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第十章 逡巡
3 とまどい
しおりを挟むその後、ストゥルトが落ち着くまで、シンケルスは彼を連れて私室に戻った。《イヌワシ》チームはまだ「キタハンキュウ」とやらでの作戦を続行中との連絡が入っており、《ペンギン》チームはこちらでしばし待機ということになったからだ。
ストゥルトはほとんどシンケルスに引きずられるようにして部屋に入った。
寝台に座らされ、ときどき呆然と顔をぬぐう。なにをどう考えたらよいかもわからない。きっと今の自分の顔は、みっともなく目や鼻を赤く腫らした状態だろう。
男はその間、ずっと隣から離れようとはしなかった。その手はずっと、ストゥルトの背中を撫でている。
少しだけ落ち着いてきたところで、あれこれと思いめぐらすうちに、ストゥルトは次第に違う感情に満たされ始めた。
(なんて、無様な──)
つまり、羞恥心だ。
なにをこんなに、みっともなく大泣きなんかしてるんだ。これじゃ、まるで子どもと同じじゃないか。
もう自分は、あのインセク少年の体をしているわけでもないのに。こんな風に身も世もなく他人の目の前で大泣きするなんて。皇帝たる者として恥ずかしいにもほどがある。
(わかっていたことじゃないか)
こいつらは未来人だ。今までのこいつらは、未来に戻れないと諦めていた。だからこそ、古代人である自分とこんな風に近しくなることにもさほど抵抗はなかったのだ。だが、今からはそうではない。
(帰れる、というなら帰った方がいいんだ。それが本当なんだから。体だって治してもらえる。昔の家族や、恋人にだって会える。……わかってる。わかってる、のに──)
頭ではこんなにもわかっていることを、心はどうしても素直に受け入れてくれない。なにひとつ思い通りにならない。そんな自分にイライラする。
考えるだけでまた目元があやしくなり、それにまたひどくいらつく。だが、体の震えも目から溢れる忌々しい液体もなかなか止まらない。
隣にいるシンケルスが、つらそうな目でじっとこちらを窺っている。
「……だから言うつもりはなかったんだ」
ストゥルトは無言で目を上げた。
つまり、自分がこうなってしまうことがわかっていたから、この男は黙っていたというわけか。まあ実際、ここまで取り乱してしまったのだからぐうの音もでないことだが。
「すまない……」
ぽつりと言ったら、男はさらに困った顔になった。
「お前が謝る必要はない。どの道、俺は残るつもりだった。あいつらのことは俺が説得するつもりだった。必ずな」
「でも、無理なんだろ」
投げ出すように言って、ついと立ち上がる。それに引っ張られるように男も立ち上がって後ろに立った。
「レシェントが言っていたじゃないか。《イヌワシ》たちが帰るときには、《ペンギン》チームのみんなも未来に帰る。そう決まったんだろうが。つまり上層部の命令なんだろ?」
「…………」
「アロガンスの軍隊でもし同じような命令違反をすれば、それは重大な罪だ。下手をすれば極刑だぞ。お前らの法律ではそうはならないのか?」
男は沈黙したままだ。
それはつまり、彼らにもそれなりの規律のようなものが存在し、違反すれば罰を受けるということではないか?
ストゥルトは手の甲でぐずっと鼻のあたりを擦った。
「すまなかった。私が変に取り乱してしまったから──」
男は黙って首を左右に振る。
「ごめん。……いいんだぞ。私に遠慮することはない。無理するな」
「……なに?」
「もともと、あっちに恋人もいたのだものな、お前は」
その単語を口から出すだけで、胸のあたりに針で刺したような痛みが走った。
「体も治れば、もとどおりにうまくいくかもしれないのだろう? 今度こそ、その女とちゃんと結婚したりさ──」
「いや。それはない」
「へ? どういうことだよ」
あまりにきっぱり言われて目を丸くする。
「過去がこれほど変化したのだから、未来は大いに変化している。恐らく俺が予想している以上にだ。彼女が同じように生まれて存在している可能性すら、非常に低い。調べてみたわけではないがな」
「そうなのか?」
「ああ。よしんば彼女が存在していたとしても、以前と同じような関係に戻れる保証はなにもない。すでに他に恋人がいたり、結婚したりしている可能性もある」
「へ、……へえ?」
そういうものなのか? よくわからないが。
「『時を越える』とは、そういうことだ。エージェントになり、この作戦に従事することになった時点で、俺はあちら世界のすべてを捨ててきた。いまさらそこに戻ろうとは思わない。恐らくあちらも、戻られては迷惑なはずなんだ」
「そ、そんな」
男は軽く吐息を落とした。ひどく静かな目をしている。まるで、曇った日の凪いだ海のようだと思った。
「前にも言った通りだ。俺はもう、彼女の顔もろくに思い出せなくなっている。こんな薄情者が戻ったところで、あちらも困るだけかもしれん。すでに決まった相手でもいればなおさらだ。……だから、もとの時代に戻る気はない、と言ったんだ。決してな」
「でも、それは……」
もしも本人を目の前にすれば、変わってくる感情ではないのだろうか?
シンケルスはこれほど魅力的な男なのだ。あちらの女性だって、彼をひと目見れば考えが変わることは大いにありうる。が、すでに結婚していたりすれば確かに迷惑に思うのかもしれない。わからないが。
様々に逡巡し、思考がとっ散らかってなにひとつまとまらない。
この男と離れるなんていやだ。絶対に自分は我慢できない。
でも、この男のためには未来に戻してやるほうがいいのに決まっている。
壁を向き、体の脇でふたつの拳を握りしめて立ち尽くしていると、背後から両手で胸元を抱きしめられた。
「ともかく。お前は王宮に戻らねば」
「シンケルス……」
「お前のオリジナルの体のほうがもたなくなる。どの道、あの体をあのままにはしておけない」
「それは……そうだが」
《イルカ》の設備を離れた肉体は、宿主のいないままいつまでも放ってはおけない。やがて命が消えてしまい、死体と同じ状態になるからだ。
だから自分は、あと二日のうちに自分の意識をあの体に戻してもらう必要がある。
(だが──)
そうなれば、きっとこの男とはお別れだ。
そして自分はアロガンスの皇帝として、あの国を運営していかねばならない。自分の優秀な後継者を育て、アロガンスが少しでも長く国として栄えるように下地を作ってやらねばならないのだ、未来のために。
(未来……)
そこでふと、ストゥルトはとあることを思いついた。
胸元にあるシンケルスの腕にそっと手をあて、訊ねる。
「私が……行くのはどうなんだ?」
「なに?」
「未来人が過去にいるのはまずいと言ったが。では古代人が未来に行くのはまずいのか。どうなんだ?」
シンケルスの腕がふっと緩んだ。
ゆっくりと振り向くと、男が絶句したままじっとこちらを見つめていた。
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