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第二章 呪詛

3 女たち

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 この女たちも、あの男に気があるのだろうか?
 そうだとしてもなにも不思議ではないけれど。
 あれはそれだけ魅力的な男だ。皇帝であったときにも、周囲の貴族の女たちがうっとりとあの男に向ける熱のこもった視線には気づいていた。

 あのときは、それをべつだんどうとも思っていなかった。
 なのに、今はなんだか落ち着かない。落ち着かない理由もよくわからなかった。

「それにしてもほっそい体ねえ、あんた」
「あっちじゃ、ろくに食べさせてもらってなかったのね。かわいそうに」
「けど、そんな身体でシンケルス様をご満足させてさしあげられたのかい?」
「なぁにを言ってんだい! ご満足だからこそ、ここに留め置いておられるんだろうに」
「そりゃそうか!」
「気にいらなきゃ、さっさと奴隷部屋へ格下げされてるさ」
「確かにね!」

 女たちは好き勝手なことを言っては、互いにきゃっきゃと笑いあっている。シンケルスは警戒しているようだったが、彼女らに変な底意があるようには見えなかった。シンケルスの前ではかしこまって上品ぶった話し方だったくせに、いざ相手が少年ひとりになると急にざっくばらんになるのが面白い。
 王宮の女官たちならどこぞの貴族の娘や妻であることが多いけれども、ここにいるのは武官の身の回りの世話をする女たちだ。平民出身の者も多いのだろう。
 少年がいつまでも真っ赤になって棒立ちになっているものだから、女たちはますます楽しそうに笑いだした。

「あらやだ可愛い。そんなウブな顔みせられたんじゃ、お姉さんたちも形無かたなしってもんだわねえ」
「だけど、外にいったらこんなもんじゃないんだからね?」
「え?」
「だってねえ、あんた。あのお堅いシンケルス様がはじめてしとねに上げた子だってんで、そりゃもう大変な騒ぎなのよ?」
「そうそう。街じゃあその噂でもちきりなんだからね」
「そうなのか……なんですか」
「そうよお。ほんとびっくりしちゃうわよ」
「今までどんな美女に誘惑されても、女の一人どころかお稚児のひとりも持たなかったシンケルス様がねえ──」
「でもまああんたの姿を見りゃあ、だれだって納得かもね」

 そこで多少嫉妬のまじった声音にはなったけれども、女たちは別に少年に嫌味などは言わなかった。そこは恐らく、あのシンケルスの人徳なのではないだろうかとちらりと思う。

「シンケルスは、そこまで市井の人々に人気なのか……」
 独り言のつもりだったが、女たちは「あら、あんた!」と耳ざとく聞き取った。
「ダメだよ、閣下をそんなふうに呼んじゃ!」
「えっ……」
「あたりまえだろ? 呼び捨てだなんて、とんでもない!」
「閣下は皇帝陛下の最側近だよ? 近衛隊の隊長様だよ? しかもあんたの命の恩人じゃないか!」
「そ、それは……」
「そうだろう? でなきゃあもとの予定通り、あんたが例の生贄にささげられたはずじゃないか」
 女はそう言って、ちょっと背筋が寒くなったようにぶるっと体を震わせた。
「閣下が気に入ってくださったからこそ、陛下に助命をお願いしてくださって、それで命が助かったんじゃないか」
「あ。……はい」
 当然の言葉だった。少年はしおしおと俯いた。ぐうの音もでない。
「ちゃんと『様』をつけるか、閣下とお呼びしなくちゃ。近衛隊長であられる前に、貴族さまでいらっしゃるんだから。いいね?」
「はい……」
「もしかして昨夜ゆうべも、そんな偉そうな呼び方をしたんじゃないだろうね?」
「…………」
 少年の沈黙は、そのまま女たちに「ベーネ」と受け取られてしまったようだった。
「あらまあ! しょうがないわねえ」

 一人が頓狂な声をあげると、他の者らもすぐに呆れた顔になった。と同時に苦笑も漏れだす。

「まあったく。こんなに愛されちゃって!」
「羨ましいったらありゃしないわよ!」
 あっははは、と笑いながら女の一人がべしーんと少年の背中をたたく。
「ぎゃああっ!」

 痛い。いまのは絶対、背中にてのひらの痕がついたぞ。
 その後すぐ、シンケルスの寝室には少年のための食事が運ばれてきた。盆の上にのったものを見たとたん、若者の正直な腹が盛大な音を立てはじめた。女たちはそれを聞いてまたきゃはははと笑うのだった。

「さあさあ、早く食べちまっておくれよ。仕事が片付かないからね」
「は、はい。いただきます……」

 野菜と豚のスープに硬い薄焼きパン、それに器に盛った小さな林檎やナツメヤシの山。ぜいたくを極めた皇帝の食事とは雲泥の差だが、それでもこんな奴隷の少年に出すにはじゅうぶんにぜいたくだ。
 スープは温かく、どれも素朴で美味いものだった。どうやら昨夜、寝室に食事を運んでくれたのもこの女たちらしい。

 その後も忙しいと言いながら、なぜか女たちは入れ替わり立ち代わり部屋にやってきては少年の様子を覗き、「なにか不足なものはないか」「用事はないか」とたずねてくれた。さらには、だれかひとりが必ず部屋に座って大量の繕い物をしていた。

(これは……監視か?)

 そうなのかもしれない。恐らくはシンケルスの命令なのだろう。男が「俺のそばにいろ」と言いながらもさっさと出て行ったわけがやっとわかった。
 食べて寝る以外のことがなにもできず、少年は暇をもてあましながら夜になるのをひたすら待った。
 
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