銀河鉄道の夜に優しい君と恋をする

三月菫

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1話 ボーイ・ミーツ・ガール

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青井あおい――くん?」

 彼女のくちびるから俺の名前がこぼれる。鈴が鳴るようなきとおった声だった。

優木坂ゆぎさかさん」

 俺は目の前に立つ少女の名前を返す。

 ありふれたボーイ・ミーツ・ガール。
 
 俺たちが出逢ったのは、すべてがオレンジ色に染まった、放課後の教室だった。


 ***


「財布がない……!」

 ここは駅前のゲームショップ。
 目当てのゲームを手に取り、レジでいざ会計という時になって、俺はリュックの中に財布が入っていないことに気がついた。
 テンパりながら、その場でリュック、ポケットというポケットの中身を全部ひっくり返してみるけれど、やっぱり財布は見つからない。
 どうやらどこかに落としたらしい。

「マジかよ……クソ、なんで今日にかぎって……」

 今日はゴールデンウィーク明けの月曜日。
 ずっと心待ちにしていた新作ゲームの発売日だった。
 朝からソワソワしっぱなしで授業に全く身が入らなくて。休み時間は、スマホでゲームの情報サイトをずっと確認してニヤニヤしていた。
 
 そして迎えた放課後。
 ホームルームが終わるやいなや、俺はリュックを背負しょって一目散いちもくさんに教室を飛び出し、駅前のゲームショップへと急いだ。
 
 予約特典をもらうために予約もバッチリしたし、お小遣いから捻出ねんしゅつした軍資金も確保ずみ。
 さあ、目当てのゲームを購入して、今日は深夜までぶっ通しでプレイしよう!
 
 ――そう意気込いきごんでいたんだけど。

「ハァ……どこで落としたんだろ」
 
 ゲームを買えないお預け感と財布を無くした不安感を抱きながら、学校へ続く道をトボトボと引き返した。

***

 学校に到着した頃にはすっかり陽も傾いて、西から刺す夕陽が校舎やらグラウンドやらを、全てオレンジ色に染め上げていた。

 俺は校門をくぐり、昇降口しょうこうぐちで上履きに履き替えてから、自分の教室を目指して廊下を歩く。
 
 俺がこの春入学した高校――ひがし高校は、各学年の教室や職員室が入っている本棟と、図書室や音楽室などの特別教室が集まった別棟とに分かれている。
 なので、部活動やら自習やらで学校に残っている生徒たちの大半は別棟にいて、この時間に本棟の校舎内に残っている生徒はそう多くない。

 一年の教室が並ぶ二階廊下には人の姿はなく、遠くの方からは吹奏楽部すいそうがくぶの演奏だろうか、管楽器かんがっきの音だけがかすかに響いていた。
 
 俺のクラスである一年四組の教室にも、当然ながら誰もいないだろう――

 そう思いながら、教室の引き戸をガラガラッと開けると。

「え……?」

 思わず声を上げてしまった。
 というのも、誰もいないだろうと踏んでいた教室の真ん中に、一人の女子生徒が立っていたのだ。

 その子はこれから掃除をしようとしているのだろうか。椅子を逆向きにして胸に抱えていた。

 少女と目が合う。
 
 肩ほどで切りそろえられた黒髪ボブカット。少し重ための前髪をヘアピンで横に流した隙間すきまから、大きなひとみがこちらをのぞいていた。
 
青井あおい――くん?」
 
優木坂ゆぎさかさん」

 俺たちは互いの名前を呼び合う。
 少女は胸に抱えていた椅子を机の上に置いて、俺の方に向き直った。
 
 優木坂 詠ゆぎさか よみさん。
 
 彼女は俺と同じ一年四組のクラスメイト。
 成績優秀は優秀で、どちらかといえばマジメ系で。
 それで、えーと、あとは。
 
 正直、彼女について知っていることは多くなかった。
 それも、この間の席替えで、彼女が俺の隣の席になったから、名前と顔が一致するだけ。
 これまでちゃんと話したことは一度もなかった。

 優木坂さんは首をかしげながらたずねてくる。

「どうかした? 何か忘れ物?」
「財布を無くしちゃって。教室に落ちてないかと思って探しに来たんだけど……」
「あっ、財布ってこれ?」

 そう言って優木坂さんは制服ブレザーふところから黒い長財布を取り出すと、「はい」と言って差し出してきた。
 
「それ! 俺の財布!」
 
 思わず大きな声をあげる。
 彼女が差し出した財布は、まさしく俺のものだった。

「教室に落ちてたよ。これから職員室に届けにいこうと思っていたところだったんだ。よかった、直接渡せて」
「あーよかった! ありがとう優木坂さん、助かったよマジで」
「ううん、どういたしまして」

 彼女から財布を受け取って、ホッと胸をでおろした。
 これでとりあえずゲームを買うという目的は果たせる。
 そうと決まれば早くゲームショップに戻らねば。一分一秒が惜しい。

「それじゃあ!」
「うん、バイバイ」

 俺は優木坂さんと挨拶を交わしてから、教室を後にした。
 そのまま、昇降口でスニーカーに履き替えて、ルンルン気分で校舎を後にする。
 
 そして校門前まで来たところで、ふと足が止まった。
 が頭をよぎったのだ。

 優木坂さんは、なんでこんな時間まで掃除をしているのだろう。それも一人で。

 うちの学校では、教室の掃除は、あらかじめ振り分けられた数人一組の班に、月替わりで割り当てられている。彼女一人が掃除をしているのは妙だった。

 もしかして。
 押しつけられているのだろうか。

 俺は振り返って校舎に目をやった。一年四組の教室からはいまだに明かりがれている。
 
 どうしよう。戻って手伝うべきだろうか。

 俺は別に彼女と仲がいいわけじゃない。
 一度帰ったはずの、友達でもない男がわざわざ戻ってきて「掃除を手伝うよ」なんて言うの、下心がみえみえでちょっとキモチ悪くないか。
 
 それに早くゲームをやりたいし。
 いろいろと後ろ向きな考えが頭をよぎる。
 
 そして――

 ***

「優木坂さん。俺も手伝うよ」
「え?」

 教室に飛び込んだ俺の口から出てきた言葉に、優木坂さんの大きい瞳が、ぱちくりとまばたきした。
 
 ここまでダッシュで走って来たので、俺のひたいには汗がにじみ、息も切れている。
 つーか、なんで全力疾走したんだ、俺。

 結局、優木坂さんを手伝うことにした。
 別にその義理があったわけじゃないけれど、この状況で彼女一人を置いて先に帰るのはなんか違うと思ったんだ。

 予期せぬ俺の再訪さいほう、そして言葉に、優木坂さんは戸惑とまどっているようだった。

「えっと……悪いよ。青井くん掃除当番じゃないし」
「大丈夫、俺もヒマだし。二人でやった方が、早く終わるでしょ?」
 
 俺の言葉に、優木坂さんは少しの間、黙りこむ。
 そして。
 
「ありがとう……じゃあ、お願いします」

 彼女はそう言ってペコリと頭を下げた。
 
「了解。ちゃっちゃと終わらせよう!」
 
 こうして俺は、彼女と一緒に教室の掃除を始めた。

***

「これでよし、と」
 
 俺は最後の机を所定の位置に戻す。これでひととおりの掃除が終了した。
 窓の外を見やると、陽は完全に沈んで、空はすっかり暗くなっていた。

「ごめんね、手伝ってもらっちゃって」
「全然、財布を拾ってくれたお礼。これくらいお安い御用ですよ」
 
 俺がそう言うと、優木坂さんは微笑ほほえんだ。笑うと少し幼く見える。
 その笑顔を受けとめてから、俺はさっきから気になっている疑問を彼女に投げかけた。

「あの、優木坂さん……」
「なあに?」
「なんで一人で掃除してるの? しかもこんな遅くまで」
 
「私、掃除当番だから。時間が遅くなっちゃったのは日直の子に頼まれて学級日誌を代わりに書いてたから。それで余計に時間かかっちゃって」
「え、でも……他の人は?」

 俺の質問に、優木坂さんは少し困ったように笑みを浮かべた。

「みんな部活とかバイトで忙しいから」
「それなら優木坂さんだって――」
「別に、私は放課後に予定があるわけじゃないし……皆困ってるみたいだったから引き受けたんだ」
 
 それって押し付けられてない?
 日直の仕事も、掃除当番も。

「あ、大丈夫だよ。こういうのいつものことだし。好きでやってることだから」
 
 俺が心配そうな顔をしたからか、優木坂さんが慌てて言葉を付け足した。

 いつも押し付けられてるなら余計問題なんじゃないだろうか、と更にツッコミを入れようかと思ったけれど、これ以上の口出しもウザいと思って、やめておいた。

「青井くん」
「え?」

 今度は優木坂さんが俺に声をかける。

「青井くんって、優しいんだね。その――」
「あ……もっととっつきにくいかと思った?」

 優木坂さんが先の言葉をつむぐより前に、俺は先んじてたずねた。

「や、そんなことは――」
「気にしないで。自覚してる」

 慌てる優木坂さんをなだめるように俺は微笑ほほえむ。
 優木坂さんも俺の反応をみて、安心したかのような表情になった。
 
「うん、実はちょっとだけ。青井くん、クラスのLINKグループに入ってないし、友だちと話しているのもあんまり見たことないから、一人が好きなのかなって思ってた」
「はは……そんなカッコいいもんじゃないよ。ただ、友達がいないだけで」
 
 優木坂さんの指摘のとおり、高校に入学してから、はや一ヶ月が経過したが、俺はクラスの輪に積極的に関わることなく、一人で過ごしていた。

 まず、目つきが悪い。小学校の頃、初恋のあの子を見つめていたら、大泣きさせてしまったことがある。
 それに無駄に身長も高いので、周囲にプレッシャーを与えている自覚があった。

 それに性根が根暗ねくらなのだ。
 趣味はゲーム、アニメ鑑賞、漫画やラノベを読むこと。話題のテレビ番組はもちろん、ティクトクもインスタも興味ない。だからクラスの話題についていけない。
 
 更に、一人でいることがそこまで苦じゃないので、こっちから積極的に友だちを作ろうともしない。

 そんな調子だから、今に至るまで、友達はゼロ。
 栄光なき孤独をつらぬいている。

「だから、優木坂さんが俺の名前を覚えてるの、結構意外だったりする」

 俺が自嘲じちょう気味に笑うと、優木坂さんは温和おんわな笑みを口元に浮かべた。
 
「そんなのクラスメイトなんだから当たり前じゃない。名前くらいちゃんと覚えてるよ」

 笑顔と一緒に、その口元から|鈴のようなこぼれた。

 
青井夜空あおいよぞらくん」
 

 名前を呼ばれた、たったそれだけのことなのに、胸の奥がくすぐったくなるような気がした。
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