血と渇望のルフラン

るなかふぇ

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第七章 陥穽

13 夜明け前

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「もうほんっと……恐ろしい子だよね、君は」

 後ろから俺の首に薬を塗りこみながら、怜二が溜め息をついている。なんだか嬉しそうな溜め息だけどな。

「なあんだよ」

 俺はわざとむくれた顔を作って後ろを見た。
 案の定、怜二は困りつつも嬉しそうな顔だ。

「だって君、あの場面で『咬んで』なんてさ──」
 一体どんなプレイなんだよ、とため息まじりに言って笑ってる。
「いいじゃんっ。だって危なかったんだぞ、フランスで。もうちょっとで『初めて』を盗られちゃうとこだったんだぞ! あんな野郎に、無理やりに」
「それは分かってる。だから嬉しいよ、本当に。でも、どうしようかと思ったんだからね。理性を保つのに必死だった。千年以上も生きて来たけど、こんなの久しぶりだよ。冗談ぬきで」
「そーなの?」
「そうだよっ!」
 傷の上に貼った絆創膏の上から、平手でべしっと叩かれた。
「あいてっ!」
「わかってる? 君がどんなに美味しい血の持ち主かってこと」
 いや、わかるわけねえし。俺、人間だし。
「僕がちゃんと踏みとどまっていなかったら、君、命だって危なかったんだからね! 思わず全部吸い尽くしちゃいそうになったんだから!」
「え。マジかよ」
 思わず引いた俺を、怜二はじろりと睨んだ。
「もう絶対にあんなこと言わないで。他の奴にはもちろんだけど、僕にもダメだ。あんなこと言っちゃダメ。理性が吹き飛ぶから!」
 ひょええ。ちょっと信じらんないけど、これ多分マジなやつだ。
「本当にお願い。約束して、勇太」
「わーかったよ……」

 俺はバリバリ後頭部を掻いた。
 塗ってくれてる薬はやっぱりタカゾネヴァンピール研究所特製のやつだ。咬み痕が残りにくく、傷も早く治るらしい。そんなもんまで作ってんのか。俺は感心を通り越して、もはやあきれている。用意周到ってこのことだよな。
 怜二は手当てを終わると、俺にローブを着せ直した。口では叱りつけているけど、手つきも目つきも異様に優しい。
 なんかもうデレデレだな。蕩けそうだな! こいつらしくない、なんて言ったら怒られるから言わねえけどさ。

 窓の外はまだ暗い。俺はあの後すぐに眠ってしまったらしく、怜二がその間に体を綺麗にしてくれていたみたいだった。今は夜明け前。たぶん四時ぐらいかな。
 つまり、とうとう新月の日が始まってしまったわけだ。
 怜二が後ろから俺をぎゅっと抱きしめてきた。

「……ね。体、本当に大丈夫?」
「ん? おお。腰がちょっとだるいけどな。『痛くて動けねえ』とか『歩けねえ』みたいなの聞くけど、なんとか大丈夫そうだわ」
「ならよかった。どうにか自制した甲斐があったというもんだよ」
「自制? してたのかよ、あれで」
「当たり前でしょ!」
 絆創膏の上をまた、べしーんと叩かれた。
「あいっ……いてえってば、バカ!」
 なにをそんなベシベシ叩きまくってんのよ、こいつは。
「バカは君でしょ! 僕がどれだけ我慢したと思ってるの!」
「って、だから。我慢しなくていいのによー」
「そんなわけにいかないでしょ! どうなると思ってるんだよ、君は」
「まあ、そりゃあ? ろくに歩けなくなるとかは困るけどー」
 それもシルヴェストルとの大切な約束がある、こんな日には特にな。
「そらごらん」
 言って怜二は、俺の身体を自分の方に向けた。
 顔を両手で挟み込んで、俺の目をじいっと見る。

「本当につらかったら、いつでも攻守交替するから。遠慮なく言ってね、勇太」
「んー。気持ちは嬉しいけど、いいや。それは」
 あっさり言ったら、怜二が不思議そうな目になった。
「……そうなの?」
「は? そりゃそうだろ」
 俺はちょっと鼻白んだ。
「だって、イヤじゃね? 言ってたじゃん。お前のの記憶って、あんまいいもんじゃねえんだろ。ってか、サイテーなんだろ」
「え……?」
 怜二がハッと驚いた目になる。
 いや、なにを驚いてんだよこいつは!
「だーかーら! ろくな思い出じゃねえんだろ? 変態のデブ野郎だかにひでえことされてたんだろ、人間の……ガキのときによ」

 怜二が呆気にとられたような顔になって俺を見つめる。
 いや、だから。なんで呆気にとられるんだよ。

「だからほんとは、そっちはイヤなんじゃねえの。思い出すと吐き気がするんじゃね? 気持ちいいどころじゃねえじゃん。俺だったらぜってえやだもん。お前だってそんなこと、俺のために我慢して、無理してやんなくっていーんだよっ」
「勇太……」

 一瞬の間をおいて、突然怜二は俺の身体を両腕で抱きしめてきた。
 息もできないほど、強く。
 俺も怜二の身体に腕を回して抱きしめ返し、背中をぽんぽん叩いてやる。

「だから、無理すんな」
「うん、いや……。別に無理はしてないんだけど」
 怜二の声が変にかすれている。
「ならアレだけどよ。でも俺は、別にで全然問題ねーから」
「そうなの? ……気持ちよかった、とか? 最初から」
「んー。ま、正直そこは微妙だけどよー」
 俺はちょっと体を離して怜二の顔を見返した。こいつ、いつになく不安そうな顔になってる。
「んでも、ちゃんと気持ちよかったぜ? だからきっと大丈夫だって」
「そう……」
 怜二が軽く息をついた。
「なーなー。ところであの薬さ」
「ん?」
「あの赤い、中和剤。あれってどのぐらい効果が続くの」
「効き方には個人差があるけど。まあ、丸一日ぐらいかな。どうして?」
「丸一日……。そっか」

 俺はにやっと笑って、怜二の顔にぐいと自分の顔を近づけた。

「え、勇太?」
「ちゅーしてえ。中和剤、効いてるうちに」
「また、君は──」
「いいじゃんっ。ちゅーしようぜ、ちゅー! なあ、怜二ぃ──」

 ひと呼吸おいて、怜二の目が再び真っ赤に輝いた。と思ったら、次にはもう俺の腰は強引に抱き寄せられていた。

「どれだけ誘惑したら気が済むの? 君はいつも、そうやって──」

 「もう知らないからね」なんて言いながら、今度は最初から舌を絡める濃厚なキス。
 俺も少しだけ初心者レベルを離れて、なんとかそれに応えた。怜二の後頭部を抱き寄せて、自分から怜二の舌に吸い付きにいく。

「ん、……んう」

 静かな部屋に、俺たちのたてる淫らな水音だけが響く。

(気持ちい……)

 俺はゆっくりと目を閉じた。
 白々と窓の外が明るくなるのを感じながら。

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