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第六章 帰還
11 侮辱
しおりを挟むディヴェはテーブルの上で組み合わせた自分の手を見下ろした。
彼が黙ると、それはそのままこの場の沈黙になった。
「そうやって散々自分の首を絞めた挙げ句、とうとう絶滅の危機を迎えてさ。で、どうしようもなくなってこうやって無理やりに過去にまで干渉しはじめた。本来なら大いなるタブー……禁忌だったはずのことをね。恐るべき生き物だよ、人類っていうのはさ。身の程知らずとも言うだろうけど」
「うるせえ」
恐ろしく低い声で応じたのはレシェントだった。ほとんど狼が唸るようだった。ストゥルトは、彼がここまで本気で怒っている顔をはじめて見たかもしれなかった。
「わかってんだよ、んなこたあ」
今にも目の前の少年に殴りかかりそうな殺気を放っている男を、シンケルスがかろうじて片手で制している。その彼とて、相当な怒りを押し殺しているように見えた。
「わかってら。わかってんだよ! 人間ってなあ、そういうモンだ。ひとりひとりは善人でも、全体になると妙におかしくなっちまう。本来の目標からズレて、クソみてえな判断しかできなくなる。本当にするべきことがわかっていても、色んな困難があってうまくいかねえことだって多い。それで、最悪な結末に着地することだってな。……でもな」
ぎりりっ、と音をたてたのはレシェントの奥歯だろうか。固く握りしめられた拳の甲に、太く血管が浮き上がって見えている。
「だから、俺らがいる。俺らがその全部の尻ぬぐいをしようってんだ。何千年、何万年もかけて積み上げちまった人間の業、負の遺産。呼び方は色々あらあな。そんなもんはなんでもいいや」
怒りに燃えた目はかっと見開かれて、まっすぐに少年を睨みつけている。
「とにかくそうしなきゃ、もう人間は生き残れねえ。そこまで追い詰められちまったから、こいつや俺みてえなのがこんな、イレギュラーまみれの真似をしなきゃなんなくなってんだっつの」
「……そうだよね」
少年の応えは呆気ないほど静かで、冷ややかだった。
「君たちはいつもそうさ。個々の判断は決して愚かではなかったりするのに、全体としてはどんどん滅びに向かって邁進してしまう。小さな目の前の利害のことしか考えられなくなる……。ずっと先の未来まで見通して今やるべきことを計画することができない。ある程度の知能をもった生き物として、それではこの地球を支配するには不十分だ。……つまり、歴史がそう結論づけた。だから君たちは滅びるのさ」
「やめろおおっ!」
バシンとテーブルが鳴った。ストゥルトが思いきり叩いたのだ。
そのまま椅子を蹴ってとび上がり、少年にとびかかって胸倉をつかみ上げる。
「やめろ、やめろおっ! それ以上言うな。それ以上なにか言ったら許さんぞ、貴様ッ!」
「……ストゥルト」
シンケルスが低い声で制止してくるが、ストゥルトは無視した。少年の細い体をガクガク揺さぶって言いつのる。
「好き勝手なことを言いやがって。なにを……なにを言うんだ! なんにも知らないくせに。お前みたいなやつが……お前みたいなやつがああッ!」
「やめろ。ストゥルト」
「シンケルスが、どんな思いでこの仕事をやってきたと思ってるんだ。レシェントだってそうだ。どんな覚悟で……どんなに、どんなに……大事なものを捨てて──」
未来に愛した人を置いて。そこには彼のすべてがあったはずなのに。きっと家族だって友達だってあったはずだ。この男なら、きっとひとりぼっちではなかったはず。きっと周囲の人々の愛されていたはずだから。
でも、それでも、その人たちを含めた人類の未来のためにと、彼はなにもかも擲ってここへ来たのだ。
その気持ちを。覚悟を。努力を。
この生き物はいま、ぜんぶぜんぶ否定して、侮辱したのだ──!
こんなにも軽く、まるで小馬鹿にしたように。
怒りのあまり、もはやなにも言葉にならない。体が瘧に罹ったようにぶるぶる震え、ぶわっと目元があやしくなった。
シンケルスとレシェントは沈黙し、なんとも言えない目をしてじっとストゥルトを見つめている。
「それ以上……不敬な発言は許さん。……ゆるさん……っ!」
みっともない嗚咽をこらえるために、それ以上は何も言えなくなった。必死で唇を噛みしめる。腕は少年の体を激しく揺さぶるばかりで、頭はどんどん下がっていき、背中が丸まってしまう。
やがてその手を横からそっと握る者がいた。
温かくて優しい手。見なくてもわかる。シンケルスの手だ。
「……もういい。放すんだ、ストゥルト」
「う、ううっ……」
「この身体はインセクのものだ。傷つけてはならん。……わかっているだろう」
「ううーっ……」
もっともっと何か言いたかったのに。情けない喉はすっかり詰まって、もはやなんにも声にならなかった。
シンケルスを見上げ、激しく首を横に振るしかできない。シンケルスがひとつ頷いて見せ、ストゥルトの指を一本ずつ少年の服からひきはがしにかかった。
ようやく手がはなれると、後ろから抱きしめられるようにしてそのまま下がらされる。ストゥルトの手は無意識にシンケルスの手を上から握りしめていた。
と、耳元でごく小さく男の声がした。
──もう十分だ。……礼を言う。
ストゥルトの声はどこまでも制御されていたけれど、ストゥルトには分かった。その声がほんの少し、ほんのわずかに奥のほうで震えていたことが。
「……!」
途端、必死でこらえていたものが決壊した。
ストゥルトは必死で目元を片手で隠し、顔をそむけた。その頭ごと、男の腕がぐっと抱きしめてくれたのだけはわかった。
漏れてくる嗚咽を聞きながら、レシェントだけはとっくにいつものにやけた顔に戻っていた。そうしてのんびりと少年に顔を向けた。
「知ってるか、異星人さんよ」
大いに皮肉の滲んだ、変に陽気な声だった。
「俺らの中にゃあ、こんな諺もあるんだぜ。『口は禍のもと』、ってな──」
意味深な金色の瞳でにやりと見つめられても、少年の皮をかぶった異星人は完全に「どこ吹く風」で明後日の方を向いていた。
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