処刑予定の悪役令息に転生したのに、なぜか王子さまの膝上で甘やかされています

波木真帆

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第二章

ただの劇のはずなのに

近い。制服の擦れる音すら聞こえそうな距離に、思わず肩が強張る。

「なんだ、そんなに緊張することか?」

振り返ってかけられた低い声に、リュシエルはびくりと肩を揺らした。

「べ、別に緊張なんて……」

「顔が引きつっている」

「っ……」

図星を突かれ、頬が熱くなる。
周囲から、くすくすと小さな笑い声が漏れる。

「リュシエルさま、かわいい」

「姫役ぴったりですね」

「ヴァレリウス殿下と並ぶと本当に絵になる……」

そんな囁きまで聞こえてきて、余計に居たたまれなくなる。

ちらりとエミールに視線を向けると、唇を小さく噛みこちらを見ていた。

ああ、もうやめてほしい。本当に……どうしてこうなってしまったんだろう。

一方でヴァレリウスは、そんな周囲の声など気にした様子もない。

「今の位置なら、問題ない」

それだけ言って、舞台を降りる。
なぜか、それに少しだけほっとしてしまった。

「では、本日の立ち位置確認はここまでにしましょう」

教師がぱん、と手を叩く。
緊張が解けたように、一気にざわめき始めた。

「本番楽しみー!」

「絶対すごい舞台になりますよね」

そんな声が飛び交う中、エミールはヴァレリウスに駆け寄っていく。
楽しげに会話をしている姿を見て、リュシエルはそっと胸元を押さえる。
まだ少しだけ、心臓がうるさかった。

  ◇◇◇

数日後。

演劇の練習は、本格的な台本合わせへと進んでいた。

最初はぎこちなかった生徒たちも、少しずつ役に慣れ始めている。
舞台ホールには、以前よりも真剣な空気が漂っていた。

「では今日は、第三幕の練習を行います」

教師が台本に目を落としながら、声を上げる。

「王子が姫を救出する場面ですね。ここは今年の演劇の見せ場になりますので、しっかり合わせていきましょう」

その言葉に、周囲から小さな歓声が上がった。
よりによって、その場面か……
ヴァレリウスとかなり密着する場面がある。
ここはまだ先でよかったのに。心の準備ができてない。

「ヴァレリウス殿下、リュシエルさま。前へお願いします」

「はい……」

小さく返事をしながら立ち上がる。
すると周囲の生徒たちが、どこか期待に満ちた視線を向けてきた。

「絶対すごいよね」

「立ってるだけでも絵になってたし」

ああ、そんなに期待しないで欲しい……
そもそもこんな大勢の前で演技なんて、できるはずないのに。

それでも今更、嫌とも言えず、重い足取りで舞台中央へ向かった。

「では次、二人で向かい合ってください」

教師の指示に、静かに向かい合う。
真正面にヴァレリウスがいる。
こんなふうに真正面で彼を見たのは、いつぶりだろう。

「この場面は、王子が姫を魔物から救い出した直後です。安心させるように、優しく手を取ってくださいね」

優しく、なんて……
教師は簡単に言うけれど、そんなもの簡単にできるわけがない。

「リュシエルさま、前へどうぞー」

周囲の生徒たちが楽しげに促してくる。

逃げたい……
けれど、ここで嫌がれば空気を壊してしまう。
またわがままだなんて思われるのは嫌だ。

リュシエルは小さく息を飲み込み、ゆっくりとヴァレリウスに一歩近づいた。

正面に立ったヴァレリウスは、相変わらず整った顔をしている。
真っ直ぐこちらを見下ろしてくるきれいな灰色の瞳に、ますます心臓が落ち着かなくなった。

「リュシエルさま、手を」

「あっ……」

教師に促され、ぎこちなく右手を差し出す。

次の瞬間、すっと大きな手が伸びてきて、上から包み込むようにリュシエルの指先を掴む。

「っ……!」

びくっと身体が震える。ヴァレリウスの手は、想像していたよりも大きくて……そして、あったかい。
その温もりに、心臓がまた落ち着かなくなる。
ヴァレリウスの手の中で、指先をきゅっと丸めると、

「力が入りすぎだ」

低い声が、すぐ近くで落ちる。

「そんなに強張っていては、不自然だろう」

まるで演技指導のような口調。けれど、繋がれた手は離れない。
リュシエルの手の甲に添えられた親指が、落ち着かせるようにそっと撫でた。

「っ、な――っ」

なんでそんなことするの。
突然のことに動揺を隠すように俯くと、周囲から小さな歓声が上がった。

「わぁ……」

「なんか、本物みたい……」

「すごい……絵になる……」

そんなことを言われれば言われるほど、余計に意識してしまう。

「では次、王子の台詞です『もう大丈夫だ。私が来た』」

教師が台本を見ながら指示を出す。
誰もがヴァレリウスに視線を向ける。
ヴァレリウスは、繋いだままの手をゆっくり引き寄せ、そっとリュシエルの腰に手が回した。

「――もう大丈夫だ。私が来た」

低く落ち着いた声。
演技だと分かっているのに、その声音は妙に本物らしく聞こえた。
至近距離で囁かれ、リュシエルの呼吸が止まる。

近い。近すぎる。
逃げたいのに、手を取られているせいで動けない。

「姫は、『ありがとうございます、殿下』ですね」

教師の声で、はっと我に返る。

「ぁ……えっと……」

だめだ。頭が真っ白で、台詞が飛びそうになる。
周囲の視線まで集まっているせいで、余計に緊張する。

「リュシエルさま?」

教師が不思議そうに首を傾げた。
言わなきゃ。分かっているのに、喉がうまく動かない。

すると……

「そんなに怯えなくても、誰もお前を食ったりしない」

ぽつりと、ヴァレリウスが小さく言った。

「え?」

「ただの劇だぞ」

呆れたような口調。けれど、その声はどこか柔らかかった。
その瞬間、周囲からくすくすと笑い声が漏れる。
張り詰めていた空気が少しだけ和らいだ。

「っ……」

恥ずかしい。でも、おかげで少し肩の力が抜けた。
リュシエルは小さく息を吸い込み、今度こそ台詞を口にする。

「ありがとうございます、殿下」

その瞬間、ヴァレリウスの眼差しがほんのわずかに優しくなった気がした。
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