白と黒のメフィスト

るなかふぇ

文字の大きさ
162 / 209
閑話 ティガリエ

閑話 ※

しおりを挟む

「あっ……ふ、んん……っ」

 魔塔から戻り、ふたたび隠れ家での生活が始まった。
 従者のための小部屋で座りこみ、得物である剣や鎧をていねいに磨く。あまり音の立たない作業を選んでいるため、周囲の物音はよく聞こえる。またそうでなくてはならない。

「は……あ、あっ……あ、だ、だめ……っ」

 隣接する部屋へむかう扉のむこうから、主人あるじの甘やかな声がする。ときに高くなり、低くなり、時々はくすくすと忍び笑う声などが挟まりつつ、やがて速度を増していく。寝台の軋む音がそれについていく。
 ご本人はかなり抑えようとしておられるはずだが、それでもトラのものであるこの耳は人間よりもはるかに多く、細部まで音を拾ってしまう。

「はあっ……ら、らめえっそこ……ごりごりしちゃ、らめっ……」
「そんなことを言って。腰が揺れているぞ、シディ。そら、ごらん」
「ひゃああんっ!」

 おふたりの行為の様子があれこれと聞こえることは別にかまわない。四六時中かの方の護衛をするようになってから、この状況にはとっくに慣れた。むしろおふたりが仲睦まじいのは良いことだ。
 こんなのは要人の側付きを務める者なら日常茶飯のことだし、むしろ自分のことなど、普段は空気に等しく思っていてくださればよい。
 ただしこの「空気」は、いざとなればかの方のために肉の盾ともなるという自負はあるけれど。

「ふあんっ……もう、だめ……あ、あふっ……あ、明日に、ひびきます……っ」

 遂に主人あるじが半泣きのような声で懇願して、艶めいて掠れた声がやむ。しばらくはおふたりの荒い吐息が重なりあう。
 殿下も決してかの方に無理をさせるつもりはないらしい。大抵はそれでしまいになるし、翌日に厳しい予定が控えている場合、そもそもかの方をお抱きにはならない。もちろん、それはかの方に対する殿下の愛情が薄いからなどではない。むしろその逆だ。
 いまや殿下はどうしようもなく、かの《半身》たる方を愛しておられる。衷心ちゅうしんから。

 初めのころ、かの方が売春宿から救い出されて離宮につれてこられ、右も左もわからずにいた時期から考えると、ずいぶん変わったものだと思う。
 殿下から黒曜石の名をいただいた主人は、その後さまざまな経験をし、黒狼王ニグレオス・ウォルフ・レックスの子としての素晴らしい覚醒を果たされた。

 普通、ひとは他人から持ち上げられれば持ち上げられるほど本来の身のほどを忘れて傲慢になりがちなものだ。他人から着せられただけのきらびやかな衣装が、まるで自分の皮膚にでもなり代わったかのような錯覚に陥るらしい。凡百の徒であれば普通にあり得ることだ。そんな「貴人」や「貴婦人」ならいやというほど目にしてきた。
 だがあの方はそれでも少しもたかぶる様子はない。むしろいつでも、こんな護衛の武人にまでこまやかな気遣いをしてくださる。いつもいつも、ただただ身に余る光栄と感謝するばかりだ。

 要人の身辺警護は名誉職だ。とはいえ自分にとって、最初のうちは殿下から命じられたお役目という以上のものではなかった。あくまでも仕事、ということだ。
 だが今では、主人のためであれば身命をなげうってでも必ずお守りすると、この心に誓っている。それほどオブシディアン様はお仕えするに足るかただったからだ。

 と、廊下側の扉から低い声がした。
 聞き取れるか取れないかというほどの微かな声。と同時に、するすると軽い足音もする。どちらもすでに聞きなれた音だった。扉は音もなく開いたらしい。
 さすがは高位魔導士というべきか。

「おやおや、ティガリエ卿。警護を怠れぬとはいえここで装備の手入れまでしておられるとは。相変わらず生真面目なかただ」
「ラシェルタ殿」

 相手がだれかはすでに知っていたが、自分は大儀そうな目を上げて見せた。

「あなた様から『卿』などと呼ばれる筋ではありませぬ。自分は一介の武人に過ぎぬ身ですゆえ」
「ご謙遜が過ぎましょう。どのみちインテグリータス殿下がこのまま覇道にお進みになるならば、あなたは大将軍となるほかないお立場ですよ」
らちもないことを」
「ふふ。左様でしょうかねえ」

 ほっそりしたトカゲの男は魔導士の着る長衣をゆらして、薄く笑った……ようだった。どうも爬虫類系の人の表情は読みにくい。

 そういえば先日は、あの獅子の大将が同じように自分を揶揄からかいに来たのだったなと思い出す。
 自分の睡眠時間のほうをもっと大事にすればいいものを。かれらはどうやら自分に対して不思議な親近感を覚えているようなのだ。
 それがなんだかくすぐったい。
 長く帝国の軍にいて、こんな気分になったのははじめてだった。
 ラシェルタの手にある壺をちらりと見やって低くうなる。

「……酒なら、いりませぬぞ」
「おや。いける口のくせに」
「左様なことはありませぬ。なにより今は警護の最中──」
「まあまあ、よいではありませぬか」

 気が付いたらもう手に器を握らされ、とくとくと果実酒を注がれてしまっている。獅子の男がもってきた酒よりは弱いものであるらしいのが幸いだ。
 それに今は、なんといっても隠れ家にいる。ここは周囲を優秀な魔導士たちが固めたうえ、幾重にも高度な守護魔法がかけられた、いわば難攻不落の地──。

 手の大きさに比べてずいぶんと小さな器に、なみなみと注がれた酒。うっすらと鼻孔をくすぐるその香り。
 トラの男はともしびの光を跳ね返す液体のおもてを見つめて、しばらく沈黙していた。
 ……が、やがてぐいっと一気にあおった。

「ほほ、やはり。よき飲みっぷりにございまするなあ」

 トカゲの面に今度こそはっきりとした笑みを浮かべて、今や同僚となった魔導士の男もくいっと、軽く自分の杯をあけた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。 今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。 魔法と剣が支配するリオセルト大陸。 平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。 過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。 すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。 ――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。 切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。 全8話 お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c

この世界は僕に甘すぎる 〜ちんまい僕(もふもふぬいぐるみ付き)が溺愛される物語〜

COCO
BL
「ミミルがいないの……?」 涙目でそうつぶやいた僕を見て、 騎士団も、魔法団も、王宮も──全員が本気を出した。 前世は政治家の家に生まれたけど、 愛されるどころか、身体目当ての大人ばかり。 最後はストーカーの担任に殺された。 でも今世では…… 「ルカは、僕らの宝物だよ」 目を覚ました僕は、 最強の父と美しい母に全力で愛されていた。 全員190cm超えの“男しかいない世界”で、 小柄で可愛い僕(とウサギのぬいぐるみ)は、今日も溺愛されてます。 魔法全属性持ち? 知識チート? でも一番すごいのは── 「ルカ様、可愛すぎて息ができません……!!」 これは、世界一ちんまい天使が、世界一愛されるお話。

【本編完結】転生したら、チートな僕が世界の男たちに溺愛される件

表示されませんでした
BL
ごく普通のサラリーマンだった織田悠真は、不慮の事故で命を落とし、ファンタジー世界の男爵家の三男ユウマとして生まれ変わる。 病弱だった前世のユウマとは違い、転生した彼は「創造魔法」というチート能力を手にしていた。 この魔法は、ありとあらゆるものを生み出す究極の力。 しかし、その力を使うたび、ユウマの体からは、男たちを狂おしいほどに惹きつける特殊なフェロモンが放出されるようになる。 ユウマの前に現れるのは、冷酷な魔王、忠実な騎士団長、天才魔法使い、ミステリアスな獣人族の王子、そして実の兄と弟。 強大な力と魅惑のフェロモンに翻弄されるユウマは、彼らの熱い視線と独占欲に囲まれ、愛と欲望が渦巻くハーレムの中心に立つことになる。 これは、転生した少年が、最強のチート能力と最強の愛を手に入れるまでの物語。 甘く、激しく、そして少しだけ危険な、ユウマのハーレム生活が今、始まる――。 本編完結しました。 続いて閑話などを書いているので良かったら引き続きお読みください

希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう

水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」 辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。 ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。 「お前のその特異な力を、帝国のために使え」 強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。 しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。 運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。 偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!

竜の生贄になった僕だけど、甘やかされて幸せすぎっ!【完結】

ぬこまる
BL
竜の獣人はスパダリの超絶イケメン!主人公は女の子と間違うほどの美少年。この物語は勘違いから始まるBLです。2人の視点が交互に読めてハラハラドキドキ!面白いと思います。ぜひご覧くださいませ。感想お待ちしております。

「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。

キノア9g
BL
「君に義務は求めない」=ニート生活推奨!? ポジティブ転生者と、言葉足らずで愛が重い氷の伯爵様の、全力すれ違い新婚ラブコメディ! あらすじ 「君に求める義務はない。屋敷で自由に過ごしていい」 貧乏男爵家の次男・ルシアン(前世は男子高校生)は、政略結婚した若き天才当主・オルドリンからそう告げられた。 冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。 彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。 「旦那様は俺に無関心」 そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。 バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!? 「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」 怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。 えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの? 実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった! 「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」 「過保護すぎて冒険になりません!!」 Fランク冒険者ののんきな妻(夫)×国宝級魔法使いの激重旦那様。 すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。

異世界で8歳児になった僕は半獣さん達と仲良くスローライフを目ざします

み馬下諒
BL
志望校に合格した春、桜の樹の下で意識を失った主人公・斗馬 亮介(とうま りょうすけ)は、気がついたとき、異世界で8歳児の姿にもどっていた。 わけもわからず放心していると、いきなり巨大な黒蛇に襲われるが、水の精霊〈ミュオン・リヒテル・リノアース〉と、半獣属の大熊〈ハイロ〉があらわれて……!? これは、異世界へ転移した8歳児が、しゃべる動物たちとスローライフ?を目ざす、ファンタジーBLです。 おとなサイド(半獣×精霊)のカプありにつき、R15にしておきました。 ※ 造語、出産描写あり。前置き長め。第21話に登場人物紹介を載せました。 ★お試し読みは第1部(第22〜27話あたり)がオススメです。物語の傾向がわかりやすいかと思います★ ★第11回BL小説大賞エントリー作品★最終結果2773作品中/414位★応援ありがとうございました★

処理中です...