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霊枢水七
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■■■■…………
家康は九月十五日関ヶ原の戦いに勝利したあと、九月十八日には近江八幡に在陣し、十九日付で竹中重門に対して、 小西行長を召し捕えたことを了承した。また、二十日には大津へ着陣し、二十二日付で田中吉政に対して、石田三成を生け捕ったことを手柄とした。
秀忠は、 関ヶ原の戦いには間にあわなかった。 秀忠は、九月二十日に草津へ在陣し、二十三日に伏見へ着いた。
家康と秀忠は共に九月二十七日に、大坂城へ入城した。
慶長五年九月二十七日に豊臣秀頼と徳川家康の会談は、大坂城の御対面所で行われた。
豊臣秀頼が南向きに上座に座り、その背には、一人の青年が太刀持ちとして控えていた。
徳川方は東向きに、下手側の最も上座に徳川家康が座り、その横には、息子の徳川秀忠が座る。その後ろに控えるようにして、本多正信と本多正純の親子が座っている。
一方の豊臣方は徳川と向かい合うように上手側の最も上座に、秀頼の後見人である淀殿が座り、その横には千姫が座る。その後ろに控えるように小早川秀秋が座っていた。
立会人として、各大名との調整役でもある、片桐且元は離れてその場にいるが、秀頼の援助をするという訳ではなさそうだ。
つまりそれは、小早川秀秋が一人で家康たちの相手をする、ということを示していた。
秀忠は驚きの表情を浮かべていたが、その他の三人は、かえって警戒心を強めているように見える。
それを示すかのように、家康の第一声は、秀秋のことを心配するものであった。
「小早川殿。こたびの戦、小早川殿の御助勢無くば覚束無きものであった、小早川殿にはこの家康、重ねて礼を申す……」
家康が秀頼への挨拶抜きに秀秋を気遣ったことに誰一人、この言葉に対し何も言えなかった。
秀秋は
「お気遣いいただきありがとうございます。この度の戦は、石田三成が起こした豊臣政権下での内は揉め。内府殿に助力いたすは当然のこと。早期に無事に収拾できたことは上様(秀頼)もお喜びの事です。先ずは上様にご挨拶を……」
大坂城西の丸を受け取ったのは、五人の豊臣系諸将(福島正則・黒田長政・藤堂高虎・浅野幸長・池田輝政)であり、 家康が直接、 大坂城西の丸を受け取ったわけではなかった。
通常、 戦いのあとに城を受け取るのは、 戦いの勝者であるがそれまで毛利輝元が在城していた大坂城西の丸を五人の豊臣系諸将が受け取ったことは、この時点で関ヶ原の戦いの勝者は反石田三成の豊臣系諸将であった。
家康はそうした豊臣系諸将の活躍に便乗して勝利したにすぎなかった。
つまり、関ヶ原の戦いを豊臣家家臣団内部の権力闘争という形にして、家康は最終局面で出陣すれば、家康が豊臣秀頼への反逆者という汚名を着せられることはなくなるというように本多正信は政治的計算をしていた。
家康は秀頼に対して「真」の礼をした。
畳に座り、親指を広げ、人差し指と中指を揃えて、三本の指でひし形を作り、そのひし形の真ん中に顔を伏せて、畳に鼻を擦り付けるかのようにして、平伏したのだ。
そして秀頼が「表を上げい」と声を掛けても、恐れ入って中々顔を上げられないようなフリをした。
大坂城受け取りについては、西の丸を受け取ったのであり、本丸を受け取ったわけではなかったのは、本丸には依然として豊臣秀頼が在城しており、このことは関ヶ原の戦い以後も豊臣政権が存続していた。
よって、関ヶ原の戦いの結果、 石田・毛利連合政権は消滅し、 毛利輝元にかわって家康が大坂城西の丸に入ったことにより、 家康が秀頼のもとで政務をとる政治状況が現出した。
家康が当面取り組んだのは関ヶ原の戦いの戦後処理であったが、家康が秀頼のもとで戦後処理の実務をおこなう形をとることになった。
秀秋は天下の主は豊臣秀頼であって、家康は(秀頼を補佐する)天下の家老という形で落としどころを図った。
◇◇◇◇
秀頼に挨拶が終わると、家康が秀秋に対して
「此度の小早川殿の戦功は他に比類なき内容である!」と声をかけたのだ。
秀秋も深く頭を下げ「ありがたき幸せ」と答えた。
家康が秀秋に「これから上様に代わり三成に属した武将およそ九十人は改易、五名は減封……恩賞は豊臣恩顧の武将に厚く論功行賞を行なう予定であります……小早川殿には備前へ十五万石ほど加増させていただく所存……」と述べると、
秀頼は話に割って入って
「戦後処理の方針は筑前中納言殿にお任せ致すゆえ、内府殿は相談に乗って下され」と、秀頼は毅然とした態度で答えた。
その答え方と、迷いや戸惑いのない透き通った声に、正信の眉がぴくりと動く。
しかしそんな家臣の心の機微など知りもせずに、嫡男の秀忠が感嘆の声をあげた。
「これはとても齢七つとは思えぬ、立派な受け答え!この秀忠、恐れ入りましてございます」
これには逆に秀秋の眉がぴくりと動いた。この男の言っていることは『利口』なのか、それとも単なる『阿呆』なのか…と、心の中ではかりかねたからである。
その様子を家康は見逃さない。
「いやはや、わが息子が失礼な事を申し上げて、申し訳ございませぬ!これ、お主も頭を下げぬか!」と、仰々しく頭を下げると、秀忠にも同じことを強要した。
しかし当の秀忠は、納得がいかないようで、
「父上。それがしは、上様をお褒めしたまでにございます。頭を下げるいわれは、ござらぬ!」と反論した。
この様子からして、どうやら『阿呆』の方であったようだ。秀頼の顔に安堵の色が浮かんだのだが、それさえも家康は見逃さなかった。
「それはすまなかった。わしはてっきりお主が、『七つにしては、上出来過ぎる受け答え』と、皮肉を申しているのかと思ったわい。これは、したり。ははは!」
秀頼の顔は安堵から一変して、引きつった笑顔に変わっている。それを見て正信は確信した。
(この会談……やはり小早川が裏で糸を引いているなそれと……)
既に正信は、加藤清正と黒田如水がこの城に入ったことを耳にしている。
恐らくはこのうちのどちらか…それとも、両名か……いずれにせよ、若い秀頼の背後に、石田三成に代わる誰かがいることは確かだろうと思われた。
◇◇◇◇
家康にとってこの会談はただ、単なる「戦勝報告」と「戦後処理の方針」を告げるだけであった。
仰々しく親子で参上したものの、言わば「形式的」なものなのだ。
それを淡々と実行するだけ……そんな風にこの時の家康は考えていた。
彼は姿勢を正すと、早速それを始める。
「では申し上げます。ご存知の通り、毛利中納言と石田治部が起こした謀反につきまして、この内府が中心となって無事に収めましたので、ここに報告いたします」
頭を下げた家康に続き、秀忠や本多親子も、それにならう。
「おもてを上げよ、内府殿。こたびのこと、聞くところによると、お主と治部殿たちが仲違いをして起こったというのはまことであるか?」
その言葉に頭を上げた家康は、素直に答えた。
「おっしゃる通りにございます」
すると素朴な問いかけを秀頼は続ける。
「つまり、お主たちは『喧嘩』をした、ということなのか?」
「分かりやすく言えば、そういうことですな!さすがは上様!物分かりがよろしいようで……」
家康に褒められたにも関わらず、秀頼は全くの無表情のままだ。
そしてそのまま、彼は続けた。
「うむ、ではその喧嘩に、お主が勝って、治部殿が負けた、というわけじゃな?」
「その通りにございます!この内府、売られた喧嘩に見事勝利したのでございます!」
「うむ!それは天晴れなことだ」
今度は秀頼が家康を褒める。
しかしその家康も全くの無表情だ。
「ありがたきお言葉、この内府、心にしみてございます。つきましては、この後のことでございますが……」
家康の目が鋭く光る。まるで殺気をともなったその視線は、これから口にする言葉の有無を言わせぬような威圧感があった。
「この内府に『全て』お任せいただけないでしょうか?」
家康はこの時、思っていた。
「うむ、あいわかった。お主に全てを任せよう」
という秀頼の一言をもって、この会談は終わるということを……
しかし……目の前の秀頼は違った。
「戦後処理の方針は筑前中納言殿にお任せ致すゆえ、内府殿は相談に乗って下され」
この言葉には、家康の目が少しだけ大きくしたが、すぐに気を取り直して答えた。
そう…彼はこの場でどうしても欲しいものがあったのである。
それは、「秀頼からのお墨付き」であった。
無論「戦後処理は家康に一任する」ことに対してのものだ。
それだけを貰いに来た、といっても過言ではない。
それほどに、このお墨付きは重要な意味を持っていた。
なぜなら、「戦後処理一任」は、すなわち「論功行賞」を家康自らの手で行うことを意味し、それは家康が賞罰の行える立場であることを明白にするのだ。
賞罰の行える立場…それは天下を治めるに最も近い者と言える、その立場を求めていたのだ。
なぜなら、天下取りに大きく近づくからであった。つまり彼は心に決めていたのだ。
「豊臣に代わり、徳川が天下を取る」と……
しかし、秀頼は「戦後処理の方針は筑前中納言殿にお任せ致すゆえ、内府殿は相談に乗って下され」と述べられた。
「上様。よろしいですか。自分で散らかしてしまったものは、自分で片付けるのが、責任の取り方というものにございます。上様も、お母上にそう言われているのではありませんか?」と、家康は努めて冷静に、秀頼に話した。
その言葉の表向きは分かりやすく、穏やかなものであったが、口調は低く、いっそう威圧をこめたものであった。そしてその圧力に観念したのか、
「では内府殿に責任を取ってもらおう」と、彼の言葉を容認するような一言を発したのである。
これに家康は再び頭を下げた。
「ははーっ!この家康、この身には重きことなれど、上様のご期待にそえるよう、全身全霊をかけて、後始末をいたしまする」
家康は内心高笑いをしていた。それは後ろに控える本多親子も同様だったに違いない。
これで、徳川に天下は大きく傾いた……かに思えた。
しかし、秀頼は待っていた。この「責任」という言葉を……
極めて、ごく自然にこう言ったのだ。「母上はこうも教えてくれた。『喧嘩は両成敗』であると」
家康の「しまった」という心の声は、舌打ちとなって出てきた。もちろん「喧嘩両成敗」などという言葉は、今川氏の「今川仮名目録」では「喧嘩におよぶ輩は理非を論ぜず双方とも死罪」「喧嘩を仕掛けられても堪忍してこらえ・・とりあえず穏便に振る舞ったことは道理にしたがったと・・して罪を免ぜられるべき」とあったもので正式に公儀が認めていたものではないが、秀頼は秀秋に聞いてた。
巧妙に仕組まれた彼らの思惑とは知らずに……
「はて?顔色が優れぬようだが、いかがした?内府殿」
「ははは…これは一本取られましたな。恐れ入りました。ではその件について、後日ゆるりと考えることといたしまして、本日のところは……」
「待て。一つだけ教えてくれまいか?」
秀頼はちらりと且元の方を確認した。且元は必死に筆を走らせているため、そんな秀頼の視線など気付かない。
しかし家康はその視線の意味を重々承知していた。
それは、「この会談の内容は全てしたためてあるぞ」という、一種の脅迫のようなものである…ということを…
家康は顔を上げると、冷静を装いながら、
「ふむ、内府ごときの浅知恵でよろしければ、上様のご質問にお答えいたしましょう」と、質問を許した。
「論功行賞はどうなさるおつもりか?」と、秀頼は再び、純朴な表情で問いかけてきた。
それに家康は目を細めて答える。
「ふむ、ここで申し上げるつもりはございませぬが……やはりそれは…関与せねばなりますまい」やはり彼は即答を避けて、はぐらかせた。
しかし秀頼の言葉は、そんな家康の腹の内を見透かしているように、鋭く切り込んできた。
「そうか…てっきり、論功行賞は内府殿が取り決める。もしそんなことになれば……」
これにはさすがの家康も度肝を抜かれた。顔には今までの余裕などなく、額の汗を止めることは出来なかった。
「もしそんなことになれば…?」と、「阿呆」な秀忠が問い返す。
秀頼はニヤリと笑ってその問いに答えた。
「お主にも三成と同じ罰を、私は与えねばならぬからのう……」
ここで言う「お主」とは、無論「徳川家康」のことだ。
「ははは…この内府、上様の言葉を無視して勝手なことは心にも思っておらぬ……」
「戦後処理の方針は筑前中納言殿にお任せ致すゆえ、内府殿は相談に乗ることで間違いないな……」
「間違いございませぬ」
もはや「睨む」という表現があてはまる、家康に対して、それを見下ろすように冷たい視線を送る秀頼。
その睨み合いのまま、秀頼は且元に命じた。
「聞いたか?筑前中納言殿。そして市正!論功行賞の件、確かにしたためておけよ……」
「「はっ!」」
この時、家康は心に決めた。「この男を生かしておくのは危険すぎる」と…
すなわちここに、徳川家康と豊臣秀頼の「全面対決」が、静かに幕を上げたのであった。
家康は九月十五日関ヶ原の戦いに勝利したあと、九月十八日には近江八幡に在陣し、十九日付で竹中重門に対して、 小西行長を召し捕えたことを了承した。また、二十日には大津へ着陣し、二十二日付で田中吉政に対して、石田三成を生け捕ったことを手柄とした。
秀忠は、 関ヶ原の戦いには間にあわなかった。 秀忠は、九月二十日に草津へ在陣し、二十三日に伏見へ着いた。
家康と秀忠は共に九月二十七日に、大坂城へ入城した。
慶長五年九月二十七日に豊臣秀頼と徳川家康の会談は、大坂城の御対面所で行われた。
豊臣秀頼が南向きに上座に座り、その背には、一人の青年が太刀持ちとして控えていた。
徳川方は東向きに、下手側の最も上座に徳川家康が座り、その横には、息子の徳川秀忠が座る。その後ろに控えるようにして、本多正信と本多正純の親子が座っている。
一方の豊臣方は徳川と向かい合うように上手側の最も上座に、秀頼の後見人である淀殿が座り、その横には千姫が座る。その後ろに控えるように小早川秀秋が座っていた。
立会人として、各大名との調整役でもある、片桐且元は離れてその場にいるが、秀頼の援助をするという訳ではなさそうだ。
つまりそれは、小早川秀秋が一人で家康たちの相手をする、ということを示していた。
秀忠は驚きの表情を浮かべていたが、その他の三人は、かえって警戒心を強めているように見える。
それを示すかのように、家康の第一声は、秀秋のことを心配するものであった。
「小早川殿。こたびの戦、小早川殿の御助勢無くば覚束無きものであった、小早川殿にはこの家康、重ねて礼を申す……」
家康が秀頼への挨拶抜きに秀秋を気遣ったことに誰一人、この言葉に対し何も言えなかった。
秀秋は
「お気遣いいただきありがとうございます。この度の戦は、石田三成が起こした豊臣政権下での内は揉め。内府殿に助力いたすは当然のこと。早期に無事に収拾できたことは上様(秀頼)もお喜びの事です。先ずは上様にご挨拶を……」
大坂城西の丸を受け取ったのは、五人の豊臣系諸将(福島正則・黒田長政・藤堂高虎・浅野幸長・池田輝政)であり、 家康が直接、 大坂城西の丸を受け取ったわけではなかった。
通常、 戦いのあとに城を受け取るのは、 戦いの勝者であるがそれまで毛利輝元が在城していた大坂城西の丸を五人の豊臣系諸将が受け取ったことは、この時点で関ヶ原の戦いの勝者は反石田三成の豊臣系諸将であった。
家康はそうした豊臣系諸将の活躍に便乗して勝利したにすぎなかった。
つまり、関ヶ原の戦いを豊臣家家臣団内部の権力闘争という形にして、家康は最終局面で出陣すれば、家康が豊臣秀頼への反逆者という汚名を着せられることはなくなるというように本多正信は政治的計算をしていた。
家康は秀頼に対して「真」の礼をした。
畳に座り、親指を広げ、人差し指と中指を揃えて、三本の指でひし形を作り、そのひし形の真ん中に顔を伏せて、畳に鼻を擦り付けるかのようにして、平伏したのだ。
そして秀頼が「表を上げい」と声を掛けても、恐れ入って中々顔を上げられないようなフリをした。
大坂城受け取りについては、西の丸を受け取ったのであり、本丸を受け取ったわけではなかったのは、本丸には依然として豊臣秀頼が在城しており、このことは関ヶ原の戦い以後も豊臣政権が存続していた。
よって、関ヶ原の戦いの結果、 石田・毛利連合政権は消滅し、 毛利輝元にかわって家康が大坂城西の丸に入ったことにより、 家康が秀頼のもとで政務をとる政治状況が現出した。
家康が当面取り組んだのは関ヶ原の戦いの戦後処理であったが、家康が秀頼のもとで戦後処理の実務をおこなう形をとることになった。
秀秋は天下の主は豊臣秀頼であって、家康は(秀頼を補佐する)天下の家老という形で落としどころを図った。
◇◇◇◇
秀頼に挨拶が終わると、家康が秀秋に対して
「此度の小早川殿の戦功は他に比類なき内容である!」と声をかけたのだ。
秀秋も深く頭を下げ「ありがたき幸せ」と答えた。
家康が秀秋に「これから上様に代わり三成に属した武将およそ九十人は改易、五名は減封……恩賞は豊臣恩顧の武将に厚く論功行賞を行なう予定であります……小早川殿には備前へ十五万石ほど加増させていただく所存……」と述べると、
秀頼は話に割って入って
「戦後処理の方針は筑前中納言殿にお任せ致すゆえ、内府殿は相談に乗って下され」と、秀頼は毅然とした態度で答えた。
その答え方と、迷いや戸惑いのない透き通った声に、正信の眉がぴくりと動く。
しかしそんな家臣の心の機微など知りもせずに、嫡男の秀忠が感嘆の声をあげた。
「これはとても齢七つとは思えぬ、立派な受け答え!この秀忠、恐れ入りましてございます」
これには逆に秀秋の眉がぴくりと動いた。この男の言っていることは『利口』なのか、それとも単なる『阿呆』なのか…と、心の中ではかりかねたからである。
その様子を家康は見逃さない。
「いやはや、わが息子が失礼な事を申し上げて、申し訳ございませぬ!これ、お主も頭を下げぬか!」と、仰々しく頭を下げると、秀忠にも同じことを強要した。
しかし当の秀忠は、納得がいかないようで、
「父上。それがしは、上様をお褒めしたまでにございます。頭を下げるいわれは、ござらぬ!」と反論した。
この様子からして、どうやら『阿呆』の方であったようだ。秀頼の顔に安堵の色が浮かんだのだが、それさえも家康は見逃さなかった。
「それはすまなかった。わしはてっきりお主が、『七つにしては、上出来過ぎる受け答え』と、皮肉を申しているのかと思ったわい。これは、したり。ははは!」
秀頼の顔は安堵から一変して、引きつった笑顔に変わっている。それを見て正信は確信した。
(この会談……やはり小早川が裏で糸を引いているなそれと……)
既に正信は、加藤清正と黒田如水がこの城に入ったことを耳にしている。
恐らくはこのうちのどちらか…それとも、両名か……いずれにせよ、若い秀頼の背後に、石田三成に代わる誰かがいることは確かだろうと思われた。
◇◇◇◇
家康にとってこの会談はただ、単なる「戦勝報告」と「戦後処理の方針」を告げるだけであった。
仰々しく親子で参上したものの、言わば「形式的」なものなのだ。
それを淡々と実行するだけ……そんな風にこの時の家康は考えていた。
彼は姿勢を正すと、早速それを始める。
「では申し上げます。ご存知の通り、毛利中納言と石田治部が起こした謀反につきまして、この内府が中心となって無事に収めましたので、ここに報告いたします」
頭を下げた家康に続き、秀忠や本多親子も、それにならう。
「おもてを上げよ、内府殿。こたびのこと、聞くところによると、お主と治部殿たちが仲違いをして起こったというのはまことであるか?」
その言葉に頭を上げた家康は、素直に答えた。
「おっしゃる通りにございます」
すると素朴な問いかけを秀頼は続ける。
「つまり、お主たちは『喧嘩』をした、ということなのか?」
「分かりやすく言えば、そういうことですな!さすがは上様!物分かりがよろしいようで……」
家康に褒められたにも関わらず、秀頼は全くの無表情のままだ。
そしてそのまま、彼は続けた。
「うむ、ではその喧嘩に、お主が勝って、治部殿が負けた、というわけじゃな?」
「その通りにございます!この内府、売られた喧嘩に見事勝利したのでございます!」
「うむ!それは天晴れなことだ」
今度は秀頼が家康を褒める。
しかしその家康も全くの無表情だ。
「ありがたきお言葉、この内府、心にしみてございます。つきましては、この後のことでございますが……」
家康の目が鋭く光る。まるで殺気をともなったその視線は、これから口にする言葉の有無を言わせぬような威圧感があった。
「この内府に『全て』お任せいただけないでしょうか?」
家康はこの時、思っていた。
「うむ、あいわかった。お主に全てを任せよう」
という秀頼の一言をもって、この会談は終わるということを……
しかし……目の前の秀頼は違った。
「戦後処理の方針は筑前中納言殿にお任せ致すゆえ、内府殿は相談に乗って下され」
この言葉には、家康の目が少しだけ大きくしたが、すぐに気を取り直して答えた。
そう…彼はこの場でどうしても欲しいものがあったのである。
それは、「秀頼からのお墨付き」であった。
無論「戦後処理は家康に一任する」ことに対してのものだ。
それだけを貰いに来た、といっても過言ではない。
それほどに、このお墨付きは重要な意味を持っていた。
なぜなら、「戦後処理一任」は、すなわち「論功行賞」を家康自らの手で行うことを意味し、それは家康が賞罰の行える立場であることを明白にするのだ。
賞罰の行える立場…それは天下を治めるに最も近い者と言える、その立場を求めていたのだ。
なぜなら、天下取りに大きく近づくからであった。つまり彼は心に決めていたのだ。
「豊臣に代わり、徳川が天下を取る」と……
しかし、秀頼は「戦後処理の方針は筑前中納言殿にお任せ致すゆえ、内府殿は相談に乗って下され」と述べられた。
「上様。よろしいですか。自分で散らかしてしまったものは、自分で片付けるのが、責任の取り方というものにございます。上様も、お母上にそう言われているのではありませんか?」と、家康は努めて冷静に、秀頼に話した。
その言葉の表向きは分かりやすく、穏やかなものであったが、口調は低く、いっそう威圧をこめたものであった。そしてその圧力に観念したのか、
「では内府殿に責任を取ってもらおう」と、彼の言葉を容認するような一言を発したのである。
これに家康は再び頭を下げた。
「ははーっ!この家康、この身には重きことなれど、上様のご期待にそえるよう、全身全霊をかけて、後始末をいたしまする」
家康は内心高笑いをしていた。それは後ろに控える本多親子も同様だったに違いない。
これで、徳川に天下は大きく傾いた……かに思えた。
しかし、秀頼は待っていた。この「責任」という言葉を……
極めて、ごく自然にこう言ったのだ。「母上はこうも教えてくれた。『喧嘩は両成敗』であると」
家康の「しまった」という心の声は、舌打ちとなって出てきた。もちろん「喧嘩両成敗」などという言葉は、今川氏の「今川仮名目録」では「喧嘩におよぶ輩は理非を論ぜず双方とも死罪」「喧嘩を仕掛けられても堪忍してこらえ・・とりあえず穏便に振る舞ったことは道理にしたがったと・・して罪を免ぜられるべき」とあったもので正式に公儀が認めていたものではないが、秀頼は秀秋に聞いてた。
巧妙に仕組まれた彼らの思惑とは知らずに……
「はて?顔色が優れぬようだが、いかがした?内府殿」
「ははは…これは一本取られましたな。恐れ入りました。ではその件について、後日ゆるりと考えることといたしまして、本日のところは……」
「待て。一つだけ教えてくれまいか?」
秀頼はちらりと且元の方を確認した。且元は必死に筆を走らせているため、そんな秀頼の視線など気付かない。
しかし家康はその視線の意味を重々承知していた。
それは、「この会談の内容は全てしたためてあるぞ」という、一種の脅迫のようなものである…ということを…
家康は顔を上げると、冷静を装いながら、
「ふむ、内府ごときの浅知恵でよろしければ、上様のご質問にお答えいたしましょう」と、質問を許した。
「論功行賞はどうなさるおつもりか?」と、秀頼は再び、純朴な表情で問いかけてきた。
それに家康は目を細めて答える。
「ふむ、ここで申し上げるつもりはございませぬが……やはりそれは…関与せねばなりますまい」やはり彼は即答を避けて、はぐらかせた。
しかし秀頼の言葉は、そんな家康の腹の内を見透かしているように、鋭く切り込んできた。
「そうか…てっきり、論功行賞は内府殿が取り決める。もしそんなことになれば……」
これにはさすがの家康も度肝を抜かれた。顔には今までの余裕などなく、額の汗を止めることは出来なかった。
「もしそんなことになれば…?」と、「阿呆」な秀忠が問い返す。
秀頼はニヤリと笑ってその問いに答えた。
「お主にも三成と同じ罰を、私は与えねばならぬからのう……」
ここで言う「お主」とは、無論「徳川家康」のことだ。
「ははは…この内府、上様の言葉を無視して勝手なことは心にも思っておらぬ……」
「戦後処理の方針は筑前中納言殿にお任せ致すゆえ、内府殿は相談に乗ることで間違いないな……」
「間違いございませぬ」
もはや「睨む」という表現があてはまる、家康に対して、それを見下ろすように冷たい視線を送る秀頼。
その睨み合いのまま、秀頼は且元に命じた。
「聞いたか?筑前中納言殿。そして市正!論功行賞の件、確かにしたためておけよ……」
「「はっ!」」
この時、家康は心に決めた。「この男を生かしておくのは危険すぎる」と…
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加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね
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冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。
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その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。
ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。
「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」
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攻撃魔法を使えないヒーラーの俺が、回復魔法で最強でした。 -俺は何度でも救うとそう決めた-【[完]】
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とある剣と魔法の世界で、
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彼は誓う、俺は回復魔法で最強になると。
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#ヒラ俺
この度ついに完結しました。
1年以上書き続けた作品です。
途中迷走してました……。
今までありがとうございました!
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追記:2025/09/20
再編、あるいは続編を書くか迷ってます。
もし気になる方は、
コメント頂けるとするかもしれないです。
異世界召喚でクラスの勇者達よりも強い俺は無能として追放処刑されたので自由に旅をします
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相棒のカワウソとクラスの中野蒼花そして異世界の仲間と共にこの世界を自由に旅をします。
現在、第四章フェレスト王国ドワーフ編
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