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第四章 (王城 過去編)
花村 柊 38−2
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それから少し経って、まずアンドリューさまとお父さんが部屋に入ってきた。
いつもならお父さんが先に飛び込んできそうなのに、アンドリューさまの影に隠れてお父さんの姿はあまりよく見えない。
どうしたんだろう?
「シュウ、顔色は良さそうだな。痛みは大丈夫か?」
「アンドリューさま。はい、おかげさまで。薬がすごくよく効いているみたいで助かってます」
「そうか、それならよかった。ほら、トーマ。トーマもシュウに会いたがっていただろう?」
アンドリューさまは背中に隠れているお父さんの手をひき僕の前に出すと、お父さんの目はものすごく真っ赤に腫れていて、今もまだ目に涙が溜まっている。
一体どれだけ泣いていたんだろう。
心配かけちゃったんだな。
「お父さん……こっちに来て」
手を伸ばすと、お父さんはクッと唇を噛み締めながら、ぼくのそばに駆け寄ってきてぼくの手をぎゅっと握り締めた。
「柊……ごめんね。僕のせいでこんな目に……」
さっきまでかろうじて目に留まっていた涙はもうすでにボロボロとこぼれてしまっている。
大きな目からどれだけ流れるんだろうと驚くほど、絶え間なく流れ落ちる涙を見ながら、気づけばぼくも一緒になって涙を流してしまっていた。
「お父さんの、せいじゃないよ。ぼくがお父さんを助けたくて勝手にやったんだ。だからもう泣かないで……」
お父さんの頭をそっと撫でると、ぼくと同じサラサラとした髪質に思わず笑ってしまう。
ああ、ぼくたちこういうところまで親子なんだな。
「柊……ありがとう。柊は僕の命の恩人だ。柊が助けてくれた命をぼくは一生大切にするから」
「ふふっ。うん、ずっと元気でいて。ぼくもすぐに元気になるから心配しないで」
「柊……あっ、柊くん。ごめん、興奮してつい呼び捨てにしちゃった」
「ううん、ぼくお父さんから呼び捨てにされて嬉しかったよ」
「フレデリックさんが嫌がるかと思って敢えて柊くんって呼んでたんだけど、柊がそう言ってくれるなら呼んでもいいのかな?」
お父さんはフレッドを伺うように見つめている。
「フレッド、いいよね?」
「ああ、もちろんだ。トーマ王妃、あなたの息子です。お好きなようにお呼びください」
フレッドの心からの笑顔にお父さんは安心したように笑顔を見せた。
「柊……ふふっ。改まっていうとなんか照れるね」
「うん。でも嬉しいよ、ぼく」
なんだかお父さんと今までよりももっとずっと近づいたようなそんな気がした。
「陛下。ジュリアン王太子はどうされたのですか?」
「ああ。自分の部屋で待たせている。先にシュウと其方の様子を確認しておきたかったのでな」
「そうですか。ご配慮に感謝いたします」
「いや、トーマもシュウとゆっくり話したかろうと思ったのでな、ちょうどよかったのだ」
フレッドとアンドリューさまもだいぶ距離が近づいてるなぁ。
似たような2人が仲良さそうに話しているのを見ると楽しくなるのはなんでだろう。
きっとフレッドやアンドリューさまもぼくたちが2人で話しているのをそんなふうに見ているのかもしれないな。
「お父さん、目が腫れてる……ちゃんと冷やさなきゃダメだよ」
「うん。ずっと心配で……ブルーノからは元気になってるとは聞いてたんだけど、その時ぼくの目の前で動かなくなった柊が頭から離れなくて……しっかりと自分の目で見るまでは心配で怖かったんだ」
「そっか……。ごめんね、もっと早く会いにきて貰えばよかったね」
「ううん。こうやって元気な姿見られて安心したからもう大丈夫」
「そういえば、お父さんは怪我はしてないの?」
「柊が守ってくれたからね、ほら、ここにちょっと青痣できただけであとは平気だよ」
お父さんが袖をさっと捲ると、少し薄くなった青痣が見えた。
「薬塗ってるからもう痛みもほとんどないよ」
「よかった……王妃さまに傷が残ったらみんなびっくりしちゃうもんね」
「柊が守ってくれたおかげだよ」
「ふふっ。うん、よかった。安心した」
お父さんはこの国の人たちにとって大切な王妃さまだもん。
目立つ場所に傷ができなくて本当によかった。
これでジュリアン王太子だって罪悪感を持たずに済むよね。
「柊の怪我も大丈夫なの?」
「うん。身体中に青痣はできてるけど、骨は折れてないからよかったんだ。フレッドがずっとお世話してくれるから、何にも困ったこともないし」
「そうなんだ、フレデリックさんが全部面倒見てくれるの?」
「うん。ご飯も食べさせてくれるし、お風呂もトイレも手伝ってくれるんだ。あとは、身体中の青痣を治すために薬を塗らないといけないんだけど、フレッドに塗ってもらおうといっつもぼく、発情しちゃうんだ……」
「えっ? 発情? それでどうするの?」
「うん。それで、恥ずかしかったんだけど……毎日出さないと病気になっちゃうからって、いっつもフレッドが蜜を出してくれるんだよ。だからぼくずっと体調がいいんだ」
「……へぇ。そうなんだ……」
お父さんがフレッドの方を振り向くと、なぜかフレッドは固まったまま動かない。
どうしたんだろう?
「ま、まぁ、トーマ。その話は置いといて、そろそろジュリアンを呼ぼうか」
「ふぅ……。そうだね、柊……ジュリアンを呼んでも大丈夫?」
「えっ? あ、うん。大丈夫だよ」
ぼくがそう答えると、アンドリューさまは外にいるブルーノさんに声をかけ、ジュリアン王太子をこの部屋に連れてくるように命令した。
なんだか緊張してきた。
あれは事故だったのだからジュリアン王太子が気に病む必要は全くないのだけど、反省室にまで入ったと聞いていたし彼はそこでどう思ったのか、何を考えていたのか……それを思うと途轍もない緊張を感じて、僕は思わずゴクっと唾を呑み込んでしまった。
「シュウ? 少し顔色が悪くなってきたみたいだが大丈夫か?」
フレッドは本当にぼくの変化にすぐに気づくなぁ。
それぐらいぼくのことを見ててくれているってことなのかな。
「大丈夫だよ。フレッドもお父さんもそばにいてくれるもんね」
「ああ、心配いらないよ]
「柊、安心して」
ぼくの手を片手ずつ握りながらぼくに笑顔を向けるフレッドとお父さんの姿が心強くて、あっという間に緊張感はどこかへ飛んでいってしまった。
部屋の扉が叩かれ、ブルーノさんの声が聞こえる。
「ジュリアンさまをお連れいたしました」
アンドリューさまの『入れ!』という声に部屋の扉がゆっくりと開く。
ブルーノさんに案内されるように入ってきたジュリアン王太子を見て、
「「えっ?」」
ぼくもフレッドも驚きの声をあげてしまった。
隣にいたお父さんからは何も聞こえなかったからきっと知っていたんだろうな。
ジュリアン王太子の長く伸ばされていた濃い茶色の髪がものすごく短く切られていたことを……。
見慣れないその姿に驚いていると、ジュリアン王太子はぼくの寝ているソファーの前で止まり、その場に膝をついて床に頭をつけ、
「申し訳ございませんでした!!!」
と深い深い謝罪の声をあげた。
その勢いに驚いて、そのままつい見入ってしまったけれど王太子ともあろうお方に土下座なんてさせちゃダメだ!
「ジュリアン王太子、頭をあげてください!!」
そう声をかけてもジュリアン王太子のきがすまなかったのか尚も謝罪をくり返すばかりだったから、
「トーマさま、お願い」
と声をかけると、『わかった』というように小さく頷き、
「ジュリアン、頭を上げなさい。このままでは話もできないから」
とお父さんが声をかけるとようやく頭を上げてくれた。
顔を上げたジュリアン王太子の顔は沈痛な面持ちをしていて、ぼくに何か言いたげな様子に見えた。
でもぼくは先にちゃんと言っておきたくて、ぼくは声をかけた。
「ジュリアン王太子、どうかお気になさらないでください。あれは本当にただの事故です。
そもそもあの場所に私たちがユージーンを連れてこなければ起こり得なかったこと。
あれはただの偶然が引き起こした事故です。私はこうして無事でしたし、それに……トーマさまもご無事でしたから、それで十分なんですよ」
ぼくがそういうと、ジュリアン王太子は大きく顔を横に振って、震える声で答えた。
「私は……私はあの場にいて何一つできなかったのです。自分の不注意であれだけのことになってしまったというのに、私は馬を鎮めることも、馬にぶつかりそうになっている姉上を助けることもできずにただその場に立ち尽くすだけ。
それなのに……私は何もできなかったというのに、あなたは、自分の身の危険も顧みずに姉上に飛び込んでいかれた。もし、あなたが身を挺して飛び掛からなければ、今頃私たちは偉大なる王妃を失っていたはずです。私は全てのオランディア国民の母を奪うところでした。それを思うと、自分がいかに愚かなことをしてしまったのか……。あれは確かに事故でした。ですが、その事故に対して身を挺して守ろうとする者と、何もできずに立ち尽くす者と人の本質をまざまざと見せつけられたような気がして、私は反省室に篭ったのです。私が兄上のあと、このオランディアを守っていける器かどうかを自分に問うために」
「それで……答えは出たのか?」
低く冷静なアンドリューさまの声が部屋に響く。
みんなの視線がジュリアン王太子に向けられる中、ジュリアン王太子はゆっくりと口を開いた。
「そもそも私は甘えていました。2人の兄上が戦死され、父上もお倒れになり、急遽兄上が国王になられたというのに、オランディアはたったの数年で以前よりも活気を取り戻した。しかも姉上さまが来られてから急激にこの国は良くなったとあれば、国を治めることなど容易いことだと勘違いをしてしまったのです。私はリャバーヤで次期国王として学びながらも、根底にはいざとなれば国を治めるなど容易い、そう思っていたのです」
アンドリューさまがこの国を立て直すのはそんなに簡単なことではなかったと思うけれど、お父さんの存在がアンドリューさまにとって英気になっていたのが傍目には順風満帆に見えていたのかもしれないな。
「そんな中、オランディアに姉上によく似た美しい女性が現れたと話題になっていることを聞き、彼女こそが私の花嫁だと思いました。彼女を我が物にすれば、兄上のように、このオランディアを共に盛り立てていける。だからすぐに彼女を手に入れなければとそれだけを思い、オランディアへの帰国を願ったのです。彼女に伴侶がいることはわかっていたけれど、王太子の自分なら奪えると思ったのも事実です」
ジュリアン王太子の言葉にフレッドが怒っている。
それは握られた手から強く感じられる。
「ですが、お二人の間には私などが入りこむ余地など何もなかった……。それは初めて中庭で会った時にわかりました。
私はあんなに近くにいながら彼女に触れることすらできなかった。何を持っているかわからないどこからどう見ても不審者の私に怯むことなく彼女を助け出しにくる彼に負けたと思いました」
そうか。あの時、ジュリアン王太子はそんなことを思っていたんだ。
フレッドに負けたと思った上に、ヒューバートさんたちにも謝罪しないといけないといわれてジュリアン王太子のプライドが許せなくなってしまったんだろうな。
「そして今回、彼女もまた自分の危険も顧みずに姉上を助けた。命をかけて大切なものを守ろうとする気持ちが私には欠けていたことに気づいたのです。私にとって、命をかけて守らなければならないもの……今の私にとってそれはこのオランディアの全ての国民。このオランディアの国民を守ることはその中にいるはずの私の伴侶をも守ることになるのだと気づいたのです。私はまだまだ兄上には遠く足元にも及びません。ですが、今回のことで気持ちを改め一からやり直すつもりで髪を切りました」
そうか、ジュリアン王太子にとって髪を切ると言うことは今までの自分からの決別ということなんだろう。
「ですから、兄上、お願いがございます」
「なんだ?」
「リャバーヤでの勉強を2年延長させていただきたいのです。
今までの愚かな気持ちでの勉強は全て忘れてもう一度勉強し直したいと思っています。
どうか、どうかお願いいたします」
ジュリアン王太子はもう一度床に頭を擦り付けながら、アンドリューさまに必死に頼み込んだ。
「わかった。いいだろう。2年後に成長したお前に会えるのを楽しみにしているぞ」
「はい。ありがとうございます」
きっとジュリアン王太子は一生懸命勉強をし直して2年後次期国王として立派に帰ってくるはずだ。
そうなれるきっかけになれたんだったら、ぼくのこの怪我も悪いことばかりじゃなかったのかもしれないな。
いつもならお父さんが先に飛び込んできそうなのに、アンドリューさまの影に隠れてお父さんの姿はあまりよく見えない。
どうしたんだろう?
「シュウ、顔色は良さそうだな。痛みは大丈夫か?」
「アンドリューさま。はい、おかげさまで。薬がすごくよく効いているみたいで助かってます」
「そうか、それならよかった。ほら、トーマ。トーマもシュウに会いたがっていただろう?」
アンドリューさまは背中に隠れているお父さんの手をひき僕の前に出すと、お父さんの目はものすごく真っ赤に腫れていて、今もまだ目に涙が溜まっている。
一体どれだけ泣いていたんだろう。
心配かけちゃったんだな。
「お父さん……こっちに来て」
手を伸ばすと、お父さんはクッと唇を噛み締めながら、ぼくのそばに駆け寄ってきてぼくの手をぎゅっと握り締めた。
「柊……ごめんね。僕のせいでこんな目に……」
さっきまでかろうじて目に留まっていた涙はもうすでにボロボロとこぼれてしまっている。
大きな目からどれだけ流れるんだろうと驚くほど、絶え間なく流れ落ちる涙を見ながら、気づけばぼくも一緒になって涙を流してしまっていた。
「お父さんの、せいじゃないよ。ぼくがお父さんを助けたくて勝手にやったんだ。だからもう泣かないで……」
お父さんの頭をそっと撫でると、ぼくと同じサラサラとした髪質に思わず笑ってしまう。
ああ、ぼくたちこういうところまで親子なんだな。
「柊……ありがとう。柊は僕の命の恩人だ。柊が助けてくれた命をぼくは一生大切にするから」
「ふふっ。うん、ずっと元気でいて。ぼくもすぐに元気になるから心配しないで」
「柊……あっ、柊くん。ごめん、興奮してつい呼び捨てにしちゃった」
「ううん、ぼくお父さんから呼び捨てにされて嬉しかったよ」
「フレデリックさんが嫌がるかと思って敢えて柊くんって呼んでたんだけど、柊がそう言ってくれるなら呼んでもいいのかな?」
お父さんはフレッドを伺うように見つめている。
「フレッド、いいよね?」
「ああ、もちろんだ。トーマ王妃、あなたの息子です。お好きなようにお呼びください」
フレッドの心からの笑顔にお父さんは安心したように笑顔を見せた。
「柊……ふふっ。改まっていうとなんか照れるね」
「うん。でも嬉しいよ、ぼく」
なんだかお父さんと今までよりももっとずっと近づいたようなそんな気がした。
「陛下。ジュリアン王太子はどうされたのですか?」
「ああ。自分の部屋で待たせている。先にシュウと其方の様子を確認しておきたかったのでな」
「そうですか。ご配慮に感謝いたします」
「いや、トーマもシュウとゆっくり話したかろうと思ったのでな、ちょうどよかったのだ」
フレッドとアンドリューさまもだいぶ距離が近づいてるなぁ。
似たような2人が仲良さそうに話しているのを見ると楽しくなるのはなんでだろう。
きっとフレッドやアンドリューさまもぼくたちが2人で話しているのをそんなふうに見ているのかもしれないな。
「お父さん、目が腫れてる……ちゃんと冷やさなきゃダメだよ」
「うん。ずっと心配で……ブルーノからは元気になってるとは聞いてたんだけど、その時ぼくの目の前で動かなくなった柊が頭から離れなくて……しっかりと自分の目で見るまでは心配で怖かったんだ」
「そっか……。ごめんね、もっと早く会いにきて貰えばよかったね」
「ううん。こうやって元気な姿見られて安心したからもう大丈夫」
「そういえば、お父さんは怪我はしてないの?」
「柊が守ってくれたからね、ほら、ここにちょっと青痣できただけであとは平気だよ」
お父さんが袖をさっと捲ると、少し薄くなった青痣が見えた。
「薬塗ってるからもう痛みもほとんどないよ」
「よかった……王妃さまに傷が残ったらみんなびっくりしちゃうもんね」
「柊が守ってくれたおかげだよ」
「ふふっ。うん、よかった。安心した」
お父さんはこの国の人たちにとって大切な王妃さまだもん。
目立つ場所に傷ができなくて本当によかった。
これでジュリアン王太子だって罪悪感を持たずに済むよね。
「柊の怪我も大丈夫なの?」
「うん。身体中に青痣はできてるけど、骨は折れてないからよかったんだ。フレッドがずっとお世話してくれるから、何にも困ったこともないし」
「そうなんだ、フレデリックさんが全部面倒見てくれるの?」
「うん。ご飯も食べさせてくれるし、お風呂もトイレも手伝ってくれるんだ。あとは、身体中の青痣を治すために薬を塗らないといけないんだけど、フレッドに塗ってもらおうといっつもぼく、発情しちゃうんだ……」
「えっ? 発情? それでどうするの?」
「うん。それで、恥ずかしかったんだけど……毎日出さないと病気になっちゃうからって、いっつもフレッドが蜜を出してくれるんだよ。だからぼくずっと体調がいいんだ」
「……へぇ。そうなんだ……」
お父さんがフレッドの方を振り向くと、なぜかフレッドは固まったまま動かない。
どうしたんだろう?
「ま、まぁ、トーマ。その話は置いといて、そろそろジュリアンを呼ぼうか」
「ふぅ……。そうだね、柊……ジュリアンを呼んでも大丈夫?」
「えっ? あ、うん。大丈夫だよ」
ぼくがそう答えると、アンドリューさまは外にいるブルーノさんに声をかけ、ジュリアン王太子をこの部屋に連れてくるように命令した。
なんだか緊張してきた。
あれは事故だったのだからジュリアン王太子が気に病む必要は全くないのだけど、反省室にまで入ったと聞いていたし彼はそこでどう思ったのか、何を考えていたのか……それを思うと途轍もない緊張を感じて、僕は思わずゴクっと唾を呑み込んでしまった。
「シュウ? 少し顔色が悪くなってきたみたいだが大丈夫か?」
フレッドは本当にぼくの変化にすぐに気づくなぁ。
それぐらいぼくのことを見ててくれているってことなのかな。
「大丈夫だよ。フレッドもお父さんもそばにいてくれるもんね」
「ああ、心配いらないよ]
「柊、安心して」
ぼくの手を片手ずつ握りながらぼくに笑顔を向けるフレッドとお父さんの姿が心強くて、あっという間に緊張感はどこかへ飛んでいってしまった。
部屋の扉が叩かれ、ブルーノさんの声が聞こえる。
「ジュリアンさまをお連れいたしました」
アンドリューさまの『入れ!』という声に部屋の扉がゆっくりと開く。
ブルーノさんに案内されるように入ってきたジュリアン王太子を見て、
「「えっ?」」
ぼくもフレッドも驚きの声をあげてしまった。
隣にいたお父さんからは何も聞こえなかったからきっと知っていたんだろうな。
ジュリアン王太子の長く伸ばされていた濃い茶色の髪がものすごく短く切られていたことを……。
見慣れないその姿に驚いていると、ジュリアン王太子はぼくの寝ているソファーの前で止まり、その場に膝をついて床に頭をつけ、
「申し訳ございませんでした!!!」
と深い深い謝罪の声をあげた。
その勢いに驚いて、そのままつい見入ってしまったけれど王太子ともあろうお方に土下座なんてさせちゃダメだ!
「ジュリアン王太子、頭をあげてください!!」
そう声をかけてもジュリアン王太子のきがすまなかったのか尚も謝罪をくり返すばかりだったから、
「トーマさま、お願い」
と声をかけると、『わかった』というように小さく頷き、
「ジュリアン、頭を上げなさい。このままでは話もできないから」
とお父さんが声をかけるとようやく頭を上げてくれた。
顔を上げたジュリアン王太子の顔は沈痛な面持ちをしていて、ぼくに何か言いたげな様子に見えた。
でもぼくは先にちゃんと言っておきたくて、ぼくは声をかけた。
「ジュリアン王太子、どうかお気になさらないでください。あれは本当にただの事故です。
そもそもあの場所に私たちがユージーンを連れてこなければ起こり得なかったこと。
あれはただの偶然が引き起こした事故です。私はこうして無事でしたし、それに……トーマさまもご無事でしたから、それで十分なんですよ」
ぼくがそういうと、ジュリアン王太子は大きく顔を横に振って、震える声で答えた。
「私は……私はあの場にいて何一つできなかったのです。自分の不注意であれだけのことになってしまったというのに、私は馬を鎮めることも、馬にぶつかりそうになっている姉上を助けることもできずにただその場に立ち尽くすだけ。
それなのに……私は何もできなかったというのに、あなたは、自分の身の危険も顧みずに姉上に飛び込んでいかれた。もし、あなたが身を挺して飛び掛からなければ、今頃私たちは偉大なる王妃を失っていたはずです。私は全てのオランディア国民の母を奪うところでした。それを思うと、自分がいかに愚かなことをしてしまったのか……。あれは確かに事故でした。ですが、その事故に対して身を挺して守ろうとする者と、何もできずに立ち尽くす者と人の本質をまざまざと見せつけられたような気がして、私は反省室に篭ったのです。私が兄上のあと、このオランディアを守っていける器かどうかを自分に問うために」
「それで……答えは出たのか?」
低く冷静なアンドリューさまの声が部屋に響く。
みんなの視線がジュリアン王太子に向けられる中、ジュリアン王太子はゆっくりと口を開いた。
「そもそも私は甘えていました。2人の兄上が戦死され、父上もお倒れになり、急遽兄上が国王になられたというのに、オランディアはたったの数年で以前よりも活気を取り戻した。しかも姉上さまが来られてから急激にこの国は良くなったとあれば、国を治めることなど容易いことだと勘違いをしてしまったのです。私はリャバーヤで次期国王として学びながらも、根底にはいざとなれば国を治めるなど容易い、そう思っていたのです」
アンドリューさまがこの国を立て直すのはそんなに簡単なことではなかったと思うけれど、お父さんの存在がアンドリューさまにとって英気になっていたのが傍目には順風満帆に見えていたのかもしれないな。
「そんな中、オランディアに姉上によく似た美しい女性が現れたと話題になっていることを聞き、彼女こそが私の花嫁だと思いました。彼女を我が物にすれば、兄上のように、このオランディアを共に盛り立てていける。だからすぐに彼女を手に入れなければとそれだけを思い、オランディアへの帰国を願ったのです。彼女に伴侶がいることはわかっていたけれど、王太子の自分なら奪えると思ったのも事実です」
ジュリアン王太子の言葉にフレッドが怒っている。
それは握られた手から強く感じられる。
「ですが、お二人の間には私などが入りこむ余地など何もなかった……。それは初めて中庭で会った時にわかりました。
私はあんなに近くにいながら彼女に触れることすらできなかった。何を持っているかわからないどこからどう見ても不審者の私に怯むことなく彼女を助け出しにくる彼に負けたと思いました」
そうか。あの時、ジュリアン王太子はそんなことを思っていたんだ。
フレッドに負けたと思った上に、ヒューバートさんたちにも謝罪しないといけないといわれてジュリアン王太子のプライドが許せなくなってしまったんだろうな。
「そして今回、彼女もまた自分の危険も顧みずに姉上を助けた。命をかけて大切なものを守ろうとする気持ちが私には欠けていたことに気づいたのです。私にとって、命をかけて守らなければならないもの……今の私にとってそれはこのオランディアの全ての国民。このオランディアの国民を守ることはその中にいるはずの私の伴侶をも守ることになるのだと気づいたのです。私はまだまだ兄上には遠く足元にも及びません。ですが、今回のことで気持ちを改め一からやり直すつもりで髪を切りました」
そうか、ジュリアン王太子にとって髪を切ると言うことは今までの自分からの決別ということなんだろう。
「ですから、兄上、お願いがございます」
「なんだ?」
「リャバーヤでの勉強を2年延長させていただきたいのです。
今までの愚かな気持ちでの勉強は全て忘れてもう一度勉強し直したいと思っています。
どうか、どうかお願いいたします」
ジュリアン王太子はもう一度床に頭を擦り付けながら、アンドリューさまに必死に頼み込んだ。
「わかった。いいだろう。2年後に成長したお前に会えるのを楽しみにしているぞ」
「はい。ありがとうございます」
きっとジュリアン王太子は一生懸命勉強をし直して2年後次期国王として立派に帰ってくるはずだ。
そうなれるきっかけになれたんだったら、ぼくのこの怪我も悪いことばかりじゃなかったのかもしれないな。
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