SAND PLANET

るなかふぇ

文字の大きさ
上 下
49 / 70
第七章 兄

3 遺棄

しおりを挟む


「フラン……!」

 フランの血を見て思わず岩陰から動こうとしたヴォルフだったが、即座に彼の右手によって制された。確かにいま出てはまずい。自分だけならまだしも、今は腕の中にいたいけな赤子がいるのだから。

(くそッ……!)

 奥歯を軋らせ、もとのように岩陰に半身を隠す。

『僕のことはいい。あとでどうとでも、好きにしてくれたらいいよ』
 フランの声はごく静かだ。先ほどまではあった震えが、今は止まっている。
『でも、この人と赤ちゃんのことは見逃して。お願いだよ』
『断る』
 男のいらえはもなかった。
『お前を抱いた時点で、そいつは万死に値する。なんで見逃してやる必要がある』
『アジュール──』

 フランが一歩前にでた。ゆっくりと両手を広げている。

『お願い。これだけ聞いてくれれば、もう他のことは何もいらない。僕のことはもう一生、君の好きにしたらいい。今すぐ殺してくれたって構わない』
『…………』
 男はじろりとフランを睨んだ。
『だから、お願い。この人とこの子を逃がしてあげて。彼らの宇宙船に戻してあげれば、それでいいんだ。あとは彼らが、勝手にこの星を離れてくれる』
 そこまで聞いて男は急に、皮肉げに頬をゆがめた。
『ふん。そうはいかないと思うがな』
『えっ? それって』

 問いただそうとするフランの声を聞き流して、男は刃に変化した自分の「指先」を丹念に眺めるようなそぶりを見せた。
 ヴォルフは嫌な予感にぐっと胃の腑が抑え込まれるのを覚えた。

(……まさか)

 まさかこの男は、もうすでに……?
 まさかとは思う。思うが、この男はひょっとすると、まっすぐマレイアス号に向かったのではないか? 陽動作戦に出た自分たちではなく、マレイアスの乗組員を先にほふってきたのだとしたら……?
 嫌な予感が胸をつかんで離さない。
 この男は、自分が思っていた以上に知的な生命体であるようだ。こちらの作戦そのものをとうに見切って、先にマレイアス号を殲滅せんめつする方を選んだ可能性は大いにある。
 その残虐な双眸そうぼうの奥で、フランに執着する気持ちと、嫌悪し排除すべき「ゴミ虫どもの船」を掃討したい気持ちとを天秤にかけ。
 そして、もしも後者がまさっていたら──。
 そう考えただけで、ざわざわと首の後ろの毛が逆立った。眼球の奥で、あのピットの無残な頭部がちらちらと明滅する。それが瞬時にタチアナとミリアの血まみれの顔に変わって、言い知れぬ吐き気をおぼえた。
 それはフランもまったく同じのようだった。

『まさか……アジュール。マ、マレイアス号の人たちを……?』
 男はふん、と鼻を鳴らした。
『そうじゃない。残念ながら、な』

 二人の懸念は幸いにしてあっさりと覆されたが、それはまた別の衝撃を伴ってもいた。

『こいつらの船は、もう大気圏を離脱している』
『え……?』
 フランがぴたりと停止した。信じられないという顔だ。ヴォルフもまったく同じだった。
『離脱……? 離脱って言ったの、アジュール』
『お前の聴力に異常がないなら、そうなんだろうよ』

 男はちょっと顎をあげ、口の端から犬歯をのぞかせてくくっと笑った。

『ちょっと待って。そんな……だって、まだヴォルフがいるのに──!』
『俺に言われても困る。やつらの都合なんぞ、俺が知るわけないだろう』
 冷笑したままの兄を見据えて、フランがぐっと言葉に詰まった。
『俺が「気象コントロール・システム」を起動して、間もなくだ。あの船がいた一帯を目標に地震を誘発させたからな。あのあたりが一番揺れたし、船の真下に大規模な亀裂が生じた。何もしなければ、あのまま地溝へ真っ逆さまだったろう』
『…………』
『虫どもは、揺れる地面から飛び上がるしかなかったわけだ。しばらくは上空を旋回していたようだったが、やがてこの星から離れていった。別に、嘘はついてないぞ』

 男の声はどこまでも冷ややかで憎々しげだ。それと同時に、男にはじっくりとヴォルフの精神を観察し、なぶる様子が見て取れた。
 ヴォルフは奥歯を噛みしめたまま、視線を足もとに落とした。少しでいい。その現実を自分に理解させる時間を必要としたのだ。

『そ……そんな──』
 対するフランは、体じゅうを震わせている。その頬から、さらに血の気が失せていた。
『要するに、そいつはのさ。疑うなら見に行ってみろ。お前だって飛べるんだ。跡形もなく消えていやがるのが分かるだろうさ』

 場はしばし、恐ろしい沈黙に支配された。
 いまや、聞こえるのは赤子の泣き声だけである。とはいえ今では少し落ち着いて、ぐずる程度になっている。

(置いていかれた、……か)

 ヴォルフはこくりと喉を鳴らし、突き付けられた現実をなんとか飲み下そうとした。
 なんとなく見下ろせば、腕の中の赤子が、涙で潤んできらきらした目でじっとヴォルフを見上げている。「パパ、どうしたの」と言わんばかりの澄んだ目だった。
 ヴォルフは赤子に微笑んで見せた。それは多分、ちょっと情けない笑みだったろう。

(……いや。覚悟はしてたんだ)

 そうだ。もちろんある程度の覚悟はしていた。赤子をつれてフランと船を離れる決心をしたときに。そればかりか、「マレイアス号に何かことあるときには、自分のことは構わずに逃げるように」とタチアナとミリアにも言い含めてきた。
 もちろん彼女たちには大いに反対された。だがそれをなんとか言いくるめ、納得させて出てきたのだ。もしも船や乗員になにかどうしようもない危険が迫れば、そのようにフォレスト大佐に進言してくれと。それがヴォルフの望みなのだと。
 だが、現実にそうなるのと事前に覚悟を決めていたというのとは、まったく別の問題だった。さすがに、「ショックはゼロです」と言い切るのは無理な相談というものだった。

 置いて行かれた。
 自分はもう、もとの世界に戻ることはかなわない──。

 その事実が、あらためてヴォルフのはらわたをじりじりと握りつぶした。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

Love looks not with the eyes, but with the mind

BL / 完結 24h.ポイント:21pt お気に入り:87

女装人間

現代文学 / 連載中 24h.ポイント:255pt お気に入り:12

夫には言えない、俺と息子の危険な情事

BL / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:201

弱みを握られた僕が、毎日女装して男に奉仕する話

BL / 完結 24h.ポイント:759pt お気に入り:10

ミルクの出ない牛獣人

BL / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:93

見つからない願い事と幸せの証明

BL / 完結 24h.ポイント:1,625pt お気に入り:8,156

【BL】【完結】兄様と僕が馬車の中でいちゃいちゃしている話

BL / 完結 24h.ポイント:134pt お気に入り:1,292

会社を辞めて騎士団長を拾う

BL / 完結 24h.ポイント:2,273pt お気に入り:39

だから女装はしたくない

BL / 完結 24h.ポイント:241pt お気に入り:5

処理中です...