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第十一章 巡る時間
6 群衆
しおりを挟む「陛下! 一大事にございまするッ!」
こんな台詞とともに執務室に駆け込んでくる文官や武官を迎えるのは、これで何回目になることか。
寝不足と疲労でぐらぐらする頭を抱えつつ、それでもストゥルトは注進に来た者を見返した。
「何事だ」
すぐ脇にいつも寄り添ってくれているフォーティスが、まず声を掛ける。
今回とびこんできたのは武官だった。三十がらみの日焼けした男だったが、彼の顔にも疲労の色は濃かった。頬の肉はそげ、全体に鋭い顔になっている。男はすぐに床に跪き、頭を垂れて皇帝への挨拶を述べた。
「ご注進いたします。数千名にのぼる興奮した群衆が、アテネ神殿へ集まっておりまする」
「なんだと?」
問うたのはフォーティスだ。ストゥルトは沈黙のまま、じっと使者の男を見つめている。
「今はまだ入り口で、どうにか兵らに押しとどめさせておりまする。ですが、家族ら亡くし、食料も底をついている者の多い昨今、民らは非常に興奮しておりまして……」
「なるほど……」
ストゥルトは苦いため息を押し出した。
無理もないことだ。この恐るべき疫病への対処のため、帝都ケントルムはしばらく人の出入りを制限している。基本的に通商を大きな財源としている国でもあり、それはすぐさまこの街に経済的な困窮をもたらすことになった。
普段であればどんどん流通するはずの新鮮な食料が入ってこない。街の人々は疫病に怯えるのと同時に、次第に経済難と食糧難にも直面することになっているのだ。
当然、街の治安は悪化して、他人から食物を奪う者もでていると聞く。それで争った拍子に命を落とす者まで出てきた。
疫病はいつも、弱い者から奪っていく。つまり老人や幼い子、体の弱い者から死んでいくのだ。我が子を奪われた母親の泣き声が、日々、街のどこかから聞こえてくるようになると、人々の心はすさんでいく一方になった。
「者どもが申すには、アテネ神への礼拝と祈祷のための犠牲を捧げたいと。そのように口々に騒いでいるとのこと」
「む……」
アテネ神は我が国の守り神だ。
普段であれば人々は、なにかの困りごとがあるときなど、日々あの神殿へ赴いて捧げものをし、個人的な願いをアテネに聞いていただいて祈りをささげる。
それがこの疫病のため、基本的に外出を禁じざるを得ない事態になった。当然、神殿に行くことも控えるようにと布告を出している。
医官らからの報告によれば、今回の疫病はやはり水からではないかという話だ。しかし、人から人へ感染しないという保証もまだない。群衆がひとつ所に集まってしまうことは危険だと考えられた。
だが人間は、そんな都合だけに合わせて生きていられるものでもない。このところ、王宮には民らからの様々な嘆願書が届き、街の長老たちが民を代表して嘆願に現れるということが続いている。
嘆願書の一部にはストゥルトも目を通したが、そこにあるのは切々とした、もはや悲鳴のごとき願いの数々なのだった。
『小さな息子を亡くしました』
『老いた父母が死にました』
『子供が何人もいるのに、今日食べるものはおろか、ろくに飲む水すらもありません』──。
人々の心の中に、どんどん不安と不満が溜まり、もはや爆発してしまったということなのだろう。
ストゥルトもある程度は予想していたことでもあった。
(どうする──)
眉間に皺をきざんで黙考する。
こんなとき、ストゥルトが脳裏に描くのは、やはりあの男のことだった。
もしも彼が皇帝だったなら。
こんなとき、いったいどのようにして民心を落ち着かせようとしただろうか……?
教えてくれ、シンケルス。
私は皇帝として、いま、何をなすべきなのだ……?
「群衆は神殿前にどんどん集まり、数を増やしているとのことです。このままでは暴動に発展しかねず──」
武官の報告は続いている。
ストゥルトはぎゅっと一度目をつぶった。
(そうだ。シンケルスなら。あの男なら──)
目を開き、肩のマントを翻して立ち上がる。
「馬を引け。……私がゆく」
「へっ、陛下! さすがにそれは──」
危険です、とフォーティスがとどめようとするのを、びっと片手で制した。
「よい。どのみち、私が出ねばおさまるまい」
「しかしッ……!」
すでに大股に歩き始めながら、周囲にいる武官と文官、そして近衛隊の兵士に命令をくだしていく。命じられた者らはハッとして一瞬動きを止めるが、慌ててつぎつぎと自分の仕事のために駆け出していく。
「近衛隊は私に続け。民らに攻撃はいっさいするなよ。よいか!」
「陛下……!」
フォーティスは最後にそう言ったのみで、あとは沈黙のままぐいぐいとあとについて来た。
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