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◆ 第一部終章 「さようなら」編

81 エノキダ・ダンジョウ

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 太陽を超越した吸血鬼、「ノスフェラトゥ」と呼ばれる至高のヴァンパイアである青年マクス・オルロックは、暗黒魔法の修得者であって剣士ではない。
 つまり全くと言って良いほどに剣技に秀でていない彼は、剣も盾も持たずに戦乱の最前線に身を置いているのだが、剣や盾や完全鎧など無くても、大いなる父の尖兵である天使達に対して絶大なる防衛力を持って応戦し、地上人たちの総意を背に最前線に立つ。

「……ドンウサ……ザ……トーィウス……ウハ……スイレグ……グンジーメア……」

 能天使エクスシアが放った神聖魔法空振で倒れたエーデルトルトやコレットを守る為に馳せ参じたマクス。エクスシアと対峙すると早々に彼は不気味な歌を歌い始める。それは闇の眷属デモニックであるマクスが得意とする、対天使用神聖力減殺能力ソング・オブ・ディスグレイス(汚辱の歌)だ。
 この歌は剣を持たないマクス・オルロックが味方に与える最大の戦闘支援魔法であり、敵に対して呪いの歌や屈辱の歌を投げかける事で、敵の神的防御力を相殺して無効化する効果を持つ。

 片や大いなる父の威光を受けて聖なる言葉を武器とした能天使エクスシア、片や闇の深淵で生を受け神聖を否定する様に汚辱の歌を奏でる吸血鬼ノスフェラトゥ。
 一見してこの対極に位置する両者の力は互角に見えたのだが、顔を真っ赤にしたビーティー・ベアトリクスが負傷したアルベルティーナやエーデルトルトたちをアーロンの近くに後送し終わった頃に、劇的な変化が訪れた。
 力比べでもしている様に対峙するエクスシアとマクスの脇に、結界の外から地上人“二人”が飛び込んで来たのだ。

「おわっ、とっとっと! 」

 結界をくぐり抜け、能天使エクスシアの背後に躍り出た二人は、その天使の巨軀に驚きつつ斜めに向きを変えて芝生にダイブする。
 二人とはもちろん、何故かマクス・オルロックの集団催眠にかからず、サンクトプリエンツェの街に唯一残されてしまっていたシリルと、彼を助け出そうとして単身街に乗り込んで行ったフェレイオ学園の学園長、エノキダ・ダンジョウの事。
 街の中心部からこの学園にたどり着くまでに、様々な困難が立ちはだかったのは想像に難しくは無いが、血まみれのダンジョウに対してシリルが擦り傷程度でここまで生還したのは、さすがは歴戦のサムライと言ったところである。

 だが、学園に張られた結界に飛び込むまでは良かったが、飛び込んだ先がまずかった。
 マスターズ・リーグのリーダー、ローデリッヒ・エメラルドの作り上げた結界を、易々と通過して来た能天使エクスシアの目の前に現れてしまったからだ。

『フ……フハハハハ! 良いぞ、これは僥倖(ぎょうこう)だ! まさかまさかまさかまさか、獣の数字持つ者が自ら私の前に現れるとは! 』

 それまでずっと宗教家同士の押し問答の様に、マクスの放つ汚辱の歌に対して大いなる父の詩篇を歌い上げて対抗していたエクスシアが、まるでそれが酔狂で始めた遊びだったかの様な余裕の笑みを浮かべつつ右手の先に視線を移す。
 するとエクスシアの視線の先に神聖魔力が集中したのか、瞬時に黄金色に輝く錫杖(しゃくじょう)が現れたのだ。

『外にいる弟たちには悪いが、獣の数字持つ者は私が葬るとしよう! 』

 そう言うや否や、エクスシアら遊びは終わりだとばかりにマクスのに向かって横薙ぎに錫杖を振る。横っ面に錫杖を叩き込まれたマクスの顔は、一体何が起きたのかと言う驚きの表情そのままに、首からゴギャ! っと鈍い音を立てながら直角に折れ曲り、その勢いで身体がくるくると上下に回転しながら吹っ飛ばされた。

 いくら太陽を克服して不死の頂点に立ったとしても、肉弾戦に特化している訳ではないひょろひょろのマクス・オルロック。
 粉砕された首の骨を復活させ、再び能天使と真正面から対峙するには、膨大なエネルギーと時間が必要になるかも知れない。つまりはリタイヤ……マクスが易々と吹っ飛ばされる光景を目の当たりにしてしまった生徒会長アーロンとビーティーの心中には、圧倒的な暗闇が漂い始める。それすなわち絶望感と言う名の暗闇だ。

 更に、アーロンたちを驚かせたのが、いきなり現れたダンジョウとシリルの存在である。
 街の住人を避難させる上で、この学園を防衛拠点として天使をおびき寄せた早々に、ダンジョウは何を思ったか街に行くと言って学園から姿を消した。
 もちろん彼が臆病者では無い事は周知の事実であったのだが、そのダンジョウがシリルを引き連れて帰って来た事に、まずアーロンたちは驚いた。
 サンクトプリエンツェの街は住民が避難した事で無人であるはずなのに、シリル・デラヒエが独り居た事、そしてダンジョウが学園と学園生の安全よりもシリル一人の安全を優先した事、更には能天使エクスシアがシリルの姿を見たと同時に嬉々として好戦的に変化した事。……更には、能天使エクスシアの姿を見た瞬間から何故か悪意のこもった残忍な表情で奇声を上げ始め事。
 これらの要素を持って、アーロン・ミレニアムとビーティー・ベアトリクス、そして職員棟の屋上で結界の維持に専念するローデリッヒ・エメラルドは気付いたのである。様々に点在する点を線で結んだのである。

 ーー大いなる父の敵として地上人の側に立つ存在【獣の数字持つ者】の正体とはシリル・デラヒエの事であり、エノキダ・ダンジョウは早くから彼の正体を知っており、彼の救助を最優先としたーー

 だが、後から最善だと思われたダンジョウの行動も、今この時点では最悪の結果に結び付いてしまった。能天使エクスシアの目の前に現れ、シリルの存在を暴露してしまったのだ。
 もちろんこれは、決してダンジョウのせいではなく、ダンジョウを責める事など誰も出来ないのだが、並みの天使を遥かに凌駕する能天使エクスシアの眼前に、シリルを引き合わせてしまった事は予期せぬ不幸だとしか言いようが無かった。

「ありゃりゃ、これはマズい場所にお邪魔しちゃいましたかね」
『大いなる父を裏切った人間よ。後悔するな、むしろ褒めてやるぞ……獣の数字持つ者を献上してくれたのだからな! 』

 ダンジョウが守ってくれた事で心の均衡が取れていたシリルは、このエクスシアに向かって唸りを上げて今にも飛びかかろうと身を屈めているのだが、それを制止する様にダンジョウはシリルの首根っこを押さえつつ、自らの剣を前にエクスシアと対峙した。

『……そこをどいて去れ、人間よ。お前がそこまで義理立てする程の存在でもあるまい』
「いやあ、そう言う訳にも行かなくてね」

 そう言いながらも武器を手ににじり寄る両者。
 すると、エクスシアに向かってギャアアア! と威嚇しながら吠え出したシリルに対し、ダンジョウは首根っこを掴んでいた左手を離して拳を作り、ゴチンと頭にげんこつを喰らわせた。

「ふぎゃっ! 」

 動物的な悲鳴を上げつつ、突然の激痛に驚きながら、しゃがみ込んで両手で頭をさするシリルだったが、げんこつで殴った側の人物が何やらぶつぶつと独り言を口にしていた事には気付かなかった。

 ……サムライは二君には仕えない。だが一君が仕える前に逝った以上、忘れ形見に我が身を捧げるのも道理か……

 目尻から涙をちょちょぎらせつつ痛みを散らすシリルの頭に、もう一つ手が添えられた。……それはダンジョウの手だ。

「学園長? 」
「シリル君今はこらえろ、そしていつか来る日の為に今は逃げるんだ」

 そう言い終わるや否や、ダンジョウはシリルにニコっと笑みを送りながらエクスシアに向かって振り向き、愛刀の備前スターファイターを構える。

「フェレイオ学園学園長エノキダ・ダンジョウ! 我が学び舎と子供たちを護る為、御身に刃向けん! いざ尋常にっ! 」
『その潔さに免じよう! 一切の手心を加えずに葬ってやる! 』

 エクスシアもサムライの高潔な精神に当てられたのか、錫杖を両手で持って迎撃の体制を取った。

 学園トップの成績を誇る赤竜の姫アルベルティーナは、未だに意識不明でぐったりしピクリとも動かない。
 巨人族の貴族令嬢エーデルトルトは目や耳や鼻なら血を滴らせ、肺もやられているのか口から血泡を吹いて地面をのたうち悶絶している。
 学園卒業生でマスターズ・リーグに所属するコレットは、やはりアルベルティーナ同様完全に沈黙。
 コレットの同僚マクスはアーロンの放つ永続回復魔法を受け入れる事が出来ず、地面に突っ伏したまま大地の底の闇エネルギーを吸い込み粉砕された首の骨の治療に入っている。

 【いくら剣技に秀でた伝説のサムライだと言っても所詮は総合力に劣る非力な人間。上位天使に刃を向けて勝てる訳が無い】

 だが、そんな力の差などハナから承知の上だよと、上段の構えの姿勢で一歩前に踏み出したダンジョウは無言で語っている。
 まるで自分のこの行為を背中側から見守る人物に、闘いとはこう言う無情なものなのだと教えるが如く。

「……シリル君、マスターズ・リーグを信用してはいけないよ。己を信じ、己の正義のために生きるんだ」
「が、学園長? それって……どう言う意味……?」

 シリルが言葉を言い終える事も、ダンジョウがその意味に答える事も無かった。
 全身全霊を込めた一歩で電撃的に前に進んだダンジョウがエクスシアに斬りかかり、そのダンジョウの並外れた速さと残忍な剣撃を目の当たりにしたエクスシアが、ダンジョウを上回る速さで彼の心臓目掛けて錫杖を突き刺したのだ。
 質問を終わらせる前に、シリルはダンジョウの断末魔の姿を目に焼き付けてしまったのである。

「う、ううう……ギャアア! ギャアアアッ! 」

 学園の講堂内に避難していた生徒たちが聞いた異常な悲鳴とは、ダンジョウが瞬殺された際に吠えた、シリルの悲しい悲しい悲鳴だったのである。


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