵衛は居るかっ!」
宇喜多秀家は、忠家が傍に来ていることを疑っていなかった。有事の際には情報共有と連携が重要と口を酸っぱくして教えてきたからだ。いざというとき、自分のところに集まるよう打ち合わせておくことは、日頃からの備えの一環。
「お呼びですか殿」
「お前は迎撃の指揮を取れ。南は私が指揮を執る。極力被害を減らし、時間を稼ぐことを優先しろ」
「分かりました」
先日家督を嫡男の宇喜多知家(後の坂崎直盛)に譲り、近頃は秀吉側近の富田一白らと交流し、連歌会へ参加するなど風流な生活を送っていたが、早速とばかりに自分の手勢を集める忠家であった。家人のほとんどが甥の指揮下にあるとはいえ、自分が動かせる人間も僅かながらある。対応を急ぐため、駆け足で自分の部屋に戻った。
新婚の秀家は屋敷内の離れを自室として与えられていたが、そこで働くものを含め、戦えそうな人間は皆集めるよう指示した。執事や料理人や庭師や厩舎番と言った男手も、いざとなれば防衛戦力だ。
「八郎さん……いえ、あなた」
慌ただしくなる中で、披露宴を終えたばかりの新妻が夫の元に駆け付ける。新婚初夜ということで、部屋を出るにはいささか人目を憚る格好だった為、出て来るのに時間が掛かったのだ。
「すまないなお豪。新婚早々に、こんなことになるなんて」
「いえ、それは仕方がないのですが……争い事ですか?」
「そのようだ。私も出る」
騒々しい只中にあれば、お豪も武家出身だけに状況を察する。結婚式に託けて騒いでいる酔っ払いではないと分かる程度には。そして、自分たちが襲われているのだと分かる程度には。
「結婚初日で未亡人になるなんて、私は嫌ですよ?」
「私だって嫌だが、そこは夫の背中を押してほしいものだ」
「大丈夫です。信じておりますから」
侍に対して死ぬなと言うのは無茶な話だ。彼らは、必要とあれば自己犠牲すら厭わない精神を、武士として求められている。
自分は殺していいが、殺されるのは嫌だ、などというのは身勝手な話。自分は殴っても良いが、殴り返されると怒るというのはいじめっ子の論理だ。一方的な力の行使は只の暴力。武士の力が暴力であってはならない。
高邁な精神を説かれる武士として、刀を相手に向ける時は、相手からも刀を向けられる覚悟をする。少なくとも日本国ではそれが正しいと考えられていた。
新婚云々を抜きにしてもまだ若い八郎には、洋々たる前途がある。ここで侵入者如きにくれてやる命ではないと、若き武士は妻を抱きしめた。そしてそのまま妻の耳元で囁く。
「大丈夫、必ず無事に戻って来る」
「……御父様もいつもそう言っていたわ」
「私は大丈夫さ」
「お気を付けて」
不安を隠せない妻を、安心させるように言葉を掛けて出ていく夫。武士の夫婦とは、別れる時は常に今生の別れを覚悟する。八郎は、振り返らずにその場を後にした。
「こちらの手勢は?」
「八人だな。今しがた集合掛けた」
離れを出て駆けつつ、八郎は合流してきた男に聞いた。答えたのは、甲冑を着たボサボサ頭の男だ。
この男、戸川達安は『宇喜多軍の主力』に所属する侍である。戸川秀安の嫡男として生まれ、天正七年に備前辛川の役において十三歳で初陣を飾り、小早川隆景を撃破した。父・秀安の隠居により家督を相続し、備前の常山城を守備した。八郎が現状動かせる中では一番の大駒である。
「……少ないな」
「じゃあ訂正しておく。百と七人だ」
「どこから百人湧いたんだ?」
「俺が一人で百人力だからだ。良かったな若様、こんな力強い男が味方で」
「自分で言うかな……」
侍は運と実力が無ければならない。無ければ死ぬだけ。逆に言えば、長く侍をしている人間は、ほとんど例外なく実力を備えている。最低でも、いざという時逃げられる程度には身を守る術を持っているもの。
男の言葉は、あながち口から出まかせという訳ではない。もっとも、百人の働きが出来るというのはいささか誇張が過ぎるようだったが。
八郎が屋敷の南に着いた時、そこでは既に戦闘が起きていた。たまたまこの辺りを見回っていた二人組が、十人以上を相手に戦っている。いや、既に過去形で語るべきだろうか。味方の方は既に戦える状態ではない。
「下がれ。後は任せろ」
「はっ、八郎様……」
八郎の短い命令に、戦っていた二人の家人がうつ伏せに倒れ込んだ。
「ひゃっほぅ!」
そんな二人を庇うように、或いはただ単に人が集まっているところに飛び込むように、侍の男が向かった。人が倒れていることなど気にもしないという無神経さで。
突拍子も無い突然の行動に、顔を隠した賊側が一旦体勢を整える為に下がる。これを予想していた人間は驚くことも無いので、稼ぎ出した貴重な時間に、倒れ込んだ二人を回収した。様子を窺うのは八郎だ。
「大丈夫、気を失っているだけだ」
腐っても宇喜多家の家人。夜間の巡回をする人間も、中々に鍛えられていたらしい。体中のいたるところに傷が出来ており、血だらけではあるものの、致命傷だけは何とか躱して守勢に徹していたようだ。すぐに助けが来ると信じられなければ出来ない、まさに武士の鏡。
止血と応急手当をするのはその後合流した者たちに任せ、八郎も戦線に加わる。
その頃には、賊が十数人、宇喜多家側が数人といった具合に、戦線が築かれていた。普段はお茶会などに使われる机や椅子をひっくり返して、盾代わりにした畳の即席のバリケードが出来ている。
人数的に不利な状況ではあるが、彼らが行うのは時間稼ぎ。そして、地の利は八郎達の方にあった。
「「ぎゃっ!」」
「矢…か? 長船か」
飛んできた矢に驚いて、慌てて矢の出どころを探る八郎。その目線の先は屋敷の屋根の上。夜陰に紛れて一人の男が居た。
見晴らしのいい場所に、軽装で立つ男。宇喜多家の家中でも名の通った『二の矢要らずの長船』こと長船定行、通称は吉兵衛。風の動きを見ることが出来る弓使いで、狙撃の名手として知られている。遠隔攻撃として弓を使う、珍しいタイプの弓使い。弓が無くても刀も相応の腕前だが、弓を使えば国内随一と自称している名人……たぶん。
宇喜多家に家臣として仕えるようになって二十余年。主家からの信頼も篤く、実力も確か。彼が弓を取り、上に陣取った時点で一個小隊は軽く相手取る。
「よし、これでいける」
吉兵衛に軽く手を振って意思疎通が出来た八郎。前衛が何とか形になり、後衛に不安が無くなった時点で、時間稼ぎだけなら十分可能と判断した。基本に忠実で手堅い用兵は、八郎が得意とするものだ。周りを見渡す余裕も生まれる。
「怪我人の具合は?」
「危険な状態ですが、止血は終わりました。止めるまでに血を流しすぎていなければいいのですが」
返された返答に、皆は顔を顰める。今も人が集まりつつあるが、怪我人が居ることは士気を下げかねない。かといって、邪魔だからどけとも言えない。そもそもそんな発想が出来る八郎でもない。
膠着状態。◇◇◇◇
押し返すでもなく、押されるでもなく。そんな精神的に張り詰めた状況は、のほほんとした声によって破られる。
「あらら~ぁ、十分持ちこたえていますね~ぇ。流石は八郎殿。慌ててくる必要は有りませんでしたか~ぁ」
「若!。重傷者も出てるようですぜ。むしろ駆け付けるのが遅かったんじゃねえですかい?」
誰あろう、宇喜多家の頼れる友軍。富田家の精鋭たちである。今まで誰も居なかったはずの場所に、突如として数人の武装した集団が現れたのだ。宇喜多家の面々は一様に警戒し、中には飛びかかろうとした者も居たが、八郎の言葉で警戒心は霧散した。
「小太郎殿!」
「爺様の命令で援軍に駆け付けました~ぁ。助太刀します~ぅ」
「助かります」
言うが早いか、小太郎、十兵衛、与次郎、与太郎と言った面々が、バリケードを飛び越えるようにして戦場になだれ込んだ。
刀と血しぶき飛び交う中であっても、誰一人として臆することが無い。
新たな邪魔ものに気付いた賊たちが、同じ人数でもって迎え撃とうとする。黒づくめの男たちが刀を振るったところまでは、非戦闘員でも見えた。いや、彼らが見えたのはそこまでだった。
瞬きをするほどのわずかな時間。賊たちは、刀を全て折られていた。
一体何が起きたのか。分かったのは、事情を知るものだけ。
「折れた刀が一本あれば便利ですね。皆が同じ刀を使ってくれているので折るのも楽です」
刀を折ったのは小太郎の付喪神。【蜂の巣鉄床台】加奈子ちゃんで、刀に傷を付けるのは金属性の付喪神の十八番である。
突然素手になった、いや、刀の柄だけのゴミとなり、両手を塞がれた男たちが、武器を持って猛る歴戦の勇士の猛攻を、防げるはずがない。
一騎当千を文字通り体現したような富田家である。あっという間に形勢は宇喜多家優勢に傾く。圧倒的優勢。瞬く間に、侵入者たちは取り押さえられる。
死者なく現場を制圧できたことに対して、宇喜多家当主の八郎が小太郎達に頭を下げた。
「ご助力ありがとうございます」
「いえいえ。八郎殿の結婚の為にたまたま京に来ておりましたし、京の治安維持は爺様の仕事でもありますのでお気遣いなく。おや、怪我人も居ますね。少し見せてください」
最初に重傷を負った二人組は、熱も出ていた。応急処置は終わったが、あちらこちらが化膿し始めており、助かるかどうかは怪しい。良くて四分六分。無論、助かる方が四分だ。
そこで小太郎は、懐から数個の水饅頭を取り出した。
「これを食べてください」
怪我人の口に押し込むようにして入れ、水饅頭を食べさせる。喉につめないよう注意しながら。
「何ですか、それは?」
「ただの水饅頭ですよ。気付けと栄養補給の足しぐらいにはなるはずです」
無論、この水饅頭は霊力注入された特注品。こっそり癒しの饅頭を使っているのだが、今回の場合ならばバレる心配はない。治ったのは分の悪い賭けに勝ったからだ、程度に思われるだろう。実際、何もしなくても助かるかもしれないのだから、運が良かったで済む。
しかし、八郎は別の見方をした。
ただでさえ常識外れで突拍子も無いことをしでかす小太郎のやることだから、『水饅頭を食べさせていること』に何か特別な意味があるのだと思ったのだ。その点で観察力は優れている。だが、その先が決定的に経験不足。
きっとあれは噂に聞く『治癒の水饅頭』に違いないと、勝手に納得した。
南が片付けば、他の助力に向かわねばならない。
小太郎達を含めた宇喜多家部隊が、手始めとばかりに東に向かう。富田家の異端児や、二つ名でもって知られる十兵衛などの猛者。また、結婚式の為に宇喜多家に逗留していた貴人を護衛する、弓使いや手練れの人間も加われば、時が経つごとに守勢側が有利になっていく。
二月二十一日に秀吉が入京し新たな京都屋敷造営(聚楽第)を開始した。この頃羽柴秀長が大和国郡山へ帰城した。
二月二十二日に秀吉が大友義統へ豊芸和睦に際し秀吉の仲介で毛利輝元息女を大友氏へ輿入れさせることを賀した。この和睦は、豊臣政権の九州平定に向けたものであり、毛利氏と大友氏の同盟を結ぶことで、九州平定を円滑に進めることが狙いでした。つまり、秀吉の九州攻めに参加するということは、皮肉にも宿敵であった大友氏を助け、良好な関係にあった島津氏と戦うということであった。
◆◆◆◆…………
それは、深夜から未明のことだった。
突然の部下からの知らせに、宇喜多家当主は寝所から飛び起きる。既に屋敷の中は騒がしくなっていた。
「侵入してきたのは何処からだ!!」
「四方の門全てからです。既に外門は破られました。今は内門と庭で対処中です」
「数は?」
「各方面で少なくとも十人以上は……」
宇喜多秀家は状況を把握しようとする。
「応援はどうした」
「既に緊急連絡済みです」
「よし」
京の宇喜多邸。中心部に近い一等地に立つそれは、日頃から厳重な警備が為されていた。警備が厳重な理由としては、宇喜多家が毛利氏・織田氏の勢力争いに乗じて才覚を発揮し、ついには備前一国に飽き足らず備中の一部や播磨の一部・美作などにまで勢力を広げることに成功した。
児島高徳の後裔とし、高徳を宇多源氏佐々木氏の一族であることもその一つ。家訓は『武士として人の命を奪うことがある。また、誰かを殺す以上は、殺される覚悟も必要』とされる。
やむを得ない犠牲の被害者、錯誤や誤解、逆恨みに嫉妬。危害を加えられる心当たりなど、珍しくないぐらいに有り触れている。
「寝ている連中は全て叩き起こせ! 総動員だ。私も出る」
「はい」
「七郎…兵衛、七郎兵衛は居るかっ!」
宇喜多秀家は、忠家が傍に来ていることを疑っていなかった。有事の際には情報共有と連携が重要と口を酸っぱくして教えてきたからだ。いざというとき、自分のところに集まるよう打ち合わせておくことは、日頃からの備えの一環。
「お呼びですか殿」
「お前は迎撃の指揮を取れ。南は私が指揮を執る。極力被害を減らし、時間を稼ぐことを優先しろ」
「分かりました」
先日家督を嫡男の宇喜多知家(後の坂崎直盛)に譲り、近頃は秀吉側近の富田一白らと交流し、連歌会へ参加するなど風流な生活を送っていたが、早速とばかりに自分の手勢を集める忠家であった。家人のほとんどが甥の指揮下にあるとはいえ、自分が動かせる人間も僅かながらある。対応を急ぐため、駆け足で自分の部屋に戻った。
新婚の秀家は屋敷内の離れを自室として与えられていたが、そこで働くものを含め、戦えそうな人間は皆集めるよう指示した。執事や料理人や庭師や厩舎番と言った男手も、いざとなれば防衛戦力だ。
「八郎さん……いえ、あなた」
慌ただしくなる中で、披露宴を終えたばかりの新妻が夫の元に駆け付ける。新婚初夜ということで、部屋を出るにはいささか人目を憚る格好だった為、出て来るのに時間が掛かったのだ。
「すまないなお豪。新婚早々に、こんなことになるなんて」
「いえ、それは仕方がないのですが……争い事ですか?」
「そのようだ。私も出る」
騒々しい只中にあれば、お豪も武家出身だけに状況を察する。結婚式に託けて騒いでいる酔っ払いではないと分かる程度には。そして、自分たちが襲われているのだと分かる程度には。
「結婚初日で未亡人になるなんて、私は嫌ですよ?」
「私だって嫌だが、そこは夫の背中を押してほしいものだ」
「大丈夫です。信じておりますから」
侍に対して死ぬなと言うのは無茶な話だ。彼らは、必要とあれば自己犠牲すら厭わない精神を、武士として求められている。
自分は殺していいが、殺されるのは嫌だ、などというのは身勝手な話。自分は殴っても良いが、殴り返されると怒るというのはいじめっ子の論理だ。一方的な力の行使は只の暴力。武士の力が暴力であってはならない。
高邁な精神を説かれる武士として、刀を相手に向ける時は、相手からも刀を向けられる覚悟をする。少なくとも日本国ではそれが正しいと考えられていた。
新婚云々を抜きにしてもまだ若い八郎には、洋々たる前途がある。ここで侵入者如きにくれてやる命ではないと、若き武士は妻を抱きしめた。そしてそのまま妻の耳元で囁く。
「大丈夫、必ず無事に戻って来る」
「……御父様もいつもそう言っていたわ」
「私は大丈夫さ」
「お気を付けて」
不安を隠せない妻を、安心させるように言葉を掛けて出ていく夫。武士の夫婦とは、別れる時は常に今生の別れを覚悟する。八郎は、振り返らずにその場を後にした。
「こちらの手勢は?」
「八人だな。今しがた集合掛けた」
離れを出て駆けつつ、八郎は合流してきた男に聞いた。答えたのは、甲冑を着たボサボサ頭の男だ。
この男、戸川達安は『宇喜多軍の主力』に所属する侍である。戸川秀安の嫡男として生まれ、天正七年に備前辛川の役において十三歳で初陣を飾り、小早川隆景を撃破した。父・秀安の隠居により家督を相続し、備前の常山城を守備した。八郎が現状動かせる中では一番の大駒である。
「……少ないな」
「じゃあ訂正しておく。百と七人だ」
「どこから百人湧いたんだ?」
「俺が一人で百人力だからだ。良かったな若様、こんな力強い男が味方で」
「自分で言うかな……」
侍は運と実力が無ければならない。無ければ死ぬだけ。逆に言えば、長く侍をしている人間は、ほとんど例外なく実力を備えている。最低でも、いざという時逃げられる程度には身を守る術を持っているもの。
男の言葉は、あながち口から出まかせという訳ではない。もっとも、百人の働きが出来るというのはいささか誇張が過ぎるようだったが。
八郎が屋敷の南に着いた時、そこでは既に戦闘が起きていた。たまたまこの辺りを見回っていた二人組が、十人以上を相手に戦っている。いや、既に過去形で語るべきだろうか。味方の方は既に戦える状態ではない。
「下がれ。後は任せろ」
「はっ、八郎様……」
八郎の短い命令に、戦っていた二人の家人がうつ伏せに倒れ込んだ。
「ひゃっほぅ!」
そんな二人を庇うように、或いはただ単に人が集まっているところに飛び込むように、侍の男が向かった。人が倒れていることなど気にもしないという無神経さで。
突拍子も無い突然の行動に、顔を隠した賊側が一旦体勢を整える為に下がる。これを予想していた人間は驚くことも無いので、稼ぎ出した貴重な時間に、倒れ込んだ二人を回収した。様子を窺うのは八郎だ。
「大丈夫、気を失っているだけだ」
腐っても宇喜多家の家人。夜間の巡回をする人間も、中々に鍛えられていたらしい。体中のいたるところに傷が出来ており、血だらけではあるものの、致命傷だけは何とか躱して守勢に徹していたようだ。すぐに助けが来ると信じられなければ出来ない、まさに武士の鏡。
止血と応急手当をするのはその後合流した者たちに任せ、八郎も戦線に加わる。
その頃には、賊が十数人、宇喜多家側が数人といった具合に、戦線が築かれていた。普段はお茶会などに使われる机や椅子をひっくり返して、盾代わりにした畳の即席のバリケードが出来ている。
人数的に不利な状況ではあるが、彼らが行うのは時間稼ぎ。そして、地の利は八郎達の方にあった。
「「ぎゃっ!」」
「矢…か? 長船か」
飛んできた矢に驚いて、慌てて矢の出どころを探る八郎。その目線の先は屋敷の屋根の上。夜陰に紛れて一人の男が居た。
見晴らしのいい場所に、軽装で立つ男。宇喜多家の家中でも名の通った『二の矢要らずの長船』こと長船定行、通称は吉兵衛。風の動きを見ることが出来る弓使いで、狙撃の名手として知られている。遠隔攻撃として弓を使う、珍しいタイプの弓使い。弓が無くても刀も相応の腕前だが、弓を使えば国内随一と自称している名人……たぶん。
宇喜多家に家臣として仕えるようになって二十余年。主家からの信頼も篤く、実力も確か。彼が弓を取り、上に陣取った時点で一個小隊は軽く相手取る。
「よし、これでいける」
吉兵衛に軽く手を振って意思疎通が出来た八郎。前衛が何とか形になり、後衛に不安が無くなった時点で、時間稼ぎだけなら十分可能と判断した。基本に忠実で手堅い用兵は、八郎が得意とするものだ。周りを見渡す余裕も生まれる。
「怪我人の具合は?」
「危険な状態ですが、止血は終わりました。止めるまでに血を流しすぎていなければいいのですが」
返された返答に、皆は顔を顰める。今も人が集まりつつあるが、怪我人が居ることは士気を下げかねない。かといって、邪魔だからどけとも言えない。そもそもそんな発想が出来る八郎でもない。
膠着状態。◇◇◇◇
押し返すでもなく、押されるでもなく。そんな精神的に張り詰めた状況は、のほほんとした声によって破られる。
「あらら~ぁ、十分持ちこたえていますね~ぇ。流石は八郎殿。慌ててくる必要は有りませんでしたか~ぁ」
「若!。重傷者も出てるようですぜ。むしろ駆け付けるのが遅かったんじゃねえですかい?」
誰あろう、宇喜多家の頼れる友軍。富田家の精鋭たちである。今まで誰も居なかったはずの場所に、突如として数人の武装した集団が現れたのだ。宇喜多家の面々は一様に警戒し、中には飛びかかろうとした者も居たが、八郎の言葉で警戒心は霧散した。
「小太郎殿!」
「爺様の命令で援軍に駆け付けました~ぁ。助太刀します~ぅ」
「助かります」
言うが早いか、小太郎、十兵衛、与次郎、与太郎と言った面々が、バリケードを飛び越えるようにして戦場になだれ込んだ。
刀と血しぶき飛び交う中であっても、誰一人として臆することが無い。
新たな邪魔ものに気付いた賊たちが、同じ人数でもって迎え撃とうとする。黒づくめの男たちが刀を振るったところまでは、非戦闘員でも見えた。いや、彼らが見えたのはそこまでだった。
瞬きをするほどのわずかな時間。賊たちは、刀を全て折られていた。
一体何が起きたのか。分かったのは、事情を知るものだけ。
「折れた刀が一本あれば便利ですね。皆が同じ刀を使ってくれているので折るのも楽です」
刀を折ったのは小太郎の付喪神。【蜂の巣鉄床台】加奈子ちゃんで、刀に傷を付けるのは金属性の付喪神の十八番である。
突然素手になった、いや、刀の柄だけのゴミとなり、両手を塞がれた男たちが、武器を持って猛る歴戦の勇士の猛攻を、防げるはずがない。
一騎当千を文字通り体現したような富田家である。あっという間に形勢は宇喜多家優勢に傾く。圧倒的優勢。瞬く間に、侵入者たちは取り押さえられる。
死者なく現場を制圧できたことに対して、宇喜多家当主の八郎が小太郎達に頭を下げた。
「ご助力ありがとうございます」
「いえいえ。八郎殿の結婚の為にたまたま京に来ておりましたし、京の治安維持は爺様の仕事でもありますのでお気遣いなく。おや、怪我人も居ますね。少し見せてください」
最初に重傷を負った二人組は、熱も出ていた。応急処置は終わったが、あちらこちらが化膿し始めており、助かるかどうかは怪しい。良くて四分六分。無論、助かる方が四分だ。
そこで小太郎は、懐から数個の水饅頭を取り出した。
「これを食べてください」
怪我人の口に押し込むようにして入れ、水饅頭を食べさせる。喉につめないよう注意しながら。
「何ですか、それは?」
「ただの水饅頭ですよ。気付けと栄養補給の足しぐらいにはなるはずです」
無論、この水饅頭は霊力注入された特注品。こっそり癒しの饅頭を使っているのだが、今回の場合ならばバレる心配はない。治ったのは分の悪い賭けに勝ったからだ、程度に思われるだろう。実際、何もしなくても助かるかもしれないのだから、運が良かったで済む。
しかし、八郎は別の見方をした。
ただでさえ常識外れで突拍子も無いことをしでかす小太郎のやることだから、『水饅頭を食べさせていること』に何か特別な意味があるのだと思ったのだ。その点で観察力は優れている。だが、その先が決定的に経験不足。
きっとあれは噂に聞く『治癒の水饅頭』に違いないと、勝手に納得した。
南が片付けば、他の助力に向かわねばならない。
小太郎達を含めた宇喜多家部隊が、手始めとばかりに東に向かう。富田家の異端児や、二つ名でもって知られる十兵衛などの猛者。また、結婚式の為に宇喜多家に逗留していた貴人を護衛する、弓使いや手練れの人間も加われば、時が経つごとに守勢側が有利になっていく。
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攻撃魔法を使えないヒーラーの俺が、回復魔法で最強でした。 -俺は何度でも救うとそう決めた-【[完]】
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とある剣と魔法の世界で、
ある男女の間に赤ん坊が生まれた。
名をアスフィ・シーネット。
才能が無ければ魔法が使えない、そんな世界で彼は運良く魔法の才能を持って産まれた。
だが、使用できるのは攻撃魔法ではなく回復魔法のみだった。
攻撃魔法を一切使えない彼は、冒険者達からも距離を置かれていた。
彼は誓う、俺は回復魔法で最強になると。
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#ヒラ俺
この度ついに完結しました。
1年以上書き続けた作品です。
途中迷走してました……。
今までありがとうございました!
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追記:2025/09/20
再編、あるいは続編を書くか迷ってます。
もし気になる方は、
コメント頂けるとするかもしれないです。
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