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第三章 侵入者
2 脱出
しおりを挟む《ん~。それはちょっと違えけど》
口では沈黙を保ったまま、凌牙は鼻の先を軽く掻いた。
《前にあいつに言った通りだ。俺らはてめえの寿命そのほかのことも、あるがままに受け入れる。不自然な延命なんかは考えねえ。そうは言っても、お前ら人間よりはだいぶ長命だけどな》
「……そうなんだ」
《俺みたいに人間の町に入りこんで生きている奴も多いが、人間があまり入れない土地でひっそり暮らしてる連中もいる。そういう所は村全体が人狼だ。もちろん、人間の村だってふりをしてるがな》
「へー……」
そうか。みんな、あれやこれや工夫して生きて行こうとしてるわけだ。
そこはヴァンピールも人狼も同じらしい。
「でさ、凌牙。人狼って満月のときはちょっとダメなんだよな? なんか勝手に変身しちゃったりして」
俺もあれから、ネットや本であれこれと吸血鬼や狼男のことを調べてみたんだ。もちろん、ただの噂や迷信、創作として語られてきたものだから、情報がどこまで正確かはわからないけど。
《ま、そうだな。あの野郎が言ってたみたいな対処はいまのところできてねえし。だから、満月の夜には基本的に外には出ねえ。月の光を浴びちまうと、理性が吹き飛んでどうなるかわかんねえから。大事な仲間だって殺しかねねえしよ》
うわ、怖え。
「や、やっぱ、そうなのか……。その、お前も経験あるの?」
それには凌牙は答えなかった。いろんな意味を含んでいるのかそうでないのかよく分からない、金色を沈めた瞳をきらっと一度光らせただけだ。
俺はそれ以上はなんとなく訊きづらくて黙り込んだ。
と、ちょうどそのとき、教授が大講義室の前扉から入ってきた。
(……ん?)
その瞬間、俺は奇妙な違和感を覚えた。
なぜかはわからない。
教授はいつもの初老の先生だったけど、後ろからついてきた助手かなにかの中年男は初めて見る顔だった。教授が今日使うらしい資料やプリントなんかを後ろから運んできている。教卓にそれらを置いたり、プリントを配布したり、前面モニターやマイクの調整を手伝う人だ。
なんとなく目で追っていたら、男はひと通り作業が済んだところで、さもなんとなしにといった様子で部屋をぐるりと一瞥した。
(えっ……)
その目が、ぴたりと俺のところで止まった……ような、気がした。
いや、まさかな。こんだけ学生がいる中で、俺だけといきなり目が合うなんてこと、あるはずがないし。
そう思いながらなんとなく隣の凌牙を見ようとしたら、頭の中で声が響いた。
《急に動くな。眠そうな顔して、ゆっくり俺を見ろ》
ビリッと背筋に電撃が走った。
凌牙の思念は今まで感じたこともないような厳しい声になっていた。
でも凌牙自身はひどく眠そうな顔で、くわあと欠伸なんかしている。顔と思念のギャップがすげえ。
《ったく。なんだってんだ。モスキート野郎は何をしてやがる》
苛立ったような声が頭の中に響く。思念そのものが歯ぎしりをしているみたいだ。こんな風に緊張している凌牙を見たのは初めてだった。
「な……んだよ。なんかあった?」
俺も欠伸をするようなふりをして、口元を覆いながらそっと言った。
《ん~。まあ、気にするな。まだはっきりとは気づかれてねえと思うし》
「どういう意味だよ」
──ちっ。
凌牙がごく小さく、口の中で舌打ちをした。
《あの野郎。ちゃんと結界張ってやがんだろうな? なんだよアレはよ》
眠たそうな目で明後日の方を見ているようなふりをしながら、頭の中ではキリキリと音がなるほどに弦が引き絞られている。まさにそんな感じだった。
《勇太。蚊トンボ野郎にメッセ送れ》
「え?」
《今じゃねえ。あいつが出てってからだ。目立ったことは絶対すんな》
「メッセって……怜二に? なんて?」
《今から言う。けど、勇太。絶対にでかい声とか出すなよ》
「あ、うん……」
俺はごくりと唾を飲みこんだ。さも眠そうなふりをして、目の辺りを手で覆う。
そうこうするうち、助手らしき男は仕事を終えてそそくさと講義室を出て行った。それをさりげなく確認してから、やっと凌牙はこう言った。
《『変な野郎が来てる。多分、お前の上位種だ』ってよ》
◆
「えっ、怜二……。大丈夫か?」
一限のあと。俺たちは人目につかない校舎裏の庭にいた。
すっ飛んできた怜二は、文字通り蒼白になっていた。もともと色白の顔が引き締まり、完全に血の気を失っているように見える。
「勇太! よかった……!」
「うぎゃ! なにすんっ……バカ! アホっ、やめえ! ここをどこだとっ」
言うなり力いっぱい抱きしめられたもんだから、俺は必死で叫んで、どかすか怜二の背中を殴りつけた。
でも、今回は怜二も凌牙もにこりともしなかった。
「じゃれてる暇はねえ。一旦ここを離れんぞ。急げ」
「お前に命令されるまでもないよ」
怜二はじろりと凌牙を睨んだ。でも、一瞬その目の光を和らげて言った。
「……けど、礼を言う。勇太を守ってくれて助かった」
「どーいたしまして」
凌牙は怜二と目を合わせようともせず、半眼でそう言っただけだった。今は狼の顔じゃねえけど、なんとなく首の後ろあたりの毛が全部逆立ってるような感じだ。
「ま、待てよ。一体なにがなんだか……って、講義は? まだこのあと──」
「そんな場合じゃねえ」
「まずは距離をとるよ、勇太」
「って、おい。うわわっ?」
途端、例の黒マントがばさっと出現する。あっというまにそれに包まれて、俺の足は地面を離れた。
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