ちゃんちゃら

三旨加泉

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「ちゃんちゃら」66話

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「ちゃんちゃら」66話


 海斗が職場のドアを開くと、既に社員全員が揃っているようだった。一人を除いては。
「あの、流川さん、どうしたんですか?」
 海斗が土中に声を掛けると、土中は先程まで食い入るように見ていたパソコンから海斗へ視線を移した。
「あぁ、流川くん?今日はお休みだよ。」
「ヒートが酷くて熱が引かないんだって。」と海斗が聞きたいことを近くの椅子に腰掛けた池田先輩が代わりに答える。
「池田くん!プライバシーの侵害だよ!」
 池田先輩は知らん顔をしている。ヒート。流川も空島と同じように自分の生理現象に悩まされていることを痛感した。いつも元気そうにバスでお喋りしていた流川の顔が苦痛に歪むのが頭に浮かぶ。
 
 すると、海斗の背後からひょっこり水城が顔を出した。
「あの、土中班長。聞きたいことがあります。」
「もう流川くんの話を根掘り葉掘りは」
「違います。」
 そう言うと水城は小さなリボンがついた鞄から一つの青紫のケースを取り出した。海斗は思わずショルダーバッグを触る。四角い固いケースが手に当たり、心底ホッとする。
 水城はケースを開けることはしなかったが、土中に近寄って懇願する。
「あの、わたし婚約指輪を頂いたんです。付けて仕事してもよろしいですか?」
 水城がはにかみながら大事そうにリングケースをそっと抱きしめている。その様子を見て、気がついたら海斗はショルダーバッグから手を離していた。
「へー、おめでとう」と池田先輩もぶっきらぼうに祝福をしている。

 しかし、土中は腕を組んで天井と睨めっこしている。目を瞑ってずっと唸っていた。緊張しているのか、また汗が滲み始めている。
「うーん。指輪かぁ、ちょっとねぇ」
「ダメでしょうか」
 水城の眉が八の字になる。土中はいつものハンカチで汗を拭きながら謝罪する。
「ごめんね。オッケーしてあげたいんだけど、前にここで働いてた人でオシャレでつけてた指輪が梱包箱の中に入っちゃってね。そのまま取引先に行っちゃったことがあったの。」
 水城はガッカリと肩を落としていた。その様子は見ている側も憐れむほどだった。土中はさらに自分の汗を拭き続ける。
「水城家の指輪が紛失したなんて万が一があったら僕は、僕は!」と自分の想像で勝手に恐怖で慄いている土中を他所に、池田先輩はさっさと製品の入ったコンテナを持っていく。
「今日、流川いないんだから、ちゃっちゃとやるよー」

 皆、それぞれ椅子に座って仕事に移る。チラリと顔を上げて見ると、水城はもう通常通りの表情に戻り、仕事を再開していた。
 突然、隣に気配を感じたので横を見上げると土中がコンテナを持って立っていた。海斗が慌てて立ち上がると、土中はコンテナを机の上に置いた。
「海斗くん。もう見逃しも無いし、養成期間は終わりね。今日から一人前として仕事してもらいます。」
 そう言って微笑んだ土中の表情を見て、海斗は言い知れぬ喜びを覚えた。
「分からないことがあったら池田くんか僕に聞いてね。」

 土中がパソコンの前まで移動していくのを海斗は呆然と眺めていた。自分が戦力として数えられるのは嬉しかった。海斗は口角を少し上げながらコンテナから製品を手に取る。
 しかし、さっきの水城の指輪の話を思い出し、すぐに不安が心を襲った。
 
 順当にいけば、指輪を先に貰ったであろう自分が先に土中に指輪をつけて仕事をして良いか尋ねるべきではないか。それなのに、自分はいつまで経っても怖気付いて折角大地がくれた指輪をずっとケースの中に仕舞い込んでいる。
 検品しながら顔を上げ、水城を盗み見する。水城は背筋を伸ばし、丁寧な仕草で検品している。自信の溢れたその姿はどこか大地を彷彿とさせられる。良いところのお嬢様やお坊ちゃんはみんな似たような雰囲気なのだろうか。

ー俺も、同じような育ちの良さだったら自信を持って大地から指輪を受け取れたのだろうか。

 さっきのリングケースを手に持った水城の笑顔が頭に浮かぶのと同時に、指輪を渡した際の不安そうにした大地の顔が脳内にこびりついて離れなかった。

ーあんなに嬉しそうにしていたら、大地もきっと喜んだだろうな。安心しただろうな。

 大地の恋愛事情は既に聞いたはずなのに、未だに海斗の心は晴れないままだった。



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