俺の天使に触れないで  〜アルと理玖の物語〜

波木真帆

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長い長い夜  <前編>

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俺がシュパースでバイトをするようになって、もうすぐ1ヶ月くらいになるかな。
以前にも違うカフェで接客していたこともあって、もうすっかりベテラン気分だ。

賄いのドイツ料理も美味しいし、仲間もみんな優しいし、何よりここでアルと出逢えたから…採用されて本当に良かった。

アルとは先週から付き合ってる。
と言っても、普段はこのお店で会うくらい。
週末も店は開いてるからアルに会いたくて出来るだけシフトを入れてもらうことにしてる。
唯一ゆっくり会える日は定休日の木曜日。
だから水曜日の夜はシフト終わってそのままアルの家にお泊まりコースに決めた。

今日はその水曜日。
つい顔がにやけてしまう。
頬をパンパンと叩き、にやけきった顔に気合を入れてから、ディナータイムの仕事へと向かう。

今日は香月も一緒だ。
少し遅れると連絡があったから、もうすぐ来るだろう。
先に店内に入ってディナータイム開店の準備を始める。
 
カトラリーの補充をしたり、メニューを並べたり、いろんなところに気を配って準備する。

「遅れてごめん」

やってきた香月もすぐに準備へと参加してくれたおかげで開店前に準備万端だ。

このお店はオフィス街にあって、仕事の出来そうなビジネスパーソンたちがたくさん訪れる。そんな人たちで毎日賑わってて、接客を通していろんなお客さんと話が出来ることも楽しみの一つだ。

ただひとつだけ困ってることがあると言えば……

あ、ほら今日も来た……、はぁ。

がっかりした顔を出来るだけ見せないように作り笑顔を浮かべて入口へと向かう。

「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」

「いつもの席で」

満面の笑みで毎回お決まりのセリフを言うこの男性客は、30代後半だろうか、身長は高めの部類に入りそうだが体型もぽっちゃりとしていていわゆるビール腹、いつもおでこが汗でテカテカと光っている。
そんな男のお気に入りの席へと案内する。

男の定位置は一見個室のように見える、店内でも奥まった席だ。

この店にはちゃんとした個室も用意しているけれど、そこはオーナーの知り合いとか、V.I.P用で殆どのお客さんは個室の存在も知らない。

なので、その奥まった場所にある席はこのカフェの中で唯一の個室として認識されている。

男はそこを気に入り、来る日は開店と同時に訪れ、そこの席を陣取る。

別にそんなことはどうでもいいんだけど、気になるのは、やたらと視線を感じるんだよな。
注文を取る時以外、特に話しかけることもないのに、じーっと見張られているような視線を感じる。
何だろうと思って、そっちを向くと、にたーっと笑いかけてくるだけで特に用はないらしい。

香月がその席へ注文のビールを持っていく。

大丈夫かな?と見つめていると、突然その男の手の動きがおかしくなった。

んっ?あれ、触ってないか?

奥まった席なのでよくは見えないが、心配になり席に駆けつけようとすると、うわーーっという香月の悲鳴が聞こえた。
と同時にグラスが倒れるガシャーンという音が店内に広がる。

他のお客さんに

「失礼しました」

と声をかけ、あの客の席へと急いで向かう。
そこには茫然とした香月と、倒れたグラスでズボンをびしょ濡れにした男がいた。

「どういうつもりだ!このスーツは高いんだぞ。弁償してくれるんだろうな」

真っ赤な顔をして、香月に怒鳴りつけている。

香月は真っ青な顔をして体を震わせ、俺をみると涙を浮かべて走り寄ってきた。

小声で

「理玖、どうしよう」

と呟く香月に

「大丈夫、お前はロッカーに戻ってろ」

と指示し、香月が下がるのをみて

「お客様、何かありましたか?」と尋ねた。

「何かじゃないだろ! 見てわからないのか? あいつ、オレにビールをぶっかけやがったんだ! 何が気に入らないのかわからんが、客をなんだと思ってる?」

頭から湯気でも出そうな勢いで訴えてくるが、俺にはこの男が香月に何かしたのはわかってる。

どうしようかと考えていると、男はにやっと笑って俺の傍にやってきた。

「お詫びにお前があいつの代わりにホテルに付き合ってくれるなら、弁償は許してやってもいいぞ」

やっぱりそういう誘いを香月にしたのか。
最悪だな、こいつ。

俺が黙っていたので肯定だと思ったのか、

「よし、それでいいんだ。お前とあいつ、どちらでもいいと思ってたが、今日はお前でいい。可愛がってやるからな」

そう言って、男の腕が俺の尻の方へと回った瞬間、

「痛い、痛い!やめろー!」

男の悶絶するような絶叫が響き渡った。

何事かと後ろを振り向くと、途轍もないほどの怒りを見せたアルの姿があった。

「ア、いや、オーナー」

やばい、ついアルと呼びそうになった…。

アルは俺にだけ笑顔をそっと見せると、腕を締め上げたまま、また怒り顔で男に詰め寄った。

「うちの従業員に何を?」

男はアルの勢いに押されながらもなんとか優位に立とうと思ったらしく、大声で怒鳴りつけてくる。

「び、ビールぶっかけたうえに被害者であるオレに向かって、腕を締め上げるって何て店だ、ここはよぉー」

その言葉にアルは男の耳元に顔を寄せた。

「うちの大事な従業員に、不埒な誘いをしておいて何が被害者だ。ふざけるな」

今まで聞いたこともない低い声で男を威圧する。

男はその声に恐怖を感じたのか身体をぶるぶる震えさせ、か細い声で謝ってきた。

「す、すみませんでした」

「リク、どうする?警察を呼ぼうか?」

アルは理玖の方を振り返り尋ねたが、理玖が答えるよりも先に警察という言葉にビビったのか、男はもうしません、許してくださいと何度も繰り返す。

香月も俺もこの男と関わり合いになるのは嫌だし、もうこれっきりにしたい。
そう思って、

「オーナー、もういいです。でも二度と会いたくはないです」


と伝えた。

アルは理玖の気持ちを感じ取ったのか、もうこの店へ立ち入ることは許さない、従業員にも近づかないようにと約束させて、店から追い出した。

この騒ぎにざわざわしてしまっていた店内のお客さんに向けて、アルがお詫びに皆様にビールを一杯プレゼントします!と告げるとわぁっと歓声が上がり、店はすぐに元の和やかな雰囲気へと戻っていった。

俺は香月のことが気になり、ロッカーへと戻ると、香月は俺の顔を見るなり走り寄ってきた。

「理玖、ごめんね。大丈夫だった?ロッカーに行く途中でオーナーに見つかって事情を話したんだけど」

ああ、だから駆けつけてくれたんだ。
アルは俺の騎士ナイトみたいだ。

俺は嬉しい気持ちで胸が一杯になった。

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