Hope Man

如月 睦月

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仕舞い込んだ記憶

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龍一は犬が嫌いだ。

嫌いと言うよりは苦手と言うべきだろう、TVで可愛い子犬を見るとキュンとしたり、利口な犬を見ると『すげーな』と感じられるのだから心底嫌いなわけではない。



怖いとか汚らわしいとか、そんな気持ちもなかった。



なのにどうしても触れようとは思えない、抱きしめたいとも思えない、遊んであげよう、撫でてあげようとも思えない。



自分でもそれはなぜか全くわからなかった。



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学校を明日に控えたこの夜、シャドウを終えた龍一はラジオをつけてベッドに横たわった。『はぁ…親父と2人きりってかぁ…だりぃな…』

天井の模様を眺めると、一息ついた。



「次のリクエストは、北海道の三食弁当さんからです、こんにちは、いつも楽しく聴かせていただいております、アルバムにしか入っていない曲なのですが、これを聴くと亡くなった飼い犬のレオを思い出して泣いてしまいます、今日はレオの命日なので是非かけて欲しいです…との事ですが、実はですね、私の実家の犬もレオなんですよ、手塚先生のジャングル大帝レオから母親が名付けたんですけどね、それではおかけします、レオ君にも届くと良いですね、リクエストは…」



『レオ…』



ラジオから流れて来た曲は飼っていた犬との日々、そして別れまでを綴った歌詞だった、心の奥底が締め付けられるように苦しくなり、右の眼から涙が流れた。



『あれ?????何で泣いてるんだ俺…』



『レオ…レオ???なんだっけ?』



胸の深い奥底から撮影された記憶のフィルムが、まるでのたうち回る蛇のように溢れ出してきた…



『レオ!!!!!!!!!!!!!!!』



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龍一、小学3年生



引っ越して来たばかりで友達もおらず、日々辛い目に会わされていた頃、たまに遠回りして帰る龍一はやせこけた白い犬が外にある犬小屋に鎖でつながれているのを見つける。犬小屋の入り口に書かれた文字は「レオ」



その痩せこけた姿に龍一はちょっとだけ自分と重ねて見た。

『きっとご飯もろくに貰っていないんだろうな…』



静かに近づく龍一に、ちらっと上目遣いをするレオ。



喧嘩で間合いを詰める様にじりじりと近寄り、手を伸ばす。



ブラッシングもしてもらっていない、あちこち毛が固まったボサボサのレオの頭にそっと手を置いた、その龍一の顔をじっと見つめるレオ。噛みついたり怒ったりする様子もなく、ただただ龍一を見つめるのだった。



汚いなんて微塵も思わなかった。



『お前も1人ぼっちなんだな、わかるよ。』



ボロボロと泣き出してしまう龍一、たまっていた不安や悔しさや憎しみや、色々なものがレオの前で溢れ出てしまったのだ。



『また来るよ』



そう言うと袖で涙をぬぐって、レオに手を振った。




翌日、好き嫌いが多い龍一が唯一腹の足しにしているパンを食べずに下校した。レオのもとに駆け寄るとパンを差し出した。

本当にご飯を貰っていないのだろう、ムシャムシャと凄まじい勢いで龍一のパンを食べた。いや、喰らい付いた、怖くなる程に喰らい付いた。

2、3回レオの頭を撫でると『また明日な』と言って家に帰った。



龍一の腹の虫がグーっと鳴いた。



そんな事が続いたある日、龍一がレオの頭を撫でると、尻尾を振ってくれた。龍一の知識では喜ぶと尻尾を振る…だったので、それを見た龍一は少し嬉しくなった。



『やっと友達になれたね』



それからというもの、龍一の姿を見ただけでレオは尻尾を振り、鎖の限界まで歩いて龍一を迎えてくれるようになった。この日は母親のブラシを持って来たので、ランドセルからそれを出すと、毛の塊や束を綺麗に根気よく毎日続けた。それをされているレオはうっとりとした顔をし、眠ってしまうこともあった。



家に帰ると母親がブラシを探していた、その姿を見て龍一は後ろ向きに下をだすのだった。



そんなある日、レオのもとに駆け寄ると、前足を片方上げてピョコピョコしているのがわかった。お手かと思い、右手を差し出す龍一だったが、レオは首を傾げた。折り曲げて上げている足に手を触れると小さく『キャン』と鳴く。

龍一は怪我をしていると直感した。

どうしていいかわからなかった龍一は自分程大きくモフモフになったレオの身体を抱きしめた、それしかできないから『レオ、ごめんね』と何度も謝った。その度に『キュン』と返事をしてくれているように思えて辛かった。



何日かすると、飼い主が病院にでも連れて行ったのか、自然に治ったのかはわからないが、すっかりレオの脚は良くなっていた。レオと龍一の日々はとても楽しく、いじめを受けている龍一にとっては心の拠り所となって行った。



その夜、暑いので部屋の窓を開けていると、とても近くでレオの声がした。

『え?』と思い、窓を開けて下を覗くと、真っ白なレオが血だらけになって横たわっていた。どうしようもないので母親に、怪我した犬が窓の下に居ると伝えると、父親が『どこだ』と言いながら玄関に出た。



『この犬知ってる!』と言う渾身の演技をすると、父親の康平を連れて飼い主のもとへ向かった、康平が血だらけの犬を抱いてくれるとは思っていなかった龍一は少し康平を見直した。飼い主の家を訪ねると、金髪頭でヒゲだらけのだらしない男が出て来た。『なんだあんた』父親も極道が一目置く男、そんなものにはひるまない。『お宅の犬を見つけたので連れてきましてね、怪我をしてるんですよ』と冷静に話す。きっと刺激しないようにしているのだろう。



『だから?』



『病院に連れて行って上げて欲しいんですよ』



『いやぁ俺が怒られるから無理っすわ、それやったの俺だもの』



それで康平にスイッチが入ってしまった。



『バカ野郎!!自分の家族にお前は何をしてるんだ!!!!』



『俺が犬に何しようと勝手だろ!!!』



『犬を飼うって事は責任が伴うんだ!好き勝手していい道具じゃないぞ!』



『わかったわかったうるせぇな、連れて行くから帰れ、騒ぐな』



『必ずお願いしますね』



その帰り道、康平が龍一に話をした。



『仲良しなのか?あの犬と』



『う…うん』



『あれなら保健所で予防接種なんかもしてないんだろうな、可愛がるのは良いけど噛まれると大変な事になるから気を付けるんだぞ』



『う…うん…ありがとう』



『うん』



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数日が経過したが、龍一の姿を見ても尻尾を左右に付き合い程度に振るレオ。

持って来たパンも龍一に悪いから食べるふりをしている…そんなふうに見えた。



『病院…行ってないだろお前…』



『きゅぅん…』



『なんとかしなきゃ』レオに手を振ると、レオの家の住所をメモして、駆け足で家に帰った。龍一は家の中に誰も居ないのを確認すると電話帳で調べ物を始めた。



『ほけんじょ…ほけんじょ…あった!53の…  もしもし、あ、すみません犬が…うん、あ、はい、そうです、住所は…はい、お願いします』



龍一はレオを救うため、保健所に電話をすると、病院に連れて行ってもらってない事、飼い主が虐めている事を伝えた。電話の担当も、子供からの電話とは言え内容が内容だけにしっかり話を聞いてくれたようで、龍一はレオが救われるに違いないと喜んだ。



数日後、龍一がレオにパンを届けに行くと、白いトラックが止まっているのが見えた。『なんだろう…』近寄るとあの金髪の飼い主もおり『あぁ、連れてっていいっすよ、もうめんどくさいんで』と聞こえた。何のことやらだったが、飼い主に姿を見られるとまずいので電信柱の陰から様子を伺った。



衰弱したレオが白いトラックの荷台に荷物のように置かれ、ドアが閉められた。



それは保健所からのトラックであり、白づくめの2人組が車に乗り込んだのが見えた。龍一は『飼い主が捨てたんだ、レオが連れていかれる』と直感し、トラックへと走り出したが運転手は気づかずにトラックを出す。



『待ってぇええええええええ!!!レオ――――――――!!!』



必死で走るが加速するトラックとの距離は縮まない。

ランドセルが邪魔で走れないから放り投げて走った。



『レオ――――!!!』



『うわんっ!!!!!!』



レオが立ち上がって荷台の鉄格子から顔を出して吠えた。



立てない程弱っていたのに。



『ウワんっ!!!!ワウワウワうぅうううううん!!!!!』



遠吠えをした、傷だらけの身体のはずなのに。

尻尾も振れないほど痛いはずなのに。



『ごめん!!!!!!俺のせいだ!!!!!ごめん!!!!!』



『ワおぉおおおおおおおおおおおおおおおおん』



『ごめんよーーーーレオーーーーごめん!!!!ぐわっ!!!!』



舗装されていない道路で思いっきり転んだ龍一。

両掌の皮膚に砂や砂利が入り込む程酷い転び方だった。

溢れる涙と泥にまみれて真っ黒になった顔で泣いた。

自分が保健所に電話しなければこんなことにならなかった。

助けようとして自分で会えなくしてしまった。

訳の分からない感情が溢れてとにかく泣いた。



小さくなって見えなくなって行くトラック。



『ごめん…レオ』












『わおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん』



最後に大きな大きなレオの遠吠えが聞こえた。

レオとの思い出がビリビリと音を立てて切り裂かれる音にも聞こえた。




翌日、学校の帰りにレオが居るかもしれないと言う淡い期待を抱いていつもの犬小屋に向かったが、空っぽのだった。



そこにレオは居なかった。



いや



もう居ない。



龍一はレオの記憶に鍵をして、心の奥底に沈めたのだった。
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