84 / 104
第十二章 浪華裏花街エレジィ
賭
しおりを挟む
弥助と瑠璃駒が乗り込もうとしていた舟を半円に囲むやくざ者たちの中から、頭と思しき男が進み出てきた。
身なりは小ざっぱりとした上等そうな着物姿だが、剃り上げた頭の下には腫れぼったい瞼の凶相が口の端を歪めている。
「弥助ぇ。なんぼなんでも仁義っちゅうもんがあるんと違うか」
存外におっとりした口調ではあるものの、その濁声には有無を言わせぬ威圧感がある。
弥助は声の主を振り仰ぎ、悲痛な声で叫んだ。
「仁義て……! 身請けの証文に間違いないて言うたやありまへんか! 落籍代もみな払たいうのに、次の年季の分あるなんて聞いとりまへん!」
「なに寝惚けたこと言うとんねん、ボケ。昔から決まっとるやろ、若衆は十五から十八が盛りの花やて。瑠璃駒はこれからや。あんたがはした銭で買うたんはせいぜい蕾の時期の年季やで。この子にはまだまだ稼いでもらわな割に合わへんわ」
「なんちゅう……殺生な……!」
「殺生なぁ?」
頭が嘲笑するように弥助の口真似をし、やくざ者たちがどっと笑った。
舟着き場へと降りる石段の上から頭が足を踏み出し、弥助と瑠璃駒を睨め下ろした。
「なめた真似しくさって、ガキらが。しょうもない額の金置いて逃げられる思うたら大間違いや。誰がワレらのケツ持ちしてきたったんじゃ。飯食えてんのはこの鏡浪組のおかげやぞ」
頭の口調が豹変した。
冷徹で凄味の籠った脅しに、弥助も瑠璃駒も思わず息を呑む。
「まあ、せやけどな、ワシも鬼とちゃうさかい。瑠璃駒置いて去ねや。ほいたら弥助、あんたの不義理も水にしたるわ。……なあ瑠璃駒。お前もワシのチンポ恋しいやろ」
再び下卑た笑いが湧き、瑠璃駒が身を強張らせた。
掴んでいた弥助の手に一瞬ぎゅっと力を込め、そしてゆっくり離すとやくざ者の輪へ向け石段に足を掛けた。
「……うち、行くわ」
「瑠璃駒っ……!」
「おおきに、弥助」
どのみちこのままでは二人とも逃げられはしない。無理に舟を出させたところですぐさま追い付かれ、明くる日には土左衛門となって道頓堀に浮かぶだろう。
せめて弥助を確実にここから離すためにも、瑠璃駒は鏡浪組の言いなりになるしかなかった。
「ええ子ぉや。こっちゃおいで」
頭が舌なめずりでもするかのような表情で手を伸ばす。
そして小刻みに震える瑠璃駒がその手を取ろうとした時――。
「待たれよ」
突然背後から放たれた大喝に、やくざ者たちは手元の得物を握り直して一斉に振り返った。
そこには無手で佇む隼人の姿が。
「鏡浪組の頭、藤右衛門殿とお見受けする」
「……どちらさんでっしゃろ」
細い片目を見開き、藤右衛門と呼ばれた頭が隼人に鋭い視線を振り向けた。
「それがしは元紀州藩・片倉隼人と申す者。藤右衛門殿、かつて大阪の治安維持にあたった名にし負う“浪華隊”の一員であられた方が、これはいかなことか」
「こらまた古い話を……。あんた、旧幕の亡霊かいや」
浪華隊――。
1868(慶応4)年から1870(明治3)年まで大阪の治安維持を担った部隊で、当地警察の前身でもある組織だ。
鳥羽伏見の戦以降の大阪は無政府状態にあり、これを保安するため新政府によって創設された府兵部隊である。
そしてこの浪華隊を率いたのが、かつて江戸三大道場の一つに数えられた鏡心明智流・桃井春蔵だったのだ。
「技の千葉」と呼ばれた北辰一刀流、「力の斎藤」と称された神道無念流に加え、品格ある気迫から「位の桃井」と讃えられたことが知られている。
維新後も紀伊と大阪を任務で往来していた隼人は、この浪華隊をよく見知っていた。
そして今や裏社会に生きるかつての隊士、藤右衛門のことも。
「それがしを覚えておいででなければそれでよい。が、この話には無関係ではござらぬ。なれば瑠璃駒殿を身請けするは――それがしゆえに」
そう言うと隼人は懐から一通の為替手形を取り出し、篝火の明かりにかざした。
そこには瑠璃駒を身請けするために弥助が用意した金子の、倍の額が記されていた。
「藤右衛門殿、賭けをせぬか」
「ほう……?」
興をそそられたように、藤右衛門が口の端を吊り上げた。
「それがしが勝てば、この手形と引き換えに瑠璃駒殿と弥助殿を自由の身に。それがしが負ければ、この手形を取って後はご随意に」
「あんたになんも得なことありまへんな、片倉はん。せやけど――おもろいな! なにを賭けはんねや」
隼人は頷き、さっと羽織を脱ぎ捨てると高らかに宣した。
「一騎打ちを、所望する」
身なりは小ざっぱりとした上等そうな着物姿だが、剃り上げた頭の下には腫れぼったい瞼の凶相が口の端を歪めている。
「弥助ぇ。なんぼなんでも仁義っちゅうもんがあるんと違うか」
存外におっとりした口調ではあるものの、その濁声には有無を言わせぬ威圧感がある。
弥助は声の主を振り仰ぎ、悲痛な声で叫んだ。
「仁義て……! 身請けの証文に間違いないて言うたやありまへんか! 落籍代もみな払たいうのに、次の年季の分あるなんて聞いとりまへん!」
「なに寝惚けたこと言うとんねん、ボケ。昔から決まっとるやろ、若衆は十五から十八が盛りの花やて。瑠璃駒はこれからや。あんたがはした銭で買うたんはせいぜい蕾の時期の年季やで。この子にはまだまだ稼いでもらわな割に合わへんわ」
「なんちゅう……殺生な……!」
「殺生なぁ?」
頭が嘲笑するように弥助の口真似をし、やくざ者たちがどっと笑った。
舟着き場へと降りる石段の上から頭が足を踏み出し、弥助と瑠璃駒を睨め下ろした。
「なめた真似しくさって、ガキらが。しょうもない額の金置いて逃げられる思うたら大間違いや。誰がワレらのケツ持ちしてきたったんじゃ。飯食えてんのはこの鏡浪組のおかげやぞ」
頭の口調が豹変した。
冷徹で凄味の籠った脅しに、弥助も瑠璃駒も思わず息を呑む。
「まあ、せやけどな、ワシも鬼とちゃうさかい。瑠璃駒置いて去ねや。ほいたら弥助、あんたの不義理も水にしたるわ。……なあ瑠璃駒。お前もワシのチンポ恋しいやろ」
再び下卑た笑いが湧き、瑠璃駒が身を強張らせた。
掴んでいた弥助の手に一瞬ぎゅっと力を込め、そしてゆっくり離すとやくざ者の輪へ向け石段に足を掛けた。
「……うち、行くわ」
「瑠璃駒っ……!」
「おおきに、弥助」
どのみちこのままでは二人とも逃げられはしない。無理に舟を出させたところですぐさま追い付かれ、明くる日には土左衛門となって道頓堀に浮かぶだろう。
せめて弥助を確実にここから離すためにも、瑠璃駒は鏡浪組の言いなりになるしかなかった。
「ええ子ぉや。こっちゃおいで」
頭が舌なめずりでもするかのような表情で手を伸ばす。
そして小刻みに震える瑠璃駒がその手を取ろうとした時――。
「待たれよ」
突然背後から放たれた大喝に、やくざ者たちは手元の得物を握り直して一斉に振り返った。
そこには無手で佇む隼人の姿が。
「鏡浪組の頭、藤右衛門殿とお見受けする」
「……どちらさんでっしゃろ」
細い片目を見開き、藤右衛門と呼ばれた頭が隼人に鋭い視線を振り向けた。
「それがしは元紀州藩・片倉隼人と申す者。藤右衛門殿、かつて大阪の治安維持にあたった名にし負う“浪華隊”の一員であられた方が、これはいかなことか」
「こらまた古い話を……。あんた、旧幕の亡霊かいや」
浪華隊――。
1868(慶応4)年から1870(明治3)年まで大阪の治安維持を担った部隊で、当地警察の前身でもある組織だ。
鳥羽伏見の戦以降の大阪は無政府状態にあり、これを保安するため新政府によって創設された府兵部隊である。
そしてこの浪華隊を率いたのが、かつて江戸三大道場の一つに数えられた鏡心明智流・桃井春蔵だったのだ。
「技の千葉」と呼ばれた北辰一刀流、「力の斎藤」と称された神道無念流に加え、品格ある気迫から「位の桃井」と讃えられたことが知られている。
維新後も紀伊と大阪を任務で往来していた隼人は、この浪華隊をよく見知っていた。
そして今や裏社会に生きるかつての隊士、藤右衛門のことも。
「それがしを覚えておいででなければそれでよい。が、この話には無関係ではござらぬ。なれば瑠璃駒殿を身請けするは――それがしゆえに」
そう言うと隼人は懐から一通の為替手形を取り出し、篝火の明かりにかざした。
そこには瑠璃駒を身請けするために弥助が用意した金子の、倍の額が記されていた。
「藤右衛門殿、賭けをせぬか」
「ほう……?」
興をそそられたように、藤右衛門が口の端を吊り上げた。
「それがしが勝てば、この手形と引き換えに瑠璃駒殿と弥助殿を自由の身に。それがしが負ければ、この手形を取って後はご随意に」
「あんたになんも得なことありまへんな、片倉はん。せやけど――おもろいな! なにを賭けはんねや」
隼人は頷き、さっと羽織を脱ぎ捨てると高らかに宣した。
「一騎打ちを、所望する」
1
あなたにおすすめの小説
改造空母機動艦隊
蒼 飛雲
歴史・時代
兵棋演習の結果、洋上航空戦における空母の大量損耗は避け得ないと悟った帝国海軍は高価な正規空母の新造をあきらめ、旧式戦艦や特務艦を改造することで数を揃える方向に舵を切る。
そして、昭和一六年一二月。
日本の前途に暗雲が立ち込める中、祖国防衛のために改造空母艦隊は出撃する。
「瑞鳳」「祥鳳」「龍鳳」が、さらに「千歳」「千代田」「瑞穂」がその数を頼みに太平洋艦隊を迎え撃つ。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
幻の十一代将軍・徳川家基、死せず。長谷川平蔵、田沼意知、蝦夷へ往く。
克全
歴史・時代
西欧列強に不平等条約を強要され、内乱を誘発させられ、多くの富を収奪されたのが悔しい。
幕末の仮想戦記も考えましたが、徳川家基が健在で、田沼親子が権力を維持していれば、もっと余裕を持って、開国準備ができたと思う。
北海道・樺太・千島も日本の領地のままだっただろうし、多くの金銀が国外に流出することもなかったと思う。
清国と手を組むことも出来たかもしれないし、清国がロシアに強奪された、シベリアと沿海州を日本が手に入れる事が出来たかもしれない。
色々真剣に検討して、仮想の日本史を書いてみたい。
一橋治済の陰謀で毒を盛られた徳川家基であったが、奇跡的に一命をとりとめた。だが家基も父親の十代将軍:徳川家治も誰が毒を盛ったのかは分からなかった。家基は田沼意次を疑い、家治は疑心暗鬼に陥り田沼意次以外の家臣が信じられなくなった。そして歴史は大きく動くことになる。
印旛沼開拓は成功するのか?
蝦夷開拓は成功するのか?
オロシャとは戦争になるのか?
蝦夷・千島・樺太の領有は徳川家になるのか?
それともオロシャになるのか?
西洋帆船は導入されるのか?
幕府は開国に踏み切れるのか?
アイヌとの関係はどうなるのか?
幕府を裏切り異国と手を結ぶ藩は現れるのか?
世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記
颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。
ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。
また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。
その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。
この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。
またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず…
大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
【重要】
不定期更新。超絶不定期更新です。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる