『伝説の剣も魔法もなし! 営業カバン片手に異世界営業、仲間は胡散臭い商人と肉食獣人少女!』

じろう

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第25話 天空の巨影、落ちる影

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『帳簿記録:開店休業。売上ゼロ。……頭上の巨体が落とす影は、日差しだけでなく、客足まで遮るらしい』

 その日の夜明け前。  グランツ商会支部の応接室に、人目を忍ぶように入室する男がいた。  学院の実利派教授、ベルンだ。  彼は不機嫌そうに、豪奢なソファに深々と腰を下ろした。

「……何の用だ、ヴェルナー君。私は多忙なんだ。学院の来訪に合わせて、君たちの納品データの改ざん……いや、『調整』をしてやらねばならんのでな」

 ベルンは皮肉な笑みを浮かべ、葉巻をくゆらせた。  対面に座る策士ヴェルナーは、表情を変えずに一枚の書類をテーブルに滑らせた。

「先生。その『調整』が、全て無駄になるかもしれませんよ」

「……何?」

「市場に、妙な小商人が現れましてね。『純度100%の黒魔銀』を扱っているのです」

 ヴェルナーの言葉に、ベルンの眉がピクリと跳ねた。

「馬鹿な。原石の流通は全て君たちが管理しているはずだ。それに、純度100%など……」

「事実です。獣人の村から直接仕入れた本物です。……もし、これが学院の監査の目に留まればどうなりますか?」

 ヴェルナーは、チェスの駒をもてあそびながら、冷ややかに告げた。

「我々が納品しているインクが、混ぜ物だらけの『希釈品』であることがバレる。……そうなれば、そのインクの品質を保証し、マージンを受け取っている『担当教授』の立場も……危ういのでは?」

 ベルンの顔色が変わった。  葉巻を持つ手が微かに震える。  彼は知っているのだ。本物が出回れば、自分たちの不正(偽装)が白日の下に晒されることを。

「……脅すつもりか?」

「とんでもない。共存共栄のための提案ですよ」

 ヴェルナーは、もう一枚の羊皮紙を差し出した。  それは、まだ署名のない『学院令』の草案だった。

「先生の権限で、この規定を即日発効してください。『未認可の素材を危険物として排除する』……これさえあれば、我々は正義の御旗の下に、あの小商人を合法的に潰せます」

 ベルンは書類をひったくるように手に取り、内容を一読した。  そして、ニヤリと卑しい笑みを浮かべた。

「……なるほど。『防疫措置』というわけか。市民の安全を守るためなら、多少強引な法改正もやむを得まい」

「ええ。報酬はいつもの口座に。……頼みましたよ、先生」

 握手が交わされる。  その手は、冷たく湿っていた。  こうして、巨大な参入障壁(エントリー・バリア)は築かれた。  保身と欲にまみれた、二人の男の手によって。



 翌朝。  ノワルマルシュの市場は、死んだように冷え込んでいた。

 見上げれば、空を覆う白亜の船底。  高度を下げた『アルカ浮遊魔導学院』の巨大な質量が、太陽を完全に遮断している。  本来なら活気に満ちているはずの昼下がりだというのに、石畳は薄暗く、湿った苔のような冷気が足元から這い上がってくる。

 まるで、街全体が巨大な蓋をされた瓶詰めの中にある気分だ。

「……お客さん、来ないね」

 ミナが退屈そうにカウンターに顎を乗せ、力なく尻尾を揺らす。  彼女の鼻先が、ピクリとも動かない。  それは、街から「購買意欲」という熱が消え失せている証拠だった。

「ああ。……それどころか、視線が痛いな」

 俺は陳列台に並べた『黒魔銀(サンプル)』を布で拭きながら、周囲の様子を伺う。  遠巻きにこちらを見る人々。  その目は、昨日までの「期待」ではなく、「恐怖」と「猜疑心」に濁っていた。

 ヒソヒソと交わされる囁き声が、風に乗って鼓膜を撫でる。

『……あれだろ? 呪いの石って』 『獣人が森の奥で拾ってきたらしいぞ。触ると手が腐るとか……』 『昨日、ランプが爆発したって子供が泣いてたわよ』

 ライルが帽子を目深にかぶり直し、舌打ちをした。

「……仕事が早ぇな、策士殿は。一晩でここまで『空気』を作り変えるとは」

 俺は唇を噛んだ。  品質には絶対の自信がある。  だが、市場という生き物は、真実よりも「空気」で呼吸する。  一度貼られた「危険物」というレッテルは、どれだけ高品質な証明書よりも重い。

 その時だった。  市場の人混みが、モーゼの海のように割れた。

 カツン、カツン、カツン。

 硬質な足音が、静まり返った広場に響く。  現れたのは、純白の制服に身を包んだ一団。  胸元には、天秤とペンを模した銀の刺繍――『アルカ浮遊魔導学院』の紋章。

 その先頭を歩く男が、俺たちの露店の前で足を止めた。  神経質そうな細縁の眼鏡。整えられた髭。  そして、白衣の袖口からチラリと覗く、アカデミックな場には不釣り合いなほど豪奢な金時計。

 ミナが背中の毛を逆立て、低く唸った。 「……嫌な匂い。インクと、消毒薬と……あと、甘ったるい香水の匂いがする」

 男はハンカチで鼻を覆いながら、陳列台の『黒魔銀』を一瞥した。  まるで、汚物を見るような目つきで。

「……ここか。未認可の危険物質を垂れ流している、悪質な露店というのは」

 男の声は、よく通るバリトンだった。  周囲の野次馬に聞かせるように、わざとらしく声を張り上げる。

「私はアルカ浮遊魔導学院、実利派教授のベルンだ。当学院の管轄下にある魔導素材市場において、重大な汚染源が確認されたため、監査に来た」

「汚染源……?」

 俺はカウンター越しに身を乗り出した。

「言いがかりはやめていただきたい。我々の商品は、正規の手続きで仕入れた純度100%の――」

「黙りたまえ」

 ベルン教授は、俺の言葉を手で制した。  会話をする気など端からない。  彼は後ろに控えていた警備兵に顎をしゃくった。

「即刻、没収しろ。市場の安全を守るためだ」

 警備兵たちが土足で店内に踏み込み、商品を粗雑に麻袋へと詰め込み始める。  袋の中で、貴重な鉱石がぶつかり合い、砕ける音がした。

「やめろ! 商品だぞ!」

 ライルが警備兵の腕を掴む。  だが、ベルン教授は冷ややかに告げた。

「公務執行妨害で拘束してもいいのだぞ? ……君たちは理解していないようだが、これは『商取引』ではない。『防疫措置』だ」

「防疫……だと?」

「そうだ。君たちの扱うその黒い石は、学院の定める『安全基準』を満たしていない。成分分析表もなければ、魔力安定性の証明書もない」

 ベルンは懐から一枚の羊皮紙を取り出し、俺の目の前に突きつけた。  そこには、真新しいインクで『学院令第408号:魔導触媒取扱規定の改定』と書かれていた。

「我々は否定しているわけではないよ。ただ、『現時点では安全性が確認されていない』と言っているだけだ」

ベルンは薄く笑った。  その時、彼が袖口の金時計を気にするように一瞥したのを、俺は見逃さなかった。  ……なるほど、忙しいわけだ。この後の「接待」か何かが控えているらしい。  規則(ルール)の仮面を被っているが、その下にあるのはただの俗物的な欲だ。

「なっ……!?」

 俺は絶句したフリをして、内心で舌を巻いた。  日付は、今日だ。  俺たちが店を開く直前に、彼らは「ルール」そのものを書き換えたのだ。

「そんな後出しジャンケンが通るか! ここはリュミエール王国だぞ! 学院の校則なんか知るかよ!」

 ライルが吠える。  だが、ベルンは嘲るように鼻を鳴らした。

「無知とは哀れだな。魔導に関する事案においては、学院の『学術的見解』は各国の法に優先する条約がある。……危険な魔道具の暴走を防ぐため、な」

 その言葉に、周囲の客たちが青ざめて頷く。  「やっぱり危険なんだ」「学院様が言うなら間違いない」  空気が、完全に固まった。

 これが、参入障壁(エントリー・バリア)。  大企業が新規参入者を潰す時に使う、最も洗練された凶器。  「質」でも「価格」でもなく、「ルール」で殺すやり方だ。

「待ちなさい!」

 人垣をかき分け、イレーネさんが駆けつけてきた。  いつも冷静な彼女が、今は肩で息をしている。

「ベルン教授! 商人ギルドを通さずに、市場での強制執行は越権行為です! 彼らは正規の登録商人であり――」

「おや、ギルドの受付嬢か」

 ベルンはイレーネを一瞥し、興味なさそうに言った。

「ギルドは『商人』を守る組織だろう? だが、彼らは『毒物』をばら撒く犯罪者予備軍だ。……それとも何か? 商人ギルドは、市民の安全よりも小銭を優先すると?」

「それは……っ」

 イレーネが言葉に詰まる。 だが、彼女は引き下がるフリをして、すれ違いざまに俺の耳元で早口に囁いた。

「……没収品の『廃棄処分』までは、事務処理上24時間の猶予があります。私が書類を遅らせます。……それまでに、何とかしてください」

 俺は目を見開いた。  イレーネさんは、諦めていなかった。  彼女のできるギリギリの範囲で、「時間」という武器を俺たちに渡してくれたのだ。

「さあ、持っていけ。塵一つ残すな」

 ベルンの号令で、最後の一袋が荷車に積まれた。  俺たちの希望だった『黒い黄金』が、ただの『廃棄物』として運び去られていく。

 ベルン教授は去り際に、俺の耳元で低く囁いた。

「……グランツ商会の『策士』殿によろしくな。君のような野良犬が、象牙の塔に足を踏み入れようなど……身の程を知るがいい」

 白衣の背中が遠ざかる。  その後ろ姿は、空に浮かぶ巨大船と同じくらい高く、遠く、そして冷たかった。

 残されたのは、空っぽの台と、冷え切った視線だけ。  頭上の巨体が落とす影は、俺たちの足元まで黒く染め上げていた。

「…………」

 ミナは、何も言わなかった。  ただ、空になった陳列台をじっと見つめている。  怒りもせず、泣きもせず、ただ静かに。

 その瞳から、光が消えている。  彼女が怒らないことの方が、俺には辛かった。  彼女は理解してしまったのだ。この世界には、正しいことをしても、汚い理屈で踏みにじられる瞬間があるということを。

「……忘れない」

 ミナが、ポツリと呟いた。  その声は小さかったが、背筋が凍るような冷たさを孕んでいた。

「さっきの人。……嘘の匂いがした」

 彼女はベルンが消えた方向を睨み据えていた。  その横顔は、ただの無邪気な少女のものではない。獲物の急所を記憶する、誇り高き獣人のそれだった。

「……くそっ」

 俺は拳を、陳列台に叩きつけた。  痛みが走る。だが、胸の奥の痛みには及ばない。

 これが、「権威」か。  俺たちが積み上げた数字も、品質も、想いも。  奴らが紙切れ一枚にサインするだけで、すべて無価値にされる。

 かつての会社の会議室で味わった無力感が、喉の奥までせり上がってくる。  だが。

 (……ここで折れたら、あの時と同じだ)

俺は震える手で、営業カバンを握り直した。  中にはまだ、ミナの両親から貰った干し肉と、さっきベルンが突きつけてきた『学院令の写し』が入っている。

俺は、その羊皮紙を睨みつけた。  営業マン時代、契約書の「裏」を読み込むのは日常茶飯事だった。  どんなに鉄壁に見える契約にも、必ず「例外」や「特記事項」という名の抜け穴がある。

 『学院令第408号:魔導触媒取扱規定の改定』  ――未認可物の流通を禁止する。  ――ただし、本規定は『研究目的の試験運用』には適用されないものとする。

 俺の目が、その一行に釘付けになった。

 「……壁があるなら、扉もあるはずだ」

俺は顔を上げた。  正面玄関が閉ざされているなら、裏口を探せばいい。  この規定には、「学院内部の研究」という名目があれば通るという例外がある。

 そして俺たちは知っている。  この『黒魔銀』を、喉から手が出るほど欲しがっている人物を。

「ライル、ミナ。……『潜入(セールス)』の準備だ」

 俺の言葉に、二人が顔を上げる。

「あの時、街道の片隅で、壊れた魔導具を抱えて泣きそうになっていた、あの学生。……彼なら、この『研究目的』という抜け穴に、命がけで食いつくはずだ」

 俺は空に浮かぶ巨船を見上げた。  その圧倒的な威容も、今は攻略すべき「取引先」にしか見えない。

「イレーネさんがくれた時間は24時間。……その間に、俺たちの商品を『廃棄物』から『希望』に変えてくる」
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