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青天の霹靂

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 最近の私の日課は屋敷内のある部屋に行く事である。
ダルセン男爵邸には領内の様々な情報や書類を取り仕切る部署があり、その部屋にはハンスの元について仕事をする人達が通いで毎日やって来る。
彼らが事実上の領の運営を回している様なものだ。
はっきり言ってアントンより余程領主らしい。

 私はその場所に毎日領主夫人として顔を出している。
アントンが居ない今は家令を兼ねたハンスが逐一チェックをしてくれるから特に何もしないで来客に挨拶して顔つなぎしているくらいだけど。

 そして更にもう一つ、私が取り組み始めた事があった。
こちらの方が寧ろ重要かもしれない。
厨房にお邪魔してお菓子作りをする事である。


「奥様が厨房に行くなんて……本当に大丈夫なのですか?」

「大丈夫。大丈夫だから。前はしていたのよ。安心して」


 厨房に向かった私にレーナが心配したのも無理はない。
この世界の私は恥ずかしながら料理などした事が無かったからだ。
しかし、だからこそレーナに対して私の前世を証明するのは容易い。
私の作ったお菓子を食べさせたらマーサと共に感動してくれた。


(この世界の使いなれない道具に四苦八苦した甲斐があったわ)


 別に前世の知識で料理チートをしたいという考えは今の時点で特に無い。
お菓子作りは単純に屋敷の人達と打ち解ける手段の一つである。
まさかストレス解消の為のお菓子作りが異世界で役立つとは思わなかった。 


「とても美味しいです、奥様!」

「そう? 良かった」


 教会学校から帰って来たユリアと遅い昼食をとっていた私は、作ったお菓子を美味しそうに食べて感想を述べる彼女を見て頬を緩ませていた。


「あなた達がそう云ってくれると作り甲斐があるわ」

「本当に、こんな……食べたことが無いお菓子ばかりで。
 やっぱり王都って凄いんですね」

「うふふ、そうかもね」


 ダルセンでは食べた事が無いという意味でユリアは言ったのだろうけど、実際はこの世界のどこにも無い筈だ。
元侯爵令嬢の私はメジャーなお菓子なら大方は口にした事があると思う。
だからそれ以外の、この世界に存在しないお菓子を色々作っている訳だった。

 それでも使用人達の評判も上々で、打ち解けるアイテムとして非常に役に立っている。
存在しない食材は他の食材で代用したり適当にアレンジする必要があるけれど。
 

(田舎でのんべんだらりと過ごすのもいいものね……。
 このままずっと過ぎていくとは思わないけどしばらくはこのままでいいかなぁ)


 この屋敷での生活は思った以上に穏やかだ。
王都に居た時の負の感情が浄化されてきて怠け心が顔を出した時、慌ただしい様子の
ハンスがやって来た。


「奥様!」

「ハンス、どうしたの?」

「王都から緊急連絡便が来ております」

「え!? 何かしら……」


 電話もネットも無いこの世界では何を連絡するのも馬車に積んだ文書だよりだ。
王宮から緊急連絡がある場合、使者は各領の町・村で馬を変えつつ強行軍で来る事になると聞いている。
実際に見た事は無かったけれど。
慌てて応接室に行くと見慣れない人物が居て私に挨拶した。


「急な訪問失礼致します。ダルセン男爵夫人でございますか?」

「そうですが……」


 王国の紋章入りマントを身に付けた男は封書を懐から取り出して私に渡す。


「外務部からの緊急通知です」

「外務部?」


 外務部とは現代日本で云う所の外務省の様な組織だ。
因みにその組織の長である外務卿が私の父・バルツァー侯爵である。
でもこの封書は父から送られてくるものでは無かった。
手紙の封蝋が侯爵家のものではなくて正式な外務部の物だったからだ。


「確かにお渡しいたしました。至急ご確認願います」

「は、はい」


 王宮緊急便の場合、配達人の目の前ですぐに確認しなけばならない決まりがある。
宛先人に確認してもらうまで配達人は帰る事は出来ないからだ。
私が不在の場合はこの屋敷の者がどこかに居る私を探し回る事になる。
出掛けてなくて良かった。


(外務部から私にって……、一体何の件で?)

 
 頭に疑問形を浮かべ、嫌な予感を抱きつつ封書を開ける。
読み終えた時点で私は思わず驚きの声を上げてしまった。 


「嘘っ……そんな事って……」

「奥様? いかがなさいましたか?」


 私の声に驚いたハンスの声をどこか遠くに感じながら私は手紙の文章を繰り返し
目で追った。言葉の羅列が現実として中々理解出来ない。
文書の内容はアントンとイザベラが亡くなったという内容だったのだ。

 私の様子を気にしているハンスにも通信文を見せる。
ハンスも驚愕の表情を浮かべてしばらく文面を繰り返し見ていた。


「! ま、まさか……旦那様とイザベラ様が……?」

「旅行中の事故死という事らしいわね……」


 どうやら思いがけず大金を手にした二人は国外に旅行に行っていたらしい。
無論、私は全く聞いていないし知らなかった。
他国の貴族が事故死したのでこの国の政権を握る王室に訃報が伝えられた訳だ。
国内で死亡していきなり知らない誰かから直接訃報が来るより余程真実味がある。
それにしても……。


(旅行は旅行でも、もしかしたら遅い新婚旅行のつもりだったのかしら。
本物の花嫁はここに居るんだけど)


 あの二人は多分していなかっただろう。
費用面も馬鹿にならないし。


(妻と子供を置いて呑気に愛人と外国に旅行していたとはね……)


 浮かれていたのか知らないが今更ながら二人に呆れてしまった。
死者を悼む気持ちはもちろんある。第一、亡くなったのは一応私の夫であるし。
でも通常の夫婦関係の妻が抱く程の悲しみは正直無い。
ある意味不幸だが救いがあるとすればお互い愛情の一片もなかった事だろう。


(そもそも私が婚約破棄をされなかったらこの婚姻も無かったわけだしね。
そういう意味ではアントンもイザベラも被害者なのかもしれないわね……)


 そこまで責任を感じる必要は無い筈なのにぼんやりとそんな事を思ってしまう。
そんな頭が強制的に再起動した。ユリアの事である。
まだ10歳のあの可愛い少女にこの残酷な事実を伝えなければならないのか。
私は内心頭を抱えた。


「……ハンス、ユリアを呼んで来てくれる?」

「……はい。」


 足取り重くユリアを呼びに行ったハンスの背中を見ながら私は溜息をついた。
溜息をつく度に幸せが逃げるなんて言葉もあるけど好きでつく溜息なんてない。
まさに青天の霹靂だ。


(私は平穏に暮らしたいだけなのにどうしてこうも次から次へと……)


 ユリアに告げる事実の重さと自分のこれからの事を考えて中身が27歳の私は脳内で愚痴り続けた。
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