恋っていうのは

有田 シア

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感謝のキモチ

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珠希はヘーゼライトの指輪をショーケースに並べてふぅ、と息をついた。

これでいいのだというケジメの一息だった。

こうやって見ると、あんなに珠希の感情を揺さぶった指輪も他の指輪と同じように、ただの売り物の指輪だった。


さっきから指輪のショーケースを熱心に眺めている女の人がいた。

珠希は話しかける前に密かにその人を観察した。

その人はすらっとした体型で、よく見ると珠希が好きな宝塚スターの初音凛子に似ている。

左手の薬指には結婚指輪。

この人が初音凛子なはずがないけど、もう珠希には初音凛子にしか見えなかった。

初音凛子は自分へのご褒美として指輪を買おうとしているに違いない、と珠希は想像した。

珠希がそう思ったのを察したかのようにその初音凛子は話し出した。

「私、独身なんですけどね、結婚指輪つけてるんです。見栄とかそんなんじゃなくて、不倫防止にって思ってつけてたんですけど、ちょっとこの指輪のせいでトラブルがありましてね。詳しくは言いませんけど、とりあえずこの指輪つけるのもう辞めようかなぁと思ってるんです。で、この指輪売りに来たんですけど、こうやって見てるとやっぱり指輪っていいですよね。指輪してると、なんかこう、強い気持ちになれるんです。自分に自信が持てるんですよ。」

「じゃあ、その指輪を売って、新しい指輪買ったらどうでしょう。」

「私もそうしようかと思ってたところなんです。これ見せてください。」

初音凛子似はヘーゼライトの指輪を指して言った。

ヘーゼライトは初音凛子の右手の細く長い中指を滑るように通っていった。

「これにします。」

初音凛子はその石は何だとか、何カラットだとかいう質問は何もしなかった。

値段さえも気にしていないようだった。

「この指輪付けてた人は何で売っちゃったんだろうね。」

初音凛子は独り言のようにそう言った。


「ありがとうごさいました。」

もしこの石の持つ意味を自分で決めれるなら、今度はこの指輪に初音凛子の想いが込められるんだろう。

珠希はそう思いながら店を出る初音凛子とヘーゼライトに深々と頭を下げた。





「今日で珠希はこの店最後ということで、来月からは2店舗目の大山町店の責任者として働くことになる。大山町店は少し離れたところにあるけど、同じゴールドラッシュであることには変わりないから、これからは店舗間のやりとりが必要となる。それに関してのマニュアルを今から配るから、みんな目を通しておくこと。」

終礼ミーティングで集まったみんなに幹太がそのマニュアルを配ろうとしたが、今は誰もそんなものには興味はなかった。

自然とみんなが珠希の周りに集まった。

「珠希さんいなくなると寂しくなります。」

「大山店でも頑張ってね。」

「もうこっちの店に全く来ないの?」

珠希は絵里から花束を受け取った。


「はーい。今から送別会だから、みんなヨセキチ行くぞー。予約とってあるんだから早く行こー。」

チャーミーが大声で言ってみんなを急き立てる。

「本当、チャーミーは飲み会となると張り切りだすんだから。でも、私、今からオフィスの荷物まとめないといけないんだ。」

珠希はまだやらなくてはいけないことがあるのを思い出して申し訳なさそうに礼二に言った。

「そんなの明日にしろー。主役がいないと始まらないだろー。」

珠希は礼二に押されるように他のスタッフの後について歩き出した。




次の日、珠希は朝早くゴールドラッシュに来て、オフィスの荷物をまとめていた。

珠希はデスクにあった私物を全て段ボールに入れ、この店のファイルを礼二のデスクに置いた。

ふと礼二のデスクの「4月2日花見大山川参加人数確認」と書いた付箋に目がいった。

毎年恒例の花見飲み会だった。


礼二が「まだ酒あるからどんどん呑んでぇ~」と言ってみんなに無理矢理飲ませ、チャーミーは酔っ払ってみんなに絡み、幹太はいつもより大声で笑って、絵里がピンクの顔でみんなにお酌をする。

泉谷と後の若い子が宴会芸でも披露するんだろう。

珠希はどうせ今年もそんな感じだろうとその光景を微笑ましく想像しながら「珠希参加」とその付箋の空白に小さい字で書いた。


「珠希さん、これ、ここでいいですか?」

泉谷がフーズボールのテーブルをオフィスに運んで来た。

「うん。ありがとう、泉谷。」

「これここに置いとくんっすか?」

「そう、礼二へのプレゼント。」

「あーなるほどー。礼二さん喜びますね。俺もやらせてもらえるかな。へへへ。」

「これが仕事の邪魔にならなきゃいいけど。」


泉谷はまだフーズボールの横に突っ立ったまま動かなかった。

何か言いたそうだった。

「どうした、泉谷?」

「あの、珠希さん、礼二さんも大山町店の方に行っちゃうっていう噂あるんですけど、それ本当ですか?」

「それはないよ。何、その噂。」

「よかった。礼二さんまでいなくなったら俺どうしようかと。」

泉谷の安心した目は少し潤んでいるようにみえた。

「礼二さんだけなんですよ。俺がどんなにミスしても、我慢強く何回も教えてくれるの。今までいろいろバイトやってきたけど、一回ミスっちゃうともう何やってもダメなんっすよねー。俺、みんなにダメ男って言われてて。あ、ちなみに俺の名前ダメ男じゃなくて為雄ですから。」

そりゃ、ダメ男ってあだ名つけたくもなるな。

珠希は今まで泉谷に何度も厳しく言ってきたことを思い出した。

「これだけここのバイト続いてるのも、礼二さんのおかげなんっすよ。」



朝礼ミーティングの幹太の声を遠くに聞きながら珠希は片付いたデスクに座って手紙を書き始めた。


(今までありがとう。兄ちゃんがいたからこそ私はここまで来れたんだと思う。いろいろと生意気なことばっかり言ってるけど、兄ちゃんにはいつも助けられてるよね。

本当は子供の頃から兄ちゃんのことずっと憧れてたんだ。

兄ちゃんのこと追いかけて、兄ちゃんのやってることは全部やりたくて。

でも、いつまでたっても兄ちゃんには追いつけないんだよね。

兄ちゃんはいいお嫁さんもらって、可愛い子供がいて、立派な家があって、親友がいて。

兄ちゃんは全部手に入れてる気がする。

仕事でもみんなに慕われてるしね。

情に深いところ、時々熱くなるところなんかは、私には真似できない。


それでも、私と兄ちゃんはやり方が違っても、私は私なりに頑張るから。

これからもライバルとして、よろしく。珠希)



珠希は書いた手紙を封筒に入れて、隣の礼二のデスクに置いた。


礼二のデスクは相変わらず散らかっていた。手紙はその乱雑なデスクに散らばる他の郵便物や書類に埋もれるようだった。

これじゃ、読まれないかもしれない。

珠希は封筒に「兄ちゃんへ、感謝の気持ちを込めて。」と書いてみた。

でも、それを書いてから急にこんな改まった手紙を渡すのが恥ずかしく思えてきて、慌てて手紙を丸めてポケットにしまった。


珠希は少し考えた後、そこにあった大きめの付箋に勢いよく「兄ちゃんへ」と書きはじめた。



珠希はその付箋のメモをフーズボールにバンっと貼った。

風に吹かれても飛ばないように。

珠希は自分の段ボールの中からテープを取り出し、付箋の上を留めた。

オフィスの窓が少し開いていて、いい風が吹いていた。

そこからは常願川の桜の木が見える。

桜はまだ蕾だったが、昨日よりも蕾がピンクに色付いているように見えた。

珠希は窓を全開にして深呼吸するように外の空気を吸い込んだ。

珠希のストレートの髪がサラサラと風になびく。


珠希はもう一度オフィスを見渡した。

このオフィスともさよならか。


そして珠希はオフィスを去った。


「兄ちゃんへいつもありがとう。

またフーズボールしにここに遊びに来るね。私達、これからもライバルだから!よろしく。珠希」

そう書いた付箋が風に揺れていた。
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