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新しい朝
「ん……」
ゆっくりと目を開けると、見慣れた天蓋が視界に入った。
自分の部屋だ、と認識した瞬間、昨夜の出来事がふっと甦る。
ふわふわの真っ白な毛並みと、小さな前足。
ハッとして手を目の前に持ってくる。
そこにあるのは、細い指と色白の小さな手。
やっぱり夢、だよな。現実なわけがない。
だって、いきなり子犬になるなんて、どう考えてもおかしい。
それなのに……
昨夜のヴァレリウスのことを思い出すと、胸の奥が妙にざわつく。
優しく頭を撫でられた感触。
あの低くて、柔らかい声。
あんなに安心したのは、いつぶりだろう。
夢の中とは思えないほど、すごく鮮明に記憶に残っている。
でも……
ヴァレリウスがあんなに優しいわけがない。
処刑台でリュシエルに向けたあの冷たい眼差し。
一切の迷いもなく「執行しろ」と告げたあの声。
「っ!」
思い出すだけで首元を押さえてしまう。
刃物が触れた感覚が今も残っているみたいに甦り、身体の震えがしばらくおさまらなかった。
あまりにもヴァレリウスに恐怖を抱き過ぎて、無意識に自衛しようとしてあんな夢を見てしまったのかもしれない。
優しく撫でられたあの手をいつまでも覚えていたら、判断を間違えてしまう。
ここは、あの漫画の世界で、僕はすでにヴァレリウスに嫌われている悪役令息なんだから。
「関わらないように、生きるんだ」
自分に言い聞かせるように頷く。
昨夜のことは夢。あの優しさに期待なんてしてはいけない。
気持ちを切り替えるように、布団から抜け出した。
ちょうどそのタイミングで扉を叩く音が聞こえた。
ノックが終わる前に扉を開ける。
そこにいたのは、昨日のメイド。確か、名前はリディだったはず。
彼女は、リュシエルの姿を見るとびくりと肩を揺らした。
「お、おはようございます。リュシエルさま」
「おはよう。リディ。学校に行く準備を手伝って」
笑顔を向けただけだけど、リディは目を丸くした。
そして、慌てて頭を下げる。
「は、はい。ただいまご用意いたします」
クローゼットに向かう、その動きはどこかぎこちない。
やっぱり、まだ警戒されている。
昨日一日で全部が変わるわけじゃない。
むしろ、急にリュシエルの態度が変わったことで、余計に戸惑わせているかもしれない。
「リディ……」
「は、はい」
名前を呼びかけるだけで、ビクッと肩を震わせながら振り返る。
そこまで怖がられるとさすがに堪えるけれど、これまでのリュシエルの振る舞いを考えれば無理もない。
「今日は、紺色のリボンにしようかな」
できるだけ穏やかな声で告げる。
リディは一瞬きょとんとした顔をしてから、
「はい……」
少しだけ、力の抜けた返事をした。
その反応に胸の奥がわずかに軽くなる。
用意されたシャツに袖を通し、ボタンを留めていく。
小さな手での作業は思っていたよりも不器用で、少しもどかしい。
「んぅ……っ、くっ」
なかなかボタンを留められずにいると、リディがそっと手を差し出した。
「お手伝いいたします」
その手を取るべきか、少し迷う。
けれど、そもそも貴族の子たちは手伝ってもらって着替えるものだろう。
だから、ボタンも大人仕様。ここは素直にお願いしたほうがいいか。
「うん。お願い」
そういうと、リディは驚いたように目を見開いたあと、そっとボタンに手をかけた。
ほんの少し指先が震えているように見えたけれど、順調に最後のボタンを留め終わる。
リディがホッとしたように表情を緩め、最後に紺色のリボンを結んでくれた。
「とても、お似合いでございます」
ふっと向けられた笑顔。リディの中に、リュシエルに対しての緊張が、ほんのわずかでもほぐれた気がして嬉しくなる。
「ありがとう」
自然に口から出た言葉に、リディの目がまたわずかに見開かれた。
けれど、先ほどまでの強い動揺ではない。
ほんの少し……
ほんの少しだけだけど、開いていた距離は確実に近くなっている気がする。
「リディ。ぼく、お腹すいちゃった」
「はい。ブレックファストルームにご案内いたします」
リュシエルが笑顔を見せると、リディの表情も和らぐ。
心穏やかな気持ちのまま、両親との朝食場所に向かった。
「おはようございます。お父さま。お母さま」
昨日と同じく、先に席についていた両親に挨拶をする。
父も母も驚いているが、その表情には戸惑いだけでなく、僅かな安堵の色が混じっているように見えた。
「ああ。おはよう。リュシエル」
先に口を開いたのは父。
低く落ち着いた声はそのままだったけれど、どこか柔らかく感じられる。
「ちゃんと起きられたようだな。ずいぶん機嫌が良さそうだ」
探るような言い方。
それでも、昨日のような警戒一色ではない。
それが嬉しくて、つい、あの夢のことを思い出した。
「すごく、よく眠れたから……」
優しかったヴァレリウスのことを思い出しながら告げる。
父は一瞬だけ目を細める。母もまた、じっとこちらをみていたが、ふっと小さく微笑んだ。
「そう。それは良かったわ」
その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「さぁ、ご飯を食べよう。おいで」
リュシエルが頼む前に、父が席を立つ。
昨日と同じく、優しく抱きかかえられ、椅子に座らせてもらう。
すぐに朝食が運ばれてきた。
焼きたてのパンの香ばしい匂い。
温かなスープから立ち上る湯気。
料理を口に運びながら、ふと気づく。
昨日よりも、周りの空気が柔らかいことに……。それがなんだか心地いい。
「リュシエル」
食事の途中で不意に、父に名前を呼ばれる。
「はい」
顔を上げると、父は少し考えるように間を置いてから口を開いた。
「学校……その、楽しんでおいで」
短い言葉に、父の優しさが含まれている。
「はい。楽しんできます」
食事を完食し、学校に向かう準備を整える。
両親と使用人たちに見送られ、玄関を出る。
爽やかな空の下、すでに大きな馬車が用意されていた。
外に出ると、朝のひんやりとした空気がそっと頬を撫でる。
少しだけ緊張していた心が、スッと落ち着いていく気がした。
ゆっくりと目を開けると、見慣れた天蓋が視界に入った。
自分の部屋だ、と認識した瞬間、昨夜の出来事がふっと甦る。
ふわふわの真っ白な毛並みと、小さな前足。
ハッとして手を目の前に持ってくる。
そこにあるのは、細い指と色白の小さな手。
やっぱり夢、だよな。現実なわけがない。
だって、いきなり子犬になるなんて、どう考えてもおかしい。
それなのに……
昨夜のヴァレリウスのことを思い出すと、胸の奥が妙にざわつく。
優しく頭を撫でられた感触。
あの低くて、柔らかい声。
あんなに安心したのは、いつぶりだろう。
夢の中とは思えないほど、すごく鮮明に記憶に残っている。
でも……
ヴァレリウスがあんなに優しいわけがない。
処刑台でリュシエルに向けたあの冷たい眼差し。
一切の迷いもなく「執行しろ」と告げたあの声。
「っ!」
思い出すだけで首元を押さえてしまう。
刃物が触れた感覚が今も残っているみたいに甦り、身体の震えがしばらくおさまらなかった。
あまりにもヴァレリウスに恐怖を抱き過ぎて、無意識に自衛しようとしてあんな夢を見てしまったのかもしれない。
優しく撫でられたあの手をいつまでも覚えていたら、判断を間違えてしまう。
ここは、あの漫画の世界で、僕はすでにヴァレリウスに嫌われている悪役令息なんだから。
「関わらないように、生きるんだ」
自分に言い聞かせるように頷く。
昨夜のことは夢。あの優しさに期待なんてしてはいけない。
気持ちを切り替えるように、布団から抜け出した。
ちょうどそのタイミングで扉を叩く音が聞こえた。
ノックが終わる前に扉を開ける。
そこにいたのは、昨日のメイド。確か、名前はリディだったはず。
彼女は、リュシエルの姿を見るとびくりと肩を揺らした。
「お、おはようございます。リュシエルさま」
「おはよう。リディ。学校に行く準備を手伝って」
笑顔を向けただけだけど、リディは目を丸くした。
そして、慌てて頭を下げる。
「は、はい。ただいまご用意いたします」
クローゼットに向かう、その動きはどこかぎこちない。
やっぱり、まだ警戒されている。
昨日一日で全部が変わるわけじゃない。
むしろ、急にリュシエルの態度が変わったことで、余計に戸惑わせているかもしれない。
「リディ……」
「は、はい」
名前を呼びかけるだけで、ビクッと肩を震わせながら振り返る。
そこまで怖がられるとさすがに堪えるけれど、これまでのリュシエルの振る舞いを考えれば無理もない。
「今日は、紺色のリボンにしようかな」
できるだけ穏やかな声で告げる。
リディは一瞬きょとんとした顔をしてから、
「はい……」
少しだけ、力の抜けた返事をした。
その反応に胸の奥がわずかに軽くなる。
用意されたシャツに袖を通し、ボタンを留めていく。
小さな手での作業は思っていたよりも不器用で、少しもどかしい。
「んぅ……っ、くっ」
なかなかボタンを留められずにいると、リディがそっと手を差し出した。
「お手伝いいたします」
その手を取るべきか、少し迷う。
けれど、そもそも貴族の子たちは手伝ってもらって着替えるものだろう。
だから、ボタンも大人仕様。ここは素直にお願いしたほうがいいか。
「うん。お願い」
そういうと、リディは驚いたように目を見開いたあと、そっとボタンに手をかけた。
ほんの少し指先が震えているように見えたけれど、順調に最後のボタンを留め終わる。
リディがホッとしたように表情を緩め、最後に紺色のリボンを結んでくれた。
「とても、お似合いでございます」
ふっと向けられた笑顔。リディの中に、リュシエルに対しての緊張が、ほんのわずかでもほぐれた気がして嬉しくなる。
「ありがとう」
自然に口から出た言葉に、リディの目がまたわずかに見開かれた。
けれど、先ほどまでの強い動揺ではない。
ほんの少し……
ほんの少しだけだけど、開いていた距離は確実に近くなっている気がする。
「リディ。ぼく、お腹すいちゃった」
「はい。ブレックファストルームにご案内いたします」
リュシエルが笑顔を見せると、リディの表情も和らぐ。
心穏やかな気持ちのまま、両親との朝食場所に向かった。
「おはようございます。お父さま。お母さま」
昨日と同じく、先に席についていた両親に挨拶をする。
父も母も驚いているが、その表情には戸惑いだけでなく、僅かな安堵の色が混じっているように見えた。
「ああ。おはよう。リュシエル」
先に口を開いたのは父。
低く落ち着いた声はそのままだったけれど、どこか柔らかく感じられる。
「ちゃんと起きられたようだな。ずいぶん機嫌が良さそうだ」
探るような言い方。
それでも、昨日のような警戒一色ではない。
それが嬉しくて、つい、あの夢のことを思い出した。
「すごく、よく眠れたから……」
優しかったヴァレリウスのことを思い出しながら告げる。
父は一瞬だけ目を細める。母もまた、じっとこちらをみていたが、ふっと小さく微笑んだ。
「そう。それは良かったわ」
その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「さぁ、ご飯を食べよう。おいで」
リュシエルが頼む前に、父が席を立つ。
昨日と同じく、優しく抱きかかえられ、椅子に座らせてもらう。
すぐに朝食が運ばれてきた。
焼きたてのパンの香ばしい匂い。
温かなスープから立ち上る湯気。
料理を口に運びながら、ふと気づく。
昨日よりも、周りの空気が柔らかいことに……。それがなんだか心地いい。
「リュシエル」
食事の途中で不意に、父に名前を呼ばれる。
「はい」
顔を上げると、父は少し考えるように間を置いてから口を開いた。
「学校……その、楽しんでおいで」
短い言葉に、父の優しさが含まれている。
「はい。楽しんできます」
食事を完食し、学校に向かう準備を整える。
両親と使用人たちに見送られ、玄関を出る。
爽やかな空の下、すでに大きな馬車が用意されていた。
外に出ると、朝のひんやりとした空気がそっと頬を撫でる。
少しだけ緊張していた心が、スッと落ち着いていく気がした。
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