如月書店

如月 睦月

文字の大きさ
22 / 43
裏世界・藍の森編

第22話 藍の森の藍喰らい

しおりを挟む
【現世】



馬車の車輪が石畳を打ち鳴らし、ドゥルセの街を切り裂いて走る。

リコリスの指が白くなるほど手綱を握りしめていた。



『全速力は割増さね!はっはっはっは』



蹄の音が流星のように過ぎ去る。

その震動の中、やっちゃんは座席の背にしがみつきながら、ふと血の気を失った。



『――そうだ、忘れてた……!向こうの一日は、こっちの一分。』

『どっちがランプに火を灯したのかは分からないけど……最悪は、あと五分足らずだ!』



胸の奥で心臓が“ドンッ”と鳴る。

間に合わない――このままじゃ、魂が全部、燃える。



『リコリスさん!ランプ屋は!?どこにある!?』



『ランプ屋? 港とは反対さね! 今戻ったら船が出ちまうよ!』



『……っ、ならいい、馬車のランプを貸して!』



『え!? この煤すすけたやつ?――』



『早く!』



叫ぶやっちゃんの目が、異様な光を宿していた。

元海賊のリコリスが息を呑み、震える手でランプを差し出すほどに。



やっちゃんはそのランプを抱きしめ、胸元のネックレスを外した。

細い骨を編んだような、不気味な白い鎖。

それは三代目呪術師――母の骨で作ったもの。



『母さん……ごめん。チカラを貸して。』



その瞬間、馬車の中の空気が変わった。

やっちゃんは骨を握り締め、ランプの金属にゴリゴリと押し当てる。

火花が散り、焦げた匂いが鼻を刺す。



「――ミーヲス・テーテコーソ・ウカヴセ―・モアレ……」

声が振動している。

「……母の灯よ、今一度、四代目の我が手に!」



“カッ”と光が弾けた。

馬車の中が一瞬、真昼のように照らされる。



「お、おいあんた!何してんだ!?爆発でもする気か!?」



やっちゃんは光の中で静かに笑った。

その瞳は、どこか遠くを見ている。



『私は――やっちゃん――少し眠るから……起こさないでいただけます?』

『……お金は、払いますから。』



言い終えると同時に、彼女の体が糸の切れた人形のように崩れ落ちた。

青白いランプの火だけが、彼女の頬を照らしている。



リコリスは慌てて駆け寄る。

「おい、やっちゃん! しっかりしな!おい!」



だが、彼女の瞼は動かない。

ランプの炎が、ひときわ強く脈打った。



まるで、魂が――

灯りの中へ、吸い込まれていくようだった。



----------------------------------------------------



【裏世界】



『……人ではないな、旅人よ、名は何という』



低く、湿った声が空気を震わせる。

問いに言葉を失い、兄のオランジェットと妹のクラフティは顔を見合わせた。

クラフティが袖を握り、オランジェットが喉を詰まらせる。



「ぼ、僕たちは……その……」

『私たちは兄のオランジェットと、妹のクラフティです』



「ちょ!僕が勇気のない兄貴みたいじゃないか!」

「早くしゃべらないからでしょ!」



『お前たち!長老の前だぞ!』

槍を構えた兵士に注意を受けた。



長老の眼が、月光を受けて淡く光ったように感じた、眼はないけれど。



『長く生きておるゆえ、知識もある。……存じておるわ。

案ずることはない――命を燃やして来たのであろう?』



オランジェットの肩がびくりと動く。

長老の見えない視線は、まっすぐ彼の胸の奥を見通していた。



『それがお前たちの証明と受け取ろう。』



しばしの沈黙。

オランジェットは唇を噛み、やがて静かに頭を垂れた。



「……ありがとうございます」



その声は、かすかに聞こえる外の風の音に溶けるほど小さかった。

長老はゆっくりと天を仰ぎ、白い息を吐く――口は無いのだが。



『見えるか、あの月が、ワシは見えぬが感じる事は出来る。

月は全てを見ておる。お前たちに――

加護があらんことを願っておるぞ。』



その言葉とともに、暖炉の火がふっと揺れた。

まるで月がうなずいたかのように、キノコの森が少しだけ明るくなった。



この地域はキノコが高く高く折り重なるように群生しているので、

常に暗い、だから昼間に見える月すらありがたいくらいに明るい。



クラフティがそっと兄の手を握る。

オランジェットは頷き、もう一度、深く頭を下げた。



昼間でも眩い月の光が二人の背を照らし、

静かに――次の旅路へと送り出そうとしていた。



――その時だった。



大地が唸うなった。

「ゴゴゴゴ……ッ!」という低い地響きが、月夜族の森全体を揺らした。

暖炉の火が消され、空気がざわめく。



「……な、なんだ!?」

オランジェットが立ち上がり、クラフティが兄の腕にしがみつく。



森の向こう――

闇を裂いて、巨大な影が蠢いた。



キノコの森が波打つようにざわめき、

胞子の霧が空高く舞い上がる。



現れたのは――山のように大きな、藍喰いの獣。

その体は薄汚れた硬い毛に覆われ、目は血のように赤く光っていた。

口角の横からはみ出す巨大な牙の片方は折れ、その気性の荒さを物語っている。

過去に封じようとした十字架型の痕跡が額にあった。

ひとたび咆哮を上げると、森そのものが震える。



『グオオオオオオォォ――ッ!!』



月夜族たちが一斉に震え、

地を這う菌糸を通して、森中に警鐘が響き渡った。



『藍喰いだ――! 全族、戦闘配置につけ――!』



胞子の信号が森を駆け抜ける。

キノコの森の笠が震えて、光る胞子がまるで星のように降り注いだ。

集落が一瞬で、戦の色に染まる。



長老が、巨大な塔のようなキノコに設置されたエントランスにそびえ立ち、

声を放った。



『全軍、陣を敷け!

第一師団は北の茂みを防げ、第二師団は小さき同胞を護れ!』



その眼がゆっくりと一人のキノコへと向けられる。

名を持つ者――ぬいめ。

月夜族の歴史上、初めて「名前」を授かった若きキノコだ。



『ぬいめよ。』



ぬいめが驚いたように笠を震わせる。

「……長老さま、わ、わたしがなにか……」



『――お前に、第三師団の指揮を任せる。』



森の奥から、再び轟く獣の咆哮。

地が裂け、闇が蠢めく。



ぬいめは恐怖を押し殺し、

小さな体でまっすぐに立ち上がった。



「……承知いたしました。第三師団、ぬいめ、出陣いたします!」



その声は、胞子を通して森中に響き渡った。

やがて月夜族たちの無数の光が応えるように瞬いた。



長老が呟いた。

『月は見ておる……どうか、この子らを照らしてくれ――』



藍の森がざわめき、

光と影の戦いが、いま幕を開けた。



地響きが続く中、長老キノコは塔の階段を下りて一階に戻り、オランジェットとクラフティの方を向いた。

その表面に刻まれた皺に見える溝が鋭い表情を作っている。



『……オランジェット、クラフティ…』



二人は思わず背筋を伸ばした。

長老の声は静かだったが、揺るぎのない力を帯びている。



『今ならまだ、森の南が開いておる。遠回りにはなるが――

そこを行けば、戦いを避けられる、行きなさい』



「で、でも僕たちも手伝えます! 少しでも力に――!」

オランジェットが一歩踏み出す。



しかし長老はその言葉を、ゆるやかに首を振って制した。



『命の流れには、それぞれの道がある。

お前たちの灯は、まだ消してはならぬ。』



クラフティが唇を噛み、震える声で問う。

「……私たちだけ逃げて……森は……みんなは……」



『案ずるな。月夜族は根を張って生きる者。

幾年月もこの戦いを続けて来たが、我々は負けない。

この森が息づく限り、我らは倒れぬ。』



長老は、二人の前に笠を傾けた。

その笠には桃色の縫い目があった。



『長老!それ…』



『その昔、毛先が桃色の髪の者に縫ってもらってな、ほっほっほ』



『へ~!長老さんも!』



「うぬ、だから「ぬいめ」を縫ったのがお前たちだと聞いて、無条件で通そうと思っておったがな、周りもおるでな、ひっひっひ」



『コホン!別れの時だ!己の信じた道を行くがよい』



『はい!』『はい!』



『月はお前たちを見ておる――どうか、生きて帰られよ。』



静寂の中、遠くで再び獣の咆哮が轟く。

それが別れの合図のように響いた。



オランジェットは深く頭を下げ、

「……ありがとう、長老さま」と小さく呟くと、

2人で長老に抱き着いた。



『無礼者!長老に気安く!!!』



『下がれ!別れを惜しむワシの邪魔をするとは何事か!』



『はっ!失礼しましたっ!』



三人がゆっくりと離れる――

オランジェットはクラフティの手を握り、南の森へと駆け出した。



背後では、ぬいめの指揮する第三師団が、

光る胞子を纏いながら戦の陣へと整列していた。



そして長老は、遠ざかる二人の背を見送りながら、

そっと呟いた。



『月よ……どうかあの子らと、月夜族を導いて下され……』
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

【長編・完結】私、12歳で死んだ。赤ちゃん還り?水魔法で救済じゃなくて、給水しますよー。

BBやっこ
ファンタジー
死因の毒殺は、意外とは言い切れない。だって貴族の後継者扱いだったから。けど、私はこの家の子ではないかもしれない。そこをつけいられて、親族と名乗る人達に好き勝手されていた。 辺境の地で魔物からの脅威に領地を守りながら、過ごした12年間。その生が終わった筈だったけど…雨。その日に辺境伯が連れて来た赤ん坊。「セリュートとでも名付けておけ」暫定後継者になった瞬間にいた、私は赤ちゃん?? 私が、もう一度自分の人生を歩み始める物語。給水係と呼ばれる水魔法でお悩み解決?

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

廃城の泣き虫アデリー

今野綾
ファンタジー
領主の娘だったアデリーはある日家族を殺され育った領地から命からがら逃げ出した。辿り着いた先は廃城。ひとり、ふたりと住人が増える中、問題が次々とおこって… 表紙はフリー素材です

慈愛と復讐の間

レクフル
ファンタジー
 とある国に二人の赤子が生まれた。  一人は慈愛の女神の生まれ変わりとされ、一人は復讐の女神の生まれ変わりとされた。  慈愛の女神の生まれ変わりがこの世に生を得た時、必ず復讐の女神の生まれ変わりは生を得る。この二人は対となっているが、決して相容れるものではない。  これは古より語り継がれている伝承であり、慈愛の女神の加護を得た者は絶大なる力を手にするのだと言う。  だが慈愛の女神の生まれ変わりとして生を亨けた娘が、別の赤子と取り換えられてしまった。 大切に育てられる筈の慈愛の女神の生まれ変わりの娘は、母親から虐げられながらも懸命に生きようとしていた。  そんな中、森で出会った迷い人の王子と娘は、互いにそれと知らずに想い合い、数奇な運命を歩んで行くこととなる。  そして、変わりに育てられた赤子は大切に育てられていたが、その暴虐ぶりは日をまして酷くなっていく。  慈愛に満ちた娘と復讐に駆られた娘に翻弄されながら、王子はあの日出会った想い人を探し続ける。  想い合う二人の運命は絡み合うことができるのか。その存在に気づくことができるのか……

お兄様、冷血貴公子じゃなかったんですか?~7歳から始める第二の聖女人生~

みつまめ つぼみ
ファンタジー
 17歳で偽りの聖女として処刑された記憶を持つ7歳の女の子が、今度こそ世界を救うためにエルメーテ公爵家に引き取られて人生をやり直します。  記憶では冷血貴公子と呼ばれていた公爵令息は、義妹である主人公一筋。  そんな義兄に戸惑いながらも甘える日々。 「お兄様? シスコンもほどほどにしてくださいね?」  恋愛ポンコツと冷血貴公子の、コミカルでシリアスな救世物語開幕!

最強令嬢とは、1%のひらめきと99%の努力である

megane-san
ファンタジー
私クロエは、生まれてすぐに傷を負った母に抱かれてブラウン辺境伯城に転移しましたが、母はそのまま亡くなり、辺境伯夫妻の養子として育てていただきました。3歳になる頃には闇と光魔法を発現し、さらに暗黒魔法と膨大な魔力まで持っている事が分かりました。そしてなんと私、前世の記憶まで思い出し、前世の知識で辺境伯領はかなり大儲けしてしまいました。私の力は陰謀を企てる者達に狙われましたが、必〇仕事人バリの方々のおかげで悪者は一層され、無事に修行を共にした兄弟子と婚姻することが出来ました。……が、なんと私、魔王に任命されてしまい……。そんな波乱万丈に日々を送る私のお話です。

冷徹宰相様の嫁探し

菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。 その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。 マレーヌは思う。 いやいやいやっ。 私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!? 実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。 (「小説家になろう」でも公開しています)

処理中です...