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番外編
特別室のお客様 <中編>
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「メアリー。すぐに来なさい」
大浴場の扉が閉まる音が聞こえてすぐに、執事長から声をかけられる。
何か失敗したのかと不安を覚えつつも、私は急いで飛び出した。
「メアリー。特別室を片付けておくように」
「えっ? あのお客様は、お帰りになるのですか?」
今まで、お部屋から出られたこともなかったお方が。
しかも、今旦那様とお風呂に入っていらっしゃるのに……
特別なお客様だからてっきりここにずっといらっしゃると思っていた。
けれど、執事長は私の質問に首を横に振った。
「特別室のお客様は、これから旦那様のお部屋で一緒にお過ごしになる」
「えっ……い、っしょに?」
あまりにも予想外の言葉で、理解するのが難しかった。
「あの、それは……奥方様に、なるということでしょうか?」
旦那様の部屋で一緒にお過ごしになれるのは、奥方様でしかあり得ない。
「違う、のですか?」
思わずそう口にしてから、私は自分の無作法さに気づき、慌てて頭を下げた。
執事長は一瞬だけ目を伏せ、それから小さく息を吐いた。
「メアリー。その言葉は、まだ口にしてはならない」
まだという言葉に違和感を感じつつも、有無を言わせぬ重みがあった。
私は背筋が凍るのを感じながら、深く頷くしかなかった。
「承知しました」
それ以上何も説明はなかった。
けれど、その沈黙こそが答えなのだとわかった気がした。
私は急いで特別室に向かい、なるべく音を立てぬよう片付けを始めた。
必要なものは執事長が旦那様のお部屋に運ばれたのだろう。
シーツは乱れていたが、丁寧に使われた後のようでお二人の関係はまだ清いものなのだろうか。
枕元に見慣れない小さな薬包が置かれていることに気づく。
なんの薬かは全くわからない。
けれど、ここにいらっしゃるお方が、まだ本調子でないことは間違いない。
「あれ?」
シーツに落ちていた黒い糸のようなもの。
「これって……まさか、髪の毛?」
ううん、そんなことあるはずがない。
だって、黒い髪を持つ人なんてこの世界中、どこを探してもいない。
あっ!
ふと頭をよぎった、信じられない言葉。
まさか……ここに、いらっしゃるお方って……フィリグラン?
フィリグラン。
ガラス細工のように壊れやすい繊細なものを意味するこの言葉は、我がフィオラード王国において崇められる存在だ。
フィリグランが現れるとフィオラード王国が繁栄し、ますます強大な力を持つとされる。
そのため、フィリグランは神の使いとも言われている。
だがその名の通り、繊細で弱い存在のため大切に慈しむ必要がある。
もし、旦那様がフィリグランを保護なさったのだとしたら……
あれほど手厚く、大切になさるのもわかる。
そして、私たちの目に触れさせないのも……
その瞬間、全てがストンと落ちた気がした。
それならば、詮索するのはやめよう。
いつか、会わせていただける日が来るまで、旦那様がお世話をされるのを精一杯見守るだけだ。
けれど、それからもずっとお客様の姿を拝見することはなかった。
専属医師のロジェリオ様と執事長がお部屋に入られることが増え、私はまた体調を崩されたのかと心配でたまらなかった。
あのお方がフィリグランだから……というわけではない。
ただ、純粋に旦那様が必死にお世話をなさっているお方が、体調を崩されたままだというのが心配だったのだ。
そんなある日、長く閉ざされていた窓が久しぶりに開け放たれた日のことだった。
「今から、旦那様がお客様と中庭に行かれる。決して姿を現さぬように」
執事長からそんな指示が出た。
使用人たちの中には、まだ会わせてもらえないのねと残念がる者もいたけれど、私は外にお出になられるまでに体調を回復なさったことが嬉しくて仕方がなかった。
大丈夫。少しずつ旦那様のお世話は実を結んでいらっしゃる。
中庭に出る準備が整えられ、私たちは指示通り決して視界に入らぬ位置で控えていた。
低い生垣の陰、噴水の向こう側。ここなら私たちからもお二人のお姿は見えない。
気配を殺し、息を潜める。
やがて、芝を踏む音が聞こえた。
でも足音は一人だけ。
いつもスタスタと歩かれる旦那様とは違い、ゆっくりとした歩調だ。
お二人じゃなかったの?
一瞬そう思ったけれど、すぐにわかった。
旦那様が、抱きかかえていらっしゃるのだと。
その事実に気づいた瞬間、胸の奥がじんと熱くなった。
旦那様は心からお客様を大事に思っていらっしゃる。
それが伝わってきて、私はこの上なく幸せに感じられた。
大浴場の扉が閉まる音が聞こえてすぐに、執事長から声をかけられる。
何か失敗したのかと不安を覚えつつも、私は急いで飛び出した。
「メアリー。特別室を片付けておくように」
「えっ? あのお客様は、お帰りになるのですか?」
今まで、お部屋から出られたこともなかったお方が。
しかも、今旦那様とお風呂に入っていらっしゃるのに……
特別なお客様だからてっきりここにずっといらっしゃると思っていた。
けれど、執事長は私の質問に首を横に振った。
「特別室のお客様は、これから旦那様のお部屋で一緒にお過ごしになる」
「えっ……い、っしょに?」
あまりにも予想外の言葉で、理解するのが難しかった。
「あの、それは……奥方様に、なるということでしょうか?」
旦那様の部屋で一緒にお過ごしになれるのは、奥方様でしかあり得ない。
「違う、のですか?」
思わずそう口にしてから、私は自分の無作法さに気づき、慌てて頭を下げた。
執事長は一瞬だけ目を伏せ、それから小さく息を吐いた。
「メアリー。その言葉は、まだ口にしてはならない」
まだという言葉に違和感を感じつつも、有無を言わせぬ重みがあった。
私は背筋が凍るのを感じながら、深く頷くしかなかった。
「承知しました」
それ以上何も説明はなかった。
けれど、その沈黙こそが答えなのだとわかった気がした。
私は急いで特別室に向かい、なるべく音を立てぬよう片付けを始めた。
必要なものは執事長が旦那様のお部屋に運ばれたのだろう。
シーツは乱れていたが、丁寧に使われた後のようでお二人の関係はまだ清いものなのだろうか。
枕元に見慣れない小さな薬包が置かれていることに気づく。
なんの薬かは全くわからない。
けれど、ここにいらっしゃるお方が、まだ本調子でないことは間違いない。
「あれ?」
シーツに落ちていた黒い糸のようなもの。
「これって……まさか、髪の毛?」
ううん、そんなことあるはずがない。
だって、黒い髪を持つ人なんてこの世界中、どこを探してもいない。
あっ!
ふと頭をよぎった、信じられない言葉。
まさか……ここに、いらっしゃるお方って……フィリグラン?
フィリグラン。
ガラス細工のように壊れやすい繊細なものを意味するこの言葉は、我がフィオラード王国において崇められる存在だ。
フィリグランが現れるとフィオラード王国が繁栄し、ますます強大な力を持つとされる。
そのため、フィリグランは神の使いとも言われている。
だがその名の通り、繊細で弱い存在のため大切に慈しむ必要がある。
もし、旦那様がフィリグランを保護なさったのだとしたら……
あれほど手厚く、大切になさるのもわかる。
そして、私たちの目に触れさせないのも……
その瞬間、全てがストンと落ちた気がした。
それならば、詮索するのはやめよう。
いつか、会わせていただける日が来るまで、旦那様がお世話をされるのを精一杯見守るだけだ。
けれど、それからもずっとお客様の姿を拝見することはなかった。
専属医師のロジェリオ様と執事長がお部屋に入られることが増え、私はまた体調を崩されたのかと心配でたまらなかった。
あのお方がフィリグランだから……というわけではない。
ただ、純粋に旦那様が必死にお世話をなさっているお方が、体調を崩されたままだというのが心配だったのだ。
そんなある日、長く閉ざされていた窓が久しぶりに開け放たれた日のことだった。
「今から、旦那様がお客様と中庭に行かれる。決して姿を現さぬように」
執事長からそんな指示が出た。
使用人たちの中には、まだ会わせてもらえないのねと残念がる者もいたけれど、私は外にお出になられるまでに体調を回復なさったことが嬉しくて仕方がなかった。
大丈夫。少しずつ旦那様のお世話は実を結んでいらっしゃる。
中庭に出る準備が整えられ、私たちは指示通り決して視界に入らぬ位置で控えていた。
低い生垣の陰、噴水の向こう側。ここなら私たちからもお二人のお姿は見えない。
気配を殺し、息を潜める。
やがて、芝を踏む音が聞こえた。
でも足音は一人だけ。
いつもスタスタと歩かれる旦那様とは違い、ゆっくりとした歩調だ。
お二人じゃなかったの?
一瞬そう思ったけれど、すぐにわかった。
旦那様が、抱きかかえていらっしゃるのだと。
その事実に気づいた瞬間、胸の奥がじんと熱くなった。
旦那様は心からお客様を大事に思っていらっしゃる。
それが伝わってきて、私はこの上なく幸せに感じられた。
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