ひとりぼっちのぼくが異世界で公爵さまに溺愛されています

波木真帆

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第四章 (王城 過去編)

フレッド   23−2

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目の前に広がる果樹園。
ここはレナゼリシア領屈指のフルーツ収穫量を誇り、主にリンゴ、梨、そしてレモンを作っている。
といってもそれは我々がいた時代の話。

この時代はまだそこまで大きくはなっていないようだが、これから飛躍的な発展を遂げるはずの場所だ。
歴史書で読んでいたオランディア発展の過程を目の前で見られるというのはなんとも言い難い感動がある。

たわわに実るフルーツたちの多くはまだ熟す前のものだ。
これらは王都やその周辺の地域へと運ばれる。
運ぶ日数を考えれば、そろそろ収穫といったところか。

あちら半分は領地内で食すものらしいが、あれだけの量を領民だけで食べるのは勿体ない気がする。
それならば、あの量を半分にして王都に運ぶ量を増やしてもよさそうだが、恐らく輸送費がかかりすぎて採算が取れないことが理由だろう。

「陛下。王妃さま。あの……えっと、リンゴを、召し上がり……ませんか?」

後ろから聞こえた幼い声に顔を向けると、この果樹園で働く領民の子が我々に試食用のリンゴを運んでいるのが見えた。
わざわざこんな幼い子に持たせずとも周りには大人がたくさんいるというのに……。
転んで怪我でもしたらシュウが心配してしまうではないか。
絶対に転んだりするなよ!

そう思っていたのだが、私の願いも虚しくその子はやはりと言うべきか足元の土に気を取られ、私の目の前で転びそうになった。
ヒューバートが手を差し出そうとするのが見えたが、それよりも早く私の手の方がその子と持っていた器を受け止めた。
シュウの手前、軽そうに見せてはみたが、この器思っていたよりもずっとずっと重い。
こんな重いものを運んでいたのか、この子は。

父親に持っていくように言われたんだろうが、きちんと敬語で話しかけることもできていたし、手伝いもできてこの子は偉いな。

片腕で受け止めたその子に『大丈夫か?』と声をかけると、彼は転んでしまったことに茫然としながらも
『ありがとうございました』としっかりした言葉でお礼を言ってくれた。

幼い子供からお礼を言われる……ふふっ。元の時代なら、有り得ないことだな。

あからさまな嫌悪の表情を浮かべる大人以上に、子どもは辛辣なのだ。
王族だから、公爵だからという私の身分が大人からの表立った悪口から身を守ってくれていたこともあったが、子どもの言葉はそれもすり抜けて、私の心をえぐる。
目の前に現れたものに対して思ったことがすぐに口に出るのだから仕方ないといえばそうなのだが、その純粋さが私を深く傷つけた。

だから私は子どもが苦手なのだ。
私には子どもなど必要ない。
そう思い続けていた。

しかしこの時代は、大人も子どももありのままの私をきちんと見てくれる。
この時代に来てようやく子どもの目を見て話すことができるようになったのだ。

『ちゃんとお礼が言えて偉いぞ』
彼の目を見て少し緊張しながら頭を撫でてやると、彼の顔に嫌悪感が一切なかったことにほんの少し安心した自分がいた。
彼の得意げな表情に笑顔を浮かべていると、突然その雰囲気に水を差すものが現れた。

嬉しそうな顔をしていた彼とは対照的に、この世の終わりのような青ざめた表情で私に土下座した男。
おそらく彼の父親だろうか。

息子がとんでもないことを……と謝罪をする父親に、

「この子は手伝いをしただけだろう。何も悪いことはしていないのだから謝る必要などないぞ」

と言ったのだが、息子のせいで私の服が汚れてしまったのだという。
見ると、彼の靴が私のズボンに泥をつけてしまったようだ。

ふっ。こんな泥など私が今まで傷つけられていた言葉に比べたら、綺麗なものだ。
なんせ、私は彼に目を見てお礼を言われたことで清々しい気持ちになっているのだからな。

「服など汚れるためにあるのだ。そもそも果樹園に視察に来る時点で汚れなど気にするわけがなかろう。
其方たちは私に謝罪することよりも、まずは息子を褒めてやれ」

そう、洗えばすぐに取れる服の汚れなどどうでもいいことだ。
心を抉る言葉はどんなに消そうとしても広がって蝕んでいくのだから。

父親はまだ畑に座り込んだまま動けずにいたのだが、息子である彼が抱きつくと嬉しそうに褒めてあげていた。
父親から褒められた彼はちらっと私に目を向ける。
その視線には私への尊敬の念が見て取れて、心に温かいものが広がっていく……そんな気がした。


私たちのやりとりをじっと見守っていたアンドリュー王がそっと私の傍に近づいて、私が持っていたリンゴの入っている器から切り分けられたリンゴを一つ手に取った。

そしてそのリンゴをトーマ王妃に差し出すと、トーマ王妃はなんの躊躇いもなく口を開け、アンドリュー王の手から食べようとしている。
トーマ王妃がしているのを見れば、シュウもなんの躊躇いも見せることなく私の手から食べてくれるに違いない。

私は急いでリンゴをひとつ手に取り、

「シュウ、ほら……食べてみてくれ」

と差し出すと、シュウは可愛らしい口を小さく『あーん』と開けて、リンゴを食べてくれた。
引き抜く指がシュウの唇に触れ、それだけでも沸る思いがする。
人前で『あーん』ができただけでここまで沸るとは、私も相当だな。
それほどまでにシュウを見せつけられたことが嬉しくてたまらないのだ。

『甘い』
『美味しい』

と微笑みあう2人を見ながら、私とアンドリュー王も目を見合わせた。
今なら、きっと願いを叶えてくれるかもしれないと2人で合わせるように

「私にも食べさせてくれないか?」
「私にも頼む」

と頼むと、シュウとトーマ王妃は嬉しそうに笑っていた。

私が持っていた器から2人がリンゴを手に取り、

「ふふっ。アーンして」

と可愛く言われると、私の口が自然にシュウの細い指を求めて口が開いていた。

甘いリンゴと共に甘い甘いシュウの指も堪能して私の口からは
『美味しいな』と心からの声が漏れていた。

甘いリンゴの試食を終えたところで、

「次は、あちらのレモン畑にご案内いたします」

侯爵がそう声をかけてきた。

「ねぇ、アンディー。僕と柊ちゃんはもう少しこっちを見て回りたいんだけど」

「そうか。なら、レモン畑は私とアルフレッドで見てくるとしよう。
ヒューバート、お前はトーマについていけ」

「はっ。畏まりました」

シュウと離れるのは少し心配だが、トーマ王妃とヒューバートが一緒なら大丈夫だろう。

レモン畑に足を踏み入れると、スッキリと爽やかな香りが漂っていた。

「ふむ。レモンもよく育っているな」

アンドリュー王は手を伸ばし、木に生ったレモンに触れ指で弾力を確認しているようだ。
ここのレモンは肉厚で美味しそうだ。

オランディアでは風呂上がりにレモン水を飲む事が習慣化している。
シャワーで温まった身体がレモン水を求めるのだ。
すっきりとした酸味が身体の火照りを鎮めてくれるからだろう。

しかし……実のところ、この時代はレモンはレモン水として飲む以外の使い道がない。
オランディア国民のほとんどがレモン水として飲むとはいえ、これではレモンの農家の未来はない。
何か他の使い道を考えなければ、収入増が見込めないレモンを作るものはいなくなるかもしれないな。
なくなれば困るのだから、どうにかしないといけない。

「せっかくこれだけの良いレモンが育っているのだから、レモン水以外の使い道を考えた方がいいな」

わたくしもそれを考えているのですが、なかなか良い考えが思い及ばず……」

『うーん』と考え込んだ侯爵に、私は我々の時代でのレモンの使い道を教えようかとも思ったが、
私が発案者となるのは歴史的に問題があるかもしれない。
私はアンドリュー王と侯爵とのやりとりをそっと後ろで見守ることにした。

「侯爵、これは私の独り言と思ってくれていい」

「はい」

「私は紅茶を飲むときにミルクを入れるのだが、先日トーマが淹れてくれた紅茶にレモンが浮かんでいたのだ」

おおっ。さすが、トーマ王妃。
やはり、この使い道を考えたのはトーマ王妃だったか。
トーマ王妃はその考えがレナゼリシア、そしてオランディアのレモンを救うことになるとは知らなかっただろう。
きっとアンドリュー王に美味しい紅茶を飲ませたいという思いだけだったと思うが、アンドリュー王にとっては目から鱗が落ちる思いがしたことだろう。
私が言葉にせず、本当に良かった。

「レモンですか? ですが、それだとレモンの酸味でせっかくの紅茶の風味が消えてしまうのではないですか?」

紅茶はストレート、もしくはミルクを入れるのが当たり前になっているのだから、その疑問も当然だろう。
しかし、トーマ王妃のレモンにはからくりがあるのだ。
そう、私が知っている紅茶のレモンにはな。

「ふふっ。そう思うだろう? そこがトーマの素晴らしいところなのだ。
輪切りにしたレモンを蜂蜜に漬け込むのだ。
それを紅茶に浮かべて飲むと、レモンの芳潤さが紅茶をうまく引き立てる。ミルクを入れるのとはまた違う味わいが実に美味しかった」

「なるほど。蜂蜜に……。これはどれくらいの期間、漬け込むのがよろしいのでしょうか?」

「トーマは1日漬け込めば良いと言っていたな」

「そんなに早くできるのですか? ならば、今日すぐにでも作ってみることに致しましょう。
明日の朝食でお出しいたします」

これがうまくいけば、国内のレモン消費量は格段に増えることだろう。
なんせ貴族たちは、1日に数杯は紅茶を飲む。
平民たちもお茶の時間には紅茶を飲むのが一般的だ。
しかも、トーマ王妃の発案なら爆発的な人気になること間違いなしだな。

「今日屋敷に持ち帰るレモンをすぐに箱詰めするよう指示して参ります。少しの間、失礼致します」

侯爵は嬉しそうにそういうと、領民たちの元へと足早に向かった。
レモン畑には私とアンドリュー王、そして、騎士たちが周りを囲んでいる。

「アルフレッド、其方……レモンの使い道を知っていたのだろう?」

アンドリュー王はレモンを見上げ、私にだけ聞こえる声でそう尋ねてきた。


「ふふっ。やはり、陛下には敵いませんね。その通りでございます。
ここで私が発言することは歴史上よくないことになるのではと懸念したのです。
ですが、トーマ王妃のなさることはさすがでございますね」

「ああ、トーマはそのつもりはないだろうがな。
トーマのちょっとした言葉や行動に今まで何度導かれ、救われたことか……。
トーマは本当にこのオランディアを救うために神が使わしてくれたのだろうな。
もちろん、私が一番救われているのだが」

そうだ。
私もシュウの言葉や行動、そしてシュウ自身にどれだけ救われたことか。
トーマ王妃はオランディアとアンドリュー王を救うためにこの世界にやってきたのだろうが、シュウは私を救うためにやってきてくれたのだ。

「私もです。私はシュウに救われて愛というものを知りました。
そして今、この時代に来てさらに幸せを噛み締めています。
さっき、子どもが私に礼を言ったのをお聞きになりましたか?
私がいた時代なら、子どもは私には近づくことはありえないことなのですよ。
それが、私の目を見ながら礼を言うなど……この時代では当然のことでしょうが、私には信じられないことなのです。
瞳や髪色で嫌悪されないこの世界が居心地が良すぎて、元の世界に戻る日が恐ろしくさえ思います。
このままシュウと共にこの世界に留まりたいと思うことは、いつか元の世界に帰ることを覚悟しているシュウにしてみれば裏切りと思われるかも知れませんが……」

「いや、其方がそう思うのも無理はない。経験していない私が軽はずみに其方の気持ちがわかるとは言えないが、人に嫌悪されながら生きるのは辛かったろう。私がトーマを溺愛したがために、子孫其方が苦しむことになろうとは思いもしなかった。其方たちの住む時代をそのような世界にしてしまったという責任は全て私にある。
アルフレッド、いや……フレデリック。私はその責任をとるつもりだ」

「えっ? 責任を取る? 陛下、何をお考えなのですか?」

「まだそれは言えぬが……もし未来がここと同じように其方にとって居心地の良い世界になっていたとしても、シュウだけに変わらぬ愛を捧げてくれるか? それを約束してもらわねば私は動くことはできない」

アンドリュー王は何をしようと思っているのだろう?
未来が私にとって居心地の良い世界……それはこの時代のままの美醜感覚が未来へと続くということか?
もし、そんな未来になったら……シュウと2人で歩いていても羨ましくこそ思われ、あのサヴァンスタックの『町でーと』のように皆から後ろ指を刺されることも中傷を受けることのないのだ。
私にそんな幸せな未来が訪れるというのか?

もし、そんな幸せな未来が来るとして、アンドリュー王は何を心配しているのだろう?
シュウだけに変わらぬ愛を捧げてくれるか……そんなことを聞かれぬとも私にはシュウしか愛せないのだからな。
約束せずとも分かりきったことだろうが、ここはアンドリュー王にきちんと言葉で伝えるべきなのだろう。

「未来がどのような世界に変わっていたとしても、私が生涯愛するのはシュウだけです。
私の人生はシュウと共にあるのです。シュウがいなければ、幸せな未来など有り得ない」

きっぱりそう言い切ると、アンドリュー王はじっと私の目を見て

「そうか。其方の気持ちはよくわかった。この旅が終わったら、大事な話をしよう」

と緊張感のある静かな声とは裏腹ににこやかな笑顔を見せてくれた。

アンドリュー王の覚悟を決めたようなその表情に私もあのことを話さねばならない時期が来たかと感じた。

「はい。わたくしも大事なお話がございます。そのときにお話をさせていただきたく存じます」

「そうか、わかった。ああ、トーマたちがこちらへ来る。この話はその時までシュウには内緒にしておいてくれ」

「畏まりました」

2人で顔を見合わせたところで、シュウとトーマ王妃がヒューバートに連れられてこちらへやってくるのが見えた。
と同時に侯爵もこちらへやってきて、レモン畑に皆が揃うことになった。

そこでトーマ王妃がシュウから聞いたという考えを披露すると、アンドリュー王も侯爵も目を輝かせて喜んでいた。

私はといえば……正直驚いていた。

この地が将来飛躍的な発展を遂げる場所だと言ったが、それがシュウの考えからだったとは……。

ここ、レナゼリシアの特産はフルーツ酒とフルーツ酢。
我々の時代では収穫のほとんどがフルーツとしてそのまま食べるよりも酒と酢を造る方に回されている。
てっきりこちらもトーマ王妃の発案だと思っていたのだが、まさかシュウだったとはな。

アンドリュー王はフルーツ酒はともかく、フルーツ酢の方はどんな味になるのか見当もつかないようだが、これはオランディアだけにとどまらず、国外でも大人気になるものなのだ。

ここにいる間に試作品を作って、出来上がる頃にまた視察に……と提案すると、侯爵は大喜びで賛成した。

領地を統治するものにとって、国王が視察に来るというのは嬉しいことなのだろう。
私たちが同行できるかはわからないが……とは言っていたが、次の視察も好意的なアンドリュー王の様子に侯爵はこの計画の成功を確信していたように思う。
まぁ、堅実な侯爵のことだ、アンドリュー王の期待に応えるように必死に努力を続けるに違いない。
ヴォルフと共に二人三脚でこの地を守り立ててくれたらいい。

今日は侯爵にとって随分実のある視察となったことだろう。
ほくほく顔で馬車にフルーツを率先して運び入れる姿はとても満足げな表情をしていた。
やはり心に憂いごとがなくなると、人には運が向いてくるのかも知れないな。

シュウたちへの危害を防ぐのはもちろんのこと、侯爵のためにも、そしてこれからのレナゼリシアのためにもいつまでもあの女を地下牢に留めておくのはよくないだろう。
アンドリュー王の了承で除籍処分は今夜正式に決定するとして、その後、あの女をどこに行かせるか……侯爵は考えているのだろうか?
娘とはいえ、あれだけのことをした女を平民に落とすだけで終わらせるつもりなら、侯爵にもそれなりの処分をしなければいけなくなる。
ここは情を捨てて厳しい判断をしてもらいたいものだ。

侯爵家への帰り道、私は離れていた時間を惜しむようにシュウを抱き抱えて座った。
シュウの髪からほんのりとリンゴの甘い香りがする。
甘やかな体臭と混ざり合って、なんとも言えない美味しそうな匂いに鼻を押し付けてスンスンと嗅いでいると、

「フレッド、疲れちゃった?」

私のそんな様子にシュウが優しい言葉をかけてくれる。
シュウだけだ、私を甘えさせてくれるのは。

そんな幸せをひしひしと感じながら、
『私の伴侶の素晴らしさに感動してたんだ』というと、シュウは不思議そうな顔で私を見つめた。

その漆黒の瞳は、自分がどれだけ素晴らしい考えを出したのかを全く知らないと訴えている。
まぁ、知らないのは無理もない。
レナゼリシアについて深く勉強をする前だったし、シュウは実物を見たこともなかったのだからな。

シュウに、先程話していたフルーツ酒とフルーツ酢が近い将来レナゼリシアの特産になるのだと教えると、シュウは感慨深そうな表情をしながら嬉しそうに笑っていた。

確かに我々がこの時代に生きていた証が後世にまで残るというのは本当に嬉しいことだ。
アンドリュー王の考えがどのようなものかはわからないが、私にとって居心地の良い世界に変わっていたとしても、
このシュウの考えは変わらずに続いていくことだろう。

シュウにお二人には内緒にしておくように伝えると、

「うん。わかってる。みんなが努力して作らないとね」

とちゃんと理解を示してくれた。
深く説明をしなくても考えを共有してくれる相手がいるというのは幸せなことだな。

「シュウ、口づけをしても?」

「ふふっ。外から見えないならいいよ」

私はシュウを抱き抱えたまま、さっと背もたれに向かって座り直した。

この時ほど自分の身体が大きかったことを感謝したことはない。
周りの騎士たちから見えないように、シュウと舌を絡めながら柔らかく甘い口内を丹念に味わった。

長い口づけに力が抜けていくシュウを抱きしめながら、甘い口づけに酔いしれる。
あまりの幸福感になかなか唇を離すことができず、ようやく離れたときにはシュウの漆黒の瞳がほのかに潤んで、それがまた私の情欲を誘っていた。

ああ、シュウのあの五芒星に口づけをして、また乱れる姿を見たい。

――フレッド……もっと、奥まで……

シュウの淫らな姿を妄想する、飢えた獣のような私を乗せ、馬車は一路侯爵家へと進んでいった。

馬車を降り、少し顔の赤いシュウを見てトーマ王妃に何か訴えるような目で見つめられたような気がしたが、私は素知らぬふりをしてそのまま揃っての夕食をなんとか終えた。
きっとトーマ王妃には私が馬車でシュウに悪戯したことに気づかれたのかも知れないが、何を言われても我々は夫夫ふうふなのだ。
少々の悪戯くらいは誰しも目をつぶってくれるだろう。

トーマ王妃もそれをわかっているからこそ、何も言わなかったに違いない。
明日、シュウが起きられないようなことにならなければいい。
そう、いつぞやのようにトーマ王妃に叱責されるようなことにならなければいいのだ。
理性を失うようなことだけは気をつけることにしよう。

「ねぇ、フレッド。お風呂に入ろう」

シュウからの誘いは嬉しすぎて天にも昇るような気持ちだった。
シュウも私と一緒に入りたいと思ってくれていることが嬉しいのだ。

しかし、私は昨夜入ってわかっているが、この部屋のバスルームには湯船がない。
侯爵家に湯船がない? と思うかも知れないが、この時代は湯船があることの方が驚きだろう。
そもそもオランディアには湯船に浸かる習慣はなかったのだ。

しかし、湯に入ることが好きなトーマ王妃のために王城に作らせ、その噂が貴族の間で広まり、徐々にバスルームに湯船を入れることが貴族の格を示すものとなったと聞く。
そのため、我々の時代では貴族の家には必ず設置されているものだが、この時代、王都から遠く離れたレナゼリシアでまだ普及していないのは当然のことだろう。

しかし、湯船がなくともシャワーはある。
シュウからの誘いに否と答えるはずもなく、私はシュウの気持ちが変わらないうちにとシュウの手を引きすぐにバスルームへと連れていった。

小さなバスルーム、いや、シャワールームか……には城のバスルームに置いていたものと同じ泡が準備されている。
この視察旅行の準備をしているときにシュウの荷物が私の倍以上あったことから、ブルーノに何を準備しているのかと尋ねたのだ。

すると、私が荷物を減らせとでも言うと思ったのか、ブルーノは真剣な表情で、
『シュウさまのきめ細かい綺麗なお肌を守るために必要なものでございます!』と言い張った。

そのときに私は王都へ向かった時のマクベスのことを思い出していた。

マクベスもシュウに合うものをと真剣に考えてくれていたな。

いつの時代であっても、それほどまでにシュウは皆から守られているのだ。
私がそれを蔑ろにするわけにはいかないだろう。

「ならば、私の荷物は最低限のものでいい。シュウに関するものはどんなに些細なものであっても全て準備して持っていくように」

そういうと、ブルーノは安堵の表情を浮かべにこやかに笑っていた。

今、シュウが使っている泡はトーマ王妃のものと同じものらしい。
トーマ王妃もまた肌が敏感なようで、最初の日に王城で使用していた泡を使って肌が赤く腫れたのだそうだ。
アンドリュー王はそれを一晩中冷やしてあげたのだという。
それからすぐに国内の泡を探し求め、ようやくトーマ王妃に合うものを見つけたらしくそれからはそれをずっと愛用しているそうだ。

そのこともあって、シュウには最初からトーマ王妃のものと同じものを使わせてもらったおかげか腫れるような事態にはならなかった。
ブルーノはきっと安堵したことだろう。
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