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18.「逢魔が刻」

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逢魔おうまとき

 桜の部屋は勉強机にベッドと本棚。中学生の女子には似つかわしくないほど質素しっそな部屋だ。
 昨日訪れた時と、何も変わらない。まるでこの部屋だけ時間の経過をこばんでいるようだ。
 めぐみは勉強机の椅子を引き、座った。その隣で月原がそっと見守る。
 めぐみは何かに引き寄せられるかのように、今この場にいる。理由は分からない。何をするべきなのかも。
 ただ、黙って窓の外を見た。日が暮れていく。その光景を綺麗だとも、さびしげだとも思わない。ただ、無心で――
 見えなくなるまで、ただ月原と夕日をながめていた。日が沈み、やがてあたりが薄暗くなる。

 そして、それは唐突とうとつに始まった。
 また、めぐみの視界は暗転し、暗闇の中だ。
 しかし目をらすと、何か、また――見えてくる。


『お姉ちゃん。あのね、実は最近好きな人ができたんだ』
 少女は恥ずかしそうにうつむく。
 お姉ちゃんと呼ばれた少女は嬉しそうに笑っている。
『あ、分かった! 雅史君でしょ? この前遊びに来てた』
『あー、やっぱり分かる?』
 顔を真っ赤にして照れている少女は、間違いない。桜だ。そして、その隣に座るのは若い頃の母、聖子だ。
 はっきり分かる。めぐみは今、過去を見ていた。ただの傍観者ぼうかんしゃで、二人に触る事も話すことも出来ない。透明な自分がそこにいる。不思議な感覚だ。

『でもね、雅史君さ、他に好きな人がいるんだ』
 それは目の前にいる、姉の聖子だ。しかし桜はその名前を告げようとはしない。
『そっか……。告白はしたの?』
『してないよ――。駄目だって分かってるもん』
『そんなの分からないじゃん』
『分かるもん――』
 桜は涙目になりながら俯いた。その姿に聖子は少し考えてから口を開いた。
『ね、桜。最近ね学校で流行ってるおまじないがあるんだ』
 おまじない、それはたしか祖母の口からも聞いていた。
『え、何それ?』
『昔にみんなで遊びに言った古川って覚えてる? あそこの川原でハートの形をした石を拾った子がね、片思いしてた子から告白されたんだって。恋のおまじないだよ』
 思わず桜は吹きだした。
『お姉ちゃん、高校生って私が思ってたより子供なんだね』
『なーにーよ。いいじゃないロマンがあって』
 照れているのか、聖子の顔も真っ赤だ。
『じゃあ、今度一緒に探してくれる?』
『あらー?子供っぽいんじゃないの』
 聖子は意地悪そうな笑顔を覗かせる。
『むー、いいじゃん。お願い』
『可愛い妹の為よ! お姉ちゃんに任せなさい!もうすぐ取りにいけなくなるし、早めにいくわよ』

 仲睦まじい姉妹の何気ない日常。そこには恨みや憎しみなど、どこにも感じなかった。しかし、桜の想い人は聖子の事を好いていた。そしてその事実は聖子だけが知らない。
 姉に笑顔をむける桜の胸中きょうちゅうは――
 突然、映像が薄れていく。恐らく時間が来たのだ。
 全体像がぼやけ、暗くなっていく。その中で、桜だけがまだ形を残している。
 桜はふと、めぐみの方を見つめた。実態が無いはずなのに。見つめながら手を伸ばし、振りしぼるように言葉をつむぐ
「一緒に……来て――


めぐみが気付くと、もう日は完全に落ちていた。
ほんのわずかな時間、めぐみは過去を見ていた。そうだ、以前も同じ経験をしたがじきに忘れてしまった。記憶にも残らなかった。
しかし、今回ははっきりと記憶に残っていた。

「逢魔が刻ね」
 月原は静かに口を開いた。
「おうまがとき?」
 めぐみは聞きなれない言葉を反芻した。
「逢魔が刻――昼と夜の境。そこは人間の世界と神、妖怪の世界の境界が曖昧あいまいになる時間で、普段は干渉かんしょうできないものが、見えないものが見える事があるの。今、あなたも見たんでしょう」
「……どうして、あんなものを見せたのかな」
「誰かが、あの光景を見て欲しかったんでしょうね」
「お母さんと、叔母さんの――
 一体、誰が、何か伝えたいことでもあるのだろうか。そういえば、最後に
「一緒に……来てって、言ってたね」
 めぐみがそういうと月原は首を振った。
「私には聞えなかったわ。そもそも私はあの光景を見ていただけで、声は何も聞えなかったの。やっぱり、あなたに向けてのメッセージだったのね。私はおまけね」
 月原にではなく、自分に向けて。月原とは違い、き物に対して、知識も力も無く。たくされたのは何もできない無力な自分だ。

 
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