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2話 青井 夜空(あおい よぞら)
しおりを挟む「青井くん――私、キミのことが好き♡」
「え? なんだって?」
俺の前に立つ少女の言葉に対して、俺は聞き返した。
「もう、聞こえてるくせに♡ でもそんなよくある三文ライトノベルに出てくるような難聴系主人公なところも、好き♡」
少女――優木坂詠は頬を赤らめ、とろんとした表情を俺に晒していた。
彼女の瞳の中には、エロ漫画とかでありがちなハートマークがくっきりと浮かんでいるようだった。
「私――毎日、毎日、青井くんのことを考えると、身体の奥がキュンって熱くなって……♡ もう限界なの……♡」
「ゆ、優木坂さん……! そ、そんないきなり、だって俺たちは知り合ってばっかり――」
「そんなの、関係ない……♡ こんな気持ちになるのは生まれて初めてなの……♡ もう自分じゃ抑えられない♡」
そう言うやいなや、彼女はムギュッと俺に抱きついてきた。全身で感じる彼女の柔らかい身体。
それに彼女のプルプルの唇から漏れる吐息が、俺の首筋にかかってゾクゾクする。
「あ、あああああああああのっ!? ゆ、優木坂さん!? おおおおおお落ち着いて!?」
「女の子はね……♡ 好きな男の子のためなら、ビックリするくらい大胆になれちゃうんだよ……♡」
「ちょ、ちょっと待って。い、一旦離れて!」
「お・こ・と・わ・り♡」
彼女は甘い囁きを俺の耳に残すと、上体を少しだけ後ろに逸らして、身にまとう制服のシャツに手をかけた。
そしてゆっくりとした動作で、ぷちり、ぷちりとボタンを外していく。
露わになっていく生白い肌。
首筋、鎖骨のくぼみ、そしてピンク色の可愛らしい下着に包まれたふくよかなおっぱいが少しずつ順番に俺の目に飛び込んでくる――
その艶かしい光景に、俺は思わずゴクリと生唾を飲み込む。
やがてすべてのボタンを外し終えると、彼女はそのまま両腕を下げ、シュルリとシャツを地面に滑り落とす。
そしてその両腕を、蛇のように背中へと持っていった。
「ふぅ……♡ これでジャマなのは、あと一枚、ブラジャーだけだね……♡」
「ほ、ほおおぉ……」
「青井くん――私の全部、見てくれる――?」
言われなくとも俺の視線は優木坂さんの肢体に釘付けだ。
「ほ、ほおおお……ほほほっほっほっほーほほほほ……」
ああ、もうダメだ。
俺の中で十五年間秘められたリビドーが。
俺の下腹部にぶら下がる、かつて一度も鞘から抜かれたことのない妖刀ムラムラマサが……今まさに鞘から抜かれんと。
「優木坂さああああああん」
俺は理性のタガを失い、彼女の身体を、強くつよーく抱きしめた。
***
「うわッ!!」
その拍子に、目が覚めた。
瞼を見開くと、見慣れた天井が広がっている。カーテンの隙間からもれる朝日に眩しさを感じた。
俺は体を起こして周囲を見渡す。
本棚、学習机、テレビボード。あとは今自分が身を置いているシングルベッドが置かれれば、もう一杯になってしまうような空間。見慣れた自分の部屋だった。
しばらく頭が回転せずフリーズしていたが、やがて自分の状況を理解できた。
「夢かぁ……」
そう呟くと同時に、全身に汗をびっしょりとかいていることに気付く。
枕元に置いたスマホを取り出して時刻を見ると午前六時少し前。いつもより三十分は早起きしてしまったらしい。
俺はおもわず頭を抱える。
「つーか、なんつー夢だよ……欲求不満にも程があるぞ」
昨日ちょっと話しただけの女子との夢を、あんなエッチなユメを、その日の晩に見るなんて。
これも どうていのサガ か……
「はあ、顔洗ってこよ……」
顔も洗いたいし、汗まみれの身体も拭いてすっきりしたかった。
俺はまとわりつく興奮の余韻を振り払うように、ベットから起き上がり、自分の部屋のドアを開けた。
***
「夜空ぁ……おはよ……」
俺が洗面所で身支度を整えてから、キッチンで朝ごはんの支度をしていると、扉がガチャリと開く音がして、続いて俺の名前を呼ぶ寝ぼけ声が聞こえた。
声の先に目を向けると、パジャマ姿の姉――青井亜純が目をこすりながら立っていた。
パジャマの上着は大きくはだけていて、見る人が見ればエチエチな光景なのだろうが、いかんせん実姉なので、当然ながら何にも思わない。
「姉さん、おはよう。丁度、朝メシできたとこだよ」
「今日のメニューは……?」
「トーストと目玉焼き」
「うーん、今日はお米と味噌汁の気分なんだよなぁー」
「じゃあテメーで作れ」
「あーんうそうそ、いただきます。神様、弟様、夜空サマ。ひもじい私めにお恵みをいただき、いつもありがとうございますです」
姉さんは、喉ちんこの手前から生まれてきたような陳腐な感謝の言葉を述べる。
「はいはい。いいから早く顔洗ってきなよ」
「ほーい」
俺は洗面所へ移動する姉を見送りつつ、二人分の朝食をテーブルの上に配膳した。
しばらくして洗面所から戻ってきた姉も食卓について、二人揃って手を合わせる。
「いただきまーす」
「どうぞ召し上がれ」
姉弟二人の朝ごはん。これが我が家の日常だった。
両親は共働きで、二人とも仕事の都合で遠方へ単身赴任中。なので俺は高校進学を機に、大学生の姉と二人暮らしをしている。
俺の目の前でサクッと良い音をたてながら、トーストをかじるのが、五歳離れた俺の姉――青井亜純。現在、都内の大学に通う大学生だ。
栗色ロングのゆるふわウェーブヘアに整った顔立ちをしており、弟の俺とは似ても似つかない。
身内の俺がいうのもなんだけれど、ドえらい美人なのだ。
だけど。
「姉さん、昨日飲み会だっただろ。またリビングに洋服を脱ぎ散らかしてそのまま寝たね……」
「あーごめんごめん、ついついね。でもしばらく飲み会はないから大丈夫」
「あと玄関のドアが開けっぱなしだったよ。オートロックマンションだからって、うちは一階なんだからね。不用心だからちゃんとカギ閉めて」
「はいはい、ごめんなさーい」
その容姿と反比例するように性格はなかなか残念な人間だ。
適当でマイペース。そのうえ超がつくほどの酒好き。シラフのうちはまだ可愛げもあるのだが、酒が入るとそのタチの悪さが加速していく。
この前なんか、酔った勢いで深夜に俺の部屋に乱入してきて、俺のスマホをぶんどって検索履歴のチェックを始めるし。
またある時は、酔いつぶれた帰宅後、靴が片方脱げたまま廊下にうつ伏せで倒れていて、翌朝俺がそれを発見した時は、もう完全に火曜サスペンスドラマの死体発見シーンだったし。
残念すぎるエピソードには事欠かない。
生活能力も乏しく、干物女。そのため二人暮らしの家事全般は、自然と俺の担当となってしまっていた。
「まったく、俺がこっちに来るまでは、どんな生活してたんだか」
「うふふ、ヒミツ」
姉さんはイタズラっぽい笑みを浮かべた後、またひと口、トーストをかじってから、俺に言葉を投げかけてきた。
「夜空、アンタの方はどうなの?」
「どうなのって……何が?」
「何がって、高校入学してもう一か月でしょ? 友達できた?」
「別に……」
「その反応は、一人もできてないみたいね」
「うぐっ……」
姉さんは呆れたような表情を見せる。
図星を突かれた俺はというと、ムッとした顔を返すことしかできなかった。
「……しょうがないだろ。こんな目つきの悪い奴、誰だって敬遠するよ」
俺はそう言いながら、意識的に自分の眉根を寄せる。
父親譲りの一重と三白眼が憎い。
「そりゃ、初対面は怖いかもしれないけど、内面は生まれたての子鹿なんだから、普通に話せば友達の一人くらいできるでしょうに」
「別に……そもそも友達がほしいわけじゃないし」
「はあ……そうやってムダに人との間に壁を作るのは、アンタの悪いクセね」
「ほっとけ」
俺はぶっきらぼうに言い放つと、朝食をさっさと胃の中に流し込んだ。
***
姉さんとの朝食を終えた後、俺は制服に身を包み、家を出た。
俺が県立東高校に入学してから、あっという間に五月になってしまった。
着慣れないブレザータイプの制服にも、通勤ラッシュで激混みの電車通学にも、一ヶ月も経てばボチボチ慣れてくるものだ。
俺は駅から学校までの通学路を一人でダラダラと歩き、いつものように授業開始の十分前くらいのタイミングで、一年四組の教室に到着した。
扉を開けると教室の中はすでに多くのクラスメイト達がいて、それぞれが友達同士で雑談の花を咲かせている。
それらが重なって教室の中は爽やかな朝の喧騒に包まれていた。
俺が教室に入っても、挨拶を交わすことはもちろん、誰もこっちに目を向けてこない。
別に悪意を持って無視されているわけでもない。単に俺の存在感が薄いだけだ。
ふと、俺の机に向かうまでの動線上、楽しそうに談笑するクラスメイトが通せんぼする形になっていた。
「あー、ちょっと通して……」
「あのー……」
声をかけるも、会話に夢中で俺の声に気づかない。
「ゴメン、ちょっと!」
仕方ないので声のボリュームを上げた。
「え……?」
通せんぼしていたクラスメイトは、ビクリとしてこちらに振り向いた。
「通してくれる?」
「あ、ああ……悪ぃ」
俺は軽く会釈しながらその横を通り過ぎる。
背中から「めっちゃ睨まれたんだけど」とか「なに朝から怒ってんだよ」とか、そんなヒソヒソ声が聞こえてきた。
誤解だ。別に怒ってもないし、睨んでもいない。もともとこういう顔なだけなんだ。
ということで、今日という朝も。
俺にとっていつも通りのぼっちの朝だった。
「ふあ……」
俺は自分の席に座ってから大きなあくびを一つする。
眠気の原因は、昨日無事購入できたゲームを深夜までプレイしたため。それと多分、昨晩見たエッチな夢のせいだ。
……
あの夢……凄かったな。
せっかくだから、続きを見たかった。
起きちゃったの、勿体無かったな。
ハァハァ……
ハァハァ……
「おはよう、青井くん」
「ハァハァ……はぁえ?」
一人悶々と夢の内容を思い出していると、俺に挨拶をかける声がした。
俺に話しかけてくるクラスメイトがいるなんて思っていなかったので、不意打ちの形になって変な声を出してしまう。
俺は声の元へ視線を移す。
隣の席の少女――優木坂さんがこちらを向いて微笑んでいた。
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