ちゃんちゃら

三旨加泉

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「ちゃんちゃら」76話

「ちゃんちゃら」76話


「大地さんへの好意が揺らいでいるとか、そういった不安なんですか?」
 海斗は被りを振る。
「いや、全然好き。」
 清々しい返事に水城は笑っている。それを見て海斗はいま自分がなんて答えたのかを自覚して顔を赤らめた。
「話を聞く限り、大地さんも海斗さんをお好きなんでしょう?結婚に納得がいかないというのは、他に要因があるという事でしょうか。」
 水城の聞き方は無邪気な子どものような、または犯人を追い詰める取り調べの刑事のようにも思えた。
「大地は指輪の答えはいつまでも待つと言ってたけど、そういうわけにはいかないだろ?」
「でも、焦って出すような話でもないと思いますよ。」と水城は頬に人差し指を当てている。水城の言葉は温かいが、海斗は素直に納得できなかった。
「どうしても想像つかないんだ。俺があの家族の一員となってずっと過ごしてる様子が」
 水城は海斗を一瞥すると、静かに紅茶を飲み始めた。
「私も想像ついていませんよ。案外みんなそんなものかもしれませんね。」
 その言葉に少し海斗は安堵したが、今日の朝、不安そうにこちらを見ている大地の顔を思い出す。
「でも、俺すぐに大地を不安にさせるんだ。前はもっと自信家というか、相手に下手に出るようなタイプじゃなかったのに。俺が変えちゃったかもしれないんだ。」
「大地さん本人はそのことを後悔してるんですか?」
 海斗は首を振る。
「そんな様子は感じないけど、いずれは俺と一緒にいて後悔するかもしれない。俺、大地と育った環境も全然違うし。」
「それは、海斗さんのただの想像でしょう?未来はどうなるか、分かりませんよ」
「でも、おれ嘘ついたんだ、大地に。指輪が無くなったことも言わなかった。俺みたいなやつと一緒にいたら、みんな不幸になるんじゃないかって」

「海斗さん。」
 水城の名前を呼ぶ声にようやく我に返り、視線を落とす。紅茶に歪んだ自分の顔が映し出されているのを呆然と眺める。水城は呼吸が荒くなっている自分を見ながら、またカップに口をつける。
「さっきから海斗さん。他人のことばっかり気にしてますね。」
 海斗は波打つ紅茶の水面から落ち着いた様子でこちらを眺めている水城へ視線を移す。
「海斗さん、他人が幸せになることより、自分の幸せをまず考えませんか?海斗さんはみんなと一緒にいたいんですか?」
 海斗の頭には大地や大原、雫たち家族全員で食卓を囲んでいる光景が流れ込んでくる。皆、笑い合ったり顰めっ面をしたり、時には言い争いも一致団結もする。そんな海斗がよくテレビや物語で見かける理想の家族像がそこにはあった。
 目頭が熱くなってきたが、必死にそれを抑えながら海斗は頷いた。その様子を見て満足そうに水城は笑う。
「じゃあ、それでいいじゃないですか。」
「俺、幸せになっていいの?」
「海斗さんは幸せになってはいけないんですか?」
 海斗は水城のスコーンを食べる手を止めてしまったことに申し訳なさを感じる。
「だって、俺、生まれてくる子どもの、一人の、人生を。」
 そこまで言って口を噤み、黙りこくってしまった海斗に、水城は何か察したようだった。彼女も何も言わず、窓の外の風景を眺め始める。
 外は若いカップルが腕を組みながら歩いていたり、ベビーカーを押す夫婦が街を楽しげに観光している。店内もほとんどの客が学校や仕事、恋の話に花を咲かせていた。

「雫さん、大地の継母さんに言われたんだ。ちゃんとご飯を食べて向こうにいる子どもに栄養を与えなくちゃって。」
「雫さん、良い人ですよね。」と水城の手短な合いの手が入る。
「でも、俺が幸せになるっていうのは、違うと思うんだ。顔も見た事ないけど、きっと俺のこと恨んでると思うんだ。」
 水城が胸の前で手を組む。
「もし、死後の世界があるのだとしたら、俺が幸せになって、向こうでその子と会ったら、顔向けできないよ。」
 水城が一つ大きく息を吸って、側に置いてあったポットから紅茶を新たに注ぐ。
「じゃあ、なおさら海斗さんが幸せにならないといけないのでは?」

 海斗は自分に流れる時間が一瞬止まったような気がした。海斗はどう言えば良いか分からず、苦笑する。
「いや、ダメだろう」
「どうして?海斗さんの話を聞く限り、死後の世界に海斗さんがいつか行くとして、その子の恨み言をただ聞きに行くんですか?海斗さんはその子の親なんでしょう?」
 海斗のカップを持つ手が強くなる。

「では、まず海斗さんが幸せになって、その幸せをその子に教えてあげないと。何も親から教えてもらえないのではその子も可哀想だと私は思いますよ。」

 ここで初めて海斗は紅茶以外の自分の分の料理に手をつけた。クロテッドクリームは甘塩っぱく、スコーンには牛乳の優しい香りが漂っていた。そこに塩辛いような塩っぱい味が唇に触れた。

 海斗は泣いていた。

 店員さんも近くの席の人たちも目を丸くしながらこちらをチラチラ見てくる。周りからはまるでカップルが別れ話をしているかのように見えているのかもしれない。水城は堂々と紅茶のおかわりを頼んでいたので、恐らく冷酷に振った側だと思われているのだろう。
 しかし、泣きながら肩を小さく振るわせている海斗の口角はちゃんと上がっていた。


「今日はどうもお付き合い下さりありがとうございました。」と元気良く水城はこちらに頭を下げる。
「俺も、ありがとうございました。」
 海斗はまだ腫れが引いてない目で頭を下げる。外は夕方で、オレンジ色の日が二人を照らしていた。その時、一つの眩しい光が水城の目を眩ませた。

「あら。」
 目を開けた水城の顔はパアッと明るくなる。

「やっぱり!お似合いだと思ってたんです!」
 水城は頬に手を当てながら海斗をうっとりと眺めていた。しかし、すぐ真顔になって、海斗の顔を伺ってきた。
「あの、つかぬことをお聞きするのですが」
「ん?」と海斗は指輪を見ながら返事をする。
「海斗さんって、束縛されるのは許せる方なのですか?」
 海斗は指輪を夕日に照らして眺めてみる。指輪の花の模様がよく見えて綺麗だった。なんでもっと早くつけなかったのだろうと海斗は後悔すらしていた。
「束縛って今までに一度もされたことないからよく分からないなぁ。」
 その返事を聞いて水城は海斗の見えないところで苦笑していた。

 海斗は水城と別れた後、バスに乗ってる最中、ずっと自分の指輪を眺めていた。気恥ずかしいような、やはりさっきの水城の喜び様は少し大袈裟ではないか、と考えていた海斗だったが、この後、水城の数億倍は喜ぶ男の顔を数日間眺めることになるとは、海斗はこの時まだ考えもしていなかった。


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