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四話
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アンネがリークス家に居た老僕ゴンロウを見かけたのはまったくの偶然であった。
兄の部屋の整理を一段落させた。書籍の類はアンネにもフレンにも知識がなかったのでとりあえず目録だけ付けて後日詳しいものを呼んで調べさせることになった。
フレンと共に食事をした後、フレンが千鳥の香炉を見て思い付いたのだろう。午後は一緒に香木の香りでも聞きませんか? と誘ってきたがそれをアンネは辞した。
行きたい場所もあったしあまり長い時間フレンと同じ空間に居ることも少し気後れした。
フレンと別れてアンネは婆やに兄がよく行っていた山はどこなのだと聞いた。
婆やは少し、いや、しばらくうーんと唸りながら考え込んであぁと口に出した。
「聞いたような気もするんですだが最近物忘れがひどくてよく分かりませんだ。ゴンロウがいつも供をしておったんですんでゴンロウに聞けば分かると思いますだが……」
「ゴンロウは居なくなってしまったんだろ?」
「へぇ、あのごんたくれはほんに恩知らずですだ」
「どこに行ったか本当にわからないのか?」
「へぇ、ほんに。オリバー様が亡くなってすぐでしたんに、おかげわしはてんてこまいでしただ」
「待て、ちょっと待て婆や」
アンネは言葉を止めた。ゴンロウは兄が亡くなってすぐ姿を消した。これはなにかあるじゃないか? とアンネは思った。
ゴンロウはアンネが産まれるずっと前からこの家に勤めていた。気が優しく、確かに多少頭の回転が鈍く苛立つこともあったが良く仕えてくれていた。
そんなゴンロウが姿を消したのに少しも探している様子がない、兄が死んで慌ただしくもあっただろうし所詮老僕一人のことと思って放っておいてるのかもしれないが……。
そこまで考えてアンネはもう一度婆やに尋ねた。
「ゴンロウが居なくなったのは兄上が死んですぐのことなのだな、間違いはないか?」
「へぇ、間違いございませんだ……」
「わかった。ありがとう。もういいぞ」
曲がった腰を大事そうに抱えて去っていく婆やの後ろ姿を見ながら一度父上に聞いてみる必要があるなと、アンネは一人呟いた。
とは言え、まだアンネの父は政務に出ており屋敷には居ない。結局時間を持て余すことには違いなく、行くところがありますのでとフレンに告げて出てしまった以上屋敷に戻るのはまずい。仕方ないのでアンネは近くを歩いて回ることにした。
昔の思い出などを思い返しつつしばらく歩いていると見事な椿が咲いた山口に足を踏み入れた。これは美しいなと思いながら椿に彩られた山道を登っていく。
もしやここなのでは、と思った。兄は椿の花が好きだった。ここを気に入り山歩きをしていたとしても不思議ではない。
いや、そうとしか思えなくなった。ここをきっと兄は歩いていたのだと思うと兄と一緒に歩いている気分になる。影まで見えてくるようだ。
なんとなく寂しげな気持ちで歩いていると、前方でなにかを引きちぎるような音が聞こえた。素早く身を沈め木陰に隠れる。腰に手を回そうとして自分が帯刀していないことに気が付いた。思わず舌打ちしそうになるがぐっと堪えて音が聞こえてくる方を覗き見る。
男が一人いて、椿の花をもぎっているようだった。もぎった花を腕に提げた籠に入れている。
「すいませんなぁすいませんなぁ」
そう呟いてる声がうっすらと聞こえてきた。
ゴンロウではないか。アンネはその男がゴンロウであることに気が付いた。会いたいと思っていた男にこんな場所で出くわすとはなんという幸運であろうか。
「おい! ゴンロウ!」
「ひゃあ! ! !」
腰を抜かさんばかりに驚いたゴンロウがアンネをじっと見つめる。目でも悪いのかこれでもかと言うように目を細めている。
「私だ! アンネだ! わからないか?」
「あっはぁ? お嬢様……?」
自分に声をかけてきたのがアンネだと分かるとゴンロウは口を呆けたように開き、目には狼狽の色が浮かぶ。
アンネはなぜゴンロウがそのような顔をするのか不審であった。あれでは盗みの現行犯を衛兵に見つかった盗人の顔である。
そんなことを思っているとゴンロウはさっと身を翻し走り始めた。逃げたのだ。
「おい、待て! ゴンロウ!」
逃げられれば追うのが人情というもので猛然と逃げ出したゴンロウをアンネもまた猛然と追い始めた。
ゴンロウはずいぶんこの山に慣れているようでアンネはやもすると見失いかけることが何度かあったがそこはやはり枯れた老人であるゴンロウと若さ漲るアンネでは結果は見えていた。
「なぜ逃げる!」
ゴンロウの襟首を後ろから捕らえ、足払いをかけ倒す。しかしその倒し方はひどくゴンロウに気を遣ったものであり、まるで介護が必要な老人を寝具に寝かすような形であった。
「ひぇ! お許しを! お許しを!」
「ゴンロウが逃げなければなにもせぬし、怒ってもおらん。なぜ逃げた」
「おっぉ……」
体を自由にしてやるとゴンロウは這いつくばったようにして震え、声にならない声をあげる。尋常の様子ではない。この怯えようはなんだ。
アンネは努めて優しい声を出し、ここでなにをしていだとゴンロウに聞いた。
「つ、椿を……椿の花を摘んでおりましただ」
「なぜ椿の花を摘んでいた。家にでも飾るのか?」
そうではあるまいと分かりつつもアンネは尋ねた。ゴンロウにそのような洒落っ気や風流を解するようなところはなかった。
ゴンロウはなにも言わずただ這いつくばったままであった。
「兄上のために摘んでくれていたのではないか?」
アンネが言うとゴンロウは弾かれたように頭を上げた。
やはり、そうか。椿を摘んでいたところから見てもしやと思っていたが。とアンネは考えながらゴンロウの返事を待つ。
「へぇ、その通りです。オリバー様に捧げるために摘んでおりましただ」
「しかしお前はうちから逃げだしたのだろう。どこに持っていくつもりだったんだ?」
ここが潮だ、とアンネは思った。ゴンロウはなにかを知っている。兄上に関するなにかを。ここは取り零せないぞと気を張る。
それを怒気によるものだと勘違いしたのだろうゴンロウはまた這いつくばり申し訳ねぇ申し訳ねぇと繰り言を始める。
「大丈夫だ。ゴンロウ、お前がなにを言っても私はお前を傷つけない。お前がなにを言ってもお前から聞いたと誰にも言わない。約束しよう」
そう言いつつゴンロウの肩に手を置いてさすってやる。するとゴンロウは落ち着いてきたのか、「そんならぁ」と言い始めた。
「そんならぁお話しますだ。これはオリバー様が亡くなられたところにお供えするつもりでしただ。オリバー様はほんに椿を好んでおられましたましたゆえ」
「兄上が亡くなられたところ? どういうことだ屋敷で亡くなられたんじゃないのか? 」
「やっぱりそんなんことになってるですだか」
「待て! それはどういう意味だ! はっきり言え!」
「ひぇええ! お許しをお許しをお許しを」
くそっ! と毒づきたくのを我慢してアンネはまた優しい声を無理矢理に出しゴンロウをなだめすかし、先を話させようとする。
なぜこんな老人を幼子のようにあやさなければならないのか自分で自分が情けなくなる思いだが仕方ない。必要なことだと割り切る。
「すまんすまん、大きな声を出したな。もう出さない。それで兄上はどこで亡くなったんだ。大丈夫だ。話してみろ」
「あっ……はっ……へぇ。ここです」
「ここですだ」
ここ! ? また大声を出そうになるが喉を締めてそれに耐える。なんだどういうことだと掴みかかりたくがそれも抑える。大変な自制心が必要だった。
「オリバー様はこの山の尾根から落ちられ亡くなられました」
アンネは目眩がする思いだった。病で亡くなったと思った兄は実はそうではなかった。やはり初めて兄の訃報に接したときのあの違和感は正しかった。しかしまだ聞かねばならぬことは、ある。
「あ、兄上は……事故で死んだ、のか?」
事故に決まっている。だがそれなら、とアンネは思う。
それなら隠すことはない、兄上が病ではない死に方をしたのに病死ということにしたのならば必ず父上とフレンは関わっている。
「わ、わしは見たんですだ……だから屋敷から逃げ出したんですだ。オリバー様は黒髪の女に突き落とされたんですだ。わしにはそれがフレン様に見えたんですだ」
アンネはその日何度目かの衝撃に耐えきれずついに腰を地面に着けた。
フレンが兄上を殺した……?
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婆やは少し、いや、しばらくうーんと唸りながら考え込んであぁと口に出した。
「聞いたような気もするんですだが最近物忘れがひどくてよく分かりませんだ。ゴンロウがいつも供をしておったんですんでゴンロウに聞けば分かると思いますだが……」
「ゴンロウは居なくなってしまったんだろ?」
「へぇ、あのごんたくれはほんに恩知らずですだ」
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「へぇ、ほんに。オリバー様が亡くなってすぐでしたんに、おかげわしはてんてこまいでしただ」
「待て、ちょっと待て婆や」
アンネは言葉を止めた。ゴンロウは兄が亡くなってすぐ姿を消した。これはなにかあるじゃないか? とアンネは思った。
ゴンロウはアンネが産まれるずっと前からこの家に勤めていた。気が優しく、確かに多少頭の回転が鈍く苛立つこともあったが良く仕えてくれていた。
そんなゴンロウが姿を消したのに少しも探している様子がない、兄が死んで慌ただしくもあっただろうし所詮老僕一人のことと思って放っておいてるのかもしれないが……。
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「ゴンロウが居なくなったのは兄上が死んですぐのことなのだな、間違いはないか?」
「へぇ、間違いございませんだ……」
「わかった。ありがとう。もういいぞ」
曲がった腰を大事そうに抱えて去っていく婆やの後ろ姿を見ながら一度父上に聞いてみる必要があるなと、アンネは一人呟いた。
とは言え、まだアンネの父は政務に出ており屋敷には居ない。結局時間を持て余すことには違いなく、行くところがありますのでとフレンに告げて出てしまった以上屋敷に戻るのはまずい。仕方ないのでアンネは近くを歩いて回ることにした。
昔の思い出などを思い返しつつしばらく歩いていると見事な椿が咲いた山口に足を踏み入れた。これは美しいなと思いながら椿に彩られた山道を登っていく。
もしやここなのでは、と思った。兄は椿の花が好きだった。ここを気に入り山歩きをしていたとしても不思議ではない。
いや、そうとしか思えなくなった。ここをきっと兄は歩いていたのだと思うと兄と一緒に歩いている気分になる。影まで見えてくるようだ。
なんとなく寂しげな気持ちで歩いていると、前方でなにかを引きちぎるような音が聞こえた。素早く身を沈め木陰に隠れる。腰に手を回そうとして自分が帯刀していないことに気が付いた。思わず舌打ちしそうになるがぐっと堪えて音が聞こえてくる方を覗き見る。
男が一人いて、椿の花をもぎっているようだった。もぎった花を腕に提げた籠に入れている。
「すいませんなぁすいませんなぁ」
そう呟いてる声がうっすらと聞こえてきた。
ゴンロウではないか。アンネはその男がゴンロウであることに気が付いた。会いたいと思っていた男にこんな場所で出くわすとはなんという幸運であろうか。
「おい! ゴンロウ!」
「ひゃあ! ! !」
腰を抜かさんばかりに驚いたゴンロウがアンネをじっと見つめる。目でも悪いのかこれでもかと言うように目を細めている。
「私だ! アンネだ! わからないか?」
「あっはぁ? お嬢様……?」
自分に声をかけてきたのがアンネだと分かるとゴンロウは口を呆けたように開き、目には狼狽の色が浮かぶ。
アンネはなぜゴンロウがそのような顔をするのか不審であった。あれでは盗みの現行犯を衛兵に見つかった盗人の顔である。
そんなことを思っているとゴンロウはさっと身を翻し走り始めた。逃げたのだ。
「おい、待て! ゴンロウ!」
逃げられれば追うのが人情というもので猛然と逃げ出したゴンロウをアンネもまた猛然と追い始めた。
ゴンロウはずいぶんこの山に慣れているようでアンネはやもすると見失いかけることが何度かあったがそこはやはり枯れた老人であるゴンロウと若さ漲るアンネでは結果は見えていた。
「なぜ逃げる!」
ゴンロウの襟首を後ろから捕らえ、足払いをかけ倒す。しかしその倒し方はひどくゴンロウに気を遣ったものであり、まるで介護が必要な老人を寝具に寝かすような形であった。
「ひぇ! お許しを! お許しを!」
「ゴンロウが逃げなければなにもせぬし、怒ってもおらん。なぜ逃げた」
「おっぉ……」
体を自由にしてやるとゴンロウは這いつくばったようにして震え、声にならない声をあげる。尋常の様子ではない。この怯えようはなんだ。
アンネは努めて優しい声を出し、ここでなにをしていだとゴンロウに聞いた。
「つ、椿を……椿の花を摘んでおりましただ」
「なぜ椿の花を摘んでいた。家にでも飾るのか?」
そうではあるまいと分かりつつもアンネは尋ねた。ゴンロウにそのような洒落っ気や風流を解するようなところはなかった。
ゴンロウはなにも言わずただ這いつくばったままであった。
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アンネが言うとゴンロウは弾かれたように頭を上げた。
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「へぇ、その通りです。オリバー様に捧げるために摘んでおりましただ」
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ここが潮だ、とアンネは思った。ゴンロウはなにかを知っている。兄上に関するなにかを。ここは取り零せないぞと気を張る。
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「兄上が亡くなられたところ? どういうことだ屋敷で亡くなられたんじゃないのか? 」
「やっぱりそんなんことになってるですだか」
「待て! それはどういう意味だ! はっきり言え!」
「ひぇええ! お許しをお許しをお許しを」
くそっ! と毒づきたくのを我慢してアンネはまた優しい声を無理矢理に出しゴンロウをなだめすかし、先を話させようとする。
なぜこんな老人を幼子のようにあやさなければならないのか自分で自分が情けなくなる思いだが仕方ない。必要なことだと割り切る。
「すまんすまん、大きな声を出したな。もう出さない。それで兄上はどこで亡くなったんだ。大丈夫だ。話してみろ」
「あっ……はっ……へぇ。ここです」
「ここですだ」
ここ! ? また大声を出そうになるが喉を締めてそれに耐える。なんだどういうことだと掴みかかりたくがそれも抑える。大変な自制心が必要だった。
「オリバー様はこの山の尾根から落ちられ亡くなられました」
アンネは目眩がする思いだった。病で亡くなったと思った兄は実はそうではなかった。やはり初めて兄の訃報に接したときのあの違和感は正しかった。しかしまだ聞かねばならぬことは、ある。
「あ、兄上は……事故で死んだ、のか?」
事故に決まっている。だがそれなら、とアンネは思う。
それなら隠すことはない、兄上が病ではない死に方をしたのに病死ということにしたのならば必ず父上とフレンは関わっている。
「わ、わしは見たんですだ……だから屋敷から逃げ出したんですだ。オリバー様は黒髪の女に突き落とされたんですだ。わしにはそれがフレン様に見えたんですだ」
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