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芸術

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 三人で紅茶を嗜むこと一時間ほどだろうか。
 数杯目の紅茶が空になったのを見計らって、メリアはカブに小さな紙切れを差し出した。
「カブさん、これ今回分の納品書ね。今日もいくつか頂きたいの」
「えぇ、全て自信のある商品だから、どれでも持って行っていいわよ。むしろ、メリアちゃんには売るんじゃなくて、あげたいくらいなのに」
 納品書を受け取り、それを懐にしまいながらカブが自分のティーカップを空にした。
「駄目よ。価値があるものだからこそ、しっかりと対価は払わないと。お金を受け取ってくれないなら、ここで仕入れをしないつもりなんだから」
「お父さんに似て、強情なんだから」
 小さく笑うカブが、俺たちのティーカップをお盆に載せて片付けようと席を立つ。
 またフラフラと歩かれてはいけない。今度はポットだけ持って、裏のキッチンまで運ぶのを手伝ってやった。
 裏のキッチンはとても狭い空間だったが、1人で使うのならちょうど良い広さだろう。ここも細かい所まで掃除が行き届いていた。シンクは買ったばかりのように輝いて、感心する俺の顔が反射して写っている。コンロも同様に綺麗に保たれ、ここの道具たちは幸せそのもののように思えた。

「ありがとうね、プロトくん。私がカップを洗うから、そこの布巾でふいてもらえるかしら?」
 カブが蛇口をひねり、勢いよくシンクに水がかかった。手にかかる飛沫が、レストランのものより遥かに冷たくて驚く。
「うちは井戸水を使っているから、とっても冷たいの。でも、これが気持ちよくて好きなのよ、私」
 慣れた手つきで洗われたカップを渡され、それを拭く。布巾越しに水滴の冷たさが浸透して、指先が気持ちいい。
「ありがとうね、プロトくん」
「どうってことねぇ。最高に美味い紅茶のお礼だ」
「ううん。洗い物のことじゃなくてね」
 カブはカップを洗う手を止めて、俺の顔を見た。
「メリアちゃんが楽しそうなの、ちょっと久しぶりに見たから」
「あいつはいつも楽しそうだぞ。ちょっと間抜けなくらい」
「それは、きっとあなたみたいな王子様に出会えたからかもね」
 カブの笑みは、冷やかしではなくて、安堵に近いものがあった。決して、年寄りの身勝手な心配というわけではなさそうだ。

「やめてくれ、俺は王子様じゃなくて、ただの護衛。お守りみたいなもんだ」
「でも、あの子の傍にいてくれるってことでしょう?」
 またカップを洗い始めた。
「あの子は少し、寂しい思いをしてたからね」
「そうか? レストランの皆なんて、毎日騒がしいし馴れ馴れしいしで、静かな時間の方が少ないくらいなのに」
「どれだけ親しくなろうとも、埋められない距離はあるものなのよ」
 カブが言う距離。
 それが何を意味するか分からず、首を傾げることしか出来なかった。
「あいつらが埋められないものを、俺が埋めるってか? まさか」
「私は、あなたが何でメリアちゃんの護衛をしているのか分からないから何とも言えないんだけどね」
 最後のカップを渡され、カブは水道の蛇口を締めた。
「何かあったら、こっそりうちに遊びに来なさい」
 そう言うカブの表情は、楽しそうに歯を見せて笑っていた。そして、シンクの下の戸棚をチラリと開けてみせる。
 その中には、大量の茶葉が保管されていた。
「たまには、年寄りの暇つぶしに付き合ってね」
「……まぁ、気が向いたらな」
 何が嫌って、茶葉を見ただけであの味を思い出し、口が寂しくなってしまう自分が恥ずかしかった。

 ☆

「カブさんと何を話してたの?」
 カブの店を出てから、メリアがお土産にもらったクッキーを齧りながら聞いてきた。
「特に内容もない会話だったから覚えてない」
 俺も貰っていたクッキーを齧る。
 あぁ……この絶妙なサクサク感……。余計な味付けのない、シンプルなクッキーなのに、いくつでも食べられそうな優しい味わいも相まって、またカブの紅茶が恋しくなってきた。
「また行こうね、プロト」
「あぁ、今度はカリメロやサンも連れてきてやろう。喜ぶぞ」
「サンはどうかな~。あんまり紅茶自体が好きじゃないし。カリメロなんて、カブさんの紅茶テクニックに対抗して変な火花が散るかも。あの子、あんな性格だけどメイドであることに誇りを持っているから」
 だから、とメリアはクッキーをひょいと口に放り込んだ。
「また二人で来よ?」
「気が向いたらな」
「とかいって、実はもうカブさんの紅茶が恋しくなってきたんでしょ?」
「そ、そんなことねぇよ!」
「嘘、だって私も恋しいもん」
 クッキーの欠片が付いた唇を舐める。うっすらと紅が塗られた唇が艶やかに光った。
「カブさんにお願いした商品に珈琲も入れておいたから、近々みんなにもティータイムを作ってあげないとね」
「マグナムは、珈琲より酒の方が喜ぶだろうがな」
「あんまり飲まして酔われても困るんだけどね……」
「そん時は俺が家まで運んでやるよ。これでも一般人よりは力持ちに設計されてんだから、たまには活用しないとな」
「護衛が酔っ払いの介護ってのも変な話だよね」
「ま、今から山のような調味料を運んでもらうんだ。少しくらい良いだろ」

 カブに注文した調味料はざっと一か月分。それに加え、珍しい食料や珈琲などの嗜好品も含まれ、それを全て運ぶのは馬車が必要なほどである。だから今日は依頼書をカブに渡しただけで、後日マグナムらに取りに行かせるようになっている。
 当然紅茶は依頼していない。あの味は、カブにしか作れないからだ。

「さて、お昼ご飯はどうするよ」
「う~ん、時間的には良いタイミングなんだけど、紅茶もいっぱい飲んだし、クッキーも食べたしなぁ」
 メリアが、ほっそりとしたお腹をさする。見た目には全く分からないが、メリアもお腹が減っているわけではないようだ。
「てか、昼ってなんか無かったか? 忘れちゃいけない大事なことが」
「ん~確かに言われてみれば、そんなこともあったような……」
 顎に指をあてて、小さく傾げた。記憶を頑張って遡ろうとしているようだが、それが功を制すことは無さそうだ。
「プロトは覚えてないの? そのお利口なバックアップに残ってない?」
「嫌味な言い方に反論してやりたい気持ちはやまやまだが、そもそも本腰入れて話を聞いていなかったから記録以前の問題だ」
「そういう所だけ人間に忠実な作りなのね」
 これ見よがしに舌を出して抗議してきたので、メリアの綺麗な小鼻を軽く摘まんでやった。わちゃわちゃと慌てる姿が子供のように可愛らしくて、この景色だけはしっかりと、お利口なバックアップに残しておくことにする。
「今のは忘れて! 今のは絶対に忘れて!」
 痛くないはずなのに、鼻をさすりながらポコポコとメリアは叩いてくる。下手に鍛えられているから、地味に痛いがまだ可愛げがあるってもんだ。

「はいはい、忘れる忘れる。それより、今からどうするよ」
「そうねぇ、どっか景色の良い所でも紹介してあげたいけど、どこが良いかなぁ」
 頭を抱えるメリアが、ろくに前を見ずに曲がり角を曲がった。
 そのせいで、出会いがしらに男とぶつかってしまった。
「あ、ごめんなさい!」
 ふらつくメリアが咄嗟に謝る。俺もメリアの腰に手を添えながら、相手の男の方へと目をやる。
 相手は、見覚えのあるカラフルな男だった。

「おっと! こちらこそごめんなさい。少し考え事をしていたもので……って、君たちはレストランのウェイターさんとお嬢さんじゃないか」
 相手は、昨日レストランでサンと飲み明かした、カリメロに熱烈なペンキ男だった。今日も、服装自体はジーパンに白シャツではあるが、どれもカラフルな塗料まみれになっている。
「お前は昨夜の。二日酔いは無さそうで何よりだ」
「朝起きてすぐは酷かったけどね……でも、彼とはまた話してみたいものだよ。彼は世界の美しいものに対して疎すぎるんだ」
「画家に美しさを問われちゃ、参っちまうからお手柔らかにしてやってくれ」
「彼にも響くような絵が描ければ文句ないんだけどね、僕が」
 自虐的なセリフの割に、その笑顔は曇りのないまっすぐなものだった。この男は、本当に心を隠さない表現者なんだなと感じられる。
「ウェイターさんとお嬢さんは、今日はデートかい?」
「違う。ただの買い出しさ」
「そうなのかい?」
 男はメリアの顔を見て、納得できないような表情で口を尖らせた。
「ウェイターさんも、世界の美しいものに対して敏感になるべきだよ」
「あいにく俺はアンドロイドなんでね」
「感性なんて、人間だってアンドロイドだって後天的なものさ」

 ニッコリと微笑み、改めてメリアの方へ向き直った。
「それより、ぶつかってごめんよ、お嬢さん。どこか怪我してないかい? ペンキは今日のじゃないから、そのお洒落な服には付いてないと思うけど」
「えぇ、少しふらついたけど、全然大丈夫。こちらこそごめんなさい。私も考え事をしていたの」
「そうなんだ! お互い考え事をしていたなんて、偶然だね」
 なんてことを言いながら、メリアと軽く握手をかわした。
「考え事なんて誰でもするだろ。偶然でも何でもないわ」
 特にどちらに言うでもなく、口をついていた。

「お嬢さんは、何を考えていたの?」
「今日はプロトとお休みを貰ったから、どこか連れて行ってあげたいんだけど、どこか良い所が無いかって考えていたのよ」
「プロト? あぁ、ウェイターさんか」
 俺の方を見てきたので、無言で頷く。

「あ! じゃあ、ぜひ来てほしい所があるんだ! 美しいものが沢山ある、素晴らしい場所だよ!」
 手を叩いて提案する男は、純粋無垢な目を更に輝かせ、メリアの手を取った。
「え、えっと、それはどこかしら?」
 戸惑いながらメリアが聞いた。片方の眉がつり上がっていた。

「僕の個展だよ! 個展といっても、勝手に作品を並べてるだけだけど」

 ☆

 一言でいえば、悲惨だった。
 連れてこられたのは、また人通りの少ない空き地のような場所だったが、そこにはざっと二十程、キャンバスが並べられていたのだろう。

 その全てが、へし折られ、踏み砕かれ、打ち砕かれていた。
 ひしゃげた絵画たちは、美しかったであろう色彩や情景を侵されて泣いている。足元に転がる『リンドウ展』と書かれた安っぽい看板にも、複数人の足跡が付いていた。
「あちゃ、またか」
 立ちすくむ俺とメリアを他所に、男は少し引きつった笑いをしながら、その破片を拾い始めた。
「いや~、ごめんね。本当は僕の力作を紹介したかったんだけど」
「いやいや待て待て。なんなんだよ、これ」
 今目の前に広がる景色の、全てが気味悪かった。
 人の努力が踏みにじられ、放置され。
 それを、本人が笑いながら片付ける。
 
 破壊行動をした奴らもイカレているが、こいつもイカレている。
「なんで怒らないんだよ」
「怒ってるよ」
「なんで笑ってるんだよ」
「それが僕の作品たちの願いだからさ」
 振り向かず、延々と壊れた作品をかき集めていた。
「僕の作品は、人を感動させるために生まれてきた。美しさを知ってもらうために生まれてきた。笑顔にするために生まれてきた。だったら、彼らの前で怒りを露わにした所で、彼らに失礼じゃないか」
 壊れたキャンパスを抱きしめ、今度は引きつらずに微笑んだ。
「少なくとも、今は作品たちに感謝の気持ちを抱きながら片付けたいんだ」

 大事な物を壊されて笑っている馬鹿だと思った。
 そんなんだから壊されるんだ。
 それに、この残骸を見て『またか』と言っていた。これで何度目なんだ。
「お前、本当に馬鹿だと思うわ」
 倒れた看板を地面に突き立て、汚れを手で叩き落とす。これは踏まれただけで、壊された様子がないのは幸いだった。
「本当に作品に申し訳ないと思うなら、守ることもしてやれ」
「ははっ、それは何も言い返せないな」
  
 かき集めたキャンバスたちは空き地の隅に無造作に集められた。今日の夕方に焼くようだ。
「ありがとうね、手伝ってくれて」
「おう」
「君たちには何かお礼をしないといけないね」
「気にすんな。俺もメリアも、そんなのが欲しくてやったわけじゃない」
「えぇ、そうそう。こういう時はお互い様よ」
「そう言うけど、君たちが僕の立場だったら『はいそうですか』って言える?」
 何か言い返そうかと思ったが、何も言えない。
 メリアも同じようで、困ったような顔をしていた。

「安心してよ。僕にとっても価値のあるお礼をするから」
 
 男は、空き地の茂みの中から、まだ何も描かれていない真っ白なキャンバスを取り出した。小脇に抱えられるほどの大きさのキャンバスを立てるための三脚も取り出し、空き地の真ん中に設置した。
「一時間もらえるかな? 君たちを描くから、受け取ってほしいんだ。リンドウ展のオーナー、この僕リンドウの絵を」

 俺とメリアは顔を見合わせ、何も言わずに笑いあった。
「椅子を貸してもらえるか? 立ちっぱなしで一時間は骨が折れるからな」
「勿論!」

 そうして、真っ白なキャンバスの上を筆が踊り始めた。
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