情事の事情

るなかふぇ

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ほづとしのりんの場合

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「うーん。ああは言ったけど……」

 ぼくは通学用のリュックを背負い、家への道を急いでいる。
 今日は珍しく、ほづがこっちに来てくれる日だ。いつもはサッカーの練習で忙しくて、あんまり時間が取れないから、ぼくがあっちに行くことが多い。
 ほづの部屋って相変わらずちっとも片付いていないから、ホテルを使うことも多いかな。

 ほづ──茅野穂積かやのほづみ──は、高校時代からのぼくの「彼氏」だ。
 高校の頃、「こんなぼくじゃあ告白すら無理だよね」って、最初から完全に諦めていたぼく。そんなぼくを、ほづはとうとうつかまえた。
 生まれたときにお医者さんから「男の子です」って言われて以来、「篠原和馬」として生きていたぼく。でも、心の中は男の子ではないんだって、小学生ぐらいの頃から気づいてた。

 高校生になって、ちょっと腐った活動を通じて友達になった、ほかの高校の女子、ゆのぽん──柚木美優ゆのきみゆうさん。彼女とほづを巻き込んで起こったとある事件を通じて、ぼくたちは本当の親友になり、やがてぼくとほづは……つまり、関係になった。

 内藤くんのところではお父さんが厳しいかたみたいで、佐竹さんと内藤くんは二十歳になるまで深い関係になることを禁止されていたんだそうだ。
 うーん。つらそう。
 ちょっと気の毒だけど、仕方ないよね。
 あの超真面目な佐竹さんなら、絶対にしっかりそれを守るに違いないし。
 でもまあ、そんな縛りのなかったぼくとほづは、高校時代からすでにそういう関係になっていた。

 ……本当は、いろいろ不安だった。
 だってぼく、女の子の体はしてないし。
 ほづには言ったことないけれど、本当は、本当の本当は、女の子の体には絶対についてないもの、ずっと切り落としたいぐらい嫌だった。
 だからそんな嫌な体を、ほづに愛してもらうのにも躊躇いはあった。本当は、もっとちゃんと「女の子らしい身体」になってから、ほづに抱いてもらいたかった。
 でも、ほづは「いい」って言った。
 「どっちでも、シノはシノだろうがよ」って。
 「俺は、シノだから抱きたいんだよ」って。
 実は複雑だったけど、嬉しかったのも本当だ。

 高校生になって、あの事件があってからは、幸い家族が理解してくれたので、女性ホルモンの薬を使うこともできている。ぼくみたいな人たちのために、これ以上体が男性化していかないようにする薬だ。
 幸いっていうか、ぼくはほづのお兄さん──いや、今は「お姉さん」って言ったほうがいいんだろうけど──とは違って、もともと小柄で華奢な体形をしていた。顔もそんなにいかつくないし、喉ぼとけもほとんど出ていない。声だってそんなに低くない。
 だからホルモン剤を使うことで、体が男性化していくのはどうにか抑えられている。女の子の服だって、大体はきれいに着こなせている。ウィッグをつけて化粧をすれば、ほぼ誰にも「男だよね」ってばれないぐらいには化けられる。

(でも、それでも)

 女の子にはあって、男にはない部分。
 二人の絆を確かめ合う行為の中で、それは切り離して考えることのできないものだ。
 でも、ぼくにはそれがない。
 ないから、ほづとは男同士でする行為をするしかない。
 これまでいろいろと調べてみたけど、本当にそれを作ろうと思ったら、海外に渡航して大きな手術を受けなきゃならない。それには大変な覚悟と、時間と、お金がかかる。
 今のぼくには、とてもそれをする余裕がない。心も、もちろんお金もだ。

 ほづはいつも、「無理すんな」って言う。
「今のままのシノで、俺は十分なんだから」って。
「シノがそうしてえんなら、応援する。でも、それでなんか病気になったり、傷のせいでシンドイことになるんなら、あんまり賛成はできねえかも」って、すごく心配そうな顔で言う。
 この話になると、ほづがかなり困った顔になっちゃうから、ぼくもそれ以上はなんとなく相談できなくなってしまう。
 両親も、大体はおんなじような感じ。

 本当は、全部ぜんぶ、女の子になってしまいたい。
 胸だってもっと大きくしたいし、余計なものは全部取っちゃって、すっきりしてしまいたい。ぼくの体の中で「男だよね」って言える部分は全部、なかったことにしてしまいたい。
 そこに潜んでいる物凄いリスクのことは知っているけど、それでも挑戦したいと思ってしまう。

 ……そのぐらい、心と体の性の乖離って、シンドイってことだ。





 自宅マンションに戻る前に、ぼくは近くのスーパーに寄った。
 ほづはめちゃくちゃ食べるから、「このぐらいで十分だよね」と思って買って帰っても、大抵食材が足りなくなる。
 一度なんて、「ちょっと足りねえ。注文していい?」って、なんとピザまで頼んでたからね。
 ほっとくと肉ばっかり食べたがるから、強制的にサラダとか煮物とかも食べさせるように気を付けてる。実はほづのお母さんからこっそりと、「あの子のこと、よろしくね」なんて頼まれちゃってるし。
 なんかもう、「すでに奥さんか? ぼく」って思っちゃう。

 ほづ、なんだか時々、小さな子供みたいなときがあるもんね。
 やっぱり、上にきょうだいがいる弟気質だからかなあ。ぼくは下に妹がいるから、基本的には姉気質なんだと思うんだよね。
 ほづは一見硬派な顔してるけど、どっちかっていうとかなり甘え上手だと思う。
 食欲もがつがつ、性欲も……あ、うん。やめとこう。

 関東でひとり暮らしをするようになって、ぼくは初めてちゃんと料理というものをした。最初のうちはひどいもんで、砂糖と塩を間違えるなんて当たり前。「お米を洗う洗剤ってどれなの?」って悩むレベル。
 うあ、今思うとほんと恥ずかしい。
 大学で知り合った内藤くんがとっても料理の上手な人で、いっぱい教えてもらってからは、だいぶ手際もよくなったけど。

 そういえば、内藤くんの彼氏である佐竹さんも、料理の腕前はすごいらしい。高校の時、お母さまが亡くなって苦労していた内藤くんに料理を教えたのも彼だそうだ。
 文武両道どころか、家事までパーフェクト。
 佐竹さん、やっぱりおっそろしい人だ。
 あ、内藤くんと佐竹さんは同い年なのに、ぼく、つい佐竹さんには「さん」ってつけちゃう。なんかもうね、これは完全にフィーリングだよね。
 「佐竹くん」とかぼく、呼べないもん。なんかもう、畏れ多くて。

 とかなんとか考えながらあれこれ料理していたら、チャイムが鳴った。
 ここはセキュリティのしっかりしたマンションだから、まずはこっちの部屋から入り口のロックを外してあげなくてはならない。
 モニターのボタンを押すと、そこにうっそりと見慣れた大柄な男が映った。黒いウインドブレーカーに、大きなスポーツバッグを担いだいつもの姿。

『うぃーっす。わりい、遅くなった』
「ん。大丈夫。そろそろゴハン、できるからね」

 言って、ロックを解除する。
 部屋の中央に置いた小さなテーブルに、できた料理と食器を運ぶ。
 ふと気が付いたら、ふんふんと鼻唄なんか歌っていた。

 ……幸せ。
 本当は色々あるけど、いま、ぼく幸せなんだ。

 もうすぐ、ほづがやってくる。
 あの大きな手で、ぼくをぎゅってしてくれる。

 ……それを待ってる。
 この時が一番、しあわせなんだ。

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