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第十二章 拓けた未来へ

4 新たな生活

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 それを「新生活」と呼んでいいのかどうかは、よくわからなかった。
 だがとりあえず、ストゥルトは目の前に次々に出現してくる様々な新しい事物にひとつひとつ慣れていくしかなかった。
 そばに誰もいなければ、とっくに気がおかしくなっていたかもしれない。
 だが、自分のそばにはいつもシンケルスがいてくれた。たまにはあの《ペンギン・チーム》の面々であるレシェントやリュクスでさえ顔を出してくれたのだ。

 ストゥルトは最初、なにか独特な匂いのただよう奇妙な空間で過ごすことと決められていた。
 内装は基本的に、あの《イルカ》の内部のような感じだ。穏やかなオリーブ色でまとめられたごく簡素なつくりの部屋で、家具といえば寝台と書き物机のほかにソファセットが置かれているだけだ。
 壁にはやっぱり《イルカ》を彷彿とさせられるような嵌め殺しの窓があり、透明な仕切り板の向こうにこの世界の街らしきものが見渡せる。少し高い位置にある部屋らしく、周囲を囲むつるりとした外壁をもつさまざまな建物が見えた。
 空は青く澄んでいて、雲が流れ、自分が知っているのより少し赤っぽく見える太陽が昇っては沈んでいく。そうして夜になると、なんだか妙に小さく見える月がやっぱり素知らぬ顔をして空を巡っていった。

(ここが未来か……。それにしても)

 ──どこかで見たことがあるような。

 と思ったのは、自分の気のせいかもしれないけれど。
 生成りの色をした動きやすいつくりの足穿きと、前で結び合わせる形の上着、それに見慣れない形の下着は、日々着替えさせてもらえる。シンケルスも大きさは違うけれどまったく同じ格好をしていた。ここにいる人間はこの格好をするのが決まりなのだそうだ。
 食事はその都度、壁の小さな扉が開いて提供された。それもまた、《イルカ》で提供されたものとよく似ていた。ストゥルトが好みを言えば、それに応じてメニューも変更してくれるのは助かった。《イルカ》ではじめて飲んだ「こーひー」とかいう飲み物も、求めればすぐに提供された。

 基本的に退屈ではあったけれども、例の「睡眠学習」とやらをしてもいいことになっているので、実際はそんなに暇でもなかった。不安にならずに済んだのは、シンケルスがずっとそばにいてくれることも大きかった。
 彼は彼で、この時代に体を馴染ませるための期間が必要なのだそうだ。これはどのチームでも同じことらしい。シンケルスはストゥルトの精神面を心配して共に過ごすことを希望し、幸い聞き入れられたのだという。
 男によれば、ストゥルトがここに留め置かれているのは閉じ込めるためではなく、むしろ彼自身を守るためだということだった。

「このままなんの対策もせずに外に出たら、あっという間に何かの病気で命が危うくなる可能性もないわけじゃないんだ」
「だからしっかりと検査をして、医務方からのお墨付きがでるまでは我慢してもらうほかない。これはお前のためなんだ」

 聞けばこの未来世界には、古代にはいなかった様々な病気のがいるらしい。人類は長い時間をかけてそれらの病気に負けない力──「免疫」と男は言った──を身につけてきたが、ストゥルトにはそれがないのだ。

「そうか。それならいい」

 シンケルスが済まなそうな顔をしつつも丁寧に説明をしてくれたので、ストゥルトは納得できた。
 その免疫とやらをつけるために、二十日ほど間を開けては上腕にちくりと針を刺されたり、薬を飲まされたりする。針のものは「注射」と呼ぶのだそうだが、とても痛いときと平気なときがあって、妙な気分だった。

「私はお前さえ……シンケルスさえいてくれればそれでいい」
 ソファの隣に座った男はそれを聞いてちょっと苦笑した。
「……それなんだが。そろそろ、こちらの名で呼ばないか?」
「え……」

 そうだった。せっかく聞いていたはずなのに、いつのまにか呼び方が元に戻ってしまっている。
 だが、あらためてその名で呼ぼうとすると、なんだか気恥ずかしくてもじもじしてしまうのだ。耳や首がきっと赤くなっているだろうな、と思うとよけいに恥ずかしさが増した。

「え……ええと」
「無理をする必要はない。俺は正直、どちらでも構わない。ただ、こちらの世界の人々が奇妙に思うかもしれないからな」
「う……。そ、そうか」
「ああ。だが本当に、お前が呼びたくなったらで構わない」
「うん……」

 隣から抱き寄せられ、髪を撫でられているだけでもう幸せだ。そのまま唇を塞がれると、もう天まで昇る気持ちになる。
 このあと、どんなことが待ち受けていてもきっと耐えられる……と、夢想する。
 実際どうなるかはまだなにもわからないけれど。
 しばらく舌を絡めあってから、とろんとする目をなんとか励まして男を見上げた。

「あと、どのぐらいここにいないといけないんだ?」
「そうだな……大体のワクチン接種は終了したと聞いているから、最終検査が終われば無罪放免だろう。が、あと二か月ほどは待ってくれとの話だったぞ」
「二か月かあ……。長いな。まあいいけど」

 ため息まじりに言って肩を落とすと、その肩を両手で抱き寄せられた。

「お前に会いたがっている人が大勢いるぞ。お前のことは、この世界においてはすでに大ニュースになっている」
「ええっ?」
 それは初耳だ。
「そ、そんなことになってるのか?」
「ああ。大人はもちろんだが、子どもたちも。みんなお前に会いたくてうずうずしている。なにしろ、本物の古代人と話をする機会なんて滅多にないんだからな」
「うひゃあ……」

 そんな。
 古代人といったって、特に賢かったわけでも強かったわけでもない自分なんかが。到底、「古代人の代表」なんて言える人間ではないのに……?
 そんな内心を察したように、男はストゥルトの頭をぽすぽす叩いた。

「心配するな。お前はお前のままでいいんだ」
「う……。そ、そうか」
「ああ、それから」

 言って男は少しストゥルトから体を離した。そうして、背後に隠し持っていたらしいものを目の前に差し出してきた。紺色の天鵞絨ビロードのような布で包まれた、手のひらに乗るほどの大きさのまるっこい小箱だ。

「これを」
「ん? なんだ」

 ぱか、と小箱の蓋がひらく。
 そこに、銀色の指輪が鎮座していた。
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