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第四章 海に棲むもの

4 船乗り

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「そのうち話す、と言った」
「いま言えよ。でないと怖くて、こんなの身につけていられないだろ」

 少年が睨みつけると、男はまた眉間に深い皺をきざんでじろりと見下ろしてきた。

「……遠い国だ。そこはお前たちよりもはるかに高い科学力をもっていた」
 出たぞ、「カガクリョク」。あの謎の言葉だ。
「一体どこの国だよ。そんなの聞いたこともないぞ」
「お前たちの知らない国だ」
「お前たちは、そこの国からきた間諜というわけか。あのリュクスも?」
「間諜とは少し違う。……だが、似たようなものかもしれんな」
「じゃあ、目的はなんなんだよ」

 男はそこで少し黙った。
 が、じっと睨みつけてくる少年の視線をそらすことはしなかった。

「……三年後のお前の暗殺を阻止する。なおかつ、できれば愚帝ストゥルトが善政を敷く手助けをする。アロガンスの歴史をもう少し長引かせるためにな。しかもできるだけ平和裏に」
「なんのために?」
「それは言えない。だが利害は一致している、と言ったはずだ。それでお前にとっては十分なはずだろう」

 十分だって? そんなはずないだろう!
 それに、少年にはさっきの男の言葉の中にどうしてもひっかかる部分があった。

(『善政を敷く』だって……?)

 血の気が次第にひいていくのが自分でもわかる。
 あのどうしようもなかった愚帝ストゥルト。つまりもとの自分なわけだが、あれを素晴らしい賢帝にでもしようというのか。自分で言うのもなんとも情けない話だが、それは無理な相談なのでは。

(いや……。ちょっとまてよ)

「だったら今のままのほうが、お前たちにとっては都合がいいんじゃないのか」
 シンケルスが片眉をわずかに上げた。
「どういう意味だ」
「インセクになった今の皇帝の方が、前よりずっとマシなんだろう? 勉強だって剣術だってちゃんとやっている。真面目に政務に携わるし、臣下に酷いこともしない。夜のバカ騒ぎもしない。女たちがそういう噂だって言ってるぞ。『皇帝陛下がいまみたいでいらしたら、きっとこの国はもっとよくなるだろうねえ』ってさ!」
「…………」
「そこは否定しないのかよ!」

 ぶちん、と頭のどこかでなにかが切れる音がした。
 歯を剥きだしている少年の顔を、男は相変わらず静かな目で見下ろしている。

「お前とインセクの心が入れ替わったことに、俺達はいっさい関与していない。これは保証する。そこはどうか信じてほしい。だが、俺達の一連の活動がなんらかの影響を引き起こしてしまったとは見ている」
「はあ? よくわかんない。それがなんなんだよ」
「例の《神々の海》だ。あそこはどうも胡散臭い」
「あー。それは確かにな。まあ神々の末裔が棲んでいるっていうんだからしょうがないだろうけどさ」
「本当にそういう存在なのかどうか。そこも確かめねばならん」
「……なんだって?」
「そいつらの正体と、今回の意識交換の原因を知りたい。そのためについていく」

 ……ああ、なるほど。そういうことか。
 少年は憮然として、男の衣から手を放した。

 どうせこいつはそうなんだ。
 全部仕事のためであって、私のことなんてどうでもいいんだ。
 ほんの僅かでも「自分のことを心配してくれるからか」なんて期待して。なんて馬鹿なんだろう、自分というやつは。
 少年はますますふくれっ面になっていく自分の顔を自覚しつつ、鼻を鳴らして男をにらんだ。

「じゃあ、ちゃんと守れよ。私のこと」
「当然だ」

 男もまた、いつもの無表情のまま頷いた。
 明日からは出立の支度などで大忙しだ。ふたりはそこから手早く夕食をとり、例によってふたりでの入浴を済ませたあと、早々に寝床に入った。





 数日後。
 少年はシンケルスとともにアロガンスの西にある港にいた。まだ朝も早い時間だったが、港は多くの人々でにぎわっていた。男や女が大声を出しながら荷物を運び、仕分けをし、街のほうへと運んでいく。品物だけでなく、多くの人々や馬も一緒にのってくるから、基本的に大騒ぎだ。
 だが、これは国にとってはいいことだった。港はさまざまな国との交易の中心地となる。ここがにぎわっていなければ、国の基盤である経済が心もとなくなるわけだ。

 少年とシンケルスの一行はここまでは馬で移動してきた。ここからは船である。旅の荷を積みかえたり、船の船長や船員に紹介されたり。かれらは今回、帝国に雇われる形でこの航海に従事する形になっている。
 船長は日焼けした真っ黒な顔にごわごわの黒い髭をぐるりと巻かせた中年男だった。背はそんなに高くないが、腰のあたりがどっしりとしていてたのもしく見える。いかにも「海の男」といった風情だ。名をウラムというらしい。

「しかし《神々の海》へ行きなさるとはよお。まったく大した勇気ですなあ」
「そういうお前も、それについてきてくれるのだろう。ほかの船員たちも大したものだ。感謝する」
「うっはは。褒めてもなんにも出やしませんぜ、近衛隊長のダンナぁ!」
「その呼び方はやめろ」

 ウラムは太い腹を揺らして大笑いしている。シンケルスは眉も動かさなかった。が、決して機嫌が悪そうには見えなかった。
 男の大笑いはこちらを馬鹿にしたものではない。それに何となくだけれども、ふたりは気安い間柄のようだった。以前、なにかのことで交流があった人であるらしい。
 なんとなくちょっぴり羨ましい気分になって、少年は心の中だけで「ちぇっ」と頬を膨らませた。
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