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第25話 天空の巨影、落ちる影
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『帳簿記録:開店休業。売上ゼロ。……頭上の巨体が落とす影は、日差しだけでなく、客足まで遮るらしい』
その日の夜明け前。 グランツ商会支部の応接室に、人目を忍ぶように入室する男がいた。 学院の実利派教授、ベルンだ。 彼は不機嫌そうに、豪奢なソファに深々と腰を下ろした。
「……何の用だ、ヴェルナー君。私は多忙なんだ。学院の来訪に合わせて、君たちの納品データの改ざん……いや、『調整』をしてやらねばならんのでな」
ベルンは皮肉な笑みを浮かべ、葉巻をくゆらせた。 対面に座る策士ヴェルナーは、表情を変えずに一枚の書類をテーブルに滑らせた。
「先生。その『調整』が、全て無駄になるかもしれませんよ」
「……何?」
「市場に、妙な小商人が現れましてね。『純度100%の黒魔銀』を扱っているのです」
ヴェルナーの言葉に、ベルンの眉がピクリと跳ねた。
「馬鹿な。原石の流通は全て君たちが管理しているはずだ。それに、純度100%など……」
「事実です。獣人の村から直接仕入れた本物です。……もし、これが学院の監査の目に留まればどうなりますか?」
ヴェルナーは、チェスの駒をもてあそびながら、冷ややかに告げた。
「我々が納品しているインクが、混ぜ物だらけの『希釈品』であることがバレる。……そうなれば、そのインクの品質を保証し、マージンを受け取っている『担当教授』の立場も……危ういのでは?」
ベルンの顔色が変わった。 葉巻を持つ手が微かに震える。 彼は知っているのだ。本物が出回れば、自分たちの不正(偽装)が白日の下に晒されることを。
「……脅すつもりか?」
「とんでもない。共存共栄のための提案ですよ」
ヴェルナーは、もう一枚の羊皮紙を差し出した。 それは、まだ署名のない『学院令』の草案だった。
「先生の権限で、この規定を即日発効してください。『未認可の素材を危険物として排除する』……これさえあれば、我々は正義の御旗の下に、あの小商人を合法的に潰せます」
ベルンは書類をひったくるように手に取り、内容を一読した。 そして、ニヤリと卑しい笑みを浮かべた。
「……なるほど。『防疫措置』というわけか。市民の安全を守るためなら、多少強引な法改正もやむを得まい」
「ええ。報酬はいつもの口座に。……頼みましたよ、先生」
握手が交わされる。 その手は、冷たく湿っていた。 こうして、巨大な参入障壁(エントリー・バリア)は築かれた。 保身と欲にまみれた、二人の男の手によって。
◇
翌朝。 ノワルマルシュの市場は、死んだように冷え込んでいた。
見上げれば、空を覆う白亜の船底。 高度を下げた『アルカ浮遊魔導学院』の巨大な質量が、太陽を完全に遮断している。 本来なら活気に満ちているはずの昼下がりだというのに、石畳は薄暗く、湿った苔のような冷気が足元から這い上がってくる。
まるで、街全体が巨大な蓋をされた瓶詰めの中にある気分だ。
「……お客さん、来ないね」
ミナが退屈そうにカウンターに顎を乗せ、力なく尻尾を揺らす。 彼女の鼻先が、ピクリとも動かない。 それは、街から「購買意欲」という熱が消え失せている証拠だった。
「ああ。……それどころか、視線が痛いな」
俺は陳列台に並べた『黒魔銀(サンプル)』を布で拭きながら、周囲の様子を伺う。 遠巻きにこちらを見る人々。 その目は、昨日までの「期待」ではなく、「恐怖」と「猜疑心」に濁っていた。
ヒソヒソと交わされる囁き声が、風に乗って鼓膜を撫でる。
『……あれだろ? 呪いの石って』 『獣人が森の奥で拾ってきたらしいぞ。触ると手が腐るとか……』 『昨日、ランプが爆発したって子供が泣いてたわよ』
ライルが帽子を目深にかぶり直し、舌打ちをした。
「……仕事が早ぇな、策士殿は。一晩でここまで『空気』を作り変えるとは」
俺は唇を噛んだ。 品質には絶対の自信がある。 だが、市場という生き物は、真実よりも「空気」で呼吸する。 一度貼られた「危険物」というレッテルは、どれだけ高品質な証明書よりも重い。
その時だった。 市場の人混みが、モーゼの海のように割れた。
カツン、カツン、カツン。
硬質な足音が、静まり返った広場に響く。 現れたのは、純白の制服に身を包んだ一団。 胸元には、天秤とペンを模した銀の刺繍――『アルカ浮遊魔導学院』の紋章。
その先頭を歩く男が、俺たちの露店の前で足を止めた。 神経質そうな細縁の眼鏡。整えられた髭。 そして、白衣の袖口からチラリと覗く、アカデミックな場には不釣り合いなほど豪奢な金時計。
ミナが背中の毛を逆立て、低く唸った。 「……嫌な匂い。インクと、消毒薬と……あと、甘ったるい香水の匂いがする」
男はハンカチで鼻を覆いながら、陳列台の『黒魔銀』を一瞥した。 まるで、汚物を見るような目つきで。
「……ここか。未認可の危険物質を垂れ流している、悪質な露店というのは」
男の声は、よく通るバリトンだった。 周囲の野次馬に聞かせるように、わざとらしく声を張り上げる。
「私はアルカ浮遊魔導学院、実利派教授のベルンだ。当学院の管轄下にある魔導素材市場において、重大な汚染源が確認されたため、監査に来た」
「汚染源……?」
俺はカウンター越しに身を乗り出した。
「言いがかりはやめていただきたい。我々の商品は、正規の手続きで仕入れた純度100%の――」
「黙りたまえ」
ベルン教授は、俺の言葉を手で制した。 会話をする気など端からない。 彼は後ろに控えていた警備兵に顎をしゃくった。
「即刻、没収しろ。市場の安全を守るためだ」
警備兵たちが土足で店内に踏み込み、商品を粗雑に麻袋へと詰め込み始める。 袋の中で、貴重な鉱石がぶつかり合い、砕ける音がした。
「やめろ! 商品だぞ!」
ライルが警備兵の腕を掴む。 だが、ベルン教授は冷ややかに告げた。
「公務執行妨害で拘束してもいいのだぞ? ……君たちは理解していないようだが、これは『商取引』ではない。『防疫措置』だ」
「防疫……だと?」
「そうだ。君たちの扱うその黒い石は、学院の定める『安全基準』を満たしていない。成分分析表もなければ、魔力安定性の証明書もない」
ベルンは懐から一枚の羊皮紙を取り出し、俺の目の前に突きつけた。 そこには、真新しいインクで『学院令第408号:魔導触媒取扱規定の改定』と書かれていた。
「我々は否定しているわけではないよ。ただ、『現時点では安全性が確認されていない』と言っているだけだ」
ベルンは薄く笑った。 その時、彼が袖口の金時計を気にするように一瞥したのを、俺は見逃さなかった。 ……なるほど、忙しいわけだ。この後の「接待」か何かが控えているらしい。 規則(ルール)の仮面を被っているが、その下にあるのはただの俗物的な欲だ。
「なっ……!?」
俺は絶句したフリをして、内心で舌を巻いた。 日付は、今日だ。 俺たちが店を開く直前に、彼らは「ルール」そのものを書き換えたのだ。
「そんな後出しジャンケンが通るか! ここはリュミエール王国だぞ! 学院の校則なんか知るかよ!」
ライルが吠える。 だが、ベルンは嘲るように鼻を鳴らした。
「無知とは哀れだな。魔導に関する事案においては、学院の『学術的見解』は各国の法に優先する条約がある。……危険な魔道具の暴走を防ぐため、な」
その言葉に、周囲の客たちが青ざめて頷く。 「やっぱり危険なんだ」「学院様が言うなら間違いない」 空気が、完全に固まった。
これが、参入障壁(エントリー・バリア)。 大企業が新規参入者を潰す時に使う、最も洗練された凶器。 「質」でも「価格」でもなく、「ルール」で殺すやり方だ。
「待ちなさい!」
人垣をかき分け、イレーネさんが駆けつけてきた。 いつも冷静な彼女が、今は肩で息をしている。
「ベルン教授! 商人ギルドを通さずに、市場での強制執行は越権行為です! 彼らは正規の登録商人であり――」
「おや、ギルドの受付嬢か」
ベルンはイレーネを一瞥し、興味なさそうに言った。
「ギルドは『商人』を守る組織だろう? だが、彼らは『毒物』をばら撒く犯罪者予備軍だ。……それとも何か? 商人ギルドは、市民の安全よりも小銭を優先すると?」
「それは……っ」
イレーネが言葉に詰まる。 だが、彼女は引き下がるフリをして、すれ違いざまに俺の耳元で早口に囁いた。
「……没収品の『廃棄処分』までは、事務処理上24時間の猶予があります。私が書類を遅らせます。……それまでに、何とかしてください」
俺は目を見開いた。 イレーネさんは、諦めていなかった。 彼女のできるギリギリの範囲で、「時間」という武器を俺たちに渡してくれたのだ。
「さあ、持っていけ。塵一つ残すな」
ベルンの号令で、最後の一袋が荷車に積まれた。 俺たちの希望だった『黒い黄金』が、ただの『廃棄物』として運び去られていく。
ベルン教授は去り際に、俺の耳元で低く囁いた。
「……グランツ商会の『策士』殿によろしくな。君のような野良犬が、象牙の塔に足を踏み入れようなど……身の程を知るがいい」
白衣の背中が遠ざかる。 その後ろ姿は、空に浮かぶ巨大船と同じくらい高く、遠く、そして冷たかった。
残されたのは、空っぽの台と、冷え切った視線だけ。 頭上の巨体が落とす影は、俺たちの足元まで黒く染め上げていた。
「…………」
ミナは、何も言わなかった。 ただ、空になった陳列台をじっと見つめている。 怒りもせず、泣きもせず、ただ静かに。
その瞳から、光が消えている。 彼女が怒らないことの方が、俺には辛かった。 彼女は理解してしまったのだ。この世界には、正しいことをしても、汚い理屈で踏みにじられる瞬間があるということを。
「……忘れない」
ミナが、ポツリと呟いた。 その声は小さかったが、背筋が凍るような冷たさを孕んでいた。
「さっきの人。……嘘の匂いがした」
彼女はベルンが消えた方向を睨み据えていた。 その横顔は、ただの無邪気な少女のものではない。獲物の急所を記憶する、誇り高き獣人のそれだった。
「……くそっ」
俺は拳を、陳列台に叩きつけた。 痛みが走る。だが、胸の奥の痛みには及ばない。
これが、「権威」か。 俺たちが積み上げた数字も、品質も、想いも。 奴らが紙切れ一枚にサインするだけで、すべて無価値にされる。
かつての会社の会議室で味わった無力感が、喉の奥までせり上がってくる。 だが。
(……ここで折れたら、あの時と同じだ)
俺は震える手で、営業カバンを握り直した。 中にはまだ、ミナの両親から貰った干し肉と、さっきベルンが突きつけてきた『学院令の写し』が入っている。
俺は、その羊皮紙を睨みつけた。 営業マン時代、契約書の「裏」を読み込むのは日常茶飯事だった。 どんなに鉄壁に見える契約にも、必ず「例外」や「特記事項」という名の抜け穴がある。
『学院令第408号:魔導触媒取扱規定の改定』 ――未認可物の流通を禁止する。 ――ただし、本規定は『研究目的の試験運用』には適用されないものとする。
俺の目が、その一行に釘付けになった。
「……壁があるなら、扉もあるはずだ」
俺は顔を上げた。 正面玄関が閉ざされているなら、裏口を探せばいい。 この規定には、「学院内部の研究」という名目があれば通るという例外がある。
そして俺たちは知っている。 この『黒魔銀』を、喉から手が出るほど欲しがっている人物を。
「ライル、ミナ。……『潜入(セールス)』の準備だ」
俺の言葉に、二人が顔を上げる。
「あの時、街道の片隅で、壊れた魔導具を抱えて泣きそうになっていた、あの学生。……彼なら、この『研究目的』という抜け穴に、命がけで食いつくはずだ」
俺は空に浮かぶ巨船を見上げた。 その圧倒的な威容も、今は攻略すべき「取引先」にしか見えない。
「イレーネさんがくれた時間は24時間。……その間に、俺たちの商品を『廃棄物』から『希望』に変えてくる」
その日の夜明け前。 グランツ商会支部の応接室に、人目を忍ぶように入室する男がいた。 学院の実利派教授、ベルンだ。 彼は不機嫌そうに、豪奢なソファに深々と腰を下ろした。
「……何の用だ、ヴェルナー君。私は多忙なんだ。学院の来訪に合わせて、君たちの納品データの改ざん……いや、『調整』をしてやらねばならんのでな」
ベルンは皮肉な笑みを浮かべ、葉巻をくゆらせた。 対面に座る策士ヴェルナーは、表情を変えずに一枚の書類をテーブルに滑らせた。
「先生。その『調整』が、全て無駄になるかもしれませんよ」
「……何?」
「市場に、妙な小商人が現れましてね。『純度100%の黒魔銀』を扱っているのです」
ヴェルナーの言葉に、ベルンの眉がピクリと跳ねた。
「馬鹿な。原石の流通は全て君たちが管理しているはずだ。それに、純度100%など……」
「事実です。獣人の村から直接仕入れた本物です。……もし、これが学院の監査の目に留まればどうなりますか?」
ヴェルナーは、チェスの駒をもてあそびながら、冷ややかに告げた。
「我々が納品しているインクが、混ぜ物だらけの『希釈品』であることがバレる。……そうなれば、そのインクの品質を保証し、マージンを受け取っている『担当教授』の立場も……危ういのでは?」
ベルンの顔色が変わった。 葉巻を持つ手が微かに震える。 彼は知っているのだ。本物が出回れば、自分たちの不正(偽装)が白日の下に晒されることを。
「……脅すつもりか?」
「とんでもない。共存共栄のための提案ですよ」
ヴェルナーは、もう一枚の羊皮紙を差し出した。 それは、まだ署名のない『学院令』の草案だった。
「先生の権限で、この規定を即日発効してください。『未認可の素材を危険物として排除する』……これさえあれば、我々は正義の御旗の下に、あの小商人を合法的に潰せます」
ベルンは書類をひったくるように手に取り、内容を一読した。 そして、ニヤリと卑しい笑みを浮かべた。
「……なるほど。『防疫措置』というわけか。市民の安全を守るためなら、多少強引な法改正もやむを得まい」
「ええ。報酬はいつもの口座に。……頼みましたよ、先生」
握手が交わされる。 その手は、冷たく湿っていた。 こうして、巨大な参入障壁(エントリー・バリア)は築かれた。 保身と欲にまみれた、二人の男の手によって。
◇
翌朝。 ノワルマルシュの市場は、死んだように冷え込んでいた。
見上げれば、空を覆う白亜の船底。 高度を下げた『アルカ浮遊魔導学院』の巨大な質量が、太陽を完全に遮断している。 本来なら活気に満ちているはずの昼下がりだというのに、石畳は薄暗く、湿った苔のような冷気が足元から這い上がってくる。
まるで、街全体が巨大な蓋をされた瓶詰めの中にある気分だ。
「……お客さん、来ないね」
ミナが退屈そうにカウンターに顎を乗せ、力なく尻尾を揺らす。 彼女の鼻先が、ピクリとも動かない。 それは、街から「購買意欲」という熱が消え失せている証拠だった。
「ああ。……それどころか、視線が痛いな」
俺は陳列台に並べた『黒魔銀(サンプル)』を布で拭きながら、周囲の様子を伺う。 遠巻きにこちらを見る人々。 その目は、昨日までの「期待」ではなく、「恐怖」と「猜疑心」に濁っていた。
ヒソヒソと交わされる囁き声が、風に乗って鼓膜を撫でる。
『……あれだろ? 呪いの石って』 『獣人が森の奥で拾ってきたらしいぞ。触ると手が腐るとか……』 『昨日、ランプが爆発したって子供が泣いてたわよ』
ライルが帽子を目深にかぶり直し、舌打ちをした。
「……仕事が早ぇな、策士殿は。一晩でここまで『空気』を作り変えるとは」
俺は唇を噛んだ。 品質には絶対の自信がある。 だが、市場という生き物は、真実よりも「空気」で呼吸する。 一度貼られた「危険物」というレッテルは、どれだけ高品質な証明書よりも重い。
その時だった。 市場の人混みが、モーゼの海のように割れた。
カツン、カツン、カツン。
硬質な足音が、静まり返った広場に響く。 現れたのは、純白の制服に身を包んだ一団。 胸元には、天秤とペンを模した銀の刺繍――『アルカ浮遊魔導学院』の紋章。
その先頭を歩く男が、俺たちの露店の前で足を止めた。 神経質そうな細縁の眼鏡。整えられた髭。 そして、白衣の袖口からチラリと覗く、アカデミックな場には不釣り合いなほど豪奢な金時計。
ミナが背中の毛を逆立て、低く唸った。 「……嫌な匂い。インクと、消毒薬と……あと、甘ったるい香水の匂いがする」
男はハンカチで鼻を覆いながら、陳列台の『黒魔銀』を一瞥した。 まるで、汚物を見るような目つきで。
「……ここか。未認可の危険物質を垂れ流している、悪質な露店というのは」
男の声は、よく通るバリトンだった。 周囲の野次馬に聞かせるように、わざとらしく声を張り上げる。
「私はアルカ浮遊魔導学院、実利派教授のベルンだ。当学院の管轄下にある魔導素材市場において、重大な汚染源が確認されたため、監査に来た」
「汚染源……?」
俺はカウンター越しに身を乗り出した。
「言いがかりはやめていただきたい。我々の商品は、正規の手続きで仕入れた純度100%の――」
「黙りたまえ」
ベルン教授は、俺の言葉を手で制した。 会話をする気など端からない。 彼は後ろに控えていた警備兵に顎をしゃくった。
「即刻、没収しろ。市場の安全を守るためだ」
警備兵たちが土足で店内に踏み込み、商品を粗雑に麻袋へと詰め込み始める。 袋の中で、貴重な鉱石がぶつかり合い、砕ける音がした。
「やめろ! 商品だぞ!」
ライルが警備兵の腕を掴む。 だが、ベルン教授は冷ややかに告げた。
「公務執行妨害で拘束してもいいのだぞ? ……君たちは理解していないようだが、これは『商取引』ではない。『防疫措置』だ」
「防疫……だと?」
「そうだ。君たちの扱うその黒い石は、学院の定める『安全基準』を満たしていない。成分分析表もなければ、魔力安定性の証明書もない」
ベルンは懐から一枚の羊皮紙を取り出し、俺の目の前に突きつけた。 そこには、真新しいインクで『学院令第408号:魔導触媒取扱規定の改定』と書かれていた。
「我々は否定しているわけではないよ。ただ、『現時点では安全性が確認されていない』と言っているだけだ」
ベルンは薄く笑った。 その時、彼が袖口の金時計を気にするように一瞥したのを、俺は見逃さなかった。 ……なるほど、忙しいわけだ。この後の「接待」か何かが控えているらしい。 規則(ルール)の仮面を被っているが、その下にあるのはただの俗物的な欲だ。
「なっ……!?」
俺は絶句したフリをして、内心で舌を巻いた。 日付は、今日だ。 俺たちが店を開く直前に、彼らは「ルール」そのものを書き換えたのだ。
「そんな後出しジャンケンが通るか! ここはリュミエール王国だぞ! 学院の校則なんか知るかよ!」
ライルが吠える。 だが、ベルンは嘲るように鼻を鳴らした。
「無知とは哀れだな。魔導に関する事案においては、学院の『学術的見解』は各国の法に優先する条約がある。……危険な魔道具の暴走を防ぐため、な」
その言葉に、周囲の客たちが青ざめて頷く。 「やっぱり危険なんだ」「学院様が言うなら間違いない」 空気が、完全に固まった。
これが、参入障壁(エントリー・バリア)。 大企業が新規参入者を潰す時に使う、最も洗練された凶器。 「質」でも「価格」でもなく、「ルール」で殺すやり方だ。
「待ちなさい!」
人垣をかき分け、イレーネさんが駆けつけてきた。 いつも冷静な彼女が、今は肩で息をしている。
「ベルン教授! 商人ギルドを通さずに、市場での強制執行は越権行為です! 彼らは正規の登録商人であり――」
「おや、ギルドの受付嬢か」
ベルンはイレーネを一瞥し、興味なさそうに言った。
「ギルドは『商人』を守る組織だろう? だが、彼らは『毒物』をばら撒く犯罪者予備軍だ。……それとも何か? 商人ギルドは、市民の安全よりも小銭を優先すると?」
「それは……っ」
イレーネが言葉に詰まる。 だが、彼女は引き下がるフリをして、すれ違いざまに俺の耳元で早口に囁いた。
「……没収品の『廃棄処分』までは、事務処理上24時間の猶予があります。私が書類を遅らせます。……それまでに、何とかしてください」
俺は目を見開いた。 イレーネさんは、諦めていなかった。 彼女のできるギリギリの範囲で、「時間」という武器を俺たちに渡してくれたのだ。
「さあ、持っていけ。塵一つ残すな」
ベルンの号令で、最後の一袋が荷車に積まれた。 俺たちの希望だった『黒い黄金』が、ただの『廃棄物』として運び去られていく。
ベルン教授は去り際に、俺の耳元で低く囁いた。
「……グランツ商会の『策士』殿によろしくな。君のような野良犬が、象牙の塔に足を踏み入れようなど……身の程を知るがいい」
白衣の背中が遠ざかる。 その後ろ姿は、空に浮かぶ巨大船と同じくらい高く、遠く、そして冷たかった。
残されたのは、空っぽの台と、冷え切った視線だけ。 頭上の巨体が落とす影は、俺たちの足元まで黒く染め上げていた。
「…………」
ミナは、何も言わなかった。 ただ、空になった陳列台をじっと見つめている。 怒りもせず、泣きもせず、ただ静かに。
その瞳から、光が消えている。 彼女が怒らないことの方が、俺には辛かった。 彼女は理解してしまったのだ。この世界には、正しいことをしても、汚い理屈で踏みにじられる瞬間があるということを。
「……忘れない」
ミナが、ポツリと呟いた。 その声は小さかったが、背筋が凍るような冷たさを孕んでいた。
「さっきの人。……嘘の匂いがした」
彼女はベルンが消えた方向を睨み据えていた。 その横顔は、ただの無邪気な少女のものではない。獲物の急所を記憶する、誇り高き獣人のそれだった。
「……くそっ」
俺は拳を、陳列台に叩きつけた。 痛みが走る。だが、胸の奥の痛みには及ばない。
これが、「権威」か。 俺たちが積み上げた数字も、品質も、想いも。 奴らが紙切れ一枚にサインするだけで、すべて無価値にされる。
かつての会社の会議室で味わった無力感が、喉の奥までせり上がってくる。 だが。
(……ここで折れたら、あの時と同じだ)
俺は震える手で、営業カバンを握り直した。 中にはまだ、ミナの両親から貰った干し肉と、さっきベルンが突きつけてきた『学院令の写し』が入っている。
俺は、その羊皮紙を睨みつけた。 営業マン時代、契約書の「裏」を読み込むのは日常茶飯事だった。 どんなに鉄壁に見える契約にも、必ず「例外」や「特記事項」という名の抜け穴がある。
『学院令第408号:魔導触媒取扱規定の改定』 ――未認可物の流通を禁止する。 ――ただし、本規定は『研究目的の試験運用』には適用されないものとする。
俺の目が、その一行に釘付けになった。
「……壁があるなら、扉もあるはずだ」
俺は顔を上げた。 正面玄関が閉ざされているなら、裏口を探せばいい。 この規定には、「学院内部の研究」という名目があれば通るという例外がある。
そして俺たちは知っている。 この『黒魔銀』を、喉から手が出るほど欲しがっている人物を。
「ライル、ミナ。……『潜入(セールス)』の準備だ」
俺の言葉に、二人が顔を上げる。
「あの時、街道の片隅で、壊れた魔導具を抱えて泣きそうになっていた、あの学生。……彼なら、この『研究目的』という抜け穴に、命がけで食いつくはずだ」
俺は空に浮かぶ巨船を見上げた。 その圧倒的な威容も、今は攻略すべき「取引先」にしか見えない。
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守るべき者たちのため、そして亡き友との誓いのために、
いつしか、世界を救う伝説へと祭り上げられていく物語。
―――その勘違いと優しさが、やがて世界を揺るがす。
一国一城の主を目指す!〜渇望の日々を超えて。
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何者かになりたかった。
だが現世でその願いは叶わず、男は敗北感と悲嘆を胸に沈んでいた。
そんな彼の前に現れたのは、一柱の女神。
導かれるまま異世界へ転移した男は、新たにレイと名乗り、剣も魔法も身分もない底辺から成り上がることを決意する。
冒険者として生きる術を学び、魔法を覚え、剣を磨き、人と裏社会を見極めながら、レイは少しずつ力を蓄えていく。
目指すのは、ただ生き延びることではない。
一国一城の主となり、この世界で“何者か”になること。
渇望を燃料に、知恵と執念で上へ上へと這い上がる、ダークファンタジー成り上がり譚。
異世界に転生した俺は英雄の身体強化魔法を使って無双する。~無詠唱の身体強化魔法と無詠唱のマジックドレインは異世界最強~
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宮本 英二(みやもと えいじ)高校生3年生。
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グランベルン王国のエイデル公爵の長男として生まれた英二はリオン・エイデルとして生きる事に・・・
しかし、リオンは貴族でありながらまさかの魔力が200しかなかった。貴族であれば魔力が1000はあるのが普通の世界でリオンは初期魔法すら使えないレベル。だが、リオンには神話で邪悪なドラゴンを倒した魔剣士リュウジと同じ身体強化魔法を持っていたのだ。
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