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◆ いじめの果てに 編

61 過ちを赦す勇気 裏切りを赦さない勇気

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 『【如何なる理由をもってしても、学園内での私闘これをを禁じる】 王立フェレイオ学園学則に抵触した為、一年B組生徒シリル・デラヒエに対して停学一ヶ月の処分を課すーー学園長エノキダ・ダンジョウ』

 この公示の張り紙が学園内至る所に張り出されると、激震が走り抜けた様に学園自体が騒然となる。
 確か一年生の教育棟で暴力沙汰があったのは昨日の午後で、課外活動の時間が始まってすぐの事だと学園生たちは様々なルートの噂からは承知していたものの、まさか加害者生徒が「あの」シリル・デラヒエであったとは露にも思わなかったのだ。

「信じられません! あの太陽の様なポカポカした子が、相手を一方的に半殺しにしたなんて、何か原因があるばずです。私は悪夢でも見ているのでしょうか!? 」

 王立フェレイオ学園生徒会副会長、エーデルトルト・バルテンが完全武装且つ一族の家宝でもある「戦神の槌」を担ぎながら、やる気満々粉砕上等の勢いで職員室へ乗り込んだ際に叫んだ言葉だ。

「事の本質に目を瞑ったまま、自(うぬ)らはあの子だけ悪いとほざくのかえ? それならば妾(わらわ)はこの腐れた学園を燃やし尽くして塵にした後、田舎に帰って今後地上世界との一切の門戸を閉ざすぞ」

 一時限目終了後の休み時間、二年生で今夏のダンジョン祭りにおいて各賞を総なめにした赤竜の姫、アルベルティーナ・ララ・ヴァルマが職員室の扉をぼかんと蹴破って直談判に現れた際の一言だ。

 ……大体の事情は掴んでいる。大人の事情でシリル・デラヒエ一人を生け贄にするならば、聖峰特殊作戦群は今後一切のマスターズ・リーグ参加を拒否する……

 学園長室のベランダで日向ぼっこをしながら、のんびりと茶を愉しむダンジョウに対し、さながら蜘蛛男の様に屋上からロープを伝ってするすると降りて来て、驚いて尻もちを突くダンジョウに向かって言い放った、ビーティー・ベアトリスの一言だ。

 教師側にシリルの減刑嘆願を行って欲しいと生徒会に駆け込んで来る者や、直接教師側に直談判しようと息巻く者などで、学園内は完全に浮き足立っていた。

「シリル・デラヒエはみんなに愛されている。それが目に見える形で分かったんだから、今回はそれで良かったじゃないか」

 シリルに対する措置を聞いて頭に血が昇っている生徒たちとは距離を置くように、生徒会長のアーロン・ミレニアムは優雅に見解を述べる。
 ひっきりなしに陳情に訪れる生徒たちを「うるさい」と言う理由で一蹴し、せっかくの昼休みなのだからと一般生徒の陳情を禁止させて生徒会長室に閉じこもった彼は、コーヒーの芳醇な香りで肺を満たしながら、エーデルトルトとビーティーに向かってそう答えたのだ。

「良かったって……!? 良くないですわ! 良い訳ないじゃないの」
「この処分には大事な要素が抜けている。シリル・デラヒエが何故凶行に至ったのか、その経緯を無視してる」

 アーロンの見解に対して猛然と抗議するエーデルトルトとビーティーだが、声を荒げて言い詰められても、アーロンは揺れないし一切ブレていなかった。

「天使を倒した事がウソだと言いふらされたり、二学期に入ってイジメられていたと聞いている」
「そうよ。ピクシーが天使の襲撃を認定しているのに人を殺したとウソを吹聴したイジメの主犯は、同じクラスのエルヴィン・デルクロット。彼の一族は古くからこの学園に出資してるパトロンです。もしかして学園側の……」
「ビーティー、この事件に陰謀論を入れてはダメだよ。陰謀があるとすればデルクロット一族が復讐の為にこれから始めようとする事だ。まあそこまで愚かな一族とも思えないがね」
「ならば、あくまでも今回の処分は正しいとおっしゃるの? 」
「ああ、正しいと思う」
「アーロン! 」

 「エーデルトルトの怒った顔は相変わらず凛々しくて美しいね」と賛辞を送りつつ椅子から立ち上がり、窓際に向かうアーロン。何故正しいのかと答えを待つ二人の乙女に対し、穏やかに……それでいて腹の底を全てさらけ出したかの様な一言一句確かな言葉でアーロンは語った。

 ーーシリルを知る者、彼を好意的に見ている者のほとんどが、両成敗の様な処分を求めている。君らもそうだね? だが悪意の罪と実際に起きた暴力を分けて判断しなければダメだ。
 シリルはエルヴィン・デルクロットを中心とする生徒たちからイジメを受けていた。そこには暴力が存在したかい? シリル君の私物は燃やされたが、彼は殴られたり蹴られたりしたかい? だから実際に起きた事象としては、暴力で解決を図ったシリル君が全面的に悪いのさ。処分されて当然だ。
 それとは別に僕は悪意の罪と言ったよね。気に入らない相手に対して悪意を持って追い込むエルヴィン・デルクロットは間違い無く悪い。だがそれは規則や法で裁く事の出来ない悪意の罪であり、彼のモラル……人としてどうなのかと言う事こそ問われているのさ。エルヴィン・デルクロットの悪意の罪を裁ける者はいないんじゃないかと僕は思ってる。私物を燃やした罪は問えてもねーー

「……ただ」
 この言葉を基点としてアーロンは振り返る。
 視線を窓の外から百八十度変え、今まで背中を見詰めていた乙女たちの瞳に視線を合わせたのだが、そのアーロンの表情を見てエーデルトルトとビーティーは鳥肌を立てて慄然した。
 今まで彼女たちが見た事も無い様な怒りに満ち満ちた瞳。それでいて怒りに我を失う事などあり得ないほどの強い意志に彩られた氷の様に冷徹な表情。
 エーデルトルトとビーティーは戦慄をもって気付いたのだ。実はアーロンが一番怒っているのだとーー。

「ここは普通の学び舎ではない。天使蹂躙を阻止するために選ばれた者が、マスターズ・リーグの栄誉を勝ち取る為に切磋琢磨する場所だ。……悪意を持って仲間を貶めるヤツを、僕が許すと思うかい? 」

 アーロン・ミレニアムは激怒している。
 学園生活において発生したトラブルに対して、釈然としないからと感情的に怒りの声を上げる様な学生気分の者たちとは同質ではなく、マスターズ・リーグ入りを確実視されるだけの実力を持ち、高潔さが要求される指導者としても申し分の無い将来を約束されたアーロンが、戦士として未来の指導者として怒っていたのである。
 彼の怒りの炎はエーデルトルトとビーティーの直情的な怒りを軽く消し飛ばしてしまう。アーロンの戦士としての矜持に尊敬しながらも、二人の乙女がちんやりしてしまっても、それは仕方のない事であったのだ。

「規則に準じているからこそシリル・デラヒエを罰しただけの事で、僕個人としての意見を言えばエルヴィン・デルクロットの首を刎ねたいぐらいだ。【過ちを赦す勇気を、そして裏切りを赦さない勇気を】。この家訓に基づいて僕は仲間を裏切った彼を絶対に許さない。……だけどダンジョウさんが我慢してるから僕も我慢している。二人には分かるね?」

 ーーそうだった。サムライは裏切りや他人を貶める様な真似を絶対に赦さない存在だ! 獄門のダンジョウとまで言われた最高のサムライが、エルヴィン・デルクロットの所業を座して見逃す訳が無いのに……学園長としての立場から規則を守っていたのだ。

 怒りに任せて職員室へ殴り込みをかけたり、学園長の茶の時間を潰してしまったエーデルトルトとビーティーは、自らを恥じ入っている。
 だけど仲間を想う気持ちが強いと言う事は悪い事じゃない、先生たちも学園長も真剣に怒ってはいなかっただろ? と、アーロンのフォローは乙女たちの自責の念を幾分か和らげた。

「シリル君が追い詰められるまで、結局僕は彼に何もしてやれなかった。本当はそれが一番の問題だったんじゃないかな? 」

 アーロンは二人を責めるために言ったのではない。あくまでも自分だけを責めるための単なる独り言の呟きだったのだが、エーデルトルトやビーティーの胸に突き刺さった痛烈な一言でもあった。


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