SAND PLANET《外伝》~忘れられた惑星(ほし)~

るなかふぇ

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第二章 惑星(ほし)にひとりで

2 肉塊

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 やっとのことでドームに戻った少年は、AIに促されるまま、男の体を大型の《胎》へと運び込んだ。
 その巨大な装置は、ドームの地下一階部分の中央にある。部屋そのものもドームと同様の半球状であり、その中央に円柱状の《胎》が床から天井まで届く形で設置されていた。中はいつも、ぼうっと光るグリーンの液体で満たされている。
 少年は移動用の容器を抱え、部屋の外側をめぐる階段を使って、筒の上部ハッチに向かった。そうしてそこで容器をあけ、男の体の欠片をそうっとそうっとその中へ流し込んだ。

 男の体が、ぷくぷくと小さな泡をたてて羊水の中へ沈んでいく。
 一度では無理だったため、実際には何度も往復して同じことを繰り返さなければならなかったが、最終的にハッチをしっかりと閉じ、少年はAIに《胎》の作動を命じた。
 ウオォン、と低周波の振動が起こり、やがて静まる。《胎》の内部で男の体の治療が始まった証拠だった。
 少年は筒の前に戻るとうずくまり、透明な筒の側面に額をつけてまた祈った。

(どうか……お願い。お願い。お願い……!)





 真っ暗な水底みなそこに沈んでいた男の意識は、黒々とした虚無の中からにじみ出るように覚醒した。
 とはいえ、目覚めたのは飽くまでも意識、つまり脳だけだった。しばらくは目もなく、口もなく、恐らくは脳だけがぷかぷかとあの羊水に浮かんでいたのに違いない。
 覚醒したとは言っても、はじめのうちはひどく意識がぼんやりしていた。やがて次第にここまでの顛末を思い出し、判断力も少しずつ回復していった。

 何よりも、まず心配したのは少年のことだった。自分が羊水にひたされているのだとすれば、そうしてくれたのはあの少年に違いない。あの寂しがり屋で泣き虫の少年がどんな状態になっているか、それが非常に気がかりだった。
 だがそこから相当に長い時間、男は周囲の状況を見ることもできなければ聞くこともできなかった。もちろん手足も存在しないため、どこに触れることもできない。
 今までにも重傷を負ったことは何度もあるけれども、ここまで酷いことになったのは初めてだ。なにより、これまでであれば、すぐそばにあの素晴らしい「癒しの手」を持つ弟がいたのである。彼と《胎》がありさえすれば、ほとんど何の問題も起こらなかった。

 ともあれ、ないもののことをここでどうこう言っても始まらない。
 羊水が総力をあげ、バラバラになった細胞をつなぎ合わせて再生しようとしてくれていることだけは分かっていた。だから男にできるのは、ただ待つことだけだった。
 男は、そのぼんやりと刺激のない長い時間を持て余した。そうして、あの双子の弟と暮らした長い歴史をいちから紐解ひもとき、ひたすらその中に意識を揺蕩たゆたわせるより仕方がなかった。

(フラン……)

 自分と彼は、小さな卵の状態で巨大な宇宙船に乗せられて、気の遠くなるような時間をかけて宇宙の海を渡った。その旅路の果て、ようやくこの惑星を見つけたAIにより、ともに生み出された双子の弟。それがフランだ。
 色目は違うが自分と同じ顔、同じ体格をした弟は、内面のほうは自分とはずいぶん異なっているようだった。
 心優しく、泣き虫で甘えん坊。森に棲む様々な生き物たちのことも、彼は自分などよりもはるかに心を掛け、可愛がっていた。
 生き物の傷を癒す「癒しの手」と、小さきものたちを愛でる心を持つ可愛い弟。ごく初期のころ、彼は自分にとって大切な仲間であり、運命共同体であり、ひたすら愛し愛される貴重な存在だった。

 子育てをする人間の雌には、親になれば「母性」が目覚めるものらしい。
 生きものによっては子育てを雄が担当するものもあるわけなので、この場合の性差についてはあまり関係はないだろう。だからそれは、単なる役割上の問題でしかないはずだ。
 だが、恐らく自分たちを造った人間どもは、間違いなくその「母としての役割」をフランのほうに設定していた。
 いやしかし、それなら自分には「父としての役割」があるということになるのだろうか? どうも、そのあたりはよく分からない。

 こと、子供を生むという方面での体のつくりだけで言えば、実は自分もフランも大した差はない。どちらも生む側にも生ませる側にもなることができる。健康な人類の精液を体に入れれば、自分もフランと同じように次の世代を生み出すことは可能だろう。もちろん、いまさらそんなことをするつもりはなかったけれども。
 ともかくも。だからフランと自分との役割は、自然にその性格的なもので決定されてしまった部分が大きい。いまだに自分があのフランに組み敷かれるところなど想像するのも難しいのだ。


 そんな愚にもつかぬことを延々と脳内で繰り返しつつ、それからまた何千時間かが過ぎたようだった。
 その日、ようやくのことで男の頭部が再生を完了した。それでもまだ手足はない。手足どころか、胴体も半分以上存在しなかった。頭部と首、そこからつながった胸と肩の一部がどうにか元通りになっているだけである。
 体の端から不完全な体組織がうねうねと羊水の中に伸び、養分を吸い取っては成長を続けている。筋肉や神経のできそこないがひらひらと羊水の中で泳ぐさまは、地球の海に住んでいたというクラゲの長い触手に似ていた。自分からはよく見えないが、さぞや不気味な姿であろう。
 
『……パ。パパっ……!』

 壁ごしに少年の泣き声が聞こえた気がして、男はゆっくりと目を上げた。緑色の液体と透明な壁をすかして、ゆらゆらと歪んだ少年の顔が見えている。

(フラン……!)

 少年の名を呼ぼうとしたが、できなかった。
 眼球だけを動かして見渡せば、自分の体はまだほとんど破壊されたままだった。なによりも、腹部がない。肺も横隔膜もそれを支える筋肉なども不完全な状態では、声など出しようがないのは道理だった。
 仕方なく、男はわずかに唇を動かした。

《……フラン》

 《胎》に装備されている翻訳装置が、それを電子的な声に変換して外に伝えてくれる。だがそれは、男の声とは似ても似つかぬ平板で機械的な音だった。
 それでも少年は、もうほとんど狂喜乱舞しそうな状態だった。

『パパ、パパ……パパ!』

 もうそれしか言えないで、ぼろぼろと涙をこぼし、《胎》の壁面にとりついている。そこで初めて、男はあることに気が付いた。

《フラン。なんだ、その恰好は》
『え……?』

 男の表情に戸惑ったように、少年はまじまじとこちらを見上げた。
 少年は、今まで見たこともないほどにやつれていた。髪はぼさぼさだし、肌や衣服は全体に薄汚れている。なにより、明らかにひどく痩せていた。
 ちょっと見ただけでも着ているものが無駄にだぼだぼで、布が余りすぎているのが分かるほどだ。袖口から見える手首がいやに細くなって見えた。
 男は眉間に皺を寄せた。

《……お前。ろくに食事もしてないんだろう》
『え? えっと……ううん。そんなこと、ないんだけど──』

 大嘘なのは明らかだった。少年の目はきょろきょろとあちらこちらへと視線を泳がせまくっている。男はため息をつきたくなった。
 彼は恐らく、ここで長いこと泣き暮らしていたのだろう。頬はどろどろに汚れて真っ黒だ。涙が何度も埃を洗い流した跡がはっきりと見てとれた。
 男はほんの少しだけ声音を柔らかくして言った。

《その調子だと、ちゃんと風呂にも入ってないな? 勉強の計画はどうなんだ。きちんと予定どおりに進められているんだろうな》
『……ご、ごめんなさい……』

 いや、それも無理はない。
 こんな状況で、普通に身ぎれいにしたり食事をしたり、ましてや勉強を進めるなんて、この少年には無理な相談でありすぎただろう。それは重々わかっている。わかっているが、敢えて言った。

《やれやれ、しょうのない奴だ。俺の好きな、清潔で可愛いフランはどこへ行ってしまったんだろうな》
『え? えっと──』
《食事だってそうだ。せっかく俺が治っても、そんな痩せぎすのガリガリした体じゃつまらんな。抱き心地が悪いこと、この上もない》
『あの、パパ……』
《あーあ、がっかりだ。ちゃんと治ったら、綺麗でやわらかいフランを思い切り抱きしめようと思ってたのに》
『ぼっ、ぼく……!』

 少年はぴょこんと飛び上がった。

『おっ……お風呂、入ってくるっ……!』

 慌ててよたよたと駆け出した少年の背中に、男は苦笑まじりに言葉を投げた。

《ちゃんと食事もするんだぞ》と。
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