ルサルカ・プリンツ 外伝《瑠璃の玉響》

るなかふぇ

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第四章 御子誕生 

11 海辺

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「ねえねえ、早くおいでよ、アオイおにいちゃーん!」
「はだしがきもちいいよ!」
「すなはま、しゃくしゃくいうんだよ。ほらっ」

 楽しげに海辺を駆けまわりながら、小さな子どもたちがはしゃいでいる。
 浜辺を照らす午前の太陽は、すでにじりじりと砂を温めていた。南半球にある島のため、この時期は春先にあたるのだったが、もう十分に海で泳げる気温になっている。

 瑠璃はつばの広い帽子とサングラスをつけ、シャツにスラックスの格好で、藍鉄のさす大きな日傘の下にいた。ここへきてかなり日焼けをしてしまったが、海辺の陽射しはさすがにきつすぎるからだ。とはいえ、子どもたちは帽子もかぶらずに平気ではしゃぎまわっている。
 学齢期の者を除いた十名ばかりの子どもたちが、園長や職員の男性や女性とともに浜辺の貝殻を拾ってみたり、木の枝でヒトデをつついてみたり。学習が必要な子どもたちは、この時間帯は町の学校へ通ったり、園内で教育プログラムを利用したりして学んでいるのだ。

「波打ち際のほうへ参りましょうか」

 藍鉄が低い声で訊ねてくる。
 瑠璃はひとつ頷いて、子どもたちが駆け回っている方へ足を向けた。
 子どもたちはみんな水着を着ており、浮き輪や空気でふくらませるボールなど、海辺で遊ぶものを持参してきている。えらの手術を行うのはある程度育ってからがほとんどなので、この子たちはまだ恐らく鰓持ちではないだろう。

「アオイおにいちゃん、こっちこっち! ボールであそぼう!」

 四、五歳ぐらいの女の子が瑠璃の手にまとわりつきながら、海辺へ引っぱって行こうとする。もれなく後ろから、日傘を持った藍鉄が黙々とついてきた。
 裸足になり、スラックスの裾を折り上げて少しだけ水に入る。足首をちゃぷちゃぷと洗う海水に、不思議にほっとした。寄せては引いていく波に合わせて、細かい砂が足の甲をくすぐっていく。
 そのまま子どもたちに誘われるに任せて、瑠璃はしばらく海辺で遊んだ。ビーチバレーをしたり、水辺で鬼ごっこをしたり。
 夢中になって遊んでいるうちに、まくり上げていたスラックスが太腿のあたりまですっかり濡れてしまったが、まったく気にならなかった。

「やったあ! つぎはアオイおにいちゃんがオニ!」
「こっちこっち! アオイおにいちゃん、こっちだよ~!」

 気が付けば瑠璃は、これまでの塞いだ気持ちなんてすっかり忘れて、子どもたちと顔じゅうで笑いあい、飛沫しぶきを跳ねあげて波打ち際を走り回っていた。
 藍鉄が、なにかあった際にはすぐ飛んでこられるほどの距離を保ったまま、そんな瑠璃をじっと見つめている。そのことはずっと感じていた。

 太陽が真上から少し傾いたころになって、みんなで木陰で弁当を広げ、昼食にした。サンドイッチやおにぎりなど、至極簡単なメニューだったが、どれもやっぱりびっくりするほどおいしいのだった。
 子どもたちもとびきり幸せそうな顔だ。ひとりひとりの背景は決して幸せとは言えないものだろうに、ここの子どもたちの笑顔はまぶしいほど明るい。この子たちに囲まれていると、不思議に瑠璃の気持ちも溶けていくように思われた。
 藍鉄はさりげなく瑠璃の給仕などをこなしながら、自分も手早く食べられるものを時々つまんでいる。あまりかいがいしく瑠璃の世話ばかり焼いていると、大人はともかく子どもたちからも「アオイおにいちゃんは何者ぞ」と思われてしまいかねないからだろう。

 そうこうするうち、ゆっくりと陽が傾きはじめ、そろそろ帰る支度を始める時刻になった。
 特に小さい子どもたちの何人かは「えーっ。いやだあ。まだあそぶう!」と駄々をこねていたけれども、中にはすでに眠そうにうとうとと舟を漕いでいる子もいる。職員が手分けして、眠ってしまった子どもを車まで運んでやっている。藍鉄もすぐに手伝い始めた。

 眠っている小さな子どもを抱いた藍鉄の隣を歩きながら、瑠璃はふと、海風に誘われるように沖のほうを眺めた。遠くではさざなみが、まだちらちらと陽光に光っている。
 空はまだ明るいが、風にはすでに夜に向かっていく気配と匂いがしはじめていた。夕刻を引き寄せてくる湿った風に乗って、海鳥が飄々と飛んでいる。
 瑠璃は遠いその姿を目を細めて眺めた。
 そのときだった。

「……あ。かもめ」
 
 それはぽろりと口からこぼれでた。
「…………」
 藍鉄の足がぴたりと止まる。
 それはあまりにも自然だった。自然すぎて、瑠璃自身もしばらく自分の身に起こったことに気付かなかったほどだった。

 強い視線を感じて見上げると、藍鉄が目を見開いてこちらを凝視していた。
 ついムッとして口をとがらせ、瑠璃は「なんだよ」と言いかけた。

(……え)

 そこでようやくハッとした。
 足を止め、藍鉄の目を凝視する。

「……あ。ええっ……?」

 片手でのろのろと口を覆う。顎と指先が震えだした。
 信じられない。
 まさか。本当に……?
 やっぱりとても信じられなくて、口の中で恐るおそる鳥の名を繰り返してみる。

「あ……あいてつ──」

 呆然と男を見上げた。
 勘違いではなかった。
 いま自分は、紛れもなくこの口で──

「あ、あいてつ……あいてつ。わたしは……わたし、は」

 藍鉄はそばの職員の一人に子どもを預け、ずかずかと大股にこちらへ近づいてきた。
 武骨な顔を凍り付かせ、ほとんど殺気に近いものを全身から放散させている。
 慣れない者が見れば、恐ろしさで身が竦むような顔だった。

「殿下……!」

 男が、バッと両腕を大きく広げた。
 そのまま力いっぱい抱きしめられる。

「うわっ!?」

 そのままぐんと持ち上げられて、呆気なく足が浮いた。

「藍鉄、ちょっと……! うわ、下ろせよ!」

 子どもたちが見ているだろう、恥ずかしいじゃないか、とかなんとか言ううちにも、藍鉄の顔が涙で滲んでよく見えなくなっていく。

 話せる。しゃべれる。
 言いたいことがなんでも、思った通りに。
 嘘じゃない。
 夢じゃないんだ。

 そのまま子どもにするようにくるりと空中で一周まわされて、すとんと地面に下ろされた。
 瑠璃はそのまま無我夢中で、男の首に抱きついた。

「あいてつ、あいてつ、あいてつ……っ」

 事情を察した職員たちと子どもたちが、「よかったですね」「おめでとう!」「やったあ、アオイおにいちゃん!」と口々に声を掛けてくれるのが聞こえた。
 が、とても返事なんてできなかった。

「よろしゅうございました。……よろしゅう、ございました──」

 さすがの藍鉄も声を詰まらせている。
 そのあとはもう、瑠璃にまともな言葉は紡げなかった。
 そのまま男の首にかじりつき、いつまでもわあわあと子どものように泣きわめいた。

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