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第六章 帰還
4 シンケルスの秘密
しおりを挟む(な、なんなんだよ……)
困り果ててうつむくと、ぼんやりと緑色に光っている《卵》のまわりには耳が痛いほどの沈黙がおりてきた。
やがてとうとう、男がまだ掠れた声でぼそりと言った。
「……この時代にもあるだろう。いわゆる、『子種のない男』というのが」
「えっ……」
青年はびっくりして男を凝視した。まずは自分の耳を疑ったが、聞こえた言葉を何度繰り返してみても同じだった。
──「子種なし」。
いくら女と番っても、一人の子どもも生まれてこない。もともとの体質として、子種をやどしていない男のことだ。それはこの時代でも、大いに人から侮蔑される存在でもある。
「俺たちの時代では、ある程度の治療をうけることで改善される者も多い。ほとんどの者はそれで改善して、ふつうに家庭を持っていた。……だが」
(シンケルスは、だめだった……のか)
思わずテーブルの一点を見つめてしまったストゥルトを男は静かな目で見返した。
「俺だけじゃない。《ペンギンチーム》の全員がそうだし、他のエージェントたちもそうだ。基本的にどのチームも、そういう者らだけで構成されている」
「なんだって──」
「当然だろう。未来の俺たちは人口が激減して、種としての絶滅を目前にした人類だ。子どもが生まれてくることは、宝が生まれてくるのに等しい。いやそれ以上だ。この時代の子どもとは、意味も扱いもまったく違う」
「…………」
「だから女は、男よりもはるかに貴重だった。特に健康な子どもが生める女はな」
話のつづきがだんだん想像できてきて、さらにストゥルトの気持ちは塞いだ。
つまりシンケルスには、子どもをつくる能力がない。あのリュクスも、レシェントもそうだということなのだろう。
絶滅の危機に瀕した人類にとって、そのような者を養っておく意味も余裕もなかった。この「地球」と呼ばれるらしい大地は、そのときには随分と温度が上がり、森林が減って砂漠地帯が大いに増え、食物を育てることのできる場所も減っているらしい。動物が生息できる場所もだ。当然、食料は不足する。
そうして彼らは、この無謀ともいえる作戦に優先的に従事させられることになったのだろう。
「いや。俺は自ら志願したがな」
「そ、そうなのか……?」
「当然だろう。俺のような意味のない命でも、人類の未来に寄与できるなら。……ほかの奴も、そう思って志願した者がほとんどだ。でなければこんな仕事を繰り返せるはずもない」
「そうか……」
「ついでながら、エージェントには女もいるぞ。やはり何らかの問題があって子が産めず、治療を受けてもうまくいかなかった者たちばかりだが」
ストゥルトはもう、何と言っていいのかわからなかった。
男はすべてをさらりと言ってのけたように見えたが、その裏にある葛藤や苦悶はいかばかりのものだっただろう。ましてやそのとき、人類は全体として死に瀕していたのだ。
子どもの産めない人間など、その追い詰められた社会の中でどんなひどい扱いを受ける事態になったことか。
(でも……)
そこでふと、ストゥルトには疑問が湧いた。
いや、こんなにいい男なのだ。今まで疑問に思わなかったことが不思議なのだが。
「あの、さ。その……それじゃあいなかったのか、お前には」
「なにがだ」
「その……つまり。未来に、こっここ恋人……とか」
ついしどろもどろになり、テーブルの下で指をもぞもぞさせてしまう。
だが、男は一瞬黙っただけであっさり言った。
「いた。……女だったがな」
「……!」
ぐわんと頭をブン殴られたような気になって、目の前が一瞬暗くなった。
が、ストゥルトは唇を噛んで堪えた。
「そう……だよな。当然だな。お前だもんな」
「だが子種がないことと治療が不可能なことがはっきりわかって、このミッションに参加することを決めた時点で別れた。理由もちゃんと伝えてな」
「そっ……そうなの?」
「ああ」
そこでまたしばらく、テーブルの上に沈黙が横たわった。
「いたって健康な女性だった。……ゆえに、将来を嘱望されてもいた。健康な子ども、遺伝情報的にバラエティに富む子どもをたくさん産んで、卵子も多く提供し、人類の死滅を少しでも先延ばしにしてもらうために……だがな」
その時にはもう、人はみんな道具に過ぎなかった。
男も、女も。ただただ、子供を一人でも多く生むための道具だ。
その時代にはもう、女性が子供を生むだけではなく、なにか機械を使ってその中で子どもをつくり、生まれるまで育てることも可能になっているらしい。人の体の中にある、「子どもを作るもと」みたいなものを全員から採取して保存しておき、機械の中で子どもを作ることができるのだと。
だがやはり、女性がみずから産んでくれるのが最も望ましいとされていたという。人工的に生まれてきた子どもたちがのちのち自分自身の出生について悩み、精神を病んだりするなど、一定の不都合な状況が生まれやすいからなのだそうだ。
が、とにかく、子どもだ。
人類を存続させるために最も必要なのはそれだった。
その目的にそぐわない「子種なし」のシンケルスのような者が生きるためには、こんな無謀な作戦にでも進んで従事するしかなかった。さもなければ、人類全体のために大いに役立つ科学者や医療従事者などになるしかなかったようだ。
人類のために役立たないと見做された者は、恐るべき早さで「処理」された。
それまであった人道上の倫理観などは無視されざるを得なかった。
地球の環境はすでに相当激変しており、食料も環境も、ありとあらゆるリソースが限られていたからだ。
「この時代でも人は死ぬ。戦争で何百、何千という人間があっという間に死んでいく。あんなに元気な男や女や子どもたちがむざむざと殺されていくのを見るのは忍びない。なんとももったいない話だ。……だが、未来はさらに殺伐としているぞ」
ストゥルトはちょっと沈黙した。
「命がもったいない」という言葉をこういう観点から聞いたのは初めてだった。
それから、ちょっと考えてまた訊いた。
「その女のために、エージェントになったのか。その、恋人だったという女のために」
「……わからない」
そう答えた男の瞳は、今まで見た中で最も暗いものに見えた。
いや、きっとそうなのだ。この男なら。
きっとこの男はその人を心から愛していたのだろう。だから、こんなひどい仕事を選んだ。未来を生きていく彼女が、少しでも楽な人生を送れるようにだ。
青年はシンケルスをじっと見つめた。
暗くて悲しい灰色の瞳はこちらを見返すこともなく、テーブルを突き抜けてどこか遠くをぼんやり見ているようだった。
「もう……よく思い出せないんだ。彼女の顔すら」
「え──」
「今ここにいる俺にとっては、すでに十年以上も前の話だ。そこからあまりにも……あまりにも多くのことがありすぎた」
男はそれ以上はなにも言わず、片手で目元を覆うようにして頭を抱えた。
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