月原さんの憑き物祓い 画霊

珈琲妖怪

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25「黄色い家」

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25「黄色い家」


アルルとはなんとも皮肉な名前だと、華名子は思った。 


 ゴッホが描いた歴史的名画の「夜のカフェテラス」「黄色い家」「アルルの跳ね橋」そして四枚の「ひまわり」を描き上げ、ゴーギャンと共同生活を送った場所。ゴッホが才能を開花させ、代表作の多くが生み出されたのがアルルだ。
 画家のユートピアを夢見て、ゴーギャンと共に過ごした日々はきっと、彼にとって、人生の中でも、幸福な時間だっただろう。
絵の為に全てを捧げ、最後には精神を病み、周囲の人々を、そして自分自身を傷つけながらこの世を去ったゴッホ。 
 ゴッホが父親で、ゴッホから遠ざかったゴーギャンがまるで、今の自分のようだと華名子は自嘲した。
 では、今から会う女は一体なんだろうか。同じくゴーギャンか、支え続けた弟のテオだろうか。それとも恋多き人生を送ったゴッホの愛した女の一人だったのだろうか。
 それならば、まだテオならば――許せるが
 もし、未亡人だったケーや娼婦だったシーン、愛のため、毒まで飲んだマルホットならば――
 それは、母だ。母にしか許されない。死の間際まで、父を待ち続けた母だけが、ケーであり、シーンであり、マルホットであるのだ。
 そこに他人が入ることなんて許されない。
そう思いながら、目の前の黄色の外壁の小さな喫茶店を見上げた。ここが、文字通り、父のアルルというわけだ。
 
一度この喫茶店の前を通り営業時間を確認した。二十時までというので近くの駐車場に車を止めてひたすら待つ。 
 次第に日が沈み、夜の帳が下りる頃、華名子は大きな荷物を抱えてアルルへ歩き出した。ゴッホの招きを受け、アルルへ向かうゴーギャンはどんな気分だったのだろうか。少なくとも、今の華名子のように陰鬱とした感情では無かっただろう。きっと、気の合う友と絵に囲まれた素晴らしい日々が待っていると思っていたのだろうが、強烈な個性を持つ二人の生活は長くは続かず、自らの耳を切り落としたゴッホから逃げるように、ゴーギャンはアルルから去る事になる。 
 自分は、どのようにこの場を去るのだろうか。 
 客もいないのだろう、二十時ピッタリにその女は店を出来てた。女は看板をCLOSEに替えると、そのまますぐに店の中に戻っていった。その光景を遠巻きに眺めていた華名子は急いでアルルへ向かった。 
 急ぐことは無い、情報が正しいならあの女はここに住んでいるのだから。 どこにも行かない――
 焦るな――
華名子は周囲に、人の気配がない事を確認すると、迷わずその扉を開いた。 
 扉を開くと目に飛び込んできたのは、壁に掛けられた白い花の絵だ。そして、カウンター席とテーブル席が二つのこじんまりとした店の奥から物音に気づいた女が出てきた。
 女は恐らく四十代で、痩せており、どこか幸薄そうな顔をしていた。 
「申し訳ありません、本日はもう閉店しておりまして――
 女はそう言いながら華名子の顔をみると、言葉を失った。
しかし驚きに満ちた表情から、すぐに悲しげで、懐かしそうな表情に変わった。 
「すいません、閉店時間なのは分かっています」 
 女はかなこが抱える荷物に目をやった。布を被せてあるので中身は分からないであろうが、大きさで大体の察しはつくだろう。送り主なら。 
「――好きな所へ座って下さい」
 女はそういうと、踵を返しカウンターの中へ入っていったので、かなこも脇にひまわりの絵を置き、カウンター席に座った。 
 女は慣れた手つきでコーヒーを淹れ始めた。コーヒーに湯を注ぐと、周囲にフルーティな香りが漂う。かなこはコーヒー通というわけでは無いが、このフルーティな香りがするコーヒーには覚えがあった。 
 抽出を終えたコーヒーがカップに注がれ、華名子の前に差し出された。飲めという事なのだろうか。女は何も言わない。 
 華名子は一口、口にすると、その懐かしい香りを、そしてこのコーヒーを好んでいた人物を嫌でも思い出した。 
「これは……このコーヒーは」 
 華名子がそう口にすると女は 
「イルガチェフ、フルーティな酸味が特徴なの。美味しいでしょ?」
 そう答えた。華名子は「はい」と答えようとしたが、女は先に口を開いた。 
「あなたのお父さんが好きだったコーヒーよ。池内華名子さん」

 一瞬の沈黙。驚きはしない。華名子は冷静に返した。
「――杉浦律子さんですね」
 律子は黙って頷いた。
「絵を、送ったのは、あなたですか」
 律子は華名子の脇に置かれた布でくるまれた、それに目をやった。
「ひまわりの絵でしょう」
 それが答えだった。華名子の心臓が、強く、脈を打つ。
 ここからだ、何故、この絵を送ったか。それを聞かねばならない。
 その意図を、父が託したならば、その意思を。画霊が汲み取ったものを。
想いを晴らし、自分を慕う――佐々木理穂を救うのだ。

しかし華名子の口からは、やはりと言うべき言葉が口をついた
「あなたは――父とどういう関係だったんですか」
律子は華名子から視線を落とし、手元にある、自分の為に淹れたコーヒーを見ていた。
口をつぐむつもりか――それなら、何が何でも――
「私は、あなたのお父さんの――支援者、って感じかしらね」
「支援者――どういう事ですか」
「その言葉どおりよ。このお店はね、裏は私の家でもあるの。そこにあの人を住まわせて、自由に絵を描いてもらっていたの。たまに、悪いと思ってお友達のところでアルバイトをしていたようだけど、最近は全くだったわ」
「ヒモみたいですね」
 華名子がそういうと、律子は驚いたような顔をしたが、すぐに小さく笑い出した。それはまるで自嘲しているようだった。
「まあ、確かにヒモね。あの人、この仕事で手伝ってくれるとしたら、閉店後のお掃除くらいだったもの。それだけ。あとはひたすら絵を描いていたわ」
 その表情を見て、華名子は確信した。
 この人は支援者のテオではない。
 表情から、言葉の端から、そうではないと感じられる。それは、華名子が女だからだろうか。
「どうして、父を――支え続けたんですか」
 分かりきっているのに――やめておけばいいのに――

「――愛していたから」

「そう――ですよね」

「娘のあなたや、亡くなられた奥様には申し訳ないと思っているわ。許して欲しいとは思わないし、許されるとは思わない」

「――知っていたんですか? 私たちの事を」

「ええ――あの人を拾ってから、数年してからだけど。あの人との子供が出来た時ね。結婚して欲しいって、言ったら、その時はじめて奥さんと子供を捨ててきたって教えてくれたわ」
 律子はどこか寂しそうな顔をした。
「驚きはしなかったの。心のどこかで、そうじゃないかって。私も離婚した事があるから分かるけど、やっぱり一度結婚した事がある人って分かるのよ」
 華名子は心臓が、強く、強くまるで波がうねる様に鳴り響き、手の先から血の気を引いていた。
ああ、やはり――

 華名子は鞄のナイフを想像していた。

「子供は流れちゃったし、結婚は出来なかったけど、それでも私はあの人と一緒にい続けたわ。抱いてはくれるけど、愛してるとは言ってくれなかった。だけど、私にはそれで十分だったわ。前の夫がね、酷い男だったの」
 律子はタートルネックを着ていたが、襟元を軽くまくると、醜い火傷が見えた。華名子は思わず、目を逸らした。
「服の下はもっと酷いわよ。離婚してからも、男におびえ、醜い体を抱えながら、小さくなりながら生きていたわ。そんな時、あなたのお父さん……進に出会ったの。あの人は醜い私を拒絶せず、全てを受け入れてくたわ。そんなあの人の隣でいられるだけで、私は幸せだった」
 律子の独白に、華名子はどうしたらいいか、一瞬分からなくなるが――

 母の顔が浮かんだ

 そうだ、辛い目にあったのは、目の前の律子だけではない

 母も、自分だって――

 そう思うと、華名子の口から自然と言葉が溢れてきた。
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