白と黒のメフィスト

るなかふぇ

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第八章 神殿の思惑

3 巨大な魔獣

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 その後しばらくは順調に作戦が進行した。
 その島にできていた大きな《黒い皿》はとおあまりあったけれど、一日にふたつから三つを閉じることができ、その日はついに最後の最も大きな《皿》を処理することになっていた。

(これで終わりか……。頑張ろう)

「一応、この島じゃこれが最後だ。が、最後だと思って気を緩めんなよ。一番大きなやつだけに、出てくる魔獣の力は段違いだかんな」

 討伐隊の隊長であるレオの言葉に、兵たちがみな表情を引き締めている。インテス様と並んでその中央に立ち、シディも気持ちを引き締めていた。
 最後の《皿》は島の北東部にあった。赤黒い岩山がつらなる寂しい場所で、帝国内ではまだ少し早い季節なのだが、すでに高所は雪をかぶっているところが多い。《皿》のすぐ後ろが冬の黒々とした海になっており、ときおり海鳥がぎゃあ、ぎゃあと恐ろしげな声を立てていた。

(うっ……大きい)

 予告されていた通り、《皿》はこれまでの中で最も巨大だった。あまり大きくて距離感がつかみにくいが、恐らく五十馬身ぐらいはあるだろう。

「よし。魔力障壁の解除だ。まずはここから。慎重にやれよ」
「ははっ」

 レオはいつもよりさらに慎重に隊の配置や攻撃計画を立てているらしい。彼の命令に沿って、《皿》の周囲を覆っている魔力障壁がゆっくりと端から解除されていく。それと同時に、あの何とも言えない悪臭が周囲を満たしはじめた。
 と、次の瞬間。

「グオルルルルッ!」
「ひっ」

 地面を揺らすような咆哮が響いて、シディは思わずその場で跳びあがってしまった。固まった肩を、隣から温かい腕がすぐに抱き寄せてくれる。もちろんインテス様だ。

「大丈夫だ、シディ。私のそばを離れるな。落ち着いていけばいいからな」
「は……はいっ」

 見つめる先では、障壁の縁を握りつぶすようにして巨大な腕が現れ始めている。牛などひとつかみに出来そうなほどの、節くれだった黒く巨大な手だった。指先には黒く鋭い爪がはえており、手の甲にあたる部分には金属製のようないかつい毛が生えている。
 丸太のような指がめりめりと魔力障壁を握りつぶしていく。
 シディの胸がどきん、どきんと激しく鼓動を打ち始めた。

「……落ち着くんだ、シディ」
「んんっ?」

 囁かれた、と思ったつぎの瞬間、視界が金色のものに遮られた。
 次にはもう、優しく柔らかいものに唇をふさがれていた。が、口づけをされたのだ、と分かったときにはインテス様の姿勢はもとの状態にもどっていた。

(うわあああっ)

 高鳴った鼓動の理由がバラバラになる。頭が混乱する。

「……私のことだけ考えていればよい、と言った。集中しよう。な、シディ」
「は……はいい」
「さあ。《魔力の壺》を形成してくれ」
「はいっ……!」

 集中。
 そうだ。いまの自分にできるのはこれだけなのだ。
 余計なことで気を散らして、みなの迷惑にだけはなりたくない。
 シディが気を集中させて魔力を溜めている間にも、レオの声が飛んでいる。

「でかい奴は今からでも削れ! 魔法攻撃隊、攻撃開始!」

 次にはもう、空間には魔力攻撃の激音が轟きはじめた。炎魔法、水や氷の魔法。それぞれの魔法が赤や青、黄色など色鮮やかな魔力攻撃となり、ものによっては美しい詠唱を伴って美しい円盤を描きながら魔獣に襲い掛かっていく。魔導士たちの低い詠唱の声が続く。

「グオエエエッ! ギャグルルルルアアッ!」

 魔獣の咆哮はもはや、恐ろしいなんていうものではなかった。現れた手や腕を端から攻撃されて削り取られる痛みはすさまじいものだろう。肩のあたりまで姿を現した魔獣は、ねじくれた角を生やした牛のような顔をしていた。筋骨隆々とした男の体形にも似ているが、尻からは長いしっぽがうねうねと生えているのが見える。
 魔獣が二の腕まで削られた状態の腕をめちゃくちゃに振るうと、黒い体液があたりに飛び散った。
 金属メタリクム魔法攻撃が黄色い火花とともに魔獣の顔に襲い掛かり、太い角をがきんと砕き折る。

「グギャアアアアアア!」

 と、魔獣が身もだえして魔獣が上半身を乗り出した。もう片方の腕がむき出しになり、魔獣がぶうん、それをふるった。

「ぐあっ」
「うわあっ」

 ほんのわずかに触れただけだったのに、兵士と魔導士の数名が吹っ飛ばされ、岩に叩きつけられて動かなくなる。兵士と医務班の魔導士がすぐに駆け寄り、必要な処置をしながら遠くへ引き離している。
 シディは敢えてそちらを見まいとしたのだったが、失敗した。彼らの首や腕が変な方向に曲がってしまっているのを見てしまったのだ。

「ううっ……」
「動揺してはならぬ、シディ。そろそろ魔力放出を始めるぞ」
「は、……はいっ」

 あわてて自分の仕事に集中するが、うまくいかなかった。
 即死でさえなければ治癒魔法が効いてくれるので、生存は可能なはずだ。それはわかっているけれど、シディにとっては初めての経験で、動揺するなという方が無理な相談だった。

「シディ。シディ……。目を閉じてごらん」
「ううっ……」
「『私のことだけ考える』。何度も言ってるが、自分のことだけに集中するのだ」
「は……はい」

 インテス様の声はどこまでも穏やかだ。言われた通りに目を閉じると、魔獣の悪臭や咆哮までは消し去れないものの、少し落ち着ける気がした。

「楽しいことだけ考えよう。離宮でしたことを思い出してみようか? ティガリエをつれて庭園を散歩したり、ともに食事をしたな」
「う……は、はい……」
「夜には涼しい風が吹いて、そなたと素敵な夜を過ごした」
「あ……あうっ?」

 ぼんっと脳裏にインテス様との夜のあれこれが想起されてしまって、シディは慌てた。
 いやいや、そうじゃない。
 何を言い出してるんだこの人は。しかもこんな時に!

「夜の営みほど心を安らげ、呪いや悪事から離れさせるものはないと聞く。愛し合う二人の営みであればなおさらさ」

 殿下はまるでシディの慌てている理由などお見通しかのように言葉を続けた。
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