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春の章

なかみは食べてのお楽しみ、よりどり緑の「めはり寿司」 その1

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僕たちはいっしょうけんめい、ひたすらにおにぎりを握っていた。
学校があるときは自分用のお弁当につくることもあるけれど、とにかくこんなに大量のおにぎりを見るのは生まれて初めてかもしれない。

「あっ。裕太くん、おっきさ揃えたってなあ」
「これくらいのん目安にしいや」

雨梨さんと蘆花さんがときおりアドバイスしてくれるのは、僕が握っているとしらずしらず大きめになっていくからだ。
その都度手を水に浸してはいるけれど、炊きたてのご飯は火傷しそうなほどに熱い。

隣の野窓さんをふと見やると、小さな手を真っ赤にしてもくもくとおにぎりを量産している。
「しゃあなしに手伝てっとうてるだけ」と言う割には、お店の仕事はほんとうに一心不乱にこなすのだ。

この大量のおにぎりには不思議な点があって、握るときに一切塩を付けていない。
まるっきり白飯のおにぎりなのだ。

バイトのためにここ「のまど」の暖簾をくぐった瞬間、

「ああ!裕太くん!ええとこに来はった!」
「ガミちゃん、手えあろてすぐ来て!」
「鴻上くん、修羅場や」

と、なぜか大わらわの三姉妹にわいのわいのと担がれるように、訳もわからないままおにぎりをつくり始めたのだった。

単純な作業のようだけれど、いざ仕事としてやってみるとほどなくその深淵の一端を垣間見ることになった。
まずびっくりするようなご飯の熱さはともかく、一定の大きさに揃えることが実に難しい。
それに、雨梨さんや蘆花さんが握ったものは見るからにふんわりとやわらかそうだけれど、僕のは明らかにガッチガチだ。

「……肩にちっちゃい重機乗っとるんかい」

と野窓さんが一度だけボケたけれど間もなくそんなゆとりもなくなった。
そう言う野窓さんのおにぎりも、僕より幾分かましなくらいでナイスバルクだ。眠れぬ夜もあったろう。

「よし!みんなおおきに。第2段階に入ろら」

大量の白飯おにぎりを前に雨梨さんが宣言し、今度は何やら大きなタッパーを取り出した。
蓋をあけると、中身はなにか青菜の漬物のようだ。

「はい、今日は登山するお客さんのお弁当に“めはり寿司”をつくってます!」

めはり寿司。
それはおにぎりを高菜の塩漬けで巻いた熊野地方の郷土料理で、かつて山仕事に向かう人がお弁当として携えたものだという。
高菜は細切れにしたものを見ることがあるが、めはり寿司では大きな葉っぱのままくるんで使う。
寿司とはいいながら酢飯ではないけれど、高菜自体の塩気と酸味で充分に味がつく。らしい。

「鴻上くんは食べたことあらへんの」
「うん、旅行ガイドでしか見たことないんよ」

野窓さんと僕の会話に雨梨さんがにこにこしながら、

「ほな今日きょうわはめはり寿司デビューやねえ」

と猫目を細めた。
この辺の方言では「今日は」をなぜか「今日は」というのだ。

「紀北地方の食べもんとちゃうけど、あたしらのばあちゃんが熊野から嫁いださかいな」

蘆花さんが補足し、野窓さんもうなずく。

「じゃあ裕太くん、味見どうぞ」

そう言って雨梨さんがまな板に高菜漬けの葉を広げ、両側から斜めに包丁を入れて軸の部分を外した。
軸はそのままみじん切りにして、器にとって何かのタレを加えて混ぜる。そしてさっき握った白飯おにぎりにぐっと埋め込んだ。

「ほんまは具を中に握りこむんやけど、今日は大量やから」

と言いつつ、そのおにぎりを高菜の葉でしっかりくるんだ。
渋い緑の葉色が目にも楽しい、まんまるな高菜巻きのおにぎり。
すすめられるまま人生初のめはり寿司にかぶりつく瞬間、三姉妹にじいっと見られているのがえらい恥ずかしい。

「うわっ、旨……!」

歯を立てると高菜を噛み切るぱりっとした食感につづき、存在感のある塩気とほどよい酸味が口に広がった。
ふんわりとしたお米は甘さが際立ち、あえて白飯で握ったのはこのバランスのためだったのだ。

もう一口食べ進めると、中に埋め込んだ高菜の軸のみじん切りがぱらぱらと舌に触った。

「あっ、甘辛い……?」

さっき絡めたタレの味だ。塩メインの味わいに絶妙なアクセントが添えられて、高菜の軸がすてきな具材に変身している。

「ほんまは具なしのこともあるし、軸にタレつけへんこともあるし。家庭それぞれらしいんよ」

雨梨さんの説明によると、軸だけではなくおにぎりをくるむ葉にも甘辛のタレや酢醤油をくぐらせるレシピもあるらしい。

「そやけど裕太くん、目えみはらんかったねえ」
「ガミちゃんの口なら余裕やろ」
「鴻上くん、つまらんな」

なんで怒られてるのだろうと思ったけれど理由はすぐにわかった。
目はり寿司とは「目張り寿司」のことで、かぶりつく際に大きく目を見はることに由来するという説があるのだそうだ。
期待に応えられなくてなんだか申し訳ない。

「さて、お客さん用にはさらに具材のバリエーションつけろらよ」

雨梨さんが楽しげに宣言し、次々と食材を取り出していった。
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