俺の天使に触れないで  〜隆之と晴の物語〜

波木真帆

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晴の怒り

<side 隆之>

何を聞かれるのかと心配していたが、さすが桜城大学経済学部の、しかも一番厳しいといわれる二階堂ゼミに在籍できるだけあって、的を射た質問が続く。
皆、それぞれ就職を控えて色々悩んでいるのが垣間見れる。
そんな中、ある1人の女生徒の質問が飛び込んできた。

「私も広告代理店に就職が決まってて、早く早瀬さんみたいにバリバリ仕事とってみんなにすごいって思われるような広告を作りたいと思ってるんですけど、どうやったらそういう広告が作れるようになりますか?」

この子はきっと広告業界の華やかで面白そうという側面だけを見て就職を決めたんだろう。
就活で気づかなかったのかは不思議だが、まぁ小さな広告代理店なら優秀な学生を確保するために良いことばかりしか言わないと言うのが定石なのだからそれもまた仕方ないことなのかもしれない。

広告代理店に就職して、素晴らしい広告を作りたいと言う思いは必要だろう。
しかし、それは周りから自分の評価を得るためではなく、あくまでもクライアントである広告主の要望をいかに臨機応変に対応しながら広告を作り上げるかということが大事になってくる。
それこそ、一つの作品に何度も何度も試行錯誤を繰り返し、意見を言い合って初めて納得のできる広告ができると言っても過言ではない、

自分が手がけた広告が世の中に出ることは嬉しい。
しかし、評価は後でついてくるものであって、最初から求めるものではないのだ。

今は就職に向けて夢も希望も溢れている彼女にこの裏方のような気持ちをどう言えばわかってもらえるだろうか……少し厄介な質問がきたな。

「そうだな……」

と言いあぐねていると、隣にいた晴が突然、口を開いた。

「あのね、矢上さん。ちょっといいかな?」

「うん? なぁに、香月くん」

「僕も矢上さんと同じ広告代理店に就職が決まってて、実は夏からインターンシップのような感じで実地研修をさせてもらってるんだ」

「えっ? そうなの? いいなぁ。楽しそう」

「うん。楽しいよ。でもね、広告を作るってそんなに簡単なことじゃないんだ。クライアントさんが広告を出したいって願うものは、長い年月をかけて、それこそ会社の存続をかけて必死に作り上げたものだったりしてね、僕たちがやろうとしている仕事は、その商品の素晴らしさをどうやって世の中の人に知ってもらうかが重要なんだ。自分が作った広告がすごいって思われることよりも、この商品すごくいいねって思われるようにすることの方が大事で、大切なことなんだと思うんだよ」

「でもそんなの綺麗事でしょ? 早瀬さんなんて、絶対に売れるってわかるものの広告しか作ってないじゃない。
大手企業の良いものばっかり営業で取って、物がいいんだから評価が上がるのは当然でしょ?」

彼女の言葉にあんなに和気藹々としていた部屋がしんと静まり返った。

俺はそんなふうに思われていたのか。
新入社員の頃は顔で営業とってきてるなんて揶揄されたこともあったが、最近はとんとなかったんだけどな。
さすがにこんなに若い子から言われると傷つくな。
せっかく後輩のためになればと思って話をしにきたんだが……。
だが、本気で怒鳴りつけるのも大人げないか。
そう思っていたのだが、

「……矢上さん、それ、本気で言ってるの?」

晴から聞いたこともないような冷たい声が聞こえたことに俺は驚いた。


「えっ? なに?」

矢上と呼ばれたその彼女も初めて聞くんだろう晴の冷たい声に驚いたような表情を見せながら、聞き返していた。
周りもみんな見たことのない晴の姿に茫然としているようだ。

しかし、晴はそんな周りの反応を全く気にせずただ彼女をじっと見つめたまま、もう一度口を開いた。

「さっきの早瀬さんへの言葉、本気で言ってるの? って聞いてるんだけど……」

こんな晴の声も姿も初めて見た。
いつも優しくて穏やかな晴にこんな面があったとは……晴のことはもう全て知っていたと思っていたが、俺もまだまだだな。

「……え、ええ。だって、本当のことでしょ? 早瀬さんが担当してる広告って、みんなが知ってるような大手企業しかしてないじゃない。名前さえ出しとけば売れるって分かってるものばかりでしょ。それで広告作ってすごいって思われるなら得じゃない。早瀬さんはあれだけ格好いいんだもん。あっちからぜひにって言ってくるんでしょう? 私もそういうふうにいいところの契約とってみんなにすごいって思われたいの。」

最初は晴の様子に怯えた様子をしていたくせに、俺の話を思い出した途端、饒舌が戻ってきたな。
ここまでボロクソに言われるといい加減腹も立つが、10近くも離れた女生徒に酒の席で絡まれたからと言って本気で怒鳴りつけるなんて男としてというより、社会人としていやそれよりも、大人としてできることではない。

ここは俺がぐっと我慢すればいい。
こんなのは接待でもよくあることだ。
俺の顔の良さで契約取ってるなんて何度言われたか知れやしないんだから。
わかる人がわかってくれればそれでいいんだ。
そう思っていたのに……。

「それは違うっ! 早瀬さんは顔で契約なんかとったことない! 広告を作る時だってその商品がどれだけの手間暇を考えて作られたものか、どういう思いで作られたのか、ちゃんとリサーチした上でその広告が一番映えるには、消費者の目にとまるにはどうしたらいいのかをクライアントと一緒になって意見を言い合って、何度も何度も協議を繰り返してやっと一つの広告という作品が出来上がるんだよ。どれだけ仕事が重なってもどれひとつ手を抜いたりしないで自分の時間を全て費やすくらいの気持ちで広告づくりに向き合ってるんだよ。僕は早瀬さんのそんな姿をこの数ヶ月一緒に見て来たんだ! それを華やかな面ばかり見て、簡単に契約取ったり広告作って評価もらってるなんて……そんなこと絶対に言っちゃいけないんだ!」

晴がここまで感情をあらわにして怒ってくれるなんて……。
いや、それ以上に俺のことをここまで理解していてくれているなんて……。
俺はこんな時なのに嬉しくてたまらない。

彼女は晴のあまりの剣幕に恐れ慄いているようだったが、言われっぱなしなのが嫌だったのだろう、言い返そうと口を開けたところで、

「香月くん、矢上くん、そこまでにしておきなさい」

と二階堂教授の声が上がった。


その声にようやく2人はみんなの注目を集めていたことに気づいたらしい。

「教授、申し訳ありません。僕、我慢できなくてつい……」

晴は場の雰囲気を壊してすみませんと謝罪の言葉をいい、項垂れた。

俺はそんな晴を見てもう我慢できずに晴の肩を抱き、自分の方へと抱き寄せた。
晴はぐっと堪えていたものが溢れ出たかのように俺の胸の中で『ゔっ、ゔっ』と声を押し殺しながら泣いていた。

晴に辛い思いをさせてしまった、もっと早く止めるべきだったと後悔しながら、俺は晴の背中を摩り続けた。

「矢上くん、君は何かいうことはないか?」

彼女はこの間もただ晴と俺の方を見ながらただ黙って座っていた。
そんな彼女に教授が声をかけると、ハッとした表情で教授に目を向けた。

「あ、あの……私……ただ、早瀬さんに営業としてのコツというか、どうやったら売れる広告が作れるようになるのか聞きたかっただけで……別に早瀬さんのことを悪く言いたかったわけじゃないんです。でも、大手の広告ばっかり作ってる早瀬さんなら楽なやり方とか知ってるんじゃないかって、ちょっとした興味本位だっただけで……それなのにあんな本気で言われるとは思ってなくて……私も驚いてるんです。普段の香月くんはこんなことで怒ったりするような人じゃないのに……なんか変わっちゃってガッカリっていうか……」

「もういい、これ以上は聞きたくない」

教授は彼女の話を遮って、大きなため息を吐いた。

「教授……」

「矢上くん、君は私のゼミで何を学んできたのかね? それにさっき香月くんが君に話していたことを聞いてなかったのか? 少なくとも早瀬くんは、彼の見かけだけで契約をとったこともなければ、商品名だけ出して簡単に広告を作ったことなどないよ。彼がここ何年も営業成績トップでい続けられるのは、相手企業への尊敬と完璧なリサーチあってこその賜物だ。どこの企業が顔だけの営業マンに自社製品の広告を作らせる? 広告ひとつ作るのにどれだけの金が動いていると思ってる? 君はそういうことを考えて広告業界へ就職を希望したのではないのか? 言っておくが、今のままの考えで就職するなら、君に広告を頼む企業は一社もないだろうな」

ピシャリと教授に撥ねつけられ、彼女は悔しそうに唇を噛み締めていた。

「私の言っていることが理解できたなら、早瀬くんに謝罪するんだ。さっきの早瀬くんへの言葉はあまりにも酷すぎて、大学生の戯言では片付けられない」

そこまで言われて、彼女は震える声で

「……申し、訳……ありません……」

と俺に向けて謝った。

建前ででも『いや、いいんだ』と言うべきかと思ったが、ここはきちんと言ったほうがいいだろう。

「君も広告業界に入るのなら、今までの考えは全て捨てて一からやり直したほうがいい。最初の数年は契約数より、どれだけ真摯にクライアントと向き合い、クライアントの希望する広告を作れるかが鍵となってくる。そうすれば、結果は自ずとついてくるものだよ」

「わかりました……」

彼女はそれだけいうと、その場に静かに座った。

晴はまだ俺に肩を抱かれたまま、泣いている。
よほど悔しかったんだろう。

この数ヶ月、私と一緒に小蘭堂で仕事をしているからこそ、彼女が簡単にCMを作ってすごいと褒められたいなんて口にしたことが許せなかったのかもしれない。

リュウールの緒方部長をはじめとする商品開発部の人たちがどれだけの覚悟を持ってあのシリーズを作り出したのか、フェリーチェの長谷川さんがどんな強い思いを持ってあのライ麦ショコラパンを復活するまでに至ったか、それを間近で見ているからこそ、大手なら商品名さえ出せば売れる広告が作れるといった言葉も我慢できなかったに違いない。

「晴、もう泣くな。私は傷ついてなどいないから」

そう言って震える晴の背中を優しく撫でてやると、涙で目を真っ赤に腫らした晴が俺を見上げた。

「……ほんとに?」

「ああ。本当だ」

俺の声を聞いてようやくホッとしたらしい晴は、やっと泣き止んだように見えた。

俺が晴の涙をそっと親指で拭い取ってやると、晴は嬉しそうにニコッと笑った。

その笑顔が可愛くて思わず抱きしめてしまいそうになったが、ここが飲み会の場だったことを思い出し思いとどまった。

パッと前澤くんに視線を送り、アイコンタクトで『この雰囲気をどうにかしろ』と訴えると、
『はぁーっ』と小さくため息をついていたが、持ち前の明るさを発揮して、

「ほら、話はこの辺にして、食事を注文するぞ」

と元気よく声をかけると、その声に他の子たちも賛同し始めた。

この店の食べ放題のメインでもある北京ダックを頼むと、店員もタイミングよくさっさと運んできてくれた。

そのあまりにも大きな北京ダックに、さすが大学生!
テンションも上がったようで、楽しそうに和気藹々と食べ始めた。

薄餅に甜麺醤を塗り、パリパリの皮と胡瓜、白髪ネギを乗せくるくると巻いたものを

「ほら、晴も食べて」

と差し出すと、晴は嬉しそうにそれを頬張った。

晴の大きくてかわいい目はさっきまでの涙で赤く腫れていたけれど、それでもにっこりと笑顔を見せてくれたことだけはよくわかった。

「早瀬……」

教授の声に顔を上げると、教授は俺と晴の間に近づいてきていて、

「早瀬も香月くんも嫌な思いをさせてしまって悪かったな。矢上くんも悪い子じゃないんだが、思い込みが激しいところがあってな」

と謝罪の言葉を口にした。

「いえ、別に教授が悪いことなんて何もないですから」

「いや、せっかく来てもらったというのに本当に申し訳ない。今度、もう一度ゆっくり時間をとってくれないか? もし、よかったら香月くんも一緒に……」

晴も一緒にというのが気にはなったが、晴が泣いてしまったのがよほど気になったのだろうかと思い、

「わかりました。また近いうちにご連絡しますね」

と言って、教授と連絡先を交換した。
卒業してからこんなに時間があってから、また教授と連絡を取り合うことになるとは思っても見なかったな。
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