幻を追い求めて

三旨加泉

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「幻を追い求めて」30話(終)

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「幻を追い求めて」30話(終)


 成瀬が麻で出来たソファに座り、テレビを点けると見覚えのある顔が映っていた。
「まさか竹田がこんなに出世するとはな。世の中分からないものだ。」
 竹田は髪を金髪から暗めの茶髪に染め直し、今後の経営方針について説明している。
「有名な飲料企業の社長代理だってね。中々敏腕だよ、彼。」
 突然横から追田が顔を出したので、驚いて少し仰け反った。
「物知り顔だな。」
「うん。ちょっとね。」
 どうせ追田のことだから仕事の依頼でも来ているのだろう。相変わらずデザインの才能はご健在のようだ。
 追田はそれまでテレビを眺めていたが、ふと成瀬の方に顔を向ける。
「成瀬くん。筋肉痛になってない?昨日ストレッチ多めにやったから。そのせいで逆に姿勢悪くなるのは良くないからね。」
「うるさいな。」
 あれから追田は変わらず自分の姿勢ばかり気にしているようだ。成瀬自身も諦めて、今となっては姿勢が良くなる為に色々模索していくことを前向きに捉えることにしている。
「朝ごはん食べたんだから、もう行こうよ。」
「ちょっと待ってろ。立ち上がるのが面倒なんだ。」
「やっぱり筋肉痛になってるじゃない。」

 マンションのエントランスを出ると追田は思いついたように聞いた。
「今日は車じゃなくてバスで行く?」
「何でだよ。」
 追田は後ろで手を組んで伸びをした。
「なんとなく。学生の頃みたいでいいじゃない。」
「まあ、どちらでもいいけど。」
 二人がバス停で待っていると、やがて桜が舞っているデザインをしたバスが二人の前に停まった。
「もう桜の季節だね。」
「観光客も増えるだろうからな。」
 二人で一番後ろの席に座り、成瀬は端で頬杖をついて外を眺める。ポカポカした陽気に思わず眠くなりそうだった。

「見てー!蜃気楼!」

 信号待ちのバスの車内、近くに座っている小学生くらいの子どもの声に成瀬は顔を上げる。見ると子どもが隣に座る母親らしき女の人に、自慢げに窓の向こうを指差して話している。子どもが指差す方を向くと、遠くに広々とした海が見えた。ぼやけて幻想的で、全てが曖昧に見える。
 今の季節だと近くの道路脇に植えてある桜が咲き、海に風で飛んだ桜の花びらが舞って綺麗だと人気の観光地だ。

ーそういえばあの時も、海に桜の花びらが舞っていたな。

「そういえば、あの時も海に桜の花びらが舞っていたよね。」

 すぐ隣を見るとまるで宗教画に出てくる天使のような、細い毛がくるりと巻いてる追田がこちらを見ていた。

「懐かしいなぁ。こうやってバスで通学してたよね。ほら、反対側にも僕たちが通ってた学校がそろそろ見えてくる頃合いだよ。」
 そう言うや否や、彼の癖っ毛の頭の向こうに、少し薄汚れた校舎がぼんやりと目に入る。
 成瀬はぼんやりとそれを眺めた。その時、今まで何の感情も湧かなかった心が霞がかり、ゆっくりとあの時の記憶を紡ぎ始めた。
 成瀬は微笑んで頷いた。
「懐かしいな。本当に。」
「うん。」
 不思議な気分だった。あの時はあんなに拒絶していた男とこうやって校舎を眺めて感慨深い気持ちになるなんて、当時の自分が見たらどう思うだろうか。
 今はあんなに苦しかった学校生活も幻にしなくてもいいんだと思えた。
 成瀬は自分たちが手がけた、追田がデザインした桜が散る歩道を、バスから眺めていた。


「成瀬くん。ここにする?」
 追田は砂浜にある黒い岩を指差した。成瀬は海風に髪を煽られながら頷いた。
「いいんじゃないか?」
 追田は早速、砂浜を歩く成瀬を凝視して描き始める。それを見て成瀬は思わず吹き出した。
「おい、まだ描いてないぞ。」
「いいじゃない。どんなポーズも参考になるんだから。」
 相変わらず熱心な男だ。そう思いながら目の前に広がる一面のコバルトブルーの大海を眺める。学生の頃、画用紙をくしゃくしゃに丸めた時の光景と重なった。

 あの頃の井の中の蛙へ

 あの時は大海を怖いと思ったし、どうしても大海の存在を信じたくなかった。ようやくそれを受け入れられるようになったかと思ったら、また違う大海を知って。ずっとそんなことの繰り返しをしている。
 途方もないし、その度に自分に嫌気がさすが、案外大海と一緒に生きていくのも悪くないって思えるくらいには自惚れるようになったつもりだ。


「成瀬くん!描き終わったよー!」
 元気良く追田がこちらに手を振っている。
「相変わらず集中力が高いな。もう描いたのか?」
 そう言いながら成瀬は追田の隣に座った。追田が見るからにワクワクしながら成瀬をキラキラした目で見ている。身体は大きくなっても、その目だけは何一つ変わっていないように感じた。

 やれやれと肩をすくめると、成瀬は膝の上に置いた黄色い表紙を捲る。すると、真っ白なページが顔を出した。

 成瀬は背筋を伸ばして、自分が今まで置いてきた幻を、再び追い始めることにした。
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